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沖長はダンジョンの亀裂がある林の中へと辿り着き、ホッとしたのも束の間、すぐに反射的に舌打ちをしてしまっていた。一瞬安堵したのはそこには誰もいなかったから。つまり雪風はこちらに来ていない可能性を感じた故に。
しかし次の瞬間、地面につけられた真新しい小さな足跡を見て顔を歪めてしまった。それが雪風のものだという確証はないものの、そうである可能性もまた否定し切れなかったから。仮にそうでなかったとしても、小さい子がダンジョン内へ入っていったことになるし、どちらにしても放置するのは後味が悪くなるだけだった。
(間に合わなかったか……どうする?)
ここまで来て引き返すことはできない。かといってこのまま突っ込んでもいいものだろうかと悩む。原作通りでは待ち構えているのはユンダであり、せっかく死を偽装して目を逸らしたというのに、それが台無しになってしまう。
「……ま、しょうがねえか」
諸々の問題はあるものの、やるべきことは変わらない。ならばこの悩む時間すら惜しい。ということで沖長は、ダンジョン内へと入った。
瞬間の眩さの後、すぐに視界が開ける。そこに広がったのは――。
「ここは…………街の中、だよな?」
どこか中世ヨーロッパを思わせる街並みだが、強烈な違和感を覚える。何故ならこれだけ広い規模の街だというのに人っ子一人いない。まるでゴーストタウンと化している。
当然だ。いくら景色が人工物にしか見えないもので出来ているとしても、ここはダンジョンの中。いわゆる街という外観を設定されたフィールドなのだ。
「――っ!?」
不意に頭上から気配を感じて、咄嗟に後ろへと跳ぶ。直後に目の前に降り立ったナニカにギョッとする。
それはまさしく異形の存在であり、人間とは相容れないであろう見た目をしていた。
「っ……妖魔か」
ただしこれまで相対した妖魔とは、大きさも形状も違う。
沖長とそう変わらないほどの大きさであり、獣のような四足歩行。細長い頭から背中にかけて鋭い棘が幾つも生えており、それぞれの足には丈夫で長い爪が見えている。口らしき場所からはボタボタと涎のような液体が垂れていた。
これまでの妖魔も、目の前の存在と同じく、どこか獣や昆虫をイメージさせられたが、無機質な雰囲気も持ち合わせていた。まるで感情の無いロボットのようなものと言えるだろうか。
しかし今回の相手は、明らかに〝意〟を感じる。それも強烈な敵意や殺意といったもの。
「なるほど。これが――〝ハードダンジョン〟の特徴ってやつね」
ノーマルよりもさらにランクが高いダンジョンであり、出現する妖魔や素材などのアイテムなども高価になる。
本来ならもう経験していてもいい。原作では第一期の最後に挑むからだ。しかし結果的に不干渉で終わった。だから今回が初めてというわけである。
すると妖魔が一足飛びで沖長へと向かってきた。
(速いっ!?)
これまでの妖魔とは一線を画すほどの動きだ。相手はそのまま切り貫かんばかりに爪を向けてきた。沖長は慌てて左へ前転しながら回避し、立ち上がってすぐに驚愕する。
何せ相手の爪が地面に突き刺さり大きな亀裂を生んでいたからだ。
(一撃でもまともに受けるとヤバイな。それに千本で防御しても耐えられるかどうか……)
オーラを纏って強化してもいいが、あれだけの威力の攻撃を何度も受け切れるとは思えない。
(さすがはワンランク上の妖魔ってところか。早く倒したいところだけど……)
こっちは時間が惜しいのだ。何せこの中に雪風がいるかもしれないのだから。しかし大声を上げて他の妖魔が集まって来ても困る。ここは静かにできるだけ素早くコイツを倒すしかない。そのためには……
「……師匠、コレを取りますね」
修行のために自身のあらゆる力を抑え込む『呪花輪』。外す時は師匠である大悟の許可が必要になるが、現状コレをつけたまま戦い続けるにはリスクが高過ぎる。
そう判断し手首から『呪花輪』を外し深呼吸する。それまで抑えつけられていた力が解放されたかのような心地好さを感じた。
「……よし!」
意気込むと同時に、右手のそれぞれの指の間に挟むようにして《アイテムボックス》から千本を取り出す。そしてそのまま素早く四本の千本を一斉に投げつけた。
しかし妖魔はすぐさま後方へ跳躍して回避する……が、その着地点を見極めて沖長は接近し、
「おっらぁっ!」
オーラを込めた蹴りを放った。相手も空中ではかわすことができずにまともに受け、そのまま弾かれるようにして飛んでいく。
地面を転がって、その先にあった街灯へと激突して止まった。しかし……。
「……やっぱ、そう簡単には倒されてくれねえか」
むくりと起き上がった妖魔は、再びこちらに向けて敵意を膨らませてくる。
「ギララララァァァァッ!」
独特な咆哮とともに、再度妖魔がこちらへと駆け寄ってくる。しかも翻弄するかのような蛇行した動きでだ。まるで少し前に手合わせした雪風みたいだと思いつつも、彼女の方がまだ素早かったために対処は簡単だった。
こちらに突進しながら爪を振るってきたが、それを見極めて回避すると同時に、カウンターで頭部に千本を突き立ててやった。
「ギッラァァァァァッ!?」
明らかに痛みを感じてたじろいでいる妖魔に対し、隙を見せずに沖長は追撃を開始する。
弱点は頭部と判断し、オーラを最大限に込めた右拳を叩きつけた。
「《日ノ部流・初伝》――《点撃》っ!」
一点集中されたその攻撃は、見事に妖魔の頭部を直撃し、ぐしゃりと痛々しげに凹んだ。直後、一歩、二歩と後ずさった妖魔は全身を痙攣させ始め、そのままゆっくりと倒れ込んで消失した。
「……ふぅ」
沖長は、構えを解いて自分の右拳を開いて視線を向ける。妖魔と戦ったのは初めてではないが、相手はワンランク上の妖魔であり、今回はたった一人での戦闘。それにもかかわらずほぼダメージ無しで倒すことができた。
オーラの扱い方も、回避の仕方、それに技の出し方に至るまで、思い通りにできたと思う。
「強くなってるな……俺」
自身の成長を実感していると、どこかからか破壊音のようなものが聞こえた。
「!? 今の音……まさか戦闘してるのか? ――雪風!」
彼女のことが気にかかり、音がした方角へと足を向けるが立ち止まる。いや、正確にいうと立ち止まらざるを得なかった。
何故なら前方からまた新たな妖魔が姿を見せたからだ。しかも単体だけでなく複数体同時に。
「ったく、こっちは急いでるっつーのに」
舌打ちをしながら、沖長は全身からオーラを噴出させた。




