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2話 騎士との交換条件

 夜会から五日後。 アナベルは騎士団の練習場を訪れていた。

 本当は熱が下がり次第、すぐにでも来たかったのだが、アナベルを心配する家族が許してくれなかったのである。


 失敗しました。 まさか熱を出すなんて。 でも、みんな心配しすぎです。 体調はすっかり万全ですし、場所も屋敷から近いというのに……。


 アナベルの家族は、何も彼女の体調だけを心配していた訳ではない。 ずっと屋敷にこもって勉強ばかりしていたアナベルが、急に荒くれものが多いと噂の騎士団の練習を見に行くと言い出したのである。 心配しないはずがない。

 しかも生き生きとした様子で差し入れを作っているのだから、もう訳がわからなかった。

 侍女は、『片時もアナベルから離れるな』と父から命を受けたらしく、忠実にアナベルに引っ付いている。


 うーん、ずっと傍に居られると、筋肉に触りにくいのでお邪魔なんですよね。 一人にさせてくれなかったら、隙を見て逃げることにしましょう。


 筋肉への情熱が、アナベルをどんどん令嬢らしからぬ行動へと誘っていた。


 

 うわぁ、すごいです!!


 練習場へ足を踏み入れると、そこでは一対一の、騎士同士の本気の打ち合いが繰り広げられていた。 剣が重なる音が響き、熱気に包まれている。


 騎士様の鍛練って、こんなに迫力があるものなのですね。 だからこそ筋肉が鍛えられるのでしょうけれど。


 予想よりも観客は少なく、アナベルは近くに空いていたベンチに腰をかけた。


 グレイ様はどこにいるのかしら? パッと見た感じだと、鍛練中の騎士様の中にはいないみたいですね。


 騎士は同じ練習着で同じようにたくましい体つきをしている為、遠目だと見分けがつかないものなのだが、アナベルはグレイならすぐに見分けられる自信があった。 伊達に『騎士様ウォッチング』に勤しんでいた訳ではないのである。


「アナベルか?」


 ふいに、頭上から声がかけられた。


「グレイ様!」


 見上げると、グレイが驚いたような顔でアナベルを覗き込んでいる。


「あんな意気込んでた割に全然姿を見せないから、もう来ないのかと思ってたぞ」

「申し訳ありません。少し熱を出して、外出禁止だったのです」


 アナベルが情けない声で謝罪をする。


「熱?もう治ったのか?」


 心配そうに、グレイがアナベルのおでこに自分の手のひらを当てた。


 うっひゃーーーー 。騎士様の手がっ!! なんだか大きくて硬いです!!


 硬直してしまったアナベルだったが、「お嬢様、大丈夫ですか?」と侍女に心配され、復活した。 「熱は無さそうだな」と言うグレイに頷くと、侍女に話しかけた。


「私は平気ですから、しばらく一人にして下さい。差し入れを渡すだけですし、ここは安全ですから」


 渋っていた侍女だったが、グレイをチラッと見ると、「馬車に戻っております」と言って去ってくれた。


 うまくいきました! これで筋肉触りたい放題ですよ!!


 アナベルは、今までにないほど浮かれていた。


「これ、お約束していた差し入れです。差し入れをするのが初めてだったので、何がいいのかわからなくて……。無難にサンドイッチとマフィンにしました。良かったらどうぞ」

「やった!好物だ。ありがとな。動いてると、すぐ腹減っちまうんだよなぁ」


 グレイはアナベルの隣に腰掛けると、早速差し入れの入ったバスケットの中身を取り出し始めた。


「え?今から食べるのですか?まだ鍛練中なのでは?」

「いいんだよ、いつも差し入れを食べてる連中を指を咥えて見てる側だったからな。たまには見せつけてやるんだよ」


 子供ですか!


 話す間にも、グレイは次々とサンドイッチを胃に収めていく。 騎士の食欲や、何人分必要なのかがよくわからなかった為、かなり多めに詰めてきたはずだったが、あっという間に一人で食べきってしまいそうである。


「旨かった!レスター家には腕のいい料理人がいるんだな」


 マフィンはおやつにするらしく、サンドイッチだけ完食したグレイが感心したように言った。


「あ、いえ、これは私が作ったんです。お口に合ったのなら良かったです」


 誉められたのが嬉しくて、アナベルははにかんだ。


「アナベルは令嬢なのに料理が出来るのか。すげーな」

「そんなたいしたことは……。私、今まで屋敷に居ることが多くて。勉強の合間に、お料理やお菓子作りをしていたんです」

「なるほどな。他にも作れるのか?」

「うーん、大抵のものならなんとか。あ、何かリクエストでも?」


 アナベルが訊いた途端、グレイがニッと笑った。

 

 初めて見る笑い方ですけど、これは何かたくらんでそうですね?


 いぶかしむアナベルの予想は当たっていた。


「なあ、これからも暇な時でいいから、差し入れ持ってきてくれないか?騎士って令嬢に怖がられて、見た通り家族しか来ないんだよ。独身の俺は、いつも仲間のお裾分け食ってて悔しくてさ」


 確かにまわりには、妻や、母親らしき女性しか来ていない様子だった。 そして、どうやらグレイは独身らしい。


「もちろんタダでとは言わない。毎回好きな筋肉をどこでも一つずつ触らせてやる。どうだ?」

「持ってきます!私、ここに通います!!」

 

 再び、アナベルは食いぎみに即答していた。


「え?本気で言ってるのか?こんなことに賛成する女、普通はいないぞ?」


 失礼ですね、自分で提案しておいて。 そりゃあ、おかしな交換条件ですが、私にはメリットがありますからね!


「本当は、差し入れは今日だけだと思っていたので、思う存分触れるだけ触らせてもらおうと考えていたのですけど、毎回一ヶ所ずつなんて、少しずつ堪能出来て楽しみが広がります!」

「思う存分って……。どこをどんだけ触る気だったんだか……」


 あ、またグレイ様が引いてますね。 でも嬉しいからいいのです!


「じゃあ今日の分だ。どこ触る?」

「私が選んでいいのですか?」

「よほどマズイ場所じゃなければな」


 ニヤっと笑われました。 さすがに私も令嬢ですから、そんなはしたない場所は言いませんよ?


 十分はしたないことをお願いしている自覚はあるのだが、アナベルはそこには気付いていないフリをした。


「ではここはやはり、二の腕ですかね。上腕二頭筋というのですよね」

「よく知ってるな」

「勉強しましたから!」


 そうなのだ。 外出禁止中、アナベルは毎日筋肉について学んでいたのだ。


「ほんとお前って変わってるよな。ほら、これでいいか?」


アナベルの前に、太くて力強い腕が差し出された。


「あ、全部脱いだ方が良かったか?」


 グレイ様ってば、思いっきり私をからかってますね? そんなの披露されたら、失神ものです。


 「結構です!」と断り、アナベルは袖をまくったグレイの腕を見つめた。


 なんて太い腕なのでしょう。私の腕と全然違いますよ。


 差し出された腕を、恐る恐るつついてみる。


 ツンツン


「あれ?思ったより硬くない?」

「ああ、このままだとな」


 グレイは腕を折り曲げると、グッと力を入れてみせた。


「わ、すごいです!これって力こぶっていうものですよね?初めて見ました!」


 アナベルは興奮し、最初は遠慮してつつくだけだったが、徐々にペタペタと大胆に触りだした。


 こんなにポコッと張り出して、硬いです。 血管も浮いていますよ!


「まさに人体の神秘……」


 思わず呟くアナベルに、グレイが楽しそうに笑う。


「そんなに面白いか?よく飽きずに触るよな。なんならぶら下がってみるか?」


 ぶら下がる?

 意味がわからないアナベルに、グレイは立ち上がってぶら下がるフリをしてみせた。


「そんなことが出来るんですか?私、きっと重いですよ?」

「アナベルすら持ち上げられねぇような、ひ弱な男なんてこの騎士団にはいねーよ」


 そのまま曲げた腕を目の前に差し出された為、アナベルは思いきって両手でぶら下がり、足を浮かせてみる。


「わわ、浮いてます!!私、浮いてますよ!!」


 大興奮のアナベルに、グレイも満足したようだ。


「お前、軽いな。もっと食え!って、俺が全部食っちまったんだけどさ」


 二人の変なやり取りを、騎士団のメンバーが呆れながら遠巻きに見ていたのだが、二人は全く気付いていなかった。


「ありがとうございました。上腕二頭筋を堪能しました」

「いや、こっちこそ旨かった。マフィンは後で他の奴等に自慢しながら食うよ」

「ふふっ、たくさんあるので、分けてあげてくださいね」

「仕方ねーな。また次の筋肉を考えておけよ?」

「はいっ!もう決まってますけどね」


 こうして一回目の差し入れは終わり、この後アナベルは、差し入れを作っては練習場に顔を出すのが習慣となったのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] いやー、もうこれ、どうしてくれよう。 電車の中で読んでしまったばかりに真顔を保つのが苦しすぎるっ…… なんっっって面白さだよ死ぬる……!!! 臍を噛んで耐えてるけどいつまでもつか分からん!!…
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