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第二章 風に舞う途絶えた調べ(1)

光景明艶宴の選抜試験にともない本来は予定していない課題が授業に組み込まれるようになった。

その日、


「舞台裏を知ることも非常に重要なことです」


そう言われて、見習い楽師のうち私や花絲カシら数人が派遣されたのは、舞台背景を作成する部門だった。勿論、楽師である私たちにできることはなく、荷物を運んだり筆を洗ったりというような雑用が命じられた。


「舞台裏って、筆ばっかり洗っていたら分からないわよね……。しかも、全然落ちないし」


なかなか染料が落ちない筆を洗いながら、花絲カシはブツブツと文句を言った。


「蜜蝋がついてるって言われなかった?」


そんな花絲カシの文句に返事をしたのは、絵画の下絵を書いている女官だった。年は私たちより少し上だろう。真っ白な作業着に身を包んだ彼女は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら私たちの元へ駆け寄ってきた。


「これ、蜜蝋に染料を混ぜたものを使っているのよ」


「蜜蝋に染料を?! それで絵なんて描けるんですか?」


花絲カシの質問に宮女は「びっくりよね」と大げさにうなずいた。


「古代の西国で用いられていた技法みたいなんだけどね。芽衣ヤーイーがどうしても描きたいって言いだして。蜜蝋はすぐに固まっちゃうから、溶かしながらじゃないと描けないし、本当に大変なのよ」


宮女がそう言っておもむろに視線を向けた先には、絵を描く少女の周りで何やら小さな鍋を火にかけている宮女が数人いた。本来ならば染料を塗るだけなので、一人で描けるところを数人がかかりで描かなければいけなくなる。

手間も時間もかかる技法というわけだ。


「でも、光景明艶宴で使う背景だからって、あの技法に決まっちゃったのよ」


「じゃあ、温かいお湯じゃないと、取れませんね」


私は筆を水が張られた桶に戻しながら尋ねると、宮女は「ごめんね」と頭を下げた。


「なかなか気づかないでごめんなさいね。本当なら、この筆を使っていた芽衣ヤーイーが言うべきだったんだけどね……」


宮女がそう言って意味ありげに視線を送った先には、一心不乱に絵画を書いている少女の姿があった。芽衣ヤーイーと呼ばれた少女は、自分の着物が染料で汚れるのも気にせず、喜々とした表情で筆を振るっていた。


「あの子、絵を描きだすと周りが見えなくなっちゃうのよ。

 いつか事故しないといいんだけど……」


「確かに、この倉庫倒れてきたら危険そうな巨大な絵がいっぱいありますね」


 私はそう言って、周囲を見渡す。

 二階分はあるであろう吹き抜けの倉庫の天井からは、巨大な絵画が何枚も吊るされている。

 たかが紙かもしれないが、あそこまで巨大な紙が倒れてきたら、怪我ではすまないかもしれない。


「あなた達も十分気を付けてね」


 宮女はそう言うと、直ぐ自分の持ち場へと戻っていった。

 彼女が描いている背景が何かは分からなかったが、本物の木がそこにあるかのような緻密な絵だった。


「流石、紫涵ズハン様。お優しいわ」


 宮女が立ち去った直後にそう言って、新しい筆を追加してきたのは絵に色付けをしていた芽衣ヤーイーの側で鍋を監視していた宮女だった。

 確かに蜜蝋が入っていることを教えなかった貴女よりは優しいだろうな、と思いながら筆を受け取ると、宮女は嬉しそうに耳打ちした。


「実はね、あの絵の色付け、紫涵ズハン様が行う予定だったのよ」


「え? そうなんですか?」


花絲カシは、興味津々と言わんばかりに勢いよく、そう尋ねた。


「そうなのよ。そうなのよ!」


花絲カシの食いつきが良かったことに気をよくしたのか宮女は嬉しそうに頷き、話を続ける。


「でもね、あの蜜蝋技法の方が、春の嵐をより斬新に表現できるって芽衣ヤーイー様が押し切られてね。紫涵ズハン様は下絵へ回されちゃったのよ」


「えぇ……。それは辛いですね」


「そうよね。なのに紫涵ズハン様は悪態をつくわけでもなく、こうやってみんなのことを気にかけられて……。本当にできた人だわ」


自分の仕事を横から取り上げられて、嫌な顔一つしないのだとしたら確かに紫涵ズハンはできた人なのかもしれない。

だが、若干できすぎているような気もする。


花絲カシ、調理場からお湯をもらいに行かない?」


噂好きの宮女が立ち去るのを見届けてから、そう言ってゆっくりと私は立ち上がった。


「でも、なんで私たち、ここに回されちゃったのかしら。婉兒エンジ様なんて、衣装係の手伝いなのよ。扱いが違いすぎよね」


見習い楽師の人数は三十人で、全員が同じ場所に手伝いにくるわけではない。

衣装係、小道具係など色々な部署に振り分けられている。


「そう? ここが一番の当たりな気がするけどね」


調理場へ向かう途中、私はそういって花絲カシに耳打ちをした。


「当たり? どういうこと?」


全く心当たりがないといった様子で首を傾げた花絲カシに私は「ここだけの話よ」とさらに一段と声を落とした。


「選抜試験に合格する手がかりがあるのよ」


「え? どういうこと?!」


よほど驚いたのだろう。そう尋ねた花絲カシの声は裏返っていた。


「課題曲っていくつかあったでしょ? 多分、普通に上手く歌えたり、演奏できたりするのが一番だと思うけど、一番重視することがあると思うの」


「なるほど……」


花絲カシは一言一句聞き漏らさないように真剣な眼差しで私を見つめる。


「例えばさ、悲恋を歌う演目の場合、二人が出会った幸せな場面を上手く演じられるよりも、二人が別れる場面を盛り上げられる人が選ばれるじゃない?」


「一番魅せたい場面は悲しい場面だもんね」


「今回の選抜試験の難しい所は、どの場面が一番重要か分からないところなのよ」


「春だったら、春の爛漫さや嵐の激しさとか、色々あるもんね」


そもそも宴は、四季の美しさを称賛する内容になっている。課題曲もそれぞれの主題から出ているが、あらすじなどはなく、どこに注目すればいいか分からないようになっていた。


「でも、さっきの背景見た?」


「蜜蝋で描かれた背景ね」


どうやら私が言いたいことを理解したのだろう。花絲カシがゴクリと息を飲む。


「絵付けをする人を変えるぐらい力を入れている嵐の場面が重要ってことなのよ」


華蓉カヨウ! すごいわ。私、春の試験、合格できそうな気がする!」


花絲カシは嬉しそうに飛び跳ねた。

そんな無邪気な花絲カシに思わず笑みがこぼれるが、その一方で練習しても進歩しそうにない自分の技量のことを考えると、気が一瞬にして重くなった。


そんな時だった。


先ほどまでいた倉庫から悲鳴と轟音が響いてきたのは。



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