【書籍化記念SS】手のひらの小鳥
7月10日に『後宮歌劇団』の書籍が発売されましたので、記念SSです。
追加エピソードも盛りだくさんですので、ぜひ手に取っていただければ幸いです。
庭に面した執務室の窓辺に、その小鳥はやってきた。
最初はもちろんだが、警戒された。
窓辺に近づくだけで飛び去って行ったが、餌粒を撒き続けるうちに今では手のひらに乗るまでになった。
この執務室を使うようになってから一年。
存外、根気のいる仕事だった。
「――今日は、どんな歌をきかせてくれるのかい?」
書類を脇に置き、手のひらの上で羽繕いをする小鳥をぼんやりと眺める。まるで鈴を転がすようなその声は、既に耳になじむほど聞きなれたものになりつつあった。
筝を合わせたら、いいな……と考えていると、華蓉の姿が脳裏をよぎった。
先日、庭で「このままじゃ、首席楽師になんてなれない」と泣いていた彼女の細い肩が思い出された。都の劇場にいた時は、あんな泣き言を俺の前でいうような子じゃなかった。後宮という閉ざされた空間で、自分より実力が上の人間が集まる中、彼女の自信が揺らいでしまったのだろう。
だから、俺は彼女のために宦官楽師二名を個別の師として送った。皇帝である俺にとっては、大したことではない。
小鳥のように餌付けを重ね、根気よく想いを尽くせばいつか華蓉も――俺だけのために、歌い、舞ってくれる日がくるのではないだろうか。
舞台に立つ彼女は、まるで特別な光が当たったように輝く。それは「美しい」や「綺麗」という言葉では形容できない唯一無二の存在になる。
決して口にしたことはないが、そんな華蓉を誰にも見せたくないという自分がいる。
誰もいない後宮の庭の東屋で、月光を浴びて華蓉が歌う。
俺だけの音色。
想像するだけで、頬が緩むのが分かった。
そのためなら、小鳥を手なづけたようにいくら根気が必要であろうと、なんだってできる気がした。
そんな俺の欲深さに驚いたのだろうか。
手のひらの上の小鳥は、勢いよく飛び立ってしまった。あっという間に高い青空の中に吸い込まれていく。
「陛下、鳥は風切羽を切ってしまえば、逃げませぬよ」
傍らに控えていた従者の言葉に、思わず目を見張った。
「そんなことができるのか?」
「家で飼う鳥は、遠くへ飛べぬように切ります」
「鳥なのに、飛べなくするのか?」
従者は当たり前のことのように、小さく頷いた。
人間の知恵に感心すると同時に、妙な後味の悪さが胸の中に広がった。確かに飛べなくすれば、安心して手元においておける。
それは鳥なのだろうか?
ずいぶんと人間は残酷なことを思いつくものだ、と俺は小さく笑った。
だが、同時に自分が同じことをしていたのではないかと気づかされた。
俺は「華蓉を後宮に迎えて皇后にしたい」と官吏に伝えて準備もしている。ただ、彼女を後宮へ迎えるということは、鳥の風切羽を切るのと同じことではないだろうか。
華蓉は、観客の息遣いを読み、その場の空気を歌や踊りに変えることができる。
彼女から観客を奪ってしまっては、それはもう、俺が恋焦がれた「華蓉」ではなくなってしまうのかもしれない。
「羽は折らずにおこう」
書類に視線を落としながら、従者に聞かせるわけでもなく小さく呟いた。
でも、いつか――。
この想いが届いた時には、彼女自身の意志で俺のためだけに歌を歌ってくれるのではないだろうか。
ただ十年近く一緒にいても届かなかった想いだ。気が遠くなるほど長い月日がかかるだろう。
それでも舞台で輝く彼女のことを思いだすと、それも悪くないと思わされた。




