旅立ち 【6/6】
「そして、今は誰も食べていないこの麦粥と豆のスープを、タキーノを去る最後にここの店で食べようとした事こそが、彼女がタキーノの古き民になった証拠なのです」
この言葉はウサノーヴァの言葉では無いと、カナリアは感じていた。
彼女は自身が思うままに言っている。
しかし、これは誰かの脚本通りに言わされたようなものだろうと。
誰かが、何気ない会話の一部として、ジョンとこの場所の話をしたのだ。
一方で、その誰かは、ウサノーヴァには直接的にここに来るように仕向ける。
結果として、ジョンはカナリアに対して不味い飯によるある種の意趣返しを行い、ウサノーヴァは単にカナリアに会いたい一心でここに来た。
其々は、別の意図をもって行動を起こしていたはずだ。
けれども、カナリアはわかっている。それらは、組み合わさった場合に別の目的が達成されるように仕組まれていた事を。
仕組んだのが誰かは考えるまでも無い。
そして、達成される目的は、誰かのせいで地に落とされたカナリア自身の名誉回復。
またこれかと頭を痛める前に、カナリアはすぐに自分のするべき事を決める。
ここまでお膳立てされているのであれば、乗った方が得であると即断出来たからであった。
カナリアは、ウサノーヴァだけでなく、ロブと呼ばれた老店主にも文字が見えるように石板を向けた。
【ウサノーヴァ、そう言えば火酒も持って来てくれた?
イザックと吞んだ時の様に、パンジョンと一緒に飲みたいの】
この地における人々の結びつきは非常に強い。
故に仕掛け人のアンは、いや、この場合はイザックはと言うべきだろう。彼はカナリアをその中に取り込もうと画策したのだ。
カナリアが被ったすべての悪評をイザック本人に押し付ける事によって身を雪がせ、その地に取り込む事で名を取り戻す為に。
火酒とパンジョンの組み合わせは、実際カナリアが好きなのもあるが、恐らくはイザックやこの老店主の様な世代が好むものだろう。
そう思って発した言葉は、当たりであった。
「お前……」
あれだけ不機嫌そうな顔をしていた老店主のロブは、呆けたように口を開けカナリアを見る。
ウサノーヴァにもカナリアの魂胆は伝わったようだったが、生憎と用意はしてこなかったらしく、すぐに彼女は頭を下げた。
「ああ、すみません、カナリアさん。
そこまでは気が付きませんでした。この通り、急いで来たものでして。
すぐに商会に戻ってとっておきを持ってきますので、少々お待ちいただけますか?」
ウサノーヴァがそう言いって身を翻した所で、彼女を止めたのはロブであった。
「待て、うちにもとっておきはある。くれてやるから持って行け」
今までとは変わって、彼の顔は神妙な面付きになっていた。
カナリアとウサノーヴァを一瞥した後で、店の奥に入ったロブは、二本の酒瓶と二つの袋を持ってくる。
「一本は俺のお気に入りの酒蔵の物だ。少し飲んであるが気にするな。普段飲みに使え。
もう一本は、とっておきだ。イザックの墓にでも供えるつもりだったが、持って行け。
こっちは値の付かない代物だ。大事に飲めよ」
カナリアは頷き、両方とも受け取った。
その後で彼は袋の方もカナリアの前に差し出す。
「どうせそのリュックはもっと入るんだろう? こっちは俺からの餞別だ。どうせ今は食う者も居ないんだ。全部持って行け」
封を開けずとも音だけでわかるそれらは、例の麦と豆に違いない。
カナリアは嫌な顔一つせずに受け取って、一旦石板を持ち直して【ありがとう】と彼に見せた。
老店主からの返答はフンという鼻息のみ。
「ロブさん、ありがとうございます。
ですが、それらの代金は後ほどオジモヴ商会よりお支払い致します」
丁寧に礼をするウサノーヴァに対して、ロブはこう言った。
「気にするな。俺からの餞別だと言ったろう。
詳しい事までは知らん。だが、俺はわかったぞ。
その小娘はタキーノの古き民にて、久しく見なかったイザックの犠牲者だって事はな。
ジェイド達の件もイザックが仕組んだ話だろうさ。
死んでまで尻拭いをこっちに押し付けやがって」
「それはどういう……?」
ウサノーヴァはその言葉を疑問に思う様子を見せていたが、カナリアには十分に理解が及んでいる。
後は任せたとばかりに会話から降りたカナリアは、貰ったものを《収納》付きのリュックにしまい込んでいく。
「お前は知らんだろうがな、若い頃からイザックはいつもそうだった。
すました顔をしながら非情な判断ばかりして、結果を出すのに不要なモノは全て切り捨てるんだ。
そして、大きな結果を出した後は、必ずここに来ては酔いつぶれるまで呑んでいた。
切り捨てた者達への懺悔を全部酒で流しながらな。
俺がいつもその相手だったのよ」
老店主の言ったイザックに対するそれは、数日前にキーロプが言った言葉と同じものであった。
父親の裏の顔がどういうモノだったのかを、別の人間から聞かされたウサノーヴァは何も返すことが出来ない。
「何が汚い店だ。汚くしているのはお前だろう、イザックの馬鹿が!
綺麗にするのはいつも俺の仕事にしやがって!」
荷物をしまい終えたカナリアは、静かにそれに頷く。
ロブは本気でそう思って言っているのだろう。しかし、彼も予想以上にしたたかな人間だとカナリアは察知する。
イザックを罵ったロブは、手を振り上げてテーブルを叩くそぶりを見せたが、ゆっくりとそれを下ろし、テーブルを撫でるに済ませて静かに言葉を紡ぐ。
「お前が居なくなって、ようやく俺も店を畳めると思ったんだがな……」
最初は気付かなかったが、恐らく彼は、いや彼もイザックやジョン達と同じ連中なのだ。
そして、彼の仕事はタキーノの情報を裏から操作する事に違いない。
平然とした顔で話を聞いているカナリアにロブは向き直った後で、彼は真剣な表情でこう言った。
「俺はもう年だ。昔の様にここでの力は強くない。だが、悪い様にはしない。
お前がイザックの被害者だと言うのならば、次に来た時にはタキーノの民として受け入れられる状態にしてやろう」
【ありがとう】
石板を掲げたカナリアは、いつもの無表情では無く、少しだけ優しい笑みを浮かべる。
呆気に取られた後、同じく少しだけほころぶロブの顔は、ようやく見えた年相応な老人の笑い顔であった。
「私からも、宜しくお願いします」
ウサノーヴァは彼に感謝を告げる。
カナリアからは少し遅れてはいるが、彼女も理解していた。父親の裏の顔だけでなく、今まで知らなかったロブの飯場がどういう場所なのかも。
ウサノーヴァの顔には、父親譲りのすました笑顔が張り付いていた。
ただ、笑顔はそれだけに納まらず、続けざまに彼女はロブに口を開く。
「それと、ロブさん?
これからは私がここの常連になりますから、まだ休ませはしませんよ?」
ロブの視線はウサノーヴァの顔に移り、しげしげと眺める。
「その顔……父に似たな。
年寄りを労われ、と言っても無駄か」
彼はそう言って首を横に振った。
その後でロブは小さい器を三つ持って来て、其々に火酒を入れて振舞った。
誰も何も言わずに、出されたものを飲み干す。
そこに有るのは、地方都市であるタキーノに住む民の結束であった。
* * * * * * * * * *
「カナリアさん、この度の件、ありがとうございました。
本来は私からも何か特別な物を見繕いたかったのですが、このような物しか用意できずに申し訳ありません」
荷繕いを終えたカナリアが店を出る前に、ウサノーヴァがそう声を掛けた。
【大丈夫。ありがとう。あなたはこれからキーロプの所に戻るんでしょう?】
シャハボでは無く、カナリアが首から掛けた石板を持ちあげて返答をする。
「ええ。本当は最後まで見送りしたい所ですが、仕事がありますので」
『そう言えば、どうせキーロプからも何か言伝があるんだろう?』
シャハボの言葉にウサノーヴァは頷く。
「ええ、キーロプ様からも伝言を言い使っております。
『いずれ然るべき所にて、再びお会い出来る事を楽しみに待っています』との事です。
危険事が予想されるのであまりお勧めしませんが、王都にでも行く機会があればお会いして下さい。キーロプ様はいたくカナリアさんを気に入られていたので」
どちらの意味でも取れる言葉に、シャハボはケッと文句を言い、カナリアは頷いて返す。
【わかった。気が向いたらそうする。ウサノーヴァもこれから頑張ってね】
「ええ。ありがとうございます。
何かあったら、我がオジモヴ商会を頼りにして下さい。
この恩は、いつかしっかりとお返しいたしますので」
握手なども無い、簡素な別れの挨拶。
二人は会釈だけをかわし、カナリアはそこから背を向けた。
こうして、カナリアとシャハボは地方都市タキーノを後にした。
彼女達が向かうは、ここよりさらに辺境の寒村。アンからもらった情報を頼りにして、シャハボを直すための旅を続ける事になる。
一章 【それは、手掛かりを探す物語】 完
二章 【それは、秘されたモノを探す物語】 へと続く
【カナリアからの小さなご連絡】
【これにて一章は完結となります。ここまで読んで頂きありがとうございます】
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【これからも、私の旅の応援を、どうかよろしくお願い致します】