第二章 風に舞う途絶えた調べ(5)
それから数日後、その日も私は花絲と共に倉庫で雑用をこなしていた。
筆を洗うためのお湯をもらいに食堂に行こうとした時、待ち構えたかのように建物の影から芽衣様が現れた。
「話ってなに?」
実は、昼休みに合わせて倉庫に来るように、私が呼び出していたのだ。
ちらりと倉庫を覗き込むとどうやら昼ということもあり、休憩をし始めている絵師たちがちらほら見え始めた。
「あまり、お時間はいただきません。
そういえば紫涵様のお部屋って、どこにあるかご存知ですか?」
「そりゃ、知っているけど……。どうしたの?」
「実は、本日、ご体調が優れないらしくお部屋でお休みになられているとか。ぜひ、一緒にお見舞いに行っていただければと思いまして」
「そうだったのね」
芽衣様は、拍子抜けた表情を浮かべたが、少し考えて「もちろん」と笑顔を見せてくれた。
「私も行っていいの?」
少し心配そうな表情を浮かべる花絲に、私は頷く。
彼女もこの事件に関わった人物だ。あえて一人にしておく必要はないかもしれない。
「もちろん、いいわよ」
「用って、このことだったの?」
芽衣様は、私が呼び出した意図を理解しかねているのだろう。紫涵様の部屋へ続く廊下を歩いていると、そう尋ねられた。
「そういえば、歌劇絵師長に紫涵様が内定したんですね」
「あ、そうなのよ。昨日決まったから紫涵、張り切って仕事していると思ったんだけどなぁ……」
内定が出た翌日早々、紫涵様が休まれたことで、倉庫内は話題になった。
確かに本来ならば、芽衣様がなるのが順当とされていたのだから仕方ないかもしれない。
「芽衣様は、これでよかったんですよね?」
「そうよ? この前もそう話したじゃない」
芽衣様は、愚問と言わんばかりに小さく笑いながら私の言葉を肯定した。
「もし、芽衣様の怪我が、事故ではなく故意に怪我をさせられたとしてでもですか?」
「何が言いたいの?」
芽衣様は、そう言うと足を止めて私を睨んだ。
「絵師の中に、私を怪我させようとした人物がいるとでも言いたいの?」
返答次第では激怒されかねない雰囲気だ。
「ちょっと……。華蓉、失礼よ……」
私の後ろを歩いていた花絲も不安げな表情を浮かべて私の袖を引いた。
「芽衣様も内心、あれは事故ではないと分かっていらっしゃったんじゃないですか?
あんな巨大な背景画が落ちてくるなんて、これまでにありましたか?」
「それは……」
煌には、これまでの事件もついでに調べてもらっていた。
当初、背景画は狭い室内で描かれていたらしいが、事故が起こりかねないので広い倉庫へと変わったのは、今から十数年前のことだったらしい。
「あの倉庫で背景画が描かれるようになってから、今回が初めての事故ですよね?」
私は芽衣様を促すように廊下を歩きながら尋ねた。
「調度品が古いわけでもない、設備にも不具合がないとなると、人為的な何かが働いたと考えるのが普通です」
私の説明を肯定もしない代わりに否定もせず、芽衣様は再び歩き始めた。
「そして、芽衣様は犯人が誰かご存知ですよね?」
「え? どういうこと?」
私の質問に返答せず、無言で床を見つめている芽衣様に代わり、花絲が叫ぶようにして尋ねた。
「芽衣様は、自分に大怪我を負わせた人物を知っているのに黙っていたんですか?」
花絲の質問にも芽衣様は沈黙を守った。
「その犯人は芽衣様にとって大切な人なんですよね」
「大切って……。え? じゃあ、紫涵様が犯人ってこと!?」
「な、なんの証拠があって、そんなこと!」
花絲に応えるように部屋から飛び出してきたのは、紫涵様だった。どうやら芽衣様と話しているうちに紫涵様の部屋へたどり着いていたのだろう。
「紫涵様!?」
花絲が悲鳴のような叫び声を上げたことに、逆に冷静になったのだろう紫涵様は慌てたように作り笑いを浮かべた。
「こんな所ではなんだから部屋に入ってちょうだい」
そう言って招かれた部屋は、芽衣様の部屋とは対照的だった。角部屋だからだろう。部屋のいたるところに大きな窓があり、あふれんばかりの光が差し込んでいる。窓から吹き込む風には微かに甘い香りが漂っていた。
部屋の中には最低限の家具しかなかったが、整理整頓され、掃除も小まめに行われているのがよく伝わってくる綺麗な空間だった。
「華蓉、紫涵様が犯人ってどういうこと?
確かに芽衣様が怪我をされて、歌劇絵師長になったのは、紫涵様だけど……」
私を責めるように質問をする花絲だが、どうやら半分以上は興味が勝っているのだろう。早く説明して欲しいと顔に書いてあるようだった。
「紫涵様と最初にお会いした時に、違和感がありました」
「違和感? 私は感じなかったけど……」
倉庫で初日に作業していたことを思い出しているのだろう。花絲は眉間に皺を寄せながら、考え込む。
「あの時、この部屋のように微かに甘い香りが紫涵様からしたんです」
「それは、倉庫で蜜蝋を使っていたから――」
芽衣様は、叫ぶように私の言葉を遮った。だが、その言葉に意味がないと私は首を横に振った。
「紫涵様が作業をされていたのは、倉庫の端です。芽衣様の側で働かれていた絵師以外から蜜蝋の香りがするのは不自然です」
「後宮では、高級な蜜蝋は決められた場所以外に取り扱いが禁止されているものね……」
蜜蝋は、蜂が巣を作る時に使われる蝋を抽出して作る蝋だ。そのため、花絲の言う通り、蜜蝋は非常に高級なである。
絵画に使うために倉庫ではふんだんに使われていたが、相当な金額が動いているに違いない。そもそも蜜蝋が使われることは異例だったこともあり、新たに『後宮での蜜蝋の取り扱い』という決まりができたほどだ。
その決まりでは、後宮で用意される蜜蝋は、決められた場所、決められた用途以外での使用が禁止されている。
「化粧品として使われているっていう可能性も考えましたけど……」
そう言って、私は部屋の中を見回し鏡の前に置かれた最低限の化粧品を見て首を振った。事前に煌に調べてもらったが、やはり彼女の部屋に蜜蝋を使った化粧品はなさそうだ。
「そもそも、作業をされている時の紫涵様は、化粧なんてされてませんよね」
私の指摘に紫涵様は、顔面蒼白になりうつむかれた。
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