『駅の押し屋』
うだるような八月の暑さの夕暮れに、僕は友人の住むマンションへと歩いていた。屋外では意味はないのではないか? と思いつつコロナ対策のためにマスクをしていたため、より暑く息苦しく、また眼鏡が曇って仕方がなかった。
友人の山下と出会うのは緊急事態宣言以来だったから、恐らく四ヵ月ぶりぐらいだろう。僕らの通う大学は新学期からのロックダウンのため、ほぼリモート授業となっていた。思えば山下以外の友人にも何か月も会っていない。
ある意味かなり自主的な「ステイホーム」を続けていた僕が、山下の家に向かっているのは、彼が送ってきた意外なメールが理由だった。
山下「ステーキ食べへん? 俺が焼くからおごるで?」
大学二回生の一人暮らしアパート住まいの僕にとっては、どう考えても断る理由が見当たらなかった。外食はコロナ感染の危険があるため、彼の家で焼いてくれるのも好都合だった。
ただ、変な違和感はあった。
山下と僕は同じ大学の経済学部に通う同級生だった。神戸から東京の大学に出てきた僕にとって、同じ関西の大阪出身だった山下と友人になったのは、地方出身者の必然だった。
大学一回生を共に過ごしたぼくらだったが……考えると何かをおごったり、またおごられた記憶は一度もない。今回はどうした気の迷いだろうか? 僕の自主的な「ステイホーム」を解除するきっかけにでもしようとしているのだろうか?
ステーキを用意してくれるというのに手ぶらで参上するのもどうかと思い、僕は歩く先にあったスーパーへと入った。
ステーキに合う手土産とはと考え、ビールコーナーの前に向かった。せっかくなのでいわゆる「プレミアムビール」を選ぼうと商品棚を眺めると、またおかしな違和感を感じた。どうもいつものラインナップと違っている……。
違和感の元を探してみようと僕はプレミアムビールの一つ一つを回転させ、全ての商品を正面に向けなおした。
「富士山」
見たことのないビールだった。正面に漢字で「富士山」と描かれ、全体は葛飾北斎の有名な版画がイラストされていた。裏を向けると「FUJISAN JAPANESE PREMIUM ALE」と描かれていた。
面白い新商品だと思い、僕は「富士山」を六本かごに入れ、レジへと向かった。レジの店員はビニールのコロナガードの後ろで、マスクとフェイスガードをしていた。
「支払いはクレジットで」
そう言うと店員は露骨に安心したような表情を浮かべた。現金のやり取りはよっぽど嫌なのだろう……僕はカードリーダーにクレジットカードを差し込み会計を済ませ、カバンに入れていたエコバックにビールを詰め込んだ。
レシートは受け取らずに僕は店を出た。コロナウイルスのせいでレジ店員がここまで過酷な仕事になるとは、誰も想像できなかっただろう……。
「久しぶりやん中森! ささ入って入って」コロナの時代なのに、山下は気持ちよく僕を家に迎え入れてくれた。
「ステーキに釣られてやって来ました……。明日はノルマンディー上陸かい?」僕はふざけて言った。
「なんやそれ?」
「ノルマンディー上陸作戦の前日は、ステーキを焼いたのさ」
「相変わらず、どーでもいい事知っとるな。関西捨てたやろ自分?」山下は笑って言った。
「捨ててませんがな。ほんまは今すぐにでも帰りたいわ。ビール持ってきたから冷やしといて」僕は山下に合わせて言った。
「ありがとう。ほなすぐにでも焼くから、その辺座って待っとって」
僕は靴を脱ぎ山下のワンルームマンションに入った。ワンルームとはいえかなり広く、奥に置かれたベッドの手前には立派な二人掛けのソファーとテーブルが置かれていた。僕のアパートの二倍ほどの広さはあるだろう。
「相変わらずいい部屋に住んでるよね~?」ソファーに腰掛けながら、僕は若干の嫌味を込めて言ってみた。
「東京の彼女とのラブラブ生活を想像してたんやけどね……」ステーキの準備をしながら山下は寂しそうに言ったので、僕はそれ以上は言わなかった。
山下が用意してくれたステーキは本格的なサーロインステーキだった。
「マジか! どう見てもいい感じの肉だよな? 何が起きた?」僕は目を見張りながら言った。
「実家から送ってくれたんよ。せやから遠慮せずに食べて」山下は僕の喜ぶ顔を見て満足そうだった。
「では遠慮なく……」そう言ってナイフを肉に入れると、何の抵抗もなく刃が通り肉汁があふれ出た。
「……うまい」ただ僕はそう呟いた。素材がいいのだろう、素人の山下が焼いたとは思えない食感と肉汁のうまみだった。
そういえば以前、山下の実家は大阪で食品卸の商売をしていると聞いた事があった。恐らく実家の商品を「横流し」ではないだろうが、独自のルートで送ってもらえたのだろう。考えれば違和感の正体は簡単だった。
「実家さまさまということか、山下」僕は遠慮せずに言った。
「そんなええもんでもないんやけどね……」そう言った山下の表情は暗かった。
山下の表情から、僕は自分の失言に気が付いた。緊急事態宣言から外食産業は最もダメージの大きな業界だろう。食品卸の商売も相当なパニックになっているに違いない。
「まあコロナの時代だから……。ごめん山下」僕はステーキを食べながら謝る自分を、何とも下品な人間だと思った。謝る気持ちはあるのだが、肉への欲望を減退させることは不可能だった。
「別に謝らんでええよ。うちも一時は大変やったみたいやけど、人間何かを食べないで生きるんは無理やからね。スーパーへの卸とかは逆に増えたみたいやし」
「そうか……。では遠慮なく」そう言った僕はステーキを食べ続けた。山下も自分の分のステーキを焼き上げ、無言で食べ続けた。僕らは食べ終わるまで十分もかからなかった。
「ほんまに今日はありがとう! マジで美味しかったよ」食べ終えると僕は言った。恐らくここ数年は食べた記憶のないステーキだと思った。
「よかったらお土産に持って帰る? 冷凍があるから」スーパーで買えば恐らく数千円はするような肉を、無料で放出してくれる? 山下の言葉は違和感の塊だった。
「……どういう事かな? これ何かヤバい肉? 近未来の合成肉とか……?」僕は少し探るように聞いてみた。
「何を考えとるねん! ちゃんとした肉やって。実はこれ航空機のビジネスクラスで出すやつやねん。コロナで国際線の復旧のめどが立たないからって。さすがに関空関連の機内食用の肉は冷凍ストックの限界らしいねん」
「そうか……そういうルートは盲点だった」美味しくて当然だった。
「なんか通販とかに回したりとかしてるらしいけど、どうせやからってステーキ肉、冷凍で十枚送ってきてんで? ありがたいけど一人暮らしに送ってくる量ちゃうで!」
「しからば……お土産を頂きたいでござる……」僕は遠慮気味風味に言ってみた。
ステーキの皿を片付けた僕らは、互いに僕が持ってきた「富士山」ビールを開けグラスに注いだ。
「何に乾杯しよか?」山下が聞いてきた。
「そりゃ……ビジネスクラスに?」
「……意外にナンセンスやな中森。うちらがおこぼれ肉もらっとるって事は、あっちが苦労されてるって事やで?」
「悪い! 確かにナンセンスだな。じゃあこのビールにあやかって富士山に」
「ほな富士山に乾杯!」
「富士山に!」僕らは互いにグラスを持ち上げた。
僕はビールを飲みながら「富士山」ビールの空き缶を眺めていた。店頭ではあまり意識して見ていなかったが、よく見るとアサヒビールの商品だった。
「アサヒビールが『富士山』って違和感があるな……」僕は呟いた。
「どゆこと? 何がおかしい?」ポテトチップスの袋を開けながら山下が聞いてきた。
「漢字の商品。僕はアサヒビールとキリンビールって独特の特徴があると思う。アサヒはカタカナ商品が多くて、キリンは漢字商品が多い。だからアサヒの漢字はめずらしいかなって?」
「そんなん言われるまで気が付かへんかったわ。『アサヒスーパードライ』とかってこと?」
「そうだね。例えばアサヒは『クリア・アサヒ』とか『ザ・リッチ』とか、キリンは『一番搾り』とか『氷結』とか。まあどちらかと言うとそういう傾向があるかなって」
「……ようそんなこと気付くな。じゃあ逆にわてが『富士山』の謎の答えを教えたろか……?」山下は「富士山」の空き缶を眺めながら言った。
「その口調ってことは……答えがあるのかな? 是非とも教えて欲しいな」
「これはオリンピック向けの商品やったってこと! ほんまは今頃オリンピックしてたはずやろ? ご丁寧に「FUJISAN JAPANESE PREMIUM ALE」って英語でも表記してるやん? 外国人観光客とか喜んでこのビール買ってたはずやで」
「なるほどね。恐らくその推論は正しいような気がする」僕は感心して応えた。
「こういうことばっかりやで……」山下は小さく呟いた。
「こういうことって? 予定が狂っているってことか?」確かにビジネスクラス用の肉も、本来なら僕らが食べられるものでもない。
「学校封鎖とかさ、しゃーないけど給食の食材はどうなると思う? ステイホームも仕方ないけど機内食の食材は? 新幹線の駅弁屋さんはどうなる? 休業補償とかテレビで言っているけど、お店の補償はされてもあふれ出た食材はどうなると思う?」山下の言葉には若干の怒りが込められていた。
「……確かにな。親父さんも大変なのか?」
「大変は大変みたいやけど……。せやけど親父曰く、大阪は多分まだマシな方かもって。東京なんかはオリンピックの分がごっそり抜けたはずやし、北海道は全国の百貨店や物産展がごっそり抜けたはずやって……」
「確かになあ……。我が故郷の神戸はどうなんだろう?」僕はビールを飲みながら言った。
「これも親父曰くやねんけど、有馬とか淡路島とかの近場の観光地はわりとマシらしい。旅館とかが夕食、朝食共に部屋食のひきこもり『ステイルーム』プランとか出したり。政府のキャンペーンもあるやろうし、こういう時は地方都市の方が有利やね」
「……神戸を地方都市と言うか? お前さんこそ関西捨てたんとちゃうか?」あえての関西弁で僕は返した。
「ごめんごめん。まあ暗い話はなしにして飲もう! とりあえずはポテチぐらいしかないけど、ウイスキーも出したるし。スコッチやで?」そう言って山下は緑のボトルをテーブルの上に置いた。
その後僕らはビールを六本開け、スコッチのロックを作り二人でボトルを一本開けた。山下がつまみにと作ってくれた関西風のだし巻き卵がうれしかった。初めて見たチューブ型の大根おろしを醤油と乗せてくれた時は、便利になったものだと思った。
「飲みすぎたかな……今日は泊まって構わないかな?」僕は聞いた。
「ええに決まってるやん? これでうちらも濃厚接触者やな。記録しとかな……」山下もほどほどに酔いが回っていた。
「その言葉……もう少し適切な言葉はないかな? 男同士で『濃厚接触』したくはないよな……長期同期者とかでよくないか?」
「ほんまにね……ところでちょっと中森に聞きたいことがあったんやけど……構わへんかな?」酔っているだろう山下が真面目な顔をして聞いてきた。
「もちろん。構わないよ」唐突な切り出しだと思ったが、驚かなかった。案外その話をしたいために、ステーキで僕を釣り上げたのかもしれない。
「今流行ってる都市伝説があるんやけど……『駅の押し屋』って聞いた事ある?」
「聞いた事ないけど……『駅の押し屋』って確か昭和の時代の話だろ? 満員電車に人が入りきらないから、ホームの押し屋が電車の扉に無理やり人を詰め込んでいたっていう……。コロナの時代には絶対ありえない話だな」
確か昔の懐かし映像特集をテレビで見たことがあった。あれは物理的に可能だったのだろうか? 今ならどう考えてもあれこそ濃厚接触者だろう。
「もちろんその昭和の『駅の押し屋』もあるけど、今流行ってる都市伝説の『駅の押し屋』はまた違う話やねん……」
「あおるね……ぜひとも聞きたいね」僕は応えた。
「仮に自殺志願者がいるとするやんか……そしたら普通は中々決意がつかないやん? でも今SNSとかで『駅の押し屋』に依頼すると、ホームから線路に押してくれるっていう……そんな都市伝説が流行ってるっていう話」山下はゆっくりと言った。
「違和感だらけだな。都市伝説に理屈を言っても仕方がないが、間違いなく犯罪行為に該当する。現実的じゃないね」
「そりゃ普通はそう考える。でもその『駅の押し屋』っていうのは七十代ぐらいの高齢者らしいねん」
「それこそありえない。今の高齢者はほぼ年金システムもしっかりしてるし、残りの余生を何でそんな馬鹿なことで棒に振るのかな? 高齢者の刑務所は厳しいと思うけど?」
「……そこまではわても考えた。でもな中森、今はコロナの時代やで? テレビとか毎日のように感染者の情報を報じとるし、実際に感染者が苦しんでいる映像とかも見るやんか? 若者は大丈夫と思っているかもしれへんけど、高齢者はどう思ってると思う?」
「それは……怖いだろうな。ウイルスは見えないものだし、だからこそ高齢者こそ『ステイホーム』しているんじゃないかな?」僕ですらできる限り「ステイホーム」していたのだから、なおさらかもしれない。
「……家にいても余計に気が滅入るだけやないかな。テレビをつければいくらでもコロナ、コロナであおってくる。高齢者は危険やって。治す薬はないって。向こう数年はこんな生活が続くって……。自分が高齢者やったらって想像してみ? 相当な絶望感やないか?」確かにこのところのテレビの報道は嫌気がさすぐらいだった。
「仮に絶望に苛まれても……だからといって他人を殺しやしないだろう。そこが飛躍しすぎじゃないか……」山下の話に段々と飲み込まれている自分を感じていた。
「……わてもそうやと思ってた。でもな、嘘みたいな噂が広まっているらしいねん……」
「どんな噂なんかな……」酔っているはずだが、少し寒気を感じた。
「……刑務所の中ではコロナに感染しないって。実際今まで日本の刑務所ではコロナ感染者を一人も出していないらしい……」
「そんな馬鹿な! 仮にそれが本当の話だとしても、自由を奪われるんだぞ! 感染が怖いからって自分から塀の中を求めるなんて馬鹿馬鹿しすぎる。それに人を殺さないでも他の犯罪行為だっていくらでもあるだろうが?」
「……どうやら噂を広めている『フィクサー』みたいなやつがおるらしい……。刑務所の中ではコロナに感染しない、隔離空間である塀の中は今やクリーンルームの『コロナ・シェルター』だ! あなたは感染の恐怖から解放されます! 軽犯罪は執行猶予がついて放り出されるとダメだから、背中を押してあげましょう。安心してください。自殺志願者の背中を押すことは、その人々の苦しみからの解放であり魂の救済になりますって……。互いの魂を救済しあいましょうって……」
相当飛躍した話だとは思うが、徐々に違和感を感じなくなってきた。そういえば昔ペストがヨーロッパで流行した時も、怪しい救済の宗教が流行ったと何かで読んだことがある。それは確か神から与えられた罰に応えるため、自分の身体を鞭で打ち続ける自己完結型のSM宗教だったはずだ。
「……まるで危険な宗教だな。終末思想の狂信者……。魂の救済の前にまずカウンセリングだろ? 大体何なんだその『フィクサー』気取りの教祖もどきは? 完全な殺人教唆でそれこそ犯罪行為だろ?」
「……」山下は黙っていた。
「どうした? 酔いがさめたか?」僕は聞いた。
「……」山下は黙っていた。
「もう眠いのか? 寝るか?」僕は聞いた。
山下の身体が徐々に震え始めた。小さなうなり声のようなものも聞こえてきた。
「どうしたっていうんだよ!? 何とか言えよ!」僕は叫んだ。
「っていう都市伝説でしたー! いやー受けたわ中森! 最初に都市伝説って言ったやん? 途中からガチで聞いてるねんから! 日本のおじいちゃんおばあちゃんが、そんなことするわけないやん?」山下は笑いながら言った。
「……お前やっぱり、この話をするために俺を呼んだな?」やれやれと思った。
「そうに決まってるやん? こんなおもろい事リモートや電話でできるわけないやん? 中森は関西人やから、何だかんだこういうネタに付き合ってくれるやろうって? 予想通りの食いつきやったわ。親父~! ステーキ役に立ったで!」山下は西の方角の壁に向かって叫んでいた。お土産は確実にもらおうと僕は思った。
「……まあリアルではあったよ。感染症と宗教的なものは、昔から相性抜群だからな。確か中世ヨーロッパの魔女狩りなんかも、感染症が理由だよな? 日本も昔は宗教関係者が疫病退散のお札を売っていたらしいし……。この都市伝説はお前が考えたのか?」
「またそういう、どーでもいい事知っとるな? ……まあネタ元はネットからやけどね。それでさ、この都市伝説の話まだちょっとだけ続きがあるねん」
「まだ続けるの?」ばかばかしいと思いながら聞いた。
「ネットで『駅の押し屋』の都市伝説を見つけてからさ、他にも何かネタがないか色々と調べてみたんよ。ほなな、面白い『テロ動画』を見つけてん。『テロ動画』やから多分今は削除されてるやろうけど、保存しといたから、見てみーへん?」
「……どうせそれを見せるために俺を呼んだんだろ?」
酔いが回ってふらついた様子で山下はタブレットを取り出してきた。
「とりあえず何も聞かずに見てみて?」そう言った山下は『駅の押し屋』という題名の動画を再生させた。
始まった動画はどこかの駅のホームを映していた。ホームの外の街並みは暗かったから、時間的には夜間だろう。画面の中央に白いワンピースの女性が立っていた。髪は長く、恐らくは美しい女性なのではないかと思ったが、動画はその背中を映すばかりで顔を見ることはできなかった。
「……それでどうなるの?」ある程度予想はしていたが、僕は聞いた。
「いいから……」
動画の撮影者はずっと同じ角度で同じ場面を撮影していた。数十秒ぐらい同じ場面が続いた時、画面中央の女性は『まるで誰かに押されたかのように』ホームから一歩進み、画面から消え去って行った。撮影者は驚く様子もなく、彼女の消えた空間を撮影していた。
「落ちたな……」僕がそう言った時、動画は終了した。
「……どう思う?」山下がにやにやしながら聞いてきた。僕を怖がらして、楽しんでいる様子だった。
「どうって……。不気味ではあったけど、やっぱりこれはいわゆる『テロ動画』だろ? 撮影者が全然驚いていない感じだから、落ちる予定だったって事だろ? オカルト映像にしたかったら『ヤバい!』とかもっと驚く演出を入れるべきだったな」
「まあそうやろうね~。どこの駅かはわからんけど、鉄道会社にはええ迷惑やったやろうな。相変わらずこういう事する『やから』っておるんやね」
「でも……色々と違和感はある」僕は考えながら言った。
「ええやん! それを聞きたくて中森に見てもらってんよ。その得意の『違和感』ってやつ」
「まずは『駅の押し屋』って題名だから……押された感じで落ちる映像にしたかったのだと思うけど……単純に危ないよなこれ? 駅のホームって二メートル近くはあるはず。線路に降りるだけの『テロ動画』だったら、軽くジャンプするか……」
「まあ普通は下にしゃがみ込んでから降りるわな」山下が返した。
「……そういった意味では、この落ち方をするのは危険すぎるな。僕ならしたくない。大体高齢者に押されるっていう基本設定はどこに行った?」
「だから~。それはもっともらしくするための、後付けの話なんやないんかな? どう考えても、日本のおじいちゃんおばあちゃんがそんなことするわけがないやん」山下はグラスに残ったウイスキーをなめながら言った。
それにしても何のためにこんな映像を撮影したのだろうか? 一時流行した『バイトテロ動画』はオカルト路線というよりは、どうでも良くバカバカしい映像ばかりだったと思う。
「普通に考えて『テロ動画』って、何かこうもっと『チャラい』感じで撮影するよな? 例えば『あー落ちてしまいました~』みたいな実況とかしたり? こんなオカルトめいた感じに作るのはめずらしいというか……」
「だから面白いと思ってん。どうせ『駅の押し屋』の都市伝説から連想して、それっぽく作ってみようって話になったんやろ?」
「そうでなきゃ撮影者が冷静すぎる。いくら何でも目の前でホームから人が落ちたら、シナリオ通りだとしてもビビるよな? 手ブレの一つもしないで撮影し続けていたのは、正直すごいよな?」
「最近のスマホの手ブレ補正機能は凄いから……」山下は少し眠そうな様子だった。
僕はもう一度考えてみた。やはり、そもそも何のために作られた映像なのだろうか? 『テロ動画』にしては違和感が残る……。この違和感の元は何だろうか……?
「三脚だ!!」僕は叫んだ!
「なんだよ急に……。三脚? 確かにそれなら手ブレしないわな」
「違う! 三脚を使えば撮影者がいなくても撮影できる! もしかしてこの女が自分で撮影準備をしてホームから飛び込んだのかもしれない!」
「ちょっと待ってくれ。じゃあお前、これ『ガチ』の映像かもしれないって……?」山下も理解したのか、眠気もさめた様子だった。
「僕は最初に山下から『テロ動画』って言われたから、これは『テロ動画』と思い込んで見ていたけど……。三脚を使えばできないことはない」
「待ってくれ。可能性は理解したで……。せやけど何のために? 自分の最期の姿を残そうとか? それこそ意味が解らんで?」
山下の言葉も当然だと思った。しかし僕はこの映像の持つ雰囲気から、どうしてもいわゆる『テロ動画』の持つバカバカしい空気感を感じなかった。だがやはり……そうであるとしたら何のために? そもそも誰がこの動画をアップロードした?
「分からないけど……可能性はある。それだけは……」僕は言葉が続かなかった。
山下は黙っていた。僕らの間に沈黙の時間が流れた……。
「もう一度見てみるか?」僕は言った。
「や~め~て~。それ言い出すかもしれへんって思っててん。さっきと今とでは状況が違うわ」山下は心底嫌そうだった。
「……でも『テロ動画』と思い込んで見るのとは、見え方が変わってくるはず。他に気が付かなかった何かに気が付くかもしれない……」
「嫌じゃ~」山下は首を振った。いつの間にか怖がる側が逆転していた。
「僕は見てみるが……構わないかな?」
「構わへんけど、見せへんでよ?」山下は言った。
僕は山下からタブレットを引き取り、彼からは見えない位置にタブレットを構え『駅の押し屋』の動画アイコンをクリックした。タブレットには駅のホームと、その中心に白いワンピースを着た、若い女性の背中を映していた……。
すると突然、画面の中の女は振り返り、僕に向かって言った。
「ねえ、押して……」