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第一章 禁じられた調べ(4)

大瑟が置いてあった机を触り、そこに人の温もりがないことに自分の推理が正しかったことを知り、思わず小さくため息をついた。


―死んだはずの母親が現れるわけもないのに……。


自分の馬鹿さ加減に腹が立っていた。


朱鳳しゅほうおばさんが、よく弾いていた曲だよね」


私から少し遅れて小部屋から出てきたこうは、まだ信じられないといわんばかりの口ぶりで、そう呟いた。

私は小さく頷く。


「あれって、朱鳳しゅほうおばさんしか知らない曲だよな?」


「劇場ではね。後宮で母が作ったって言っていたわ。後宮にいる人なら、知っている人もいるはずよ」


「え?! おばさん、後宮にいたのか?」


重大な事実を伝えていなかったことに、初めて気づき私は思わず笑ってしまった。


「言っていなかったわね。母は後宮歌劇団にいたの」


「やっぱり。朱鳳しゅほうおばさん、劇場では誰よりも綺麗だったもんな。でも、なんで後宮から出れたんだ――?」


後宮は一度は言ったら、死ぬまで出られないという決まりがある。

そんな禁を破って何故、母が後宮から出てこられたのかは、実は私も聞かされていない。


答えを知らない質問をされ、私はあえて無視をすることにした。

こうとはいえ、踏み込んで欲しくない領域はあるのだ。


「前回の幽霊騒動の時は、違う曲を弾いていたの?」


「あっ……。ああ。年始に開かれる光景明艶宴で使用される一節だった」


光景明艶宴は、その年が終わる夜中から明け方にかけて後宮で開かれる宴だ。

普段は対立している後宮歌劇団と宦官楽師団が共に芸を競い合うため、一年で最も華やかな宴会としても知られている。


「やっぱり……」


私は新たな確信を得て、開け放たれたままになった宝物庫から飛び出した。

慌てて追いかけてくるこうの足音を無視しながら、廊下を走る。


もう少しすれば、翠葉すいよう様の部屋にたどり着くところで、前方から寝間着姿の翠葉すいよう様が暗闇の中から現れた。


「こんな夜中に、あなた、何をしているんですか?」


「大瑟を奏でる幽霊が現れたんです!」


私をかばうように後ろから追いついたこうが叫ぶようにしてそう言った。


「あなたは、宦官楽師のこう殿。

 それでは、先ほどの音は、やはり……」


翠葉すいよう様もお聞きになられましたか!」


同じ恐怖を体験した相手だと分かったからだろう、こうの声が微かに弾んでいた。


「流石ですね」


真っすぐ翠葉すいよう様を見据えながら、私が送った賞賛の言葉に翠葉すいよう様は、訝し気に眉をゆっくりと動かした。


「何が言いたいの?」


「宝物庫から翠葉すいよう様の部屋まではかなり距離があります。

さらに、あの宝物庫は楽器が多いため、二重三重に壁が作られています」


 他の部屋へ音を漏らさないための工夫だと、日中掃除している時にこうが教えてくれたばかりだった。

 妙に彼の声が部屋に響いていたのも防音対策が施された壁の影響だったのだろう。


「大瑟の音色は決して大きな音ではありませんでした」


母が寝る前に奏でてくれた曲だ。

派手さは全くなく、勿論だが大きな音が奏でられる箇所もない。


「しかし、お部屋でお休みだった翠葉すいよう様のお耳には届いたんですよね?

 よほど耳が良くていらっしゃる。流石としか言いようがありません」


「扉が開いていたからですよ」


心なしか声が震えているが、翠葉すいよう様は、私の追求をさらりとかわした。


「扉が開いていたら、いくら壁が三重でも意味がありません」


「何故、翠葉すいよう様は、お部屋にいらっしゃったのに、宝物庫の扉が開いていることをご存知なのですか?」


「どういうことだ?」


私が翠葉すいよう様を追求していることに、ようやくこうは気づいたのだろう。不思議そうに尋ねてきた。


「最初に宝物庫の扉をお開けになられたのは、翠葉すいよう様ですよね?」


「え?! そうなのか?」


心から驚いたようにこうは小さく叫んだ。


「でも、なんで翠葉すいよう様が扉を開ける必要があるんだ?」


私に一蹴されたことが悔しかったのだろう。こうは、新たな疑問を重ねてくる。


「この廊下の柱。全てに鏡が貼られているでしょ?」


 私はそう言いながら、近くの柱に張り付けられている鏡をゆっくりと撫でる。


「音はね、鏡に反射する性質があるの」


「反射?」


私の回答を理解できなかったのだろう。こうは納得がいかないという表情で私に視線を送る。


「音がここに当たれば――」


私は近くの鏡を拳で軽くたたき、次の鏡へ向かってゆっくりと歩く。


「音はここに反射するの。これを繰り返したら、本来の音が鳴った場所とは違う場所で音が聞こえるっていうわけ」


鏡が貼り付けられている柱は、宝物庫の前の鏡が最後だった。


「犯人は、自分の部屋で大瑟を奏で、鏡で音が反射する原理を使ってあたかも宝物庫で大瑟が奏でられているかのように演出したのよ」


私の説明に翠葉すいよう様の顔面は蒼白になっていた。


「ですよね? 翠葉すいよう様?」


「……。でも、何故、今日だと分かったの?」


肯定の代わりに返された翠葉すいよう様の質問に、私は「単純ですよ」と微笑んだ。


「楽器は一日でも演奏しないと、勘を取り戻すのに数日かかります。

翠葉すいよう様は、大瑟の修理が完了するのを待って、慌てて弾かれたのではないですか?」


「だから、今日、部屋から抜け出したのね……」


呆れたように微笑みながら、翠葉すいよう様は小さく項垂れた。


「あの大瑟は、亡くなった私の親友のものなのよ」


昼間、翠葉すいよう様が幽霊の存在をムキになって否定した姿が思い出された。


「もともと楽師だった彼女は先帝から寵愛を受けて、后妃になったんだけど、私の歌を好きだと言ってくれてね。いくら身分が高くなろうとも、私を親友として扱ってくれたの」


そう語る翠葉すいよう様の心は過去に戻っているかのように穏やかな少女のような表情を浮かべていた。


「一緒に楽曲を作ったこともあったわ。本当に楽しかった……」


「そのご友人を懐かしんで、毎晩、大瑟を奏でられていたんですね」


「宝物庫の管轄を任されるようになって、あの大瑟を久々に見たら、弾かずにはいられなかったわ。騒がせてしまって、本当に申し訳なかったわ」


翠葉すいよう様はそう言って私に深く頭を下げる。

確かに人騒がせな話だが、亡くなった親友を偲ぶ方法が翠葉すいよう様にとっては、これしかなかったのかもしれない。


「大瑟禁止令なんて、馬鹿げた法のせいだ!」


何かを思い詰めたようにこうが、そう叫んだ。


「こんな法、陛下に取り下げてもらうよう進言します!」


一介の宦官楽師にそんな力があるのか大いに疑問だったが、私はこうの短慮な案に首を横に振って「止めた方がいいわ」と助言することにした。


「なんでだよ!」


本気で陛下に嘆願するつもりだったのか、こうは顔を真っ赤にして私を睨みつける。


「今の皇帝陛下は、先帝とは遠縁でまだ若いのよね。

特に武功があるわけでもなし、領地を開拓したわけでもない。

言い方は悪いけど、『先帝から選ばれた』っていうのが皇帝陛下の唯一の存在意義でしょ?」


「そ、それはそうだが……」


悔しそうに呟くこうの姿から、皇帝の政治的立場に対する推理が当たっていることに確信を持つことができた。


「そんな陛下が、先帝が作られた法を『合理的ではない』って理由で廃止してみなさいよ。

 それこそ家臣だけじゃなくて、後宮からも反発があるはずよ」


若き皇帝の力を削ぎたい人間は、いたるところに潜んでいるだろう。

おそらく、理由はなんでもいいに違いない。

表の人間が後宮にまで根回しをして反発させる可能性も大いにありうる。


「では、どうしたら……」


「私にいい案があるんです」


私は翠葉すいよう様に振り返り、満面の笑みを見せた。


「明日の講義の前に少しお時間をください」


突然の申し出に翠葉すいよう様は目を白黒させるばかりだった。


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