クロフォード
カフェを出た馬車は、無事、港近くの屋敷の裏門に止まった。
クロフォードは、店主親子を下ろすと邸の従僕に引き渡した。全て心得たと言う表情で侍従が親子を促す。馬車の中で説明はしたが、未だ戸惑いを隠せない親子はそれでも覚悟を決めたように案内されるまま屋敷に入っていった。
そのまま、今度は屋敷の正門に回る。
そこにいた豪華な馬車の脇に控えているソフィアを見てクロフォードは安堵の息をついた。
ソフィアは王太子の近衛騎士の中でも側近に当たり、女性とはいえ腕は確かだ。だが、やはり敵がいるとわかっている中に置いてくるのは辛かった。
こちらへ気付くとソフィアはわずかに唇の端を上げた。それだけのことで、柄にもなく気分が高揚する。
しかし、今は大事な局面だ。冷静な顔を取り繕ってうなずくとソフィアの横へつき、馬車の中に声をかけた。
「準備は整いました」
「では行こうか」
その声を合図に屋敷の門が開く。ゆっくりと進む馬車の横をソフィアや他の護衛と共に歩く。
玄関の前には、壮年の男性が多くの召使いを従えて立っていた。
馬車が横付けにされ、足台が設置されると中から現れたのは、この国の王太子であるレオナルドだ。
主人は、王家に対する礼をとる。
「この度はこのような席に殿下にお越しいただきますこと、誠にわが家の誇りでございます」
「いや。この度の話を受けてもらえて心から感謝している。このように急なことになってしまって悪かった」
王太子の言葉にとんでもないと首を振ると、それぞれ部屋へ案内された。それぞれの部屋に用意されていたのは、慶事用の正装だ。流石、王国一と言われる豪商は抜かりがないなと思いながら、クロフォードは用意された服を着る。
用意をすませ、しばらく待っていると屋敷の者が案内に現れた。
案内されたのはこの屋敷のホールで、今日は色とりどりの花などで綺麗に装飾されている。主賓席に座る王太子レオナルドから一段下がった次席を案内される。
「言葉が出ないよ、ソフィア」
護衛騎士の制服を脱いで、ドレスを纏ったソフィアにクロフォードは感動した。ソフィアは、クスリと笑うと
「相変わらずお上手ですね」
と言った。5つも年下の自分の言うことなどまるで気にも止めていないのだろうと思うと気持ちが塞ぐが、この程度で諦めたりしないところが自分のいいところだと思っている。
レオナルドには、なぜ相手にされないのか考えた方がいいと言われ、高熱を出してこの度の信じがたい話をし始めてから、急に大人びた妹には「誰にでも優しいのは誰にも優しくないと思われても仕方のない行為ですわよ」と言われているが、自分はソフィア以外には適当なリップサービス以外はしていないのだから心外だ。
しばらく待っていると、カフェの店主の娘が入ってきた。確かマリアという名前だった。ストロベリーブロンドの髪をした可愛らしい顔立ちをしている。妹のグローリアの一つ上の13歳で、すでにカフェを手伝っているということだが、見た目は高熱を出す前の無邪気だったグローリアよりも幼い。
マリアは、案内されるまま下座に座った。
所在なげにしていたが、隣にここの主人の息子が座って声をかけている。ホッとした顔をしたのでクロフォードも安心した。あの二人にはうまくやってもらわねば困る。
供された食前酒を飲みながら待っていると、控えめな室内楽が流れ始め、当主が入ってきた。白い正装に身を包んでいる。そしてその隣には白いシンプルなロングドレスを纏ったカフェの店主。
そう、これはこの屋敷の当主とカフェの店主の結婚式なのだ。
ここはこの国一の豪商で伯爵位を賜っているランドア家。王太子レオナルドは、ここの当主にカフェの店主と結婚してほしいこと、娘共々引き取って欲しいことを打診した。
愛妻家で有名だったランドア伯爵は、五年前に妻を亡くしてから、再婚することなく過ごしてきた。
跡取りも成人している伯爵に再婚する気はなかったが、大金持ちの伯爵夫人の座を狙うものは多い。いなすのにも苦労しているという話はクロフォードにも届いていた。
ランドア伯爵は商人として優秀な男なので、商売敵からは冷徹な人間だと揶揄されることもあったが、実際は情に篤く、持てるものの義務も惜しまない。
レオナルドは、伯爵に人助けとして再婚してくれないかと持ちかけたのだ。メイドであったカフェの店主の人柄は、調査済みで、伯爵家に迷惑をかけるような行為をするような人間ではないことは保証した。貴族でありながら、商人であるという特殊な立場から、どこかの派閥に属すこともなく、社交界でも広く浅い付き合いしかしない家であることもレオナルドが伯爵家に白羽の矢を立てた一因だ。
伯爵にとっても、悪い話ではなかったのだろう。取引として、相手が納得しているのならと了承し、今日のこの運びになったのだ。
事前に情報が漏れることを恐れ、伯爵家の妻となるカフェの店主には突然のこととなったが、戸惑いながらも受け入れたようだ。マリアの父である男爵からの、娘を引き渡せという要求をこれ以上突っぱねることができないという危機感もあったのだろう。何があっても娘だけは守りたいという親心だろうが、ランドア伯爵は2人にとって、悪くない家族であるとクロフォードは考えている。
娘のマリアの方は、男爵に利用されるのも然りと言った感じの少女だ。カフェの女給としては愛想もよくいいのだろうが、13歳のごくごく普通の少女といったところだ。母親が上手く今までも状況を隠していたのだろうが、今もおそらくこの状況をきちんと理解はできていないだろう。良い意味でも悪い意味でもあまり自分というものがまだ確立されておらず、良い人間に導かれれば、良い人間になるのだろうが、そうで無ければ、妹の夢のように人の婚約者をたぶらかすようなこともしでかしそうだ。
伯爵は、再婚であることを理由に、屋敷で極々内輪だけの式を挙げ、夫婦となることにした。
結婚したことを大々的に発表はせず、しかし、伯爵夫人の座を狙う者には、既婚であることを密かにアピールするようだ。まあ、すぐに社交界中に広まるだろうが、カフェの店主とその娘が社交界にすぐに出られるとも思えないので、当面は深窓の令嬢ならぬ深窓の夫人といったところとなるだろう。
ここから家族として彼らが信頼関係をうまく築いていければとの思いで、クロフォードは大きな拍手をしたのだった。
そして、自分もそろそろソフィアを本気で口説こうと決心していた。
最近は、妹のグローリアが何故か「お兄様、私のことはいいので、早くソフィア様と結婚してください!」と言うのだ。まあ、自分の気持ちは周囲にダダ漏れだろうが、一体どうしたというのかクロフォードには不思議だ。
だが、可愛い妹にそう言われてしまっては、頑張るしかあるまい。
そう思って、こちらを向いたソフィアに笑いかけると、不思議そうな顔をされた。
・・・道のりは遠いかもしれない。