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――現在午後四時三十分。
籠屋本家には、その大きな敷地内に母屋以外に幾つか建物が存在する。その多くは使用人たちの居住場、物置きと化している蔵、外来用の客室などとして利用しているが、その中の一つに『離れ座敷』と呼ばれている建物がある。
そこは母屋と直接繋がっているが、普段は使用していない。しかし今、そこには多くの者たちが顔を合わせていた。
「いやはや、今年も無事にこの日を迎えられて何よりですな」
そこに集った顔ぶれを見ながら頬を緩めつつ声を上げたのは柳守家現当主である柳守陣介である。
部屋の中央には巨大なテーブルが置かれ、上座には籠屋家現当主である籠屋トキナが、その少し背後に控えるように彼女の夫である大悟が座っている。相変わらずのぶっきらぼうな表情で、どこか面倒臭そうにしていた。
「だが今年も藤枝のは欠席のようじゃぜ?」
独特な語尾で発言した男。齢七十を過ぎてもなお、その眼光は鋭く老いを感じさせないほどの威圧感を纏っている。
「これは異なことを言いますね、羽竹当主。ここに藤枝の代表がいるではありませんか? それとも歳のせいで視力が弱まりましたか?」
「フッ、小童風情が。お主程度がそこに収まるには格がまだまだ足りんわ。それが分からんとは藤枝の今後も危ういってことじゃぜ?」
口調は穏やかであるが、明らかに毒が含まれた物言いである。ここに座すは藤枝家の当主代理――藤枝皇火。自身が軽んじられていることに不満を覚えているのか、羽竹当主と皇火が睨み合い火花が散る。
「お二人とも、御前の前ですよ。羽竹さんも、お戯れはそれまでに」
そのまま諍いが続くかと思われたが、切るように声を発したのはトキナを除けば唯一の女性である。座敷に合う和服を纏う品の良さを感じさせる老女。静かに佇みながらも、彼女のその言葉で、二人の男性が黙って視線を切ることからも発言力が強いと予想された。
「ありがとうございます、菊歌さん」
「もったいないお言葉でございますわ、御前。籠屋を支える蔓太刀家の当主として当然の振る舞いをしたまで」
この老女こそ、ナクルが慕う聖歌と和歌の祖母――蔓太刀菊歌当主である。
それからトキナが一つ咳払いをした後、そのまま挨拶を口にする。
「本日はこうして五家が何事もなく揃ったことを喜ばしく思います。柳守家当主――柳守陣介殿。蔓太刀当主――蔓太刀菊歌殿。羽竹家当主――羽竹以蔵殿。そして藤枝家当主代理――藤枝皇火殿。わざわざこの地に足をお運びくださり、籠屋を代表する者として感謝致します」
トキナが軽く頭を下げると、それに応えるかのように他の家の当主たちもまた会釈程度に返した。そしてトキナが顔を上げた直後、
「毎年のことじゃぜ。かたっ苦しいことは無しにして、さっそく本題に入ってもいいですかのう?」
以蔵が射抜くような視線をトキナに向けてきた。
「本題……とは?」
「カッカッカ、そう惚けんでも良いでしょうや。今年に発現したダンジョンと、その攻略者について」
「! ……さすがにお耳に届いてらっしゃいましたか」
「当然じゃぜ。籠屋家は代々ダンジョン仕事に携わってきおった。もちろん儂ら羽竹ものう。……それで? 現在そちらが抱えとる者は、どこまで攻略を進めておるんですかのう?」
「抱えている? それは……日ノ部ナクルのことを仰っていますか?」
「ナクルだけじゃのうて、もう一人抱え込んどるんは分かっとるんじゃぜ。ナクルと同じガキで、しかも……男児ってことがのう。ここに連れて来たことも分かっとる。そろそろ惚けんで、本音で話をしようや、御前殿?」
以蔵の視線がさらにキツイものへと変わり、トキナもまたその威圧感に委縮しそうになってしまう。確かにトキナは籠屋本家の現当主であるが、以蔵と比べれば遥かに若造であり経験の差が圧倒的。以蔵の放つ歴戦の戦士の如き圧力に涼しい表情を浮かべるには、まだトキナには当主としての強さが足りない。だがそこでトキナに助け船が出る。
「おいこら以蔵ジジイ、これでもトキナは籠屋の当主。ちょっと言葉遣いが乱暴過ぎねえか?」
「あぁん? それはこっちのセリフじゃぜ、御影の小僧」
「俺はもうその名は捨てたんだよ。つーか、それも前ちゃんと説明したろ。もうボケたのかよ、色ボケジジイが」
「カッカッカ! 言うよるわい! 御前殿とは違い、少しは貫禄が出てきたんじゃねえか?」
「そっちは老いのせいでより短気になってる感じだけどな。何せ孫みたいな奴にすぐ突っかかってんだからよぉ」
「なぁに、ただの戯言。遊びじゃぜ遊び。んなことも分からん輩は、この場に相応しくねえってだけじゃぜ。なあ?」
その言葉の矛先が、先ほどまで言い争っていた皇火へと向けられていることは明らか。故に皇火もまた抗弁こそしないが不機嫌そうに眉をひそめている。
「ったく、相変わらず人を食ったようなジジイだぜ。つーか、今日は別に五家会議でもねえだろうが。毎年恒例のただの親戚の集まりってだけだろうがよ。いちいち火種をぶっこむようなことすんじゃねえ、めんどくせえな」
「ちょ、大ちゃん言い過ぎ! 仮にもあの方は羽竹家の当主なんだから!」
「うっせ、お前もお前だ。あんなクソジジイの見え見えの挑発に当てられてどうすんだよ?」
「う……それは……ごめんだけど」
「とにかく、お前は五家の顔なんだ。しゃきっとしとけ」
「……何よもう、そんなに言わなくてもいいじゃない。私だって精一杯やってるもん!」
「やってても結果が出なきゃ同じなんだよ、バーカ」
「バカって何よ! この唐変木! タバコ魔人! おっぱい好きの変態!?」
「ちょ、おいっ、んなとこで何言ってやがんだ!?」
「うっさいっ! 当主命令! 黙ってて!」
「横暴だぞ、トキナ!」
「当主だもん! 横暴くらいがちょうどいいんですぅ!」
「コイツ、開き直りやがったっ!?」
そんな感じでそれぞれの当主たちをよそに言い争いを始めた二人。先ほどまでヒリついていた空気はどこへやら、今では夫婦漫才に興じ始めた二人のせいで、全員が呆れた様子を見せている。
そこへ一つ大きく咳払いをした陣介が、キリッとした眼差しを二人へ向けた。
「そこまでにして頂きたい、御前。それに……大悟。お前も少しは立場を考えて物を言うようにしないとな」
「う……ごめんなさい」
シュンとして正直に謝罪をするトキナに対し、大悟もまたバツが悪そうに顔を背けた。
「カーッカッカッカ! 俺は逆に安心したぜ? あの大悟がしっかり夫婦やってんだからよぉ。出会ったばっかは、そりゃあ見る者すべてを敵にしてたあの跳ねっ返りがじゃぜ?」
愉快気に笑う以蔵に対し、大悟は気まずそうに舌打ちをしただけ。
するとそんな中、サッと手を上げた者がいた。――皇火である。
「発言、よろしいでしょうかな、御前」
「え、あ、はい。許可します」
許可を得て、「では……」と皆の意識を引き付けた後、皇火は驚愕の言葉を吐いた。
「先に話題に出たダンジョン攻略ですが、今後は藤枝家が取り仕切る形を整えたいのですが?」




