なろう小説が闇鍋化してる件について????
人気ライトノベルの発行部数と、ベストセラー本の発行部数、両者の売れ行きを調べてみると、やっぱりライトノベルの勢いはすさまじい…、といった感想が浮かんできます。
ライトノベルを大手出版社が書籍化して、毎年20から25ほどの作品がアニメ化する。
そんなライトノベル文化を助長してきたのがここ、『小説家になろう』なのだと思います。
なろう発の作品の存在感が増していく今日この頃ですが、そんな『なろう小説』が今、飽和しつつあると感じる人も少なくないのではないでしょうか。
いや飽和ってなんだよ、と思う方もいるかもしれません。
私とて、飽和なんて言われたら、なんのこっちゃいといった感じでしょう。
結論から言えば、なろうの飽和とは『たくさんのジャンルが混ざり合った闇鍋』状態、のことだと思っています。
アニメ作品の変遷を見ていくと、SF物から学園物や美少女物、恋愛物ときて中世が舞台の異世界転生物、そして今は若干社畜物が侵食してきてるように感じます。
これだけ見ても、だからなんのこっちゃいといった感じですが、まぁつまり、見る人年齢層がだんだん上がってきてるよね、ということです。
もちろん若い人が中心ですが、00年代の若者が、いまだに最前線の読者でいる感じは否めないですよね。
そんなライトノベルですが、いったん視点をwebに移してみましょう。
先ほど闇鍋といった状況、それが何なのかを解説していこうと思います。
(ジャンルが多いんじゃ…)
つまりこういうことです。
みんながぱっと思いつくストーリーなんてもう大体出尽くしてしまった。
だから作者側は、『パクリだー』と言われない作品を作るのにたくさんの苦労と繊細な注意を払っていることでしょう。
そのなかで生まれた、最近出てきた小説の大まかなストーリーの作り方があります。
それは、『ある作品の一部分をある作品の一部分に貼り付ける』ということです。
読者側もうすうす感じているのではないでしょうか。
(あれ、これどこかで読んだことあるぞ…?)
といった作品がありふれて散らばっているということに。
つまり、面白い作品や売れる作品が「オリジナリティーのある訴えかけてくる作品」から、「はやりをとらえたわかりやすい作品」に代わっていったのです。
実際、難しい言葉を多くつかったなろう小説なんて一瞬でブラウザバックでしょう。
これを読んでいる方も、きっと、嘶いた、邂逅、などといった言葉が使われていたらここまで読んでいないと思います。
つまりそういうことなのです。
なろうなどの無料web小説が覇権を握ったことで、三人寄れば文殊の知恵が常時無限に起き続け、アイデアが出尽くしてしまったのです。
オリジナリティーを出すためにオリジナリティーを捨てた。
今後はそういった矛盾した作品が増えてくるのでしょう。
そのごった返し状況のなか、一つの話を作り上げ、たくさんのPVを獲得している方は本当にすごいと思います。
しかし、このままでは、web小説文化によって確立されたラノベ文化が、あろうことかweb小説に破壊されることになってしまう。
『売れること』『書籍化すること』を意識していては、彼らが築き上げた土台が、気づいたらなかった、なんて状況になりかねないでしょう。
なので皆さん、今一度、創作を楽しむということ、書きたいものを書くということ、それを思い出し、そして続けていきませんか?
ライトノベルは私たちの原点、と言っては過言ですが、やっぱり大事なものでしょう。
作ること、読むことを楽しめる、そんなにぎやかなノベル界隈になればいいな、と、六月なのにクソ暑い異常気象にキレながら思った今日この頃です。
こんなことを書いた人間が描いている吸血鬼のお話があるので良ければ読んでください(土下座)