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「!? じゃあ君が助けてあげれば、死ななかったかもしれないじゃないッスか!」
ナクルの激。それを受けてもなおヨルは怯むことなく淡々と言い返す。
「そんな義理はない。それに助ける価値があるとでも?」
「か、価値……?」
「儚い命。か細い存在。奪われるだけの無価値な生。とても哀れでしかない」
「! ……哀れ? 鳥だって必死で生きてるッスよ! ボクたちと変わらないッス!」
「本当にそうか?」
「え……?」
「お前は、本当にそう思っているか? 自分たちと同じ価値が、この矮小な存在にあると」
「当然ッス! 命は命ッスもん!」
「……何の繋がりもない、奪われるだけの命に価値などない。この世は決して平等ではないのだ」
「それは……そうかもしれないっスけど、それでも助けられる命なら手を伸ばすべきッス!」
それはナクルの優しさからくる純粋な言葉。そこに飾りなど一切なく、心の底からそう思っているナクルだからこそ発せられるもの。
「命の価値なんて、誰かが決めていいものじゃないッスよ!」
沖長は幼馴染の言葉に思わず頬が緩む。
(ナクル、お前ってやつは……)
綺麗事。そう言われてもおかしくはないだろう。何せ、ナクルはまだ幼く世間の荒波も知らない。沖長だって前世合わせて、そう長い年月を過ごしてきたわけではないが、それでもヨルの言うように、すべての命が平等だなどと思えるほどの純朴さは失って久しい。
価値という面で見れば、ほとんどの者が自分の命が一番尊い、あるいは親ならば自身の子供がトップに上がる場合もあるだろう。それは至極自然なことであり、すべての命が平等だと認識することは、それこそ世の中の真実を知らない子供だけ、かもしれない。
それでもナクルの発言が間違っているとも言えない。いや、正確にいうならば、価値なんてそれぞれ違うものだからだ。そこに正解なんてない。
優先順位なんて様々な環境の中で生きている内に変わることがあるものだし、そこに正しいも間違いも存在しない。ただ一つだけ、ヨルの考えに賛同できないものがあるとするなら、無価値な生なんて存在しないということ。これもまた沖長の価値観でしかないが、たとえ人間から見て矮小に見える命でも、そこには確かに生まれてきた意味があると思うから。意味があるなら、それは正しく価値なのではないだろうか。
それでも沖長は、ナクルを否定したくはない。平等でないと理解していても、ナクルの思う世界であれば良いと感じるからだ。
真っ直ぐ、自分の意見を曲げないナクルを黙って見つめるヨル。沈黙が場を支配する中、空気を一変したのは新たな介入者であった。
「――そこで何をしている、ヨル」
不意に野太く冷たさを感じる声音が響いた。全員がその声を発した主に意識を向けると、そこにはまたも見知った顔があった。
(! この人って……)
そこにいた人物に目を見開く。会ったのは一度だけ。それも随分と前のこと。そう、それは初めてダンジョンという異界に足を踏み入れた後のこと。
自分にとって憧れである師範代の血縁者。
(…………七宮恭介)
蔦絵の父であり、この国の現防衛大臣を務める男がそこに立っていた。
こちらを路傍の石でも見ているかのような無感情の眼差し。厳格な顔つきに堂々とした風格。初めて会った時にも感じた冷徹さは、あの時よりも数段増しているように感じられた。
「騒ぎは起こすなと命じていたはずだが?」
「……別に起こしていない」
「そうは見えないから言っている」
「ヨルはこの者たちの質問に答えただけ。騒いだのはそこの小さいの」
ヨルに小さいと言われてショックを受けるナクルを尻目に、恭介は僅かに鼻を鳴らすと、ちらりとナクルを一瞥し、さらにそのまま左右に視線を動かす。そしてピタッとある人物を視界に収めて目を細めた。
「ほう、ちょうどいい。王樹には袖にされたが、なら直接交渉するか」
恭介の視線が捉えていたのは――千疋。彼はそのまま静かに彼女に詰め寄った。見下ろす形で彼女に向けて言葉を続ける。
「十鞍千疋。お前に話がある」
見下ろされていることが気にくわないのか、怪訝そうな面相をしながら「話じゃと?」と千疋が尋ねた。
「そうだ。私のもとへ来い、十鞍千疋」
「は? いきなり何を言っておるんじゃ、お主は?」
「こちらに来れば、お前の望みも叶う」
「はて、ワシの望み、のう」
「そうだ。その身を呪いに侵された哀れな道化よ。いつまで悲劇を繰り返すつもりだ? いや、最早喜劇そのものか」
「…………」
「私ならば、いずれその呪いから解放してやれる」
「随分と自信満々じゃのう。根拠はあるのかや?」
「準備は着々と進めている。彼のダンジョンもまた、近いうち必ず出現するはずだ。そうすればお前の望みは――」
「――必要ない」
「……何だと?」
千疋が言い放った言葉が信じられなかったのか、恭介は眉をひそめつつ「今何と言った?」と聞き返した。
「必要ないといったんじゃよ」
「何故だ? その身を蝕む絶望を祓いたいとは思わないのか?」
「フフン、そうじゃのう。確かに呪いは怖い。今も夢でうなされることだってある」
その言葉を聞いて、沖長もまた反応してしまった。
すでに千疋を縛り付けていた呪いはすでに存在しない。何故ならその呪いから解放した張本人が自分だからだ。しかし今も夢でうなされることがあるということは、肉体的には自由になっても、まだ精神的には完全に解放されていないのだろう。
無理もないのかもしれない。彼女が呪いによって繰り返してきた悲劇は、彼女の心に途方もない恐怖と不安を生んだことだろう。
解放されたからといって、すぐに過去を無かったことになどできはしない。それほどの傷と痛みが、そう簡単に治癒されるわけがないのだ。そんな彼女の現状を知り、少しでも何とかしてやりたいと思うが、さすがに今の沖長では見守るしかできないことを悟って口惜しく思った。
しかし千疋は一変の陰りもない表情を浮かべ、確かな笑みを恭介へと向けながら言う。
「悪いがのう、たとえ呪いに蝕まれていようと、胡散臭い輩にこの身を委ねようとは思わん。分かったならさっさと帰ることじゃのう」




