序章~傾国の歌姫~(1)
久々の投稿すぎて、投稿方法を調べるところから始まりました(汗)
本作は全編執筆済みで、毎日、20時投稿予定ですので、楽しんでいただければと思います。
『盲目の織姫は後宮で皇帝との恋を紡ぐ』とは別の新作中華ファンタジーです。
色々なテーマも考えてみたのですが、やっぱり中華ファンタジー×推理もの好きなんですよね……。
「『盲目の織姫~』を完結させろ……」と思われるかもしれないんですが、書籍版5巻のラストがうまい具合に『なろう』版に迎合いたしまして、とりあえず一旦は完結とさせていただきます。
――傾国の歌姫――
蒼雲国の後宮には、そう噂される皇后がいると蔡は聞かされてきた。
平民でありながら、その歌声と舞により皇后まで上り詰めた人物。
『蒼雲国の歌姫とやらが、どれほど美しく、どれほどその歌声が素晴らしいか調べてこい』
それが上役から命ぜられた彼女の任だった。
蔡は齢十八歳だったが、各国での諜報活動を生業としている。
様々な国に潜り込み情報を収集するのが主な仕事だ。時には親書を盗み出したり、母国の政敵となる人物を暗殺したりすることもあった。
そんな彼女にとって、『歌姫の情報を収集する』という今回の主からの命は、寝てもできる任務の一つである。
いや……。
「だった」という表現が正しいかもしれない。
「そんな歌姫、どこにもいやしないじゃないの」
蔡は、そう小さく悪態をつくと足早に後宮の奥へと続く廊下を進んだ。
彼女が後宮に宮女として潜入してから一週間。
式典などを取り仕切る尚儀局で働いていれば、早々にその后妃とやらに会えると思っていたのだが、待てどくらせど彼女の姿を見ることはなかった。
代わりに聞こえてきたのは、歌姫ではなく男装した役者の噂話だった。
「今日、書庫で赦鶯様をお見かけしたの」
「嘘! なんで言ってくれなかったのよ。今日もお美しかったんでしょ?」
作業をしながら聞こえてくる先輩宮女らの声は、まるで恋をしている少女のそれだった。
「もちろんよ。髪を無造作におろしていらっしゃったんだけどね。それが着崩れた着物と相まって色っぽくて……」
当時の様子を思いだしているのだろう。
少女はうっとりとした声を途中で止めて、感嘆のため息をついていた。そんな少女を見て蔡は苛立ちを悟られないように心の中で舌打ちするのがやっとだった。
「後宮にある女性だけで構成されている歌劇団は確かに人気よ。でも、なんで男装した男役ばっかり注目されるのよ」
蔡は、苛立ちながらそう小さくつぶやいたが、少しして自分の疑問が愚問だったことに気づかされた。
「あぁ……。この後宮って、女ばっかりなんだった」
蒼雲国には、100人の后妃とそれに仕える千人以上の宮女が住まう後宮という施設がある。そんな後宮は男子禁制とされているのだ。
勿論、男性の機能を失った宦官も働いているが、彼らと后妃や宮女との恋愛は禁物とされている。そのため必然的に、後宮の住民の注目は男役の役者へ集まってしまうのだ。
「皇帝がもう少し女好きだったら、違ったのかもね」
蔡は、この一週間後宮で働き皇帝の体たらくぶりを早々に知ることになった。
なんと皇帝が即位してから、一度も后妃の寝所を訪れていないらしい。
そのため、本来ならば、各后妃が皇帝の寵愛を競い合う後宮なのだが、皇帝の寵愛を受けることを諦めた后妃たちは歌劇団の役者に夢中だった。
特に皇帝と接する機会がほぼない宮女たちにとっては、歌劇団の役者は彼女たちの人生の全てといっても過言ではないのだろう。
「これで諦めて、生きていけるような生業ではないのよね」
母国で鬼のような形相をしている上役を思いだしながら、そうつぶやくと、蔡はピタリと足を止めた。
ここからは、宮女として働く彼女が本来立ち入って許されない皇帝の寝所などがある宮だ。
誰かに見つかれば咎められる。最悪、不敬罪ということで処刑されるかもしれない。
必然的に蔡にも緊張の色が浮かんだ。
それと同時に彼女は、かすかな高揚感も感じていた。
――百人の后妃を袖にしても夢中になれる歌姫って、どんな美女なのだろう。――
そんな高揚感を悟られないように、そっと音を立てずに蔡は、庭園へと向かった。
庭園から小さいながらも透き通った少女のような歌声が聞こえてきたからだ。
「これは好都合」
蔡は思わずニヤリと笑みを浮かべた。
調査対象は歌姫なのだから、その歌声とやらも聞いておく必要があると考えていたのだ。
その歌は甘い恋の歌だった、遠く離れた恋人を思う切ない気持ちが、遠くで聞いてる蔡にも伝わり胸がいっぱいになるのを感じた。
「さすがだ……」
庭園の池のほとりに2人の影があるのに気づき、サッと蔡は建物の影に隠れた。
「あれか?」
蔡が驚くのも無理はない。
蔡は「池のほとりで着飾った女性が歌っている――」そんな様子を想像していたのだが、そこには男性ものの着物を着崩した人物が、星空に向かって物悲しそう歌っていた。
「皇帝は男が好きだったのか?」
どう見ても男が2人いるようにしか見えない目の前の光景に蔡は、さらに目をこらした。
「暗くてよく見えない」
蔡は、そっと音をたてないように池へ近づいた。
それは決して諜報活動をするような人間の足取りではなかった。自然と吸い寄せられるようにフラフラと池へと近づいていた。
「見慣れない顔だ」
蔡がそんな自分の失態に気づいたのは、歌っていた人物にそう声をかけられたからだ。
「し、失礼し……」
慌ててその場に跪礼をしようと地面に膝をついた瞬間、蔡は言葉を失った。
月明りに照らし出されるその人物があまりにも美しかったのだ。
白く透き通るような肌は月明りを背負っていることもあり、キラキラと輝いて見えたし、なにより蔡の目を引いて話さなかったのがその瞳だった。決して大きくはないが、涼し気な瞳の色素は薄く、思わず息を飲んだ。
「嘘でしょ……」
蔡は、少しして自分の頬に伝う冷たい感触に驚きを隠せなかった。
諜報活動をする人間として、感情は調整できるようにするのが彼女の務めだ。勿論、笑うこともあれば泣くこともあるが、それはあくまでも「不自然ではない感情」を表現するためでしかなかった。
それなのに今、蔡は目の前の男性の美しさに涙を流していた。