承の旋律(1)
その日の晩、私と花絲は、冷宮と呼ばれる後宮の端にある場所に足を踏み入れていた。
冷宮は、後宮の一部だが罪を犯した后妃や宮女が送られる場所だ。
建物などは修繕することが許されず、廃墟のような部屋で生活しなければいけない。
冷宮で病になると、宮医に診てもらうこともできないため、亡くなる人も多い。
そのため、冷宮には夜になると幽霊が出るとも噂されていた。
後宮で生活する多くの人間にとって冷宮は恐怖の対象であり、近づくことも忌み嫌う人が多かった。
「ねぇ……。煌さんの言っていた練習場所って、本当にココでいいの?」
私達が冷宮に訪れた理由は、煌だった。
あの日、仮面の謎が解けた後、煌が『練習場所なら、ここがいいよ。夜に行ってみて』と地図を渡してくれたのだ。そして、その地図を頼りに辿りついたのが冷宮だった。
「花絲、帰っていいよ?」
「ダメよ! 練習には付き合うって約束したじゃない!」
花絲は叫ぶようにして、否定する。気弱そうに見えて変なところで頑固な少女なのだ。
「あら、あんた達が見習い楽師ね?」
背後から声をかけられ、思わず肩がビクリと震えてしまう。
冷宮ならば人が訪れないと油断していたが、本来、見習い楽師である私達は、部屋から出てはいけない時間なのだ。
「え?」
恐る恐る振り返ると、そこには琵琶と筝をそれぞれ片手に持った大男が二人いた。
月明りに浮かび上がった彼らは藍色一色の着物をまとっているところを見ると、宦官楽師なのだろう。
「練習をつけて欲しいって頼まれてね。来てあげたのよ」
彼らが煌の名前を出さなかったが、おそらく煌が頼んでくれたのだろう。
「私、華蓉と申します。どうぞよろしくお願いします」
私は勢いよく頭を下げた。
頼れるものには、全て頼りたい気分だった。
「あら、いいご挨拶。私は瑋瑋。よろしくね」
琵琶を持った大男が、品定めをするように私を見ながらそう自己紹介をした。
「で、こっちが牧」
筝を持った男は、名前を告げられると小さく頭を下げる。
先ほどからひと言もしゃべっていないところを見ると、瑋瑋さんと対照的に口下手なのだろう。
「早速だけど、これ知っているわよね?」
瑋瑋さんは、琵琶を構えると有名な悲恋歌を奏でた。
「もちろんです!」
都の舞台に立っていた時に、何度か演じたことがあった。
大貴族の男女が恋仲になる物語だ。
ただ、両家が対立していたこともあり結婚を反対される。
少女の親が無理やり別の貴族と結婚させようとしたため、二人は駆け落ちを決意するのだが、行き違いがあり男は死んでしまう。
男の霊が現れたことにより、男の死を知った少女は自ら命を絶つ。
その最終場面で歌う曲の旋律をその時に二人が歌う曲を瑋瑋さんは奏でたのだ。
瑋瑋さんは、私の返事を聞くと崩れかかっている東屋まで近づき、その中にある椅子に座わると再び琵琶を構えなおした。どうやら本気で弾いてくれるつもりなのだろう。
「ちょっと、そこの小娘、来なさい。春の部で抜擢された子でしょ」
瑋瑋さんは、そう言って唖然としている花絲を手招きした。
「あんたも知っているでしょ。筝を吹きなさい」
瑋瑋さんは、バンバンと勢いよく自分の隣の椅子をたたいた。
「失敗したら、容赦しないからね」
そう睨みつけられた花絲は無言で頭が取れそうなほど首を縦に振り、東屋へと駆け寄る。
「で、華蓉は男役が得意なんじゃない?」
「そうですね。背があるので……」
照れながら肯定すると、瑋瑋さんはニヤリと笑った。
「じゃあ、少女役を歌ってちょうだい」
「え?!」
意外な指示に私は思わず叫び声をあげた。
「で、でも私……」
「歌詞を知らないの?」
「知ってますけど……」
何度も少女役の子と一緒に練習をしてきたから、歌詞を知らないわけはない。だが、自分が歌える気が全くしなかった。
「いいのよ。本番じゃないんだから、それにね牧は歌えないのよ。少女役を」
「え!?」
私は再び驚きの声を上げることになった。てっきり牧さんは筝を弾くのだとばかり思っていた。
「頼む」
私が驚いて見つめていることに気づいたのだろう。牧さんは短くそう言った。
「分かりました……」
私は意を決して三人の前に立つことにした。
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