旅立ち 【3/6】
『よく考えれば、いや、よく考えなくてもアンが味方に付くのは悪い話では無いのだがな』
シャハボの言葉にカナリアは頷く。
カナリアはシャハボとタキーノ市の裏道を歩いていた。
出立の用意を済ませた後すぐに、二人はアンに促されるままにその私邸を追い出されていたのだった。
【私の旅に同行して来ないのはまだ良かったけれど、またアンは何か裏でするんだろうね】
『ああ、まずはここに残ってアンとしての地盤固めをするだなんて、尤もらしい言葉だが、あいつが言うと魂胆が知れないな』
【本当にそう】
二人はそんな会話をする。
声を出すモノはシャハボしかいない状態であるにもかかわらず、それを気にする人間は周りに居なかった。
キーロプはそれだけ市民に好かれていたのだろう、皆が見送りの為に表通りに出ていて、狭い裏路地には人がほとんど居なかったのだ。
会話するには都合が良い。けれど、何か釈然としないものがカナリアの中には残っていた。
【あの人には最初から最後まで手の内で回されていたね】
カナリアは手触りでシャハボに言葉を伝える。
『ああ、そうだな。
これでもらった情報が間違っているなんてことは……ないか』
【無いね。あのアンがそんなつまらない間違いを犯す筈がない。
唯一良いのはそれだけ。
優秀で有能で味方に居る分には心強いのだけれど、絶対いつか問題を運んでくる気がする】
シャハボは歩き続けるカナリアの肩の左右を行き来していた。
まるでそれは考える時に歩き回る人の仕草そのものであるかのように。
しばらくして止まったシャハボはこう呟く。
『問題……か。それまで生きていればだが。
まぁ、死んでも簡単には死なないような奴か』
* * * * * * * * * *
冒険者協会にたどり着いたカナリアは、裏口でアンに教えられた通りに合図のノックをする。
彼女達は、直後に顔を出した意外な人物の手によって応接室の方に通されていた。
「ああ、来たか」
応接室で待ち構えていたのは、ギルドマスターに復帰したジョンである。彼は以前とは違い、目に見えて体調が悪そうな顔をしていた。
そして、その後ろに立ったのは、カナリア達を案内した人物。
ジェイドキーパーズの生き残り、カナリアとの因縁の始まりにて、イザックの深謀による犠牲者の一人。
以前の黒かった髪は完全に白髪になり、少し幼げで優しそうだった面持ちは消え去っていた。全身からは陰鬱を存分に出し、淀んでいるとさえ言えるような目つきに変貌していたその人物は、カナリアと同じ魔法使いであったササであった。
彼女はカナリアを再度見るなり、一瞬だけ体を震わせたが、それ以降は微動だにせずに椅子に座るジョンの後ろに立っていた。
「ああ、大丈夫だ」
その言葉は誰に告げたものなのか、ジョンは仕草で合図をし、カナリアは彼とテーブルを挟んで向かい合った椅子に座わる。
座るや否や、飾った挨拶も無く単刀直入にジョンはこう言った。
「まずは、よくやったなと言わせてくれ」
そのまま彼は、テーブルの上にあらかじめ用意してあった書類と一包みの金をカナリアに差し出す。
金の包みはあまり大きくはない。
それと、書類は二通。こちらの方はイザックの依頼と、《虚空必殺のサーニャ》の捕獲に関するものであった。
「このような大きな任務達成はこのタキーノでは初めての事でな。非常に名誉な事だよ。
流石クラス1の冒険者様だ」
抑揚無く話すジョンの言葉は、そこに何の栄誉ももたらしていない事を暗に告げていた。
何か言いたい事があるのだろうとカナリアはすぐに感づく。
「で、だ」
そんな彼女の予測通り、言葉を止めたジョンはカナリアを睨みつける。
「どうだった、奴の死に様は? 安らかに逝けたのか?」
これがジョンが言いたかった本題なのか。
一瞬だけカナリアはどう返答すればいいか考えを巡らせる。この場にササも居る以上、迂闊な事は言わない方が良いだろう。
しかし、カナリアはある言葉をすぐに思い出していた。
イザックは、いや、アンは何と言っていたか、確か「ジョンには前もって話を通してある」だったはず。
どの程度かは知らないが、元々の関係を考えればそれなりには知っている筈だと予測を立てる。
しかし、引っ掛けた可能性も否定は出来ない。
逡巡は一瞬。
答えを決めたカナリアは、石板にて言葉を返すのではく、静かに深く頷くことで返答を返す。
頷いた後も、お互いの視線はずっと合わさっていた。
ギルドマスターに復帰してから仕事が忙しかったのか、ジョンの顔は青白くなっている。しかし、その目つきは以前よりも鋭い。
やましい事も無く、そもそもその程度の眼光でたじろぐ事の無いカナリアは、表情一つ変えずにジョンを見据える。
時間の経過は長くは無かっただろう。お互い見つめ合ったまま、先に口を開いたのはジョンの方であった。
「そうか。旧友が世話を掛けたな」
カナリアはそれにも再度頷いて返す。
「あいつはいつもそうだった。自らは戦えない事を恥じたのか、裏で援助すると決めてからは目的の為だと言って何でもやりやがって。
独断で決めてはヤバい事を繰り返して、俺達が心配しても大丈夫の一点張りで、俺達の心労と引き換えにでっかい結果ばっかり持ってくる奴だった。
ここ数年、ペングと疎遠になって居たってのは知っていたが、こんな形で清算して身の引き所を作るとはな」
ジョンはカナリアの方を向いている、けれども、その言葉は直接カナリアに向けられたものでは無かった。
何か言えとばかりに促された空気を読んで、シャハボは彼に尋ねる。
『で、お前はどこまで知っているんだ?』
「さぁな。少なくともお前たちはイザックの共犯者……いや、被害者である事は知っているさ。
この結果はあいつにとっては良かったのかもしれんが、こっちにとっては……
ああ、すまんな。俺のこれはあいつへの愚痴だ。言う相手が居なくなっちまったから、単なる八つ当たりぐらいに思ってくれて結構だ」
『それはご愁傷様なこって』
八つ当たりと直截に言われた言葉を、シャハボは軽くどぶに流していた。
シャハボやカナリアには、イザックとジョンの間の関係は深いものだと容易に理解が出来ていた。しかし、そんな事はカナリア達にはどうでもいい話なのだ。
ジョンならばそれを理解している筈。
そう思ったシャハボは、カナリアのかわりに必要な事を尋ねる。
『で、ササがそこにいる意味は? これを言う為にか?』
名指しされたササは何も反応をしなかった。
口を封じられているのか、ジョンがかわりにそれに答える。
「いや、ササはもう知っているよ。俺が知っている事のほとんどを教えたさ。知りたいと言ったのでな。
表向きは母親の病気を治す為に使った金の支払いの為に働かせているって所だが、ここ居る本当の理由は、まぁ、実習だな」
『実習?』
「ああ、習うより慣れろって事だ。
ササ、好きに喋っていいぞ」
合図を受けたササは、一旦礼をした後で静かに話を始めた。
「こんにちはカナリアさん。お会いするのはシャマシュの神殿以来ですね」
カナリアは石板をササに見やすい様に上に掲げる。
【そうね、元気だった?】
「はい、お陰様で」
明らかにササの様子は以前と違う。表情は暗いが、疲れと言うよりは、全く別人のような雰囲気が漂っていた。
「今は見習いの身分ですが、今後はこのタキーノのギルドマスターになる為に修行をしている最中です」
ササの言葉に反応したのか、シャハボは少し身じろぎをする。
【大丈夫なの?】
「お気遣いありがとうございます。ええ、今のところはなんとか。
ジョンさんには色々とご迷惑を掛けてしまっていますが」
ササは、カナリアの言葉に対して何という事も無く返事を返していた。
命乞いをしていた時の、神殿でおびえていた時の彼女とは全く違う振る舞いに、珍しくカナリアは表情を動かす。
「ああ、私の事を気遣ってくれるだなんて、やっぱりカナリアさんは優しい方なのですね」
そう言ったササは、悲しそうな笑顔を作っていた。
「世間話はいい。そいつに言いたい事があるんだろう? 本題をさっさと言え」
窘めるようにジョンがそう言い、ササは立ったまま手を握りしめた後、意を決めた顔をして口を開いた。