221
沖長の言いつけ通り、ナクルは彼と別れるとすぐに父である修一郎を探した。家のどこかにいるはずだとスマホで連絡を取ることはなかった。しかしそれが余計に時間を食うことになってしまう。
籠屋のこの屋敷は結構な規模であり、探し回るとなるとそれなりに時間がかかることを失念していたのだ。それに加えて頭を抱えてしまう情報を耳にする。
「えっ!? お父さんと大悟さんが出掛けてる!?」
主に屋敷を維持するために雇われているお手伝いさんを見つけ修一郎のことを尋ねると、彼女から二人が先ほど外出したことを告げられる。
(ど、どうしよう……と、とにかく次は蔦絵ちゃんに!)
そう判断し、今度は恥も捨てて蔦絵の名を叫ぶようにして家中を駆け回った。するとどうやら彼女はトキナやユキナとともに入浴中だったらしく、ようやく頼りになる大人を見つけることができてホッとしつつも、ナクルは沖長が話していたことを伝えた。
蔦絵はダンジョンの気配に関して気づいていたものの、わざわざ沖長たちが挑むとは考えていなかったので放っておいたのだ。ただ一応ユキナたちには知らせておいたらしいが。
しかし雪風がダンジョンに向かった可能性があることを危険視して、沖長が追いかけたことを知り顔色を変えた。
「――分かったわナクル、今すぐ用意するわね。それとあなたは電話で師範と大悟さんにこのことを伝えてちょうだい」
蔦絵の言葉に従い、彼女たちが着替えている間に修一郎に電話を掛ける。
『――もしもし、どうしたナクル?』
「お、お父さん! 実はッスね―――」
同じく蔦絵たちに話したことを伝えた。
『それは本当かい? 分かった、すぐに戻り……いや、ナクル、ダンジョンがどこにあるのか分かってたら教えてくれ。お父さんも直接そちらに向かうから』
そこで感覚に従って修一郎にダンジョンの気配がある場所を伝えた。
「あ、それと大悟さんにも伝えて欲しいッス!」
『あー……悪いな、ついさっき大悟とは別れて……アイツ、スマホ持って出てきたんだろうな?』
修一郎はユキナに言われ、少し買い出しにコンビニへと行ったのだが、どうやら大悟は、昼食の腹ごなしに一人でジョギングに出かけたようだ。しかも彼はよくスマホを携帯することを忘れたりするので修一郎がそれが懸念材料だったらしい。
『とにかくアイツと連絡が取れなくても俺はそっちに向かう。ナクルはどうする?』
「蔦絵ちゃんと一緒に向かうッス! その……雪風ちゃんのことも心配ッスから」
『……そうだな。沖長くんは賢いから無理はしないと思うが、それは状況次第か』
その通りだ。基本的に危ないことを率先するタイプではないとナクルも思っているが、それでも他人が危ない目に遭っていると知れば放置することはしない。それが彼、札月沖長という人物だ。
大悟曰く究極のお人好しということだが、そのお蔭でナクルも過去に救われたことがある。わざわざ面倒事に首を突っ込まなくてもいいのに、誰かが悲しんでいたり辛い思いをしていたら黙っていられない性格をしているのだ。
「お父さん……オキくん、大丈夫ッスよね?」
『安心しなさい。彼ならきっと大丈夫だ。恐らく同年代の誰よりも強い。身体だけでなくその心もな』
確かに沖長は同い年とは思えないくらい精神が熟している気がする。頭の回転も速いし、行動力も大人顔負けだ。とてもナクルと同年とは思えないほど熟達している。
だからナクルは誰よりも頼っているし、傍にいるととても居心地が良い。まるで暖かな春の陽光に包まれているかのように安心できるのだ。
「――お待たせ、ナクル!」
「蔦絵ちゃん! うん、じゃあ一緒に行くッス!」
「ええ、急ぎましょう」
そうして増援を引き連れて、ナクルはダンジョンの気配を辿っていき、しばらくすると林の中へと足を踏み入れることになった。
「この先ッス! ……あそこッス!」
すでに目先にはダンジョンの濃厚な気配を感じる。そこには亀裂があるはず。そう思い込んでいたが――。
「こ、これは……どういうこと……ッスか?」
ナクルの目に飛び込んできたのは――。
※
風を切るようにして真っ直ぐ向かってきた複数本もの黒い薔薇。それらを両手に持った千本を駆使して弾き落していく。それを見たエーデルワイツが「ほう」と感心するような表情を見せる。
「なかなか……ではこれならいかがでしょうか?」
彼女の周りの空間が歪み、そこから先ほどよりも多い黒い薔薇の数々が姿を現す。
(四十……いや、五十はあるか?)
それらがエーデルワイツの腕振りと同時に一斉に向かってきた。沖長は呼吸を止めつつ目を見開く。同時に両腕と両足に力を込め、放たれてきた黒薔薇の対処に集中する。
弾く度に腕に衝撃が走る。オーラで強化しているといっても、さすがに疲労が蓄積されていき防御力も低下していく。
――ブシュッ! ――ブシュッ! ――ブシュッ!
まともには受けないようにだけ意識するが、それでもかわし切れず身体のあちこちに傷を負っていく。切り傷といっても、受ける数によっては出血量が嵩み致命傷に届いてしまう。しかし何とか相手の攻撃が終えるまで耐えることができた。
「フフフ、これも乗り越えるとは想定外でしてよ」
言葉とは裏腹にエーデルワイツは楽しそうだ。
(マズイな……向こうはまだまだ余裕か。やっぱ妖魔人は別格だわ)
相手にしてみればまだ遊びの範疇なのだろう。何せここは妖魔が力を発揮することができるダンジョン内。今の沖長が全力で挑もうが、月を掴みたいといって地上から手を伸ばしながら跳ねているようなものであり、到底その手が届くことはない。それほどまでに絶望的な差。
(けどそれでいい。それでこそ時間が稼げるってもんだしな)
こちらが弱過ぎれば、今の攻撃で終わっているだろう。かといって強くても、相手が本気を出してきかねない。今の立場が沖長にとっても歓迎すべき状況なのだ。
「……その顔、まだ何かお持ちのようですわね」
「……?」
「温存している暇があると思われているのは少し癪ですわね。なら――」
沖長の表情を見て何かを察した様子のエーデルワイツの髪がうねりを上げて茨と化していく。そしてそれらが不規則な動きを以て沖長へと迫ってきた。
これはさすがに千本では防ぎ切れず回避に専念しようとするが……。
「――があっ!?」
幾本かの茨を回避するものの、結果的には呆気なく背後から音もなく迫ってきていた茨に捕まってしまった。
「動きが鈍くなっていましてよ? もっともこちらに来る前に些か疲労していたようですが」
それは仕方ないだろう。何せ、ダンジョン内で入った直後に複数の妖魔と戦闘があったのだから。乗り切れたといっても、大分オーラと体力を消耗してしまっていた。
(くっ……まだか雪風……っ!?)
ここから亀裂があった場所まではそう遠くないはず。それに今頃、ナクル達が駆けつけていてもおかしくはない。しかし随分と時間が経ってしまっている。そう増援が来ないことに困惑していたその時だ。
「――お兄様を離しなさいっ!」
何故かその場に現れた雪風が、茨に向かってどこかで手に入れたらしい木の棒を叩きつけていた。




