6話 騎士の勘違い
とりあえず散らかっているアナベルの部屋から、応接室へと移動してきた二人。
アナベルはグレイの前に紅茶と手作りクッキーを置いた。 一昨日、部屋で大泣きする前に無心で焼いたクッキーである。
グレイは部屋を移動する間は一切口を開かなかったが、出されたクッキーをしげしげと眺めると、パクっと口に入れ、顔を綻ばせた。
「うん、旨い。アナベルが作ったヤツだな」
「はい、一昨日作っておいたものなので、焼き立てじゃなくて申し訳ないのですが」
差し入れに行かなくなってからはお菓子作りもやめていたアナベルなのだが、少し身体を動かそうと焼いてみたのである。 しかし、食べてもらうあてもないのに作りすぎたクッキーの山を見て、余計に悲しくなってしまったのだが。
グレイが無言でクッキーを完食してしまったので、慌てておかわりを持ってきてもらう。
良かったわ。 作りすぎたけど無駄にならなくて。
アナベルがホッとしていると、グレイがボソッと言った。
「何を食べても旨くなかったんだ。アナベルが練習場に顔を見せなくなってから……」
「え?」
どういう意味かしら?
アナベルは首を傾げた。
そんなアナベルに苛立ったように、グレイが先を続ける。
「だから、アナベルが差し入れに突然来なくなったから、ずっと気になってて……」
「申し訳ございません。そんなに差し入れを楽しみにして下さっていたのですね」
「いや、そういうことじゃなくて。ん?それはそうなんだが、それだけじゃなくて」
グレイ様は何をおっしゃっているのでしょう……ちょっとよくわかりません。
「あーもう!なんで俺に黙って、勝手に遠くへ行こうとするんだよ!!」
「えっと、王女様の勧めなので」
なぜ、グレイ様の許可が必要なのでしょう?
「だからって、長すぎるだろ!」
「そうですか?五日って長いのですか?」
騎士団の遠征に比べたら、遥かに短いと思うのですが。
「長いだろ!!五日なんて…………へ?五日?」
「はい、五日ほどだと聞いております」
「いや、二、三年じゃないのか?」
「え?何のお話ですか?」
そんなに長く出かけたくはないですね。 それってもはや旅行じゃないですし。
「だから、アナベルは留学するんだろ?」
「しませんけど」
ーーグレイ様は一体どうしてしまったのでしょう? 留学ってなんのことでしょうか。
しばらく呆然と固まっていたグレイだったが、急に笑いだした。
「クックックッ……なるほどな。俺はまんまと騙されたって訳か。親父のやつ……」
「あの、グレイ様大丈夫ですか?」
とうとうアナベルは訊いてしまった。 屋敷に現れてからずっと様子のおかしいグレイを心配していたのである。
心なしか、筋肉も以前より萎んでいるような気がする。
「いや、大丈夫だ。なんだかスッキリした」
確かにグレイは吹っ切れたような、清々しい顔を見せている。しかしどういった心境の変化があったのかはアナベルにはわからない。
「アナベル、お前に話がある。旅から帰ってからでいいから、俺に時間をくれ。練習場へ来てほしい」
また練習場へ?
グレイが女性に囲まれている辛い光景を思い出し、アナベルは躊躇してしまった。
その表情から何かを察したのか、グレイが更に言い募る。
「なんでアナベルが突然来なくなったのか、正直よくわからないんだ。でも、一時期煩かった令嬢らももう来ないし、いい加減アナベルの飯を食わないと俺が辛いし、まだ触らせてない筋肉も残ってるし……」
グレイの 必死な言葉に、今度はアナベルが笑ってしまった。
「ふふっ、わかりました。戻ったら手紙でお知らせしますね」
「ああ、そうしてくれ!」
「差し入れは、グレイ様のお好きなローストチキンサンドにしましょう」
「うわ、待ちきれねーな。今すぐ食いてぇ」
さっきまで二人の間に漂っていたよそよそしかった空気が、以前のものに戻りつつあった。
こうして、クッキーをあるだけ食べつくしたグレイは、 「帰ったら絶対知らせろよ?約束だからな?」 と何度も念を押し、帰っていった。
結局、我が家まで何をしにいらしたのかしら?
グレイの訪問の意図はよくわからなかったが、また言葉を交わし、次の約束が出来たことにアナベルはこの上ない喜びを感じていたのだった。
グレイの突然の屋敷訪問から三日後、アナベルは王都を発った。
といっても、目的地の町は王都から北へ少し移動しただけの場所で、馬車で朝出発すれば夜には到着する距離である。
目的地カスピールの町は昔王都があった場所で、以前王宮として使われていた古城が残っている。 今回はその古城が建てられてから三百年を祝うセレモニーが開催され、第二王女のマリアナが王家の代表として出席することになっていた。
アナベルは急にマリアナの付き添いが決まった為、セレモニーと歓迎の夜会以外は比較的自由にしていいと言われていた。
実際は、一日目と五日目が移動、二日目がセレモニー、三日目が夜会の為、そんなにゆっくりとは出来なさそうではあるが。
とりあえず、グレイとの再会で気持ちに余裕が出来たアナベルは、行きの馬車からの景色を楽しんでいた。
せっかくなので、グレイ様にお土産を買って帰りましょう。 差し入れに使えそうな、珍しい食材もあったらいいですね。
出発前に王女に挨拶に伺うと、マリアナは数日前のアナベルとは全く違う明るい表情に驚いていたが、すぐに納得したように頷いていた。
あれは何だったのでしょう。 気分転換で誘って下さったのに、なんだかすでに解決してしまって申し訳ないことをしました。
ふと、馬車から護衛の騎士が目に入り、思わず筋肉チェックをしてしまう。
あの方の筋肉もなかなかいいですね。 グレイ様には劣りますが、馬にまたがるあの太ももの筋肉、大腿四頭筋でしたっけ?がいい感じに発達しています。
筋肉を楽しめるまでに、アナベルの気持ちは回復していた。