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第二章 風に舞う途絶えた調べ(3)

「ねぇ、紫涵ズハン、お客様にお茶を出したいんだけど、調理場からお湯をもらってきてもらえない?」


芽衣ヤーイー様は、そう言って近くに合った瓶を紫涵ズハン様に押し付けた。


「ちょっと……。これ、大丈夫なの?」


紫涵ズハンは、訝し気に瓶の中を覗き込む。


「やっぱり、まずい?」


そう言って無邪気に笑った芽衣ヤーイー様に、紫涵ズハン様は大きくため息をついた。


「分かったわ。これを洗ってきて、お湯をもらってくればいいのね」


「ふふふ。紫涵ズハン、ありがとう!」


満面の笑顔の芽衣ヤーイー様に見送られ、紫涵ズハン様が部屋から出ていくとおもむろに芽衣ヤーイーは筆を止めた。


紫涵ズハンがいたら、怒られちゃうから言わなかったけど、彼女の絵はさ、本当に目の前にあるものを写したみたいに精工なのよ」


芽衣ヤーイー様はまるで自分のことのように自慢げにそう語る。


「例えば……、これ」


芽衣ヤーイーは、ごそごそと紙の山の中から一枚の絵を取り出し私達に見せた。


「これ、元々私の実家にあった屏風の絵なの。宮廷絵師だった父上が描いたもので、私、本当に大好きだったの。でもさ、後宮に屏風なんて持ち込めないでしょ?だから模写してきたの」


「素敵ですね」


花絲カシは、目をキラキラさせて、その絵を称賛した。

確かに差し出された絵には、大きな滝と梅林が広がる美しい絵だった。

梅は、小さな赤い点でしか描かれていなかったが、満開の梅の花を連想させられるから不思議だ。


「ところがね、これが……」


さらに、芽衣ヤーイー様は、机の上をごそごそと探し、大きな一枚の絵を私達に見せた。

先ほどと構図は全く同じだったが、滝は水しぶきまで細かく書き込まれており、梅も一つ一つの花びらまで精工に書き込まれている。まるで本物の滝と梅林が目の前にあるかのようだった。


「屏風の題材となった村を彼女は知っていてね。景色を模写したのがこの絵なの」


「まるで本物のように精工ですね」


思わず感心してしまうと、芽衣ヤーイー様は「そうなのよ!」と身を乗り出した。


「本当に紫涵ズハンは凄いのよ。なんたって、絵を描き始めたのだって最近のことなの」


「え? そうなんですか?」


私だけではなく花絲カシも驚いたのだろう。筝を演奏する手を止め、そう叫んだ。楽師もだが、絵師も訓練と練習が求められる。これほどの絵を描けるのだから、幼少期から絵を学んでいるのだろうとばかり思っていた。


「ええ、紫涵ズハンの家は、代々学者を輩出している家系でね。紫涵ズハンのお兄さん二人も学者なの。だから、紫涵ズハンも絵師としてではなく、宮女として後宮に入るよう言われていたのよ」


後宮の宮女は、后妃たちの召使という印象が強い。だが、中には后妃に学問や詩歌を教える講師のような役割を務める宮女もいる。おそらく紫涵ズハン様のご両親は、そんな講師として彼女を後宮に入れたかったのだろう。


「だから、彼女が絵師として後宮入りすることを大反対されていてさ。絵の練習も私の家でコッソリ勉強していたぐらいなの」


「その状況で後宮絵師になれたのも凄いですね」


後宮歌劇団ほどではないが、絵師として入宮するためには試験を受ける必要があり、決して簡単ではないはずだ。


「実は、それには貴妃様が絡んでいるのよ」


「貴妃様ですか?」


意外な人物の名前に思わず声が裏返ってしまう。


「ちょうど三年前のことよ。

貴妃様は当時、後宮へ入るってことが内定していた段階で、私の家で時々、絵の勉強をされていたの」


後宮へ入る前に宮廷絵師の元で絵を学ぶのは、やはり身分が高い貴族ならではだ。


「貴妃様がたまたま紫涵ズハンの悩みを聞いてね

『私付きの宮女として入宮後、絵師になればよろしいのでは?』

って、おっしゃってくれたのよ」


「貴妃様の宮女なら、紫涵ズハン様のご家族も納得されますね」


後宮では皇后に次ぎ二番目に力を持つ后妃に『貴妃』の位が与えられる。

そのため、貴妃に内定するためには、親や一族の政治的力や財力なども重要視されるのだ。

そんな貴妃様の宮女ならば、願ってもない話だろう。


「そう! それで貴妃様と一緒に後宮に入って、翌年晴れて後宮絵師になれたわけ」


芽衣ヤーイー様が満足そうに紫涵ズハン様の成功談を語り終えた時、部屋の扉が開いた。

扉から入ってきた紫涵ズハン様は、芽衣ヤーイー様の手に絵があることに気づき、困ったように首を横に振った。


「こんな昔の絵、人に見せないでよ」


「いいじゃない。この子達にいかに紫涵ズハンが凄いかって教えていたのよ」


「止めてよ」


それは決して大きな声ではなかったが、ハッキリとした拒絶の音を含んでいた。


「最年少で歌劇絵師長になった芽衣ヤーイーに言われたくない」


後宮絵師は様々な部署が存在する。その中でも歌劇団の背景を描くのが歌劇絵師だ。

全ての後宮絵師をまとめる役職ではないが、後宮に入って数年の彼女が就任するのは異例かもしれない。


「歌劇絵師長の話は『なるかも』ってだけでしょ。それに、私は紫涵ズハンがなってもおかしくないって思っている」


「そんなわけないでしょ!」


紫涵ズハン様は、そう叫ぶと、ドンっと瓶を机の上に乱暴に置き、足早に部屋から出て行ってしまった。


「こんな手で……。歌劇絵師長になれたら、それこそ親の力でしかないじゃない」


芽衣ヤーイー様は自嘲的に弱弱しく笑いながら、包帯が巻かれた自分の手を見ながらそう言った。


「実は、こうなる前からね。私、歌劇絵師長の話は辞退していて、紫涵ズハンを推薦していたの」


「そうなんですか?」


私の驚きの声に芽衣ヤーイー様は、静かに頷く。


「そりゃあ、私は絵を描くのは好きだし、得意よ。勿論、紫涵ズハンにだって負ける気はしないわ。でもさ、私、絵をかくと周りが見えなくなっちゃうのよ」


数日前、講堂で彼女が絵を描いている姿を思い出し、思わず大きく頷いてしまった。


「背景画が落ちてきた時もさ、みんなを避難させて消火まで指揮してくれてさ……。ああいう人が長になるべきだと私は思うのよ」


「手伝いの私達のことまで覚えてくださっていましたしね」


花絲カシがそう言うと、芽衣ヤーイー様は「そうなのよ」と深く頷いた。


「私なんてさ、歌劇団から手伝いが来てくれていたってことすら、見えてなかったからさ。やっぱり紫涵ズハンは凄いのよ」


芽衣ヤーイー様は、そう言って紫涵ズハン様が消えた扉の方へ寂しそうに視線を送った。しかし、少しすると「ごめんね」と私達に笑顔を見せた。


「こんな身内のゴタゴタを見せちゃって。今日はお見舞いに来てくれて、本当にありがとう!」


芽衣ヤーイー様は、そう言って立ち上がり、私達を部屋の外へと案内してくれた。


読んでいただき、ありがとうございます。

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