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(………………何でこんなことになったんだっけ?)
沖長は、目の前でファイティングポーズを取っている幼い少女を見つめながら少し前のことに起こったことを思い出していた。
それは朝食を終えてすぐのことだ。朝の鍛錬ということで、ナクルと蔦絵とともに準備運動をしていた際である。
柳守家当主である陣介が声をかけてきたのだ。彼は一人ではなく、その傍には彼に似た男性と件の少女が立っていた。
その二人の人物については朝食時に初めて顔合わせすることになった。実はこの二人は親子であり、男性の方は陣介の息子、少女の方は孫とのこと。昨日の夕食時にはいなかったのは、何かしらの用事があったようで、合流が遅れて昨夜遅くに到着したからだという。
男性の方は――柳守陣一、少女の名は――柳守雪風。
陣一の方は、陣介を若くしたような人相ではあるが、どちらかというと細身であり、その立ち振る舞いからも、陣介を見た時に感じたような強者感は伝わってこなかった。
どちらかというと、儚げに見える幼い少女である雪風の方が、年齢の割に体幹にブレがなくて、武をしっかりと嗜んでいる様子が見て取れたのである。
ナクルに聞いたが、雪風と会うのは初めてとのこと。
そんな二人を連れ添って声をかけてきた理由。沖長たちに同じ子供に対して、改めて雪風を紹介したいという旨は伝えられたが、せっかくだから雪風も交えて鍛錬をしてほしいと願い出てきたのだ。
蔦絵も別段断る理由がなかったようで認めたが、ここで一つ問題が発生した。当の本人である雪風が参加を渋ったのである。
彼女は三歳の頃から陣介の指導の下、武術の鍛錬を行ってきたらしい。現在彼女は沖長たちの一つ下である九歳だが、その実力は同年代とは一線を画すほど。最近では門下生の一人である高校生にも模擬線で打ち負かしたという。
だからか、陣介曰く周りの同年代に強い者がいないので、徐々に武への熱が冷めてしまっている様子らしい。このままでは完全に武から興味を失ってしまいかねない。そこで陣介は、沖長たちとともに鍛錬をすれば、何かまた再燃するきっかけになるのではと考えたようだ。
実際にナクルに関しても、ハッキリいって同年代で太刀打ちできる人物が限られている。普通に戦っても彼女に勝てる同年代は思いつかない。千疋は例外なので除外しておく。
さらにいうならナクルは勇者だ。その力を振るえば、対抗できる子供は同じ勇者だけ。簡単にいえばライバルとして切磋琢磨できる相手がいないのだ。ナクルの性格上、別にそれで武への熱が冷めるようなことはないかもしれないが、普通はつまらないと感じて冷めることだってあるだろう。特にいろんな刺激に目移りする多感な子供なら猶更だ。
その話を聞いた蔦絵が、チラリとナクルを見た。そこで沖長は瞬時に悟った。なるほど、ナクルと一緒に鍛錬をさせることで、格上が傍にいるという事実を起爆剤にするつもりなのだろう、と。
しかし次に発せられた蔦絵の言葉に沖長は言葉を失ってしまった。
『では、こちらの沖長くんと組手をしてみるというのはどうでしょうか?』
その提案に周囲の者たちの時が止まる。当然だ。恐らく陣介の狙いも、雪風にナクルの強さを感じさせるつもりがあったからだろう。また同じ五家の血を引く子供ということで、より競争感を煽ろうと考えていたのかもしれない。
しかしその希望はあっさりと裏切られ、白羽の矢が立ったのは、まさかの外様の子供。すなわち沖長である。これにはさすがに驚愕したのか、雪風の父である陣一も「そ、その子と雪風が組手……かい?」と正気を確かめるように問い質してきた。
陣一も身贔屓ではないが、雪風の強さを理解しているはず。だからこそ、一つ年上だからといってもそれは無謀だとでも判断したのだろう。
だけど蔦絵は、周りの困惑をよそに「問題ありませんよ」と表情を一切崩すことなく自信満々に言葉を吐いた。
ただそれで黙っていられないのは雪風であった。彼女は沖長を一瞥した後に、陣介の方を見て「……おじい様、家の中に戻ってもいいですか?」と、やはり興味を示すことなく感情を動かさなかった。
しかしここで蔦絵は「もしかして怖いかしら?」と、使い古された挑発でしかない言葉を投げつけたのである。それに対し雪風は、少しムッとしながらも、沖長に視線を向けて武術歴を尋ねてきたので、沖長は正直にその年数を答えた。
四年という経歴を聞いて、雪風は「雪は、六年です」と自慢するように言ってきたのである。続けて「二年も違いますね。この二年間は大きいです。絶対的な差なのです」と、立て続けに言い放った。
確かにそれは事実なので沖長は「そうだね」と軽く返すと、雪風は「言い返すこともしないのですね。……はぁ」と何やら溜息を吐かれてしまった。
すると今度はナクルが不機嫌そうなオーラを立ち昇らせて、「オキくんは、と~っても強いッスよ!」と怒鳴り上げた……が、雪風は「雪の方が強いのです」と断固として譲らない。
二人が睨み合う中、口火を切ったのは陣介だった。最初こそ蔦絵の提案に驚き黙してしまっていた彼だったが、蔦絵が何も考えず発言したとは思わなかったのだろう。彼は雪風に沖長と組手をするように指示をした。
当然雪風は断ったが、陣介はある提案を彼女に示す。それは沖長に勝てたら、今後鍛錬について煩く言わないと。それを聞いた雪風の目の色が変わる。明らかに乗り気になった。
その反応で、どうやら彼女の中の武への熱が本当に冷え切っていることが分かる。これで武から完全に離脱し、何か他のものへ刺激を求めようと考えたのかもしれない。
蔦絵から沖長に対して「ごめんなさい、そういうことになってしまったけれど」と若干申し訳なさそうに言われたが、沖長としても蔦絵の信頼を裏切ることはしたくない。故に不安こそあるものの、組手をすることを受け入れたのである。
そして今、件の少女である雪風と対峙しているというわけだ。
(改めて見ると、とても武術が達者な子供とは思えないな)
雪風の風貌は、愛らしい顔立ちをした座敷童のようだった。大きな瞳に対し小さな口。おかっぱ頭で華奢な体型。ナクルよりも一回りほど小さいので、とても高校生を打ち負かせるような強さを持ち得ているとは思えないだろう。
(でも…………うん、この子は強いな)
ジッと彼女を観察しているが、構えている姿が堂に入っている。それはナクルに対しても決して引けを取らない立ち振る舞いに見えた。武へのやる気が低下しているといっても、そこは六年もの間、毎日厳しい鍛錬をしてきた成果なのだろう。隙の少ない綺麗な構えだった。
沖長も身構え深く呼吸をして意識を整える。
「それでは――――始め!」
蔦絵が取り仕切る形で組手が開始された。




