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昼食時、沖長は非常に居たたまれない気持ちで食事をしていた。その理由は、周囲から自分へと向けられる様々な視線。そしてその原因なのだが……。
「雪風ちゃん、ちょっとオキくんに近過ぎないッスか?」
「何を言っているのか分かりませんです。雪はただ、未来の妻としてお兄様のお傍にいるだけなのです」
「だ、誰が未来の妻ッスか!? そ、そんなことボクは許さないッスからね!」
「別にあなたに許されなくても構いませんです。はい、お兄様、あ~ん」
そう言いながら、雪風がフォークに突き刺したチキンを口元に持ってくる。
「いや、一人で食べられるからさ……」
「お気になさらないでください。これは雪がお兄様にしてあげたいだけのことですから」
「えっとぉ……」
気持ちはありがたいし、男として美少女にあーんをしてもらうことに夢を抱いたことはないわけではないが、さすがにこの状況で叶うのは止めて欲しい。
右隣に座る雪風は、こちらの気持ちなどお構いなしで嬉しそうに笑みを浮かべているが、左側に意識を向けるとナクルが頬を目一杯膨らませている。
「フフ、見なさい和歌、あれがいわゆるハーレムというもの。実に愉快な光景ね」
「趣味悪いってば、お姉ちゃん。てか沖長くんの冷や汗ハンパじゃないし」
そう思うなら助けてほしいと和歌に向かって視線を向けるが、目が合っても苦笑いが飛んでくるだけだ。下手に手を突っ込んで、二人の少女に噛みつかれたくないのかもしれない。では他の人はと顔を向ける。
ほとんどの大人たちは珍しいものを見ているような感じや、微笑ましい表情を見せていた。その中でも我が師である大悟などは、こちらを見て愉快気に酒を飲んでいる。弟子が四苦八苦していることが何よりの肴にしている様子。マジで酷い師匠である。
こうなったらと、陣介に向かって目で訴える。あなたの孫なのだから何とかしてほしいと。すると陣介はごほんと咳払いをして「あ~」と声を上げたので、沖長としてはようやく一筋の光明がと心が跳ねる。
「雪風、ここは実家ではないんだから、少しは自重しなさい」
「……おじい様、おじい様は雪の幸せを願ってくださっていますよね?」
「む? もちろんだよ。お前は目に入れても痛くないほど可愛いお祖父ちゃんの孫だからな」
「なら応援してください。雪は今、人生において大事な勝負を迎えているのですから」
「え? あ……いや、だがな……」
「おじい様、雪の邪魔をするおじい様なんて……嫌いなのです」
「頑張りなさい、雪風」
「ありがとうございます、おじい様!」
だから何でそんなに弱いのかと内心で叫ぶ沖長。陣一もそうだったが、親子揃って雪風に甘過ぎる。ちなみに陣一も雪風に一睨みされて視線を逸らしたままだ。
「お兄様、早く食べてくださいです。あ~ん」
「もう! いい加減にするッスよ、雪風ちゃん! オキくんが迷惑してるッスから!」
「お兄様ぁ、ご迷惑……でしたか?」
またも捨て猫みたいな眼差しを向けてくる。……仕方がない。そう思い、彼女が差し出しだチキンを黙って食べた。
「ふふ、美味しいですか、お兄様?」
「あーっ! 何してるんスか、オキくんっ!?」
そんなこと言われても、こうする他に事態を収める方法が無さそうだった。
すると雪風が、ナクルに向かって勝ち誇った表情を向ける。
「むぅぅぅぅぅ! オキくん、こっちのも美味しいッスよ!」
今度はナクルの番だとでも言うように料理を差し出してくる。
「そっちよりもこちらの方が美味しそうですよ、お兄様?」
「こっちの方だ美味しいッス!」
「いえいえ、こちらの方が」
「こっちッス!」
何でもいいから、自分を挟んで火花を散らさないでほしい。
このままでは埒が明かないが、そもそもこういう場合どうすれば鎮圧するか経験が足りない沖長では場に流されることしかできない。
そんな中、パチンッとテーブルを叩く音が響いた。その音を出した主は、先ほどまで我関せずといった感じで食事をしていたはずの蔓太刀菊歌である。その手には折り畳まれた扇子が握られ、それでテーブルを打ち鳴らしたようだ。
突然の行動と音に皆が一斉に彼女へと視線を向けて固まっていると、静寂を突き破るように菊歌が口を開く。
「そこまでに致しなさい。良いですか、お二人とも、マナーが悪いということもありますが、あまりに度が過ぎると……男というものは逃げていきますよ?」
それは注意なのかアドバイスなのか、沖長には判断つかなかったが、ピタリと動きを止めたナクルと雪風は、何やら考え込み居住まいを正した。
「お兄様、そして皆さま申し訳ございませんでした。少々感情的に行動してしまいましたのです」
「ボ、ボクもちょっと周り見てなかった……ッス。ごめんなさい」
二人して謝罪とともに頭を下げた。そんな二人に、菊歌が微笑を浮かべながら言う。
「それで良いのです。何も押すだけが手段ではありません。時には引き、相手の気を引くことが肝要。駆け引きを大事になさい」
「「は、はい!」」
打てば響くような返事をする二人に対し、「素直でよろしい」と満足気に微笑む菊歌。よく分からないが、どうやら助かったようで沖長はホッと胸を撫で下ろした。
「いやぁ、さっすがはお祖母ちゃんだし」
「そうね。恋愛下手で男運最悪のあなたとは大違い」
「ちょっとお姉ちゃん?」
相変わらず妹には辛辣な聖歌だった。
(にしても貫禄あんなぁ、蔓太刀家当主の蔓太刀菊歌)
菊歌に感心していると、そんな彼女が閉じていた瞼をスッと開き沖長を見てきた。射抜くような視線で少しドキッとしてしまう。何やら見透かされているような気がして、反射的に視線が泳ぐ。
しかしすぐに菊歌は視線を切って食事に集中する。
何はともあれこれでゆっくりと食事ができると思っていると、不意に頭の中に声のようなものが流れ込んできた気がした。
そして同じような反応をした様子を見せたのは隣に座っていたナクルも同様だった。




