駆逐戦 【3/4】
シャハボの号令が飛んでからは、今までの粗暴な声の出しようと豪胆な振る舞いは一転して、ゴスとガスは声一つ上げず静かに行動を行っていた。
回頭する馬車の補助をしながら、ゴスとガスのどちらか、もしくは両者が御者のイーレと目を合わせる。
しかし、彼らは一言も声を発しさえしない。
馬車の回頭が完了し、ゴス達が重そうな四枚の大楯を馬車内から引きずり出した所で、シャハボは飛び上がりカナリアの元を離れる。
彼は雨に濡れた幌の先頭付近に止まってから、イーレに声をかけていた。
『イーレ。後続部隊に合流したら、連中にこう言付けしてくれ。
慎重に隊をまとめてからここに来るようにとな。
その後は街に戻ってくれて構わない。ここからなら歩いて帰っても大した距離じゃないからな』
頭の上から掛けられた言葉に対し、イーレは見上げる事はしなかった。
彼女はずぶ濡れて体に張り付いている外套を剥がす様に掴み、静かにそれに答える。
「わかった。……親父たちを頼む」
『保証はしない。善処はするさ』
勝てる自信はあれども、姿を見ていないという不確定要素がある以上、絶対に勝てるなどという言葉をシャハボは使わなかった。
あくまで善処に留めたその回答は、雨で冷たくなっているイーレの心身を温める事はない。
指示に従ったイーレが元来た方角に向かって馬車を走らせたところで、カナリアの肩に舞い戻ったシャハボは残る全員にこう言った。
『悪いが、今後の指揮は俺が執る。岩巨人がこちらを見つけている以上、先に動く事はしない。ここでお出迎えだ。
カーナは攻撃役として前だ。ゴスとガスは盾役としてクタンを守れ。クタンは魔力感知を使って情報を逐一俺に報告しろ』
間違いようの無い簡潔な指示であったが、大楯を準備しながらゴス達が尋ねる。
「おまえはどうするんだ?」
「指揮するのはいいが、何処からだ?」
『俺はここに居る。カーナとは繋がりがあるからな。
攻撃役として突出するカーナに、クタンが得た情報を届けるのが俺の仕事だよ』
彼らはそれに頷くが、次はクタンが疑問を投げる。
「一人でどう倒すんですか?」
『心配するな。
カーナは岩巨人を倒しうる十分な打撃力がある。
岩巨人には弱点があるからな、そこを叩けば一撃で終わるよ。
そして、クタン。その弱点を見つける事がお前の仕事だ』
岩巨人の弱点、それは核と呼ばれる生物の心臓に近い役割の箇所の事であった。
世間一般には、岩巨人との遭遇件数がかなり少ない事もあって、弱点がある事はあまり知らされていない。
しかし、カナリア達は違う。
人間に仇成すであろう怪物の存在を、世間に知られる前に抹消する事を目的とした集団。正式な名はなく、知る者からは単に【組織】とだけ呼ばれる集団に属する彼女達は知っているのだ。
知らなければ、石と金属で出来た巨体を動きを止めるまで完膚なきまでに叩かなければならない相手ではあるが、知っていれば急所の一刺しで終わる相手だと言う事を。
弱点の事を知ってか知らずか、クタンは惑う事一瞬。しかし、大役を押し付けられた彼は意を決めてしっかりと頷く。
クタンの決意の表情を見たカナリアは、自然と彼に微笑み返していた。
それは、死地に赴く前に咲いた一凛の花。
初めて見せた麗らかなカナリアの微笑。
チームの面子の意気込みを好ましく思ったカナリアの感情が漏れたそれは、場違いなぐらいに華やかで、クタンだけでなく見とれた全員の動きが止まる。
『リ……、カーナに見とれるな』
止まった時間を動かしたのは、言い淀みこそしたが、今までにない強さで放ったシャハボの諫言であった。
『爺さんたちもだ。花に目をくれている暇はねぇぞ。お前たちはクタンを守るのが仕事だ。
気を抜いた挙句に、まぐれ当たりでクタンが死なれちゃ全部ご破算だからな』
不機嫌さを全面に出したシャハボの物言いではあったが、気を取り戻したゴス達はすぐに頷く。
双子故の意思疎通の早さなのか、彼らはお互いに顔を見合わせ、視線だけでやり取りを行った後でシャハボにこう言った。
「クタンの守りは俺一人で十分だ」
「俺が小娘の防御に着こう。肉盾はいくらあっても損はしないだろう?」
二人の提案は、戦力分散の点から見てももっともな話であった。
チームとして、息の合った素晴らしい共闘提案とも言える。
しかし、シャハボはそれをバッサリと断る。
『心意気は有難いが、遠慮する。
お前たちがカーナの近くにいる方が足手まといだ。
一人でなら、あの程度ならカーナは後れを取る事は無いさ』
当のカナリアは何も話さない。自信過剰ともとれる発言をしたのはシャハボである。
反論しようと口を開きかけたゴスとガスが見たのは、タキーノで貰った手杖の『小鳥の宿木』を腰のベルトから引き抜いたカナリアの姿であった。
その顔からは笑みは既に消えており、本来の無表情面に戻っていた。
手杖の上下を左手で持ち替えながら転がす様は、なんて事は無いただの準備の動作に過ぎない。
だというのに、カナリアの姿を見た彼らは、再度言葉を詰めてしまっていた。
表情が消えたとはいえ、カナリアの美しさ自体は変わりない。
その筈なのに、今彼らが感じているのは畏怖にも似た感情であった。
ゴスもガスも年老いて家族を作り、ゴスに至っては孫が出来るぐらいに長生きしている冒険者である。
先だって彼らが言った通り、ノキの地は怪物の襲来も多く、その年まで生きていること自体が経験豊富な冒険者であるという証拠でもあるのだ。
そんな老練の彼らが、小娘であるはずのカナリアの姿を見て、頼もしさよりも先に心胆が凍えるのはどうしてか。
ゴスとガスは雨に濡れながら、疑心という先ほどとは全く違う理由にて体を固めていた。
カナリアが本当に強いと信じ、疑念を振り払う前に、彼らは小さな地揺れを感じた事で現実に引き戻される。
『さて、やっこさんのお出ましだ。精々歓迎してやろうじゃないか』
シャハボの口調は、遠くから響く地揺れよりもはるかに軽い。
そして、厚い雨雲と未だに止まない雨で覆われた街道の先には、巨大な岩巨人が地を揺らして歩み寄る姿が見え始めていた。