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東京から静岡の伊豆半島へと二時間半ほど車を走らせてやって来た。もちろん観光が目的ではなく、この地に在る籠屋本家を目指してである。
伊豆半島は東に相模湾、西に駿河湾と挟まれており、山地が大部分を占めている平坦な場所が少ない地域だ。そのためか山が険しく人の手が入らない箇所が多い。
そんな伊豆半島の内陸部である中伊豆と呼ばれる地域に籠屋本家は建っている。
「うわぁ……でっけぇなぁ」
住宅街の中に一際大きな敷地面積を有する家。周囲を高い塀が侵入者を阻むかのように守っており、塀の端から端までは百メートル以上は確実にある。さらに門構えは、どこぞの城門かのような重厚な造形をしていて、その迫力だけでも他の家と比べ物にならない。
(これが代々続いてきた国家を裏で支える連中の家か)
当然金持ちだと予想はしていたが、まるで一国の主のような住処だ。世が世なら、ここに殿様が住んでいてもおかしくはない。いや、実際にそれ以上の権力と地位を有していたのだろうが。
しかし今や国家占術師から身を引いたはずなのに、これだけの家を維持し続けていられるのは、それほど国に貢献した実績がずば抜けているということなのだろう。
ただこういう大家は、外から見る分に良いが中に入るには少々抵抗がある。根が庶民ということもあり、金持ちの家というのは少なからず緊張してしまう。
特にこういった格式の高そうな家なら猶更。そういうこともありこれまで忌避していた部分もある。
車が門の前に停止すると、まるで待ち構えていたかのように門がゆっくりと開く。誰も驚いている様子が無いということは当たり前の光景なのだろう。
門を潜って車が中へと入っていき、そのまますぐに右折すると、その先にはすでに何台もの車が駐車されているスペースがあった。
(どれも高級車ばかりじゃんか……)
あまり車種に興味がない沖長でも知っているような高級車が並んでいる。自分たちが乗っている車が明らかに浮いているが、修一郎たちは何ら気にしていない様子。
駐車してから各々が荷物を持って車から降りていく。沖長も持ってきたリュックを背負って降り、改めて目の前に広がる光景に息を呑む。
視線の先には、古風な造りではあるが立派な屋敷とも呼べるような建物が存在感を示していた。
(マジででけぇ……)
実際こういう家に生まれたらどんな子が育つのだろうか。イメージは、恵まれ過ぎた環境は、常識とは逸脱した精神が育ち、周囲の子とはやはり違ってくるような気がする。ただナクルは、この家の血を引いているわけだが、この家で育ったわけではない。
だから確かめるにはユキナやトキナを見ればいいわけだが、すでに彼女たちは成人女性で結婚もしている。どんな子供時代だったのかは想像することしかできない。
まあそれでも二人とも、確かにどこか浮世離れした美貌を持ってはいる。しかし常識人であることは間違いないし、立場を利用して他を振り回すなどといったこともない。
(まあ、俺の中のイメージは金持ちって武太さんみたいなのが典型的だったんだけど……)
今も何だかんだいって交流のある大病院の御曹司である武太。幼い頃から欲しいものを与えられてきたようなふくよかな体型に高慢な態度。権力を振るうのにあまり躊躇しそうにないタイプだ。もっとも、気に入った人物に対しては良い兄貴分のように接してくれはするが。
だが金持ちの子供というのは、ああいうタイプが育ちやすいのではと偏見だろうが持っていた。
(そういやナクルの他に子供がいないのか?)
ふとそんなことを思ったが、これだけの家なら親戚筋も多いはず。ナクルのような子供がいてもおかしくはない。もしそうだったとしても、ナクルのような純粋な子であってほしいと切に願う。
「じゃあ私は大ちゃんと一緒にお婆様に顔を見せてくるから、みんなは先に部屋に行っててくれる?」
そう言ったトキナの言葉に修一郎が「分かった」と返事をすると、面倒臭そうな表情をしている大悟の腕を引っ張ってトキナたちはそそくさと屋敷の中へと入って行った。
「じゃあ俺たちも行こうか」
修一郎とユキナの先導のもと、沖長は周囲を観察しながら玄関へと向かう。玄関先で用意されていたスリッパに履き替え、「お邪魔します」と一応声を出して進んでいく。
すると向かう先から一人の男性が歩いてきた。
「ん? おお、修一郎。早かったじゃないか」
修一郎よりも一回りほど年を取ったくらいだろうか、それでもガッシリと体格をしていて、その歩き方から武を学んでいることは何となく察せた。
「やあ、陣介さん。変わりないようで良かったです」
「修一郎もな。それにユキナも」
陣介と呼ばれた男に対し、修一郎とユキナの朗らかな表情を見て、気の置けない(or 気安い)人物であることは理解できた。
「陣おじさん! こんにちは!」
「お! ナクルも久しぶりじゃないか。どうだ、元気か? ほれ、飴やろう飴」
まるで関西のおばちゃんよろしく、にこやかにポケットから取り出した飴をナクルに手渡し、ナクルもまた抵抗なくそれを受け取って礼を言う。
「蔦絵ちゃんも元気そうで何よりだな。んでそっちは…………ん?」
当然初めての来訪客である沖長を見て首を傾げる陣介。
「ああ、紹介しておくよ陣介さん。この子がウチの期待の門下生だよ」
「えっと、札月沖長って言います。若輩者ですが、日ノ部流古武術の末席を戴いております。どうぞよろしくお願い致します」
「お、おお……どうもこちらこそ……って、礼儀正し過ぎない、この子? 何、修一郎、お前が教えてるの?」
「あーはは……違う違う。この子は出会った当初から礼儀がなっていたんだよ。きっとご両親の教育の賜物さ」
「なるほどなるほど。そういや前に来た時、お前が自慢してた期待の門下生ってのがこの子ってわけか」
正直いってそんなに期待されていると思っていなかったこともあり、嬉しいもののどこか気恥ずかしさを覚えてしまう。
沖長の挨拶に気を良くしたのか、こちらにまで飴をくれる陣介。せっかくだからと受け取り、ナクルと顔を見合わせて笑い合う。
「んじゃ、沖長くんに自己紹介しとくか。俺の名前は――柳守陣介。これでも籠屋の分家筋だ。ナクルみたいに気軽に陣おじさんとでも呼んでくれ」
柔和な笑みを浮かべる陣介に、沖長は心の中でホッと息を吐く。どうやら気さくな人物のようで良かった。もしかしたら歓迎されず、結果的にナクルたちに迷惑をかけるかもと少し覚悟していたから猶更だ。
この人となら仲良くなれそうだと安心できた沖長であった。




