依頼
村の北側にどっしり居を構える村長の邸宅は、村長の一族が代々暮らしている私的な場であるのと同時に、村の政治と祭事を司る、村の中心といっても過言ではない場所だ。
一年を通して、村の経営に関する話し合いからちょっとした催事までいろいろな行事に使われており、私たち村人にとって馴染み深い場所だ。
ばば様は、その村長宅の離れに暮らしている。
村長宅と比べれば小さいけれど居心地良く整えられた離れで、ばば様は時に村を導く助言者として、知恵を授ける賢者として、村を支えてくれているのだ。
そんなばば様からの呼び出しに応じないという選択肢はもちろんなく、むしろ待たせては申し訳ないと、急いで食事をかき込み簡単に食器を片付けると、両親と共に離れを尋ねた。
村長宅の玄関を通り過ぎ少し奥に進むと、木立の合間を縫って木漏れ日が差し込む、小さな離れが見えてくる。
「それじゃあ、お父さんたちは村長と話してくるからな。」
「ばば様に失礼のないようにね。」
そう言い残して村長宅に向かった両親と別れ、緑陰の中に佇む離れへと歩いていくと、陽の光に照らされた離れの玄関先で見慣れた幼なじみ後ろ姿を見つけた。
「あれ?ジン?」
予想外の先客に驚き、気づくと声をかけていた。
はたと足を止め、振り返ったジンの、陽の光にきらめく金の瞳と出会う。彼は私の姿を認めると、面食らったようにパチリと目を瞬かせた。
「ウェスタ!ウェスタもばば様に呼ばれたのか?」
「うん、急いで来てほしいって。ジンも?」
「おう。ばば様から頼みがあるって村長から聞いて、急いで来たんだ。」
聞き返した私の言葉に、ジンはこくりと頷いた。
「なんでも俺たちふたりに大事な話があるらしい。ウェスタ、何か聞いてるか?」
「ううん、なんにも。村長さんにも聞いてみたけど、何も知らないって。」
「村長も?っつうことはばば様、まだ誰にも言ってねえのか。」
「うん、そうだと思う。村長さんにも内緒なんて、どんなお願いなんだろ?」
ジンと顔を見合わせ、揃って首を傾げる。しかしこれといった心当たりがあるわけでもなく、私たちは早々に考えるのをやめた。
「ともかく、ばば様に聞いてみようぜ。」
「そうだね。」
幼なじみに頷いて見せ、改めてこじんまりとした離れの扉へと目を向ける。見慣れたばば様の家の扉が、今日は不思議と特別なもののように見えた。
陽の光に白く輝く扉の前に立ち、コンコンと軽く扉を叩く。
「ばば様、こんちにはー。」
「ジンとウェスタです。」
呼びかけると、ややあって白い扉がゆっくりと開かれた。ふわり、微かな花の香りが風に乗って流れてくる。
開かれた扉の向こう、光に満ちた空間に佇む腰の曲がったおばあさんが、私たちの姿を認めて優しく微笑んだ。
「いらっしゃい、ふたりとも。よく来たねえ。さ、お入り。」
陽の光が差し込む離れの主、ばば様に促され、私とジンは揃って光の中へと踏み出した。
短い廊下を通り、ばば様がいつも過ごしている居間へと通される。
大きく窓がとられた居間は陽の光に満ち、読み切れないほどの本がきれいに整頓された本棚や村人たちが贈った雑貨を明るく照らしていた。
ばば様はクッションが敷かれたいつもの安楽椅子に腰掛けると、私たちにも向かいのソファに座るよう促した。
去年、村の男衆がばば様の誕生日のお祝いにと森で伐った木となめし皮で作ったソファだ。よくなめされた飴色の皮は艶やかで、座ると包み込まれるように体が深く沈んだ。
私たちが落ち着いたのを見計らって、ばば様は改めて口を開いた。
「わざわざ来てもらってすまないね。」
労りの言葉をかけられ、私たちは揃って首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。」
「それよりばば様、大切な用事って何だ?」
ジンが、村長に呼び出されてからずっと気になっていた疑問を口にする。
村長さんが呼びにくるくらいだもん。きっととても大事な用事なのだろう。
背筋を正し、ばば様の言葉を待つ。
ばば様は瞑目し、ひとつ息を吐いた。それからややあって、ばば様の薔薇色の瞳が決意を秘め、幾度となく村を導き支えてきた賢者の聡慧な光を宿して私たちを見据えた。
「お前たちに、大事な頼みがあるんだよ。」
優しいだけのおばあちゃんではない、威厳に満ちた賢者の声が明るい部屋に重々しく響く。
「……これを、“天空の神殿”まで届けてほしいんだ。」
ばば様が懐から何かを取り出す。片手に収まるくらい小さなそれは、皺だらけの手の上で、火の粉のようにパチパチと光を弾いてきらめいていた。
「ばば様、これは?」
目の前に差し出された赤い石を見て、首を傾げる。
ばば様が取り出したのは、綺麗な赤い石だった。何か魔法がかかっているのか、石は内側から火の粉が爆ぜるようにきらめき、淡い光を放っている。
見覚えのないもののはずなのに、見つめ続けると、懐かしさが湧き上がるような不思議な印象の石だった。
私の問いを受けて、ばば様はひとつ頷くと静かに言葉を紡いだ。
「これはね、遠い昔、私らのご先祖様が神様から賜った7つの〈祝福のカケラ〉のひとつなんだよ。」
「…〈祝福のカケラ〉?」
「それっておとぎ話の…。」
ばば様の言葉に、私たちは思わず顔を見合わせる。
この村には、『神様と7つの祝福』というおとぎ話がある。
その昔、飢えと渇きに苦しむ地上の生き物たちを見た空の上の神様が、その美しい心を砕いて分け、7つの祝福に変えて授けてくれたというお話だ。
地上に落とされた神様の心のカケラはまず清らかな光と静かな闇を生み、次に豊かな大地を、澄んだ水を、温かい火を、穏やかな風を創り出し、最後に地上を覆う草木の種となった。
世界はずっと豊かで幸せになった。神様の心のカケラはいつしか〈祝福のカケラ〉と呼ばれるようになり、今もどこかで大切に祀られているのだという。
今よりももっと小さい頃に飽きるくらい語り聞かせられたものだから、今じゃ諳んじることだってできる。この村の人なら誰でも知っているおとぎ話だ。
そのおとぎ話に出てくる〈祝福のカケラ〉が本当にあった…?!
驚き目を見開く私たちに、ばば様は穏やかに目を細め、深く頷いてみせた。
「ええ、ええ、そうだよ。あのおとぎ話に出てくる〈祝福のカケラ〉さ。神様は私らが幸せに生きていけるように、7つもの祝福を授けて下すった。
この赤い〈祝福のカケラ〉もそうさね。神様の勇敢な心から生まれたカケラでね、〈勇敢なる炎〉というんだ。」
ばば様はそう言って、指の腹でカケラを大切そうに撫でる。
「朝日とともに目覚め、風と共に駆け、夜には家族と共に火を囲んで、安息の闇に抱かれて眠る。豊かな大地には澄んだ水が育てた緑が芽吹く。
神様のおかげで私たちは充分豊かになった。
だからね、この〈祝福のカケラ〉は神様に返して差し上げなきゃならないんだよ。
けども私も歳でねぇ、もうまともに歩けやしない。それで、村で一番元気なお前たちに代わりに〈祝福のカケラ〉を天空の神殿に持っていってほしいんだよ。」
いつもは穏やかな薔薇色の瞳が静かに私たちを見据える。その瞳の奥に、確かに燃え上がる強い意志を見た気がした。
…炎だ。幾度となく村の危機をに立ち向かい、導いてきた炬火のような炎が、今度は私たちを見定めるように静かに燃えていた。
きっと私たちは今、運命の分かれ道に立っているんだ。ばば様の頼みを引き受けて旅に出るか、断って村に残るか。
例え断ったとしても、ばば様は私たちを責めたりはしないだろう。ばば様をがっかりさせてしまうかもしれないけれど、いつも通り村で過ごせるはずだ。
だけれど。
「……天空の神殿か。」
ポツリ、小さな呟きが隣から聞こえた。視線を向けると、ちょうど同じタイミングで振り向いた幼なじみと目があった。
キラキラ輝く金色の瞳と出会い、自然と口角が上がる。
ーージンも私と一緒だ。
冒険してみたい。天空の神殿を見つけたい。
ずっと昔、隣の幼なじみと結んだ約束が胸によみがえる。
『世界中を冒険しようよ!』
ジンと約束した夢へ、一歩を踏み出せる時がきたのだ。
「行こう、ウェスタ。俺たちで天空の神殿を見つけ出してやろうぜ!」
「うん。絶対ふたりで見つけよう!」
ジンと顔を見合わせてにっと笑い合う。夢にまで描いた冒険が始まる予感に、わくわくドキドキと胸が高鳴った。
ジンと一緒なら、冒険も天空の神殿探しも、なんだって楽しいはずだ!
「ばば様、私たちに任せて!〈祝福のカケラ〉は必ず私たちが神様に返すから。」
隣で幼なじみが大きく頷く。ばば様は薔薇色の瞳を優しく細めると、やっといつものように穏やかに笑った。
「そうかい、それじゃあお前たちに任せようかね。ふたりとも、両の手を出しておくれ。」
ばば様は〈勇敢な炎〉を手に取ると、ふたりで握るようにとそれを差し出す。私たちは頷きあい、ばば様に言われる通り、ジンと繋いだ手の中に〈勇敢な炎〉を握った。
ばば様はそれを見て満足げに頷くと、私たちの手を皺だらけの温かい手で握り込み、不思議な言葉を歌うように紡ぎ出した。
……魔法の呪文だ!
ばば様の優しい魔法が、繋がれた手を伝って淡く、赤く輝きながら私たちを包みこむ。
「ーー我が愛し子に、神の御加護と炎の祝福がありますように。」
最後、魔法の呪文が私たちにもわかる言葉で締めくくられた刹那。
ぶわり、ジンと繋いだ手から身を焦すような熱が湧き上がり身体中を駆け抜けた。
「…っ!」
ヒュッと息を飲み、咄嗟にジンの手を強く握りしめる。
熱い…!
身体中に広がった熱が、その身の内側から血を、肉を、骨を一瞬で焼き尽くす。心ノ臓が燃え上がるように熱くなり、息がぐっと詰まった。
…苦しい、息ができない…!
ぐらぐらと揺れる視界の中、ばば様が焦ったように手を伸ばしたのが見えたが、それもすぐに歪んで見えなくなってしまった。
見えざる炎に喰らい尽くされるような、熱く重苦しい感覚が身体を支配する。意識が熱に浮かされ、深い闇に沈んでいくようだった。
…もう、だめだ。
身を焼き尽くす炎に心ノ臓までが呑み込まれかけた、その時。
「……ウェスタ!」
幼なじみの呼ぶ声が遠く聞こえ、強く腕を引かれたような気がした。