お出迎え 【2/4】
男はただ反応が無いだけではなかった。
クレデューリを見返す彼の視線はどことなく虚ろであり、逆にそれは機を捉えにくくさえしている。
言葉少なく二人が立ち尽くす中、カナリアとシャハボは距離を置いた位置でクレデューリたちの動向を見守っていた。
カナリアは直接的に手を出してはいない。
しかし、何もしていないわけではなく、《生命感知》や《魔力感知》、《罠探知》等を隠れて使い、可能な限り情報を集めていたのである。
《感知》魔法の反応から察するに、相手の男は人間である事は間違いなかった。
カナリアはそれを起点にして、相手の素性に関して幾つかの推測を行う。
最初に見込みをつけたのは、その男が、まっとうな剣士戦士ではなく、暗殺を主としている人間だろうという事であった。
引っかかったのは、彼の攻撃の手口である。一度目と二度目の攻撃は、クレデューリの意識を外したところを巧妙に突いたものであったからだ。
一流の暗殺者は、強者に対しては正面切って戦うことなく、意識の外を狙う事で攻撃を通しに行くからである。
そんな必殺の攻撃を避け得たクレデューリの動きにこそ、カナリアは目に留めるものがあったのだが、今は余計な事だと意識の外に置き、推測を続ける。
カナリアが暗殺者だと見込みをつけたもう一つの点は、彼の武器の扱い方であった。
彼は棒という武器を早々に使い捨てていた。真っ当な使い手であれば、よほど素手に自信があるのでない限り、武器を手放すことはしないだろう。
普通に考えれば持っていた方が有利になるはずの武器を手放す理由。
それは、彼が武器を選ばないか、他に何かある、とカナリアは考えたのだ。
どちらにしろ、暗殺者によくある特徴である。
一見すると今の彼は無手ではあるが、袖の長い服はいかにも怪しい物であった。
長袖の内側に投げ釘でも仕込んでいるのではとカナリアは推し量る。
ただ、カナリアの推測はここで止まる。
これ以上の事、暗殺者の素性や、本当に相手が暗殺者なのかどうかに関しては、判断に足る情報がないからであった。
カナリアが考えた一番の可能性は、この男がイザックの組織の出身で、ウフ村の調査に来ていた人物ではなかったのかという事である。
しかし、それであるとするならば、辻褄が合わないのだ。
アン=イザックは、ウフ村に調査に送った男を信頼すると言っていた。そんな男が、裏切る事はないだろう。
であれば、元々ウフ村に強い暗殺者が居たと考えるべきか? ただ、そう考えるならば、暗殺者をこのような平地で使う事自体がおかしい。
答えが出ない以上、今のカナリアが思い測る事はここまでで、後はゆっくりとシャハボを撫でるだけであった。
彼女たちが状況を見守る中、クレデューリは律儀にも口舌にて新たな火蓋を切る。
「無言ならばそれでも構わない。では行くぞ!」
それから始まったのは、先ほどと同じ、針山のような連続突きであった。
クレデューリの突きは速度を増してさえいる。
だが、問題は、男の方がそれに慣れてきているという事実であった。
姿勢万全で組み合ったせいかもしれないが、無数の点で攻める突きを男は確実に見て避けていく。
男は一度も手を出していない。攻撃を続けるのはクレデューリである事は未だ変わらない。
しかし、旗色の悪さはクレデューリの方に向きつつある。
クレデューリは一流の細剣使いであり、お手本通りで裏の手が無い、とても真っ当な使い手である事は今までの攻撃で割れてしまっていた。
対して、枯れ木のような男の方は、避ける一方でその手を全く見せていない。
「良く避ける!」
クレデューリの吠え声は、焦りの表れであった。
状況を理解するカナリアもゆっくりと位置を変え、いざという時に助けの手を入れやすいように、可能な限り男の側面へ、少なくともクレデューリと男を結ぶ直線上には立たないようにしていた。
けれども、男は攻撃を避けながら、カナリアの企みを阻止しようと移動を続ける。
彼の動きの意図が理解出来るにつれて、クレデューリはなお焦れたのだろう。
「ならば、これはどうだ!」
それは、カナリアの眼には失策に映る行為であった。
彼女は全身に力を込めて、右足で強烈に踏み込みながら、今までで最速の突きを男に向けて放ったのだ。
その一撃は確かに最速であった。
だがしかし、最速を生み出すために、彼女は余計な事をしていたのである。
踏み込み前の脱力、もしくは、力の溜めともいうべき行動。
それが一瞬の動作であったのは間違いがない。しかし、その一瞬はこの場においては致命的であった。
一瞬の溜めは、予備動作として、男に次の攻撃が来ることをはっきりと教える。
いくら速かろうと、予見できる攻撃を避ける事は、カナリアが一流の暗殺者と見込む相手であれば簡単な事であった。
彼はいとも簡単にクレデューリの攻撃をかいくぐり、地面スレスレの低い位置からその懐へ潜り込む。
手にはカナリアが予期した通り、袖から取り出した棒状の刺突具が握られている。
男の狙いは、守りの薄い頭であった。
クレデューリの防具は胸当てと肘、膝当て程度しかない。多くの急所はむき出しになっていたが、彼は即座に行動不能になる箇所として頭を狙っていた。
低い位置から振り上げるように顎を狙い、脳天まで貫通させる。
クレデューリの懐に潜り込めた男がそれをするのは、容易いはずであった。
ごきゃり。
響いたのは、骨の砕ける鈍い音。
刺さったのは、男の刺突具ではない。刺さったのは、踏み込んだ右足に支えられて鋭く突き出されたクレデューリの左膝であり、当たった場所は、頭を下げて突進してきた男のほぼ顔面であった。
クレデューリが身に着けている金属の膝当てという名の凶器は、互いの速度を加算した結果、彼の顔面を破壊しただけでなく、その首をもあらぬ方向に曲げていた。
男の腕は振り上げられる事無く地面に垂れ、クレデューリが膝を引いて数歩後ろに下がると同時に、彼の全身も地に伏せる。
クレデューリの行った事は、相手の男がやろうとしていた事と全く同じ、慮外からの交差の一撃であった。
彼女は、執拗ともいえるぐらいに突きを散らし、真っ当な剣士としての姿をしっかりと男に焼き付けていた。その上で、剣の隙を呼び水にして、本命である膝を見舞ったのだ。
互いが交差を狙っていた以上、決められた方は確実に致命傷であった。
さらに数歩距離を置いたクレデューリは、ようやく倒れ伏せた男から目を離し、カナリアの方を向いた。
「剣ではなく、膝。打撃での決着だ。君はこれを騎士として恥じる戦いだと思うかい?」
カナリアはその質問に、首を横に振る。
「まぁ、君ならそう言うと思ったよ」
戦いの興奮が冷めやらぬという様子もなく、クレデューリの表情は暗い。
「王都ではね、騎士は剣のみで戦うと決められているんだ。
でも、騎士は剣のみで戦う、なんてのは綺麗事だと、私は思う」
重い表情とは裏腹に、彼女は一言一言を力強く言い放つ。
「以前、私の戦い方を騎士道に悖ると言った男が居たんだ。その彼は剣に優れ、何より膂力が凄かった。
彼ぐらい力があれば、剣のみで生き延びる事も出来ようさ。
でも、私はこの通り女だ。単純な力や体力では、本当の強者には決して敵う事はない」
『で、身に着けたのか』
相槌の手を入れたのはシャハボである。
そうだとばかりに表情を緩めたクレデューリは、肩を竦め返していた。
「ああ。奥の手と言う訳ではないけれどね。アモニー様を守る為に努力した結果だよ。
剣だけではなく、体も武器となれるようにね。
守る為には、いつ何時でも、どんな相手でも斃す必要があった。
見栄えが悪かろうと、結果が全てだと私は信じている。
だから、騎士の誇りなんてものは私には軽いのさ」
幾分暗さは取れたものの、彼女の表情からは、信念と多少の後悔が漏れる。
口では軽いと言いながら、騎士としての誇りは大切にしていたのだろう。
そんな些事を後悔するクレデューリを、甘いとカナリアは判断していた。
尤も、彼女の戦い方は実戦的であり、誇れこそすれ悔やむものではないと評価もしていたのだが。
石板を持たず、カナリアは無表情のまま静かにシャハボを撫でる。
クレデューリの眼は、空気の違うカナリア達の行動を視界に収めていた。
向き合うカナリアもクレデューリの方を向いてはいるが、視界に写るモノは違う。
カナリアの眼は、一つの蠢く姿を捉えている。
眼だけではない。カナリアは、クレデューリが話をする間も、《感知》系の魔法を気付かれないように幾度となく使い、常に周囲の状況に気を配り続けていた。
『ご高説ありがたいがな、まだ終わっていないみたいだぞ』
シャハボの言葉に反応したクレデューリの動きは迅速であった。
振り向きざまに、さらに距離をとった彼女は、ようやくカナリアと同じものを目にする。
顔を砕かれ、倒れ伏せたはずの男が立ち上がろうとする様を。
『あの打たれようでまだ生きているか。治癒の魔法……ではないな、魔道具か?』
訝しむシャハボの声に、カナリアは無言のまま再度、《生命感知》や《魔力感知》を使っていた。
【反応はまだ人。死体が動いていたわけでもない。
でも、おかしい。魔法の反応もないし、魔道具の反応もない】
カナリアの返答は、シャハボにしか伝わらない。
『思った通り、面倒な話になるかもしれんな……』
シャハボのつぶやきと共に、カナリアは手杖を抜き、立ち位置の調節にかかる。
「カーナ、手を出してくれるなよ? 奴は私の相手だ。最後まで面倒を見させてくれ」
クレデューリはカナリアの方を振り返ってはいなかった。
ただ、気配のみで動きを察知し、横やりを制す。
彼女は気後れも、気負う様子もなく、冷静さを保っていた。
この不可解な状況に於いても落ち着き払える様は、数々の修羅場をこなして来た経験によるものなのか、無知の賜物か。
いずれにしろ、本当に人相手ならば、問題はないだろうとカナリアは思う。
しかし、もしそうでないならば。
カナリアの思いを余所に、早々に体勢を整えたクレデューリは、立ち上がったばかりの男に対して突貫したのであった。