旅立ち 【2/6】
【そこまではわかった。それで契約は、キーロプはどうなったの?】
シャハボが寝かせてくれていたと言う事は、全ては問題なく終わったのだろう。
そう思いながら、カナリアはイザックにそれを尋ねていた。
「死闘の次の日に、ディノザ第二王子様の御一行がフンボルト家に到着致しました。
ええ、その時点で任務は完了になります。
暗殺組織を率いるイザックと言う悪人は、正義の魔法使いによって倒されましたからね。当面の心配はもうないはずです」
【私が殺した人たちの事は?】
「そちらの情報操作も問題ありません。
タキーノ自警団のマットが、キーロプ様を狙う大規模な敵襲を全て片付けてくれました。
オジモヴ商会の元商会長イザックと共に、自警団の全員が戦死してしまったのは悲劇ではありますが、今は喪に服す前に彼らが命を賭して守ったキーロプ様を笑顔で送り出そうと言う事で町は一丸になっています。
冒険者協会のジョンと、オジモヴ商会の現商会長のウサノーヴァが良く旗を振ってくれていますよ」
全てが脚本通りに進んだ事実をカナリアに告げたイザックは、ここまで話をした後にカナリアから再度視線を外していた。
「そうそう、丁度今日がキーロプ様の出立日です。
タキーノ市の皆が集まって出立を祝っているので、我々は行かない方が良いでしょう。
ウサノーヴァが最後まで世話をしているはずなので、任せておいて大丈夫だとは思います。
ですが……」
キーロプと同じ顔をしたその女性は、言葉を止めて少しだけ上を向いて虚空を見つめる。
「あれもああ見えて情に脆いのです。
もしかしたら何処かで泣いているかもしれませんね」
非情でありながら情に脆いのは貴方も同じなのにね。
そんな事をカナリアは思うが、石板には出さない。
上を向く彼女の目には潤いが増えて滴り落ちそうになっていたが、カナリアはそちらも見ない事にした。
涙を押し止めたイザックが視線を戻した所で、カナリアは何も気にしなかったかのように次の質問を投げかける。
【無事終わったなら良かった。それで、約束の報酬は?】
その質問を受けたイザックは一旦姿勢を直し、気持ちを切り替えた上で用意していた一封の手紙をカナリアに差し出した。
「詳細はこちらに。
完全にとは言えませんが、かなり有力な人物が見つかりました。
名前をシェーヴ・インニュアオンスと言う、世に名は知られてはいませんが非常に優秀な魔道具を作る人物です」
そう言ったイザックはテーブルの上に置いてある、隠蔽等、多種多様な魔法が使えるランタンを指さす。
「以前カナリアさんの前でも使いましたが、これは彼の作品です。
カナリアさんには申し訳ないのですが、実の所、有能な魔道具作成者と言うのはある程度の見当はついていたのです。
ただし、問題は彼がどこに住んでいるのか、そして本物なのかと言う事でした。
名前などは簡単に偽れるが故に、あっても役には立ちませんからな」
『で、どこまでわかったんだ?』
単刀直入なシャハボの突っ込みにイザックは答える。
「住んでいる場所はここから馬車で二カ月ほど先の都市から、さらに山奥に入った寒村です。
夏場は往来があるそうですが、冬になると道は閉ざされるほどの奥地だそうです。
隠遁生活をしているのは魔法使いや魔道具作成者に特有と言えるでしょうね。
ああ、本物かどうかという判断ですが、私の手の者が戻って来ていません」
『それはどちらのだ?』
「オジモヴ商会ではなく、ゴーリキー商会の暗部の者です。私のよく知る手練れに仕事を任せたのですが、連絡が無いどころか戻ってさえ来ないという時点でそれが正しいと判断致しました。
一流の暗殺……いえ、仕事人が戻って来ない。それだけの人物であると言う事でしょう。
カナリアさんの探し人ならば、十分に可能性があるかと思います。
本当は、最後の情報として彼が戻って来るのを待っていたのです。
人相書きや、可能ならば有用な繋がりなどを持って来てほしかったのですが、終ぞ戻らずじまいでした」
首を横に振るイザックに、シャハボは口悪く返していく。
『戻って来ないから本物とは、何とも杜撰な話だな』
「これは手厳しい。ですが、しっかりとした情報もあるのです」
イザックは微笑みながら、シャハボの返答をさらりと受け流していた。
「彼が居る村は小さな村なのですが、そこはゴーレムに守られており、農作業や魔物退治などの危険な作業等もゴーレムがやっているとの噂があるのです。
噂はそれだけに非ずです。冬の間は雪で閉ざされる地だと言うにもかかわらず、冬季に迷い込んだ冒険者がそこで別世界の様な暖かさを感じたなどという眉唾物の話もあるぐらいでして。
土地柄からして怪しい場所ではあるのですが、色々調べた所、全ての噂はシェーヴと言う魔道具作成者が居着いた頃から始まっている事がわかりました」
噂話の出た時期まで特定し得ているのはイザックの情報網の深さによるものなのか、正しさを疑うわけでは無いが、敢えてカナリアはイザックにこう尋ねる。
【信じていい?】
頷きと一緒にイザックはこう答えた。
「ええ。多少危険な相手なのかもしれませんが、少なくとも有能な魔道具作成者には間違いないでしよう。
もし万が一、カナリアさんの探している人で無いとしても、何か十分な情報は得られるはずです。魔道具制作者であれば、シャハボさんの様な素敵な存在の事を知らないはずは無いでしょうからね」
【わかった。ありがとう】
シャハボの事を褒められたカナリアは、露骨なまでに嬉しそうな表情を見せていた。
それに対して釣られるように笑顔を見せたイザックは、さらにカナリアの機嫌を良くしようとばかりに部屋の隅にある一つのリュックを取って来る。
「最初に言いましたが、地図など、細かな情報は手紙の方で確認をお願いします。
あとは、これからの助けになるかと思いまして、些少ではありますが旅支度の方を整えておきました。
リュックには《収納》を付与してあります。以前よりも沢山の荷物を収納できるでしょう。中には基本的な旅道具だけですが揃えてあります。
食料や他の物に関しては色々とご趣味があるでしょうから私の方では用意しなかったのですが、何か用入りがあれば仰ってください。
可能な限りすぐに用意します」
カナリアは渡されたリュックを素直に受け取っていた。
イザックの手回しの良さは相変わらずだねと思いながら、その中身を丹念に調べる。
イザックはそんなカナリアを見ながら、さらに話を続けていく。
「旅の路銀に関してですが、そちらは正規の依頼の報酬として冒険者協会の方へ出向いて受け取って下さい。
額が額なので、表立った金として受け取って貰った方が良いかと思いまして。
前もってジョンには話を通してあるので、彼とは話が出来るはずです。
カナリアさんがタキーノの市中を出歩くのはあまりお勧めしないのですが、今日は皆が表通りに集まっているはずです。
早いうちに出て、裏通りを通って建物の裏から入って行けば人目に触れずに行けるかと」
カナリアは頷きはしたが、その目と手はリュックの中身の確認に余念が無い。
かわりにシャハボがカナリアの頭の上に飛び乗って彼女の気持ちを代弁する。
『出る時まで計算づくかよ』
「ええ。いえ、これは計算づくと言うよりは単にそうなっただけに過ぎません。
カナリアさんが起きる時間までは読めませんでしたから。
ですが、そうですね。今日は出立するにはいい日でしょう」
すました顔でそう答えるイザックにシャハボは答えを返せなかった。
二人が口を開かぬまま、少し時間を置いてから、確認を終えたカナリアは石板をイザックに見せる。
【ありがとう。必要な物は大体入っているから大丈夫。
じゃあ、言われた通りに冒険者協会に顔を出して、それからはすぐにここを出て貰った情報の場所に向かうね】
石板を見たイザックは深く頷いていた。
その後で、彼女はじっとカナリアを見据える。
カナリアはそれにすぐに気付き、お互いの視線が合わさった所でイザックは新たな一言を切り出した。
「ところで、カナリアさん」
【何?】
「私はこれからどうしたら宜しいでしょうか?」
【好きにして。今のあなたはイザックではない別の人。
だから新しい人生を楽しんで】
カナリアの石板を見たイザックは、ふむ。とこの時ばかりは少し元の仕草を出していた。
しかし、悩む間もなく彼女はすぐに口を開く。
「わかりました。ですが、一つお願いがあるのです」
また何か面倒な事を言うのではと感じたカナリアは、露骨に嫌な顔を返す。
そんなカナリアに向けて、イザックは真剣な面持ちのままこう言った。
「私に名前を頂けますか?
この姿でイザックと名乗るわけにもいかないので、何か新しい名前を頂きたいのです」
今までの難題ではない、カナリアが思っていた事とは違う、やや肩透かしなお願い。
しかし、それは尤もな事であり、大切な事でもあった。
イザックを変容させたのが自分の魔法による事なのだからと責任を感じたカナリアは、しばし悩んだ後、石板に彼女の名前を書く。
【アン、でどう?】
「アン、ですか。ええ、短いですが良い名前ですね」
イザックは、彼女は、いや、アンは、しばしその名を口の中で転がし、自分に馴染ませていく。
カナリアはその様子を見守っていた。
これによってイザックと言う人間はこの世から完全に消え失せたのだ。今ここに居るのは、アンという美しい女性であった。
「アン、そう、私はアン」
そう言ったアンは、カナリアの前に来た後、片膝を付いて首を垂れた。
「それでは、私ことアンは、これよりカナリアさんに忠誠を尽くし、あなたの影となってお支えする事を誓いましょう」
それは、様式に沿った見事なまでの忠誠の姿勢。
アンが頭を上げる前に、カナリアは急いで石板を突き付ける。
【どうしてそうなるの!?】
「好きにして良いと仰ったでは無いですか。ですので、私の意思で好きにそうさせて貰います」
綺麗だが、まるで誰かの様な笑顔からはそんな言葉が飛び出していた。
対してカナリアは、自分の失策をこれでもかと表情に表す。
カナリアとて、その中身がイザックだと言う事を失念していたわけでは無い。
しかし、アンはあまりにも別人のように振舞っていたが故に、そう来るとは読めなかったのだ。
元がイザックであれば最大限に気をつけるべきであったのに。
『《隷属》の魔法のせいか?』
シャハボが確認を入れるが、小首を傾げたアンはそれに異を唱えた。
「《隷属》? いえ、これは純粋に私の意思です」
立ち上がった彼女は、芝居がかったように両手を胸の前で組み、目を瞑って祈る姿勢を見せる。
「アンは生まれ変わったばかり故に、生きる目的を必要としているのです。
キーロプはその父の手を離れました。もう助けは必要ないでしょう。
ですので、私は目的を探しました。あなたがお休みになられている間にずっとずっと。
ようやく見つけたそれが、カナリアさん、あなたの支援をすると言う事です」
目を開けた彼女の瞳の中には、イザックのそれが宿っていた。
今までの微笑んだ顔は急に引き締まり、アンのそれはどこかで見た悪い顔に変貌する。
「生まれ変わったとはいえ、私のコネはまだ健在ですからね。
精一杯お手伝いさせて頂きますとも」
『どういうことだ?』
「ゴーリキー商会の暗部です。それはまだ生きています。
あそこの組織は不思議なものでしてね。必要とされるものは人ではなく符号なのです。
知る者にしか使えない符号を多く知り、それを十全に扱えるものが長になれると言う話です。
前組織長のイザックは消えましたが、ここにいる私こと、アンと言う女は全ての符号を覚えているのです。
それは即ち、イザックに成り代わって私が暗部の長になったと言う事です」
シャハボの質問にそう言い切ったアンの顔は、再度にっこりとした笑顔に変わっていた。まるでキーロプの笑顔そのままであるかのように。
「一度は死んだ身です。小間使いに限らず、私の事は好きに使って結構です。
これからも宜しくお願いしますね、カナリアさん」
カナリアはそれを拒否する事はしなかった。いや、アン相手に出来る気がしなかった。
『良いんだか悪いんだか……だな』
と呟くシャハボの言葉に、茫然と立ち尽くすまま、カナリアは首を横に振ったのだった。