第四章 毒怨の歌姫(6)
「あ、アリ? アリなら俺も食べたことはあるぞ? 確かにとんでもない味はするが、毒なんてなかったような……。それとも特殊な毒アリでもいるのか?」
煌は、毒蛇的な存在のことを言っているのだろう。
私は、違うと首を横に振る。
「砒酸っていうものがあるのよ」
「悲惨?!」
明らかに私の伝えたい言葉とは違う漢字を連想していそうな煌の質問に私は大きくため息をついて否定する。
「砒素と同じ『砒』の酸のことよ。言葉が似ているだけあって、一定量を服用すると砒素と同様強力な毒になるの」
「そんな猛毒、どうやって後宮に持ち込むのだ」
後宮に持ち込まれるものは、徹底的な検査が行われる。後宮の決められた場所まで商人が出入りしており、その商人から物を購入することも可能だ。だが、その商品すらも徹底的に検査を受けている。
「おそらく犯人はアリから作ったのよ。
砒酸はね、アリを圧縮して体液を抽出し、それをさらに過熱して凝縮させることで作ることができるの」
「なんでそんなことを知っているんだ?」
不思議そうに尋ねたのは、煌に抱えられながら歩く耽さんだった。
「毒物を扱う役を演じたことがあってね」
正確には、毒物を扱う犯人に殺される役を演じたことがあるのだが、これまでの共演者の台詞は一言一句すべて覚えている。
「ちょうど2カ月前、厨房でアリが大量発生したのよね」
そう尋ねると、耽は何かをかみしめるように唇をかみながら、深くうなずいた。
「おそらく犯人は、アリで毒を作るために何か仕掛けを置いたに違いないわ。そして、アリを大量に捕獲して毒を作った」
「だから、それ以降はアリが出なくなったのか」
煌の言葉に同意しつつ私は頷く。
「天候や季節によってアリが大量発生することはあるけど、歌劇団では特にそんなことはなかったわ。
となると『厨房だけ』っていうなら何らかの仕掛けがあったと考える方が自然よね」
「なるほど。だが、一体誰が……」
「そう。それが問題なのよ。蟻を圧縮するためには、専用の道具が必要よね。でも、そんな道具を持っていたら、怪しいと思われるはず」
基本的に多くの宮女は相部屋となっており、同居する相手が不自然なものを持っていたら不振に思うに違いない。
「じゃあ、個室の尚食局長が犯人なのか?」
煌の推理に私はさらに首を横に振る。
「各局の局長となれば、多くの人が出入りするでしょ? もしかしたら、お付きの宮女だっているかもしれない」
「となると……」
既に選択肢がなくなったのだろう。考えるように言葉を途切れさせ、煌はこちらをちらりと盗み見る。
「犯人はおそらく部屋がないんじゃないかしら。誰にも見とがめられないような場所に生活していて、例え煮炊きをしていても不審に思われない人物」
「え……」
私の推理が誰を指すのか気づいたのだろう。煌は、唖然として足を止めた。
「それって……」
「耽さん、あなたですよね? 毒を作ったのは」
彼が冷宮の廃墟で生活をしていると聞かされた時、それまでの疑惑が確信に変わった瞬間だった。
「誰に頼まれたんですか? あんなに蘭月様が信頼されていたのに……」
「蘭月様はとっても素晴らしい人ですよ。
『失敗作』といわれた僕に同情してくれて、僕が出られる音域の役をあえて作ろうって、歌劇団長にも掛け合ってくれたこともありました」
後宮歌劇団で演じられる演目は、百年前に作られたもので新たな演目ができない。さらに、演じ方や演出までも変えられないという決まりがあった。
「そんなことまでしてくれたのに、なぜ?」
「でもね、僕は舞台に立ってないでしょ? それが答えです」
耽は、タガが外れたようにけたたましく笑い始めた。
「あの女は、俺に同情するだけして、結局何もしなかったんですよ! 自分の立場を守ることが大切だったんでしょうね!!」
確かに後宮歌劇団の歴史を変えるのは決して楽なことではないだろう。
「でも、それでも……」
「それは違う!」
そう叫んだのは、花絲と共に私達へと駆け寄ってきた牧さんの声だった。
「蘭月は、来春の公演でお前が舞台に立てるように団長にだって掛け合っていた。だが、『宦官でも歌劇団楽師でもない耽は舞台に立たせられない』の一点張りで、実現しなかったんだ」
「そんなの言い訳だろ? なら、最初から期待させるようなこと言うなよ!」
応酬した耽さんの胸倉を牧さんは勢いよくつかんだ。手の甲が白くなるほどの力が入っており、今にも耽さんが宙に浮きそうだった。
「だから、蘭月は後宮歌劇団長になろうとしてたんだよ!
お前、分かるか? それがどんなに大変なことか」
後宮歌劇団の試験を受ける際、身分は問われなったが、実際に楽団の中にいれば明らかな序列が存在した。決して実力とは異なる序列が。
その中で蘭月様が、後宮歌劇団の団長になるのは並大抵の努力ではないだろう。
「龍鱗組の公演の数を増やして、贔屓の后妃様を作り、金だって作っていた。
家族が殺された時も『これで私に弱みがなくなって最強ね』なんて笑っていたんだぞ」
本心であってほしくない言葉だったが、その時の蘭月様を慰める言葉だったのかもしれない。
「そんな蘭月の何が、お前に分かるんだ!」
牧さんは、大粒の涙を流しながら耽さんのを前後にゆする。
「舞台に立てない!? そんな理由で蘭月を殺すなんて……。蘭月を返せよ! 返してくれ!!」
それは悲痛な叫びで、それと同時に蘭月が既にこの世の人ではなくなっていることを物語っていた。
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