赫灼 【4/6】
【一人で迎撃は難しい。だから、この手杖を犠牲にして相殺を狙ってみる】
難しいと言っておきながら、石板に浮かぶその内容は対処できると言っているに等しかった。
読んだキーロプは険しい顔を崩さないまま、カナリアに言葉を返す。
「出来るのですか? いえ、カナリアさんに対してそれは愚問ですね。
そんな事よりも、先に聞くのはこちらの質問です。
そのカナリアさんの杖は、犠牲にしても良いものなのですか?
もし名のある逸品だとしたら、それを私の為に使うのはカナリアさんにとって良い選択とは思えませんが」
【依頼を完遂する事の方が大切。
それに、大した物では無いからそこまで気にしなくていい。別段これが無くても、魔法が使えなくなるわけでは無いから】
これは本当の事であった。手杖自体は愛用してはいるものの、特に優れた逸品では無かった。単なる魔力増幅の用途しかなく、一級品ではあるが代えの存在する名の無い代物。
カナリアにとっての主力の武器である、様々な魔道具の能力が付いたナイフと比べてしまえば、失っても大して痛手になる物では無い。
けれども、カナリアはそれを大層な代物として使い捨てる事を選ぶ。
「本当にいいのですか?」
【気にしないで。
《赤灼豪炎球・極大化》が飛んできた際に、この手杖を打ち込んで中の魔道具の機能を最大限に使うだけだから。
手杖は壊れるけれど、《大氷塊》を《大氷塊・極大化》に引き上げることが出来るはず。
うまくいけば、それで相殺は可能】
再度のキーロプの確認に、カナリアはそう答えていた。
実の所、手杖にこのような能力は無い。《赤灼豪炎球・極大化》を対処する力があるのは、カナリア本人の方であった。
わざと手杖を犠牲にする本当の目的は、カナリア自らの弱体化を宣伝する為である。
キーロプの護衛に付いてから一月少々の間、カナリアは完璧にその任を全うしていた。
いや、完璧過ぎた事が今回の攻撃の一因であると、カナリアとシャハボは判断していた。
暗殺者や冒険者等の個では、絶対に太刀打ちできない。そう相手が理解した。
故に、カナリアと言う個を攻めるではなく、タキーノ市そのものを軍と捉えて、それを攻める手段を採ったのだと。
通常の物差しで考えれば、最強の個であれ軍には敵わない。そう考えるのが道理である。
カナリアは軍にも勝る最強の個である。
その事実を改めて敵に伝える事は、愚の上塗りになる。
よって、カナリアはその最強の源を手杖に託したのだ。
軍攻用の大規模魔法を相殺できる、強大な力を持った魔道具をカナリアは持っていた。
だから、今まではカナリアは最強の個でありえたのだ。と、敵に誤認させる為に。
大規模魔法を相殺するという事は、敵にとっても衝撃的な事実になるだろう。けれども、それでカナリアが最強の源であった手杖を失ったとなれば、どうだろうか?
弱体化したのであれば、準備が大変な軍攻よりも、以前の暗殺者などを使った個を攻める手段に主軸を置くだろう。少なくとも、手杖が無くてもカナリア自身が強いと露見するまでは。
護衛の残り期間を考えても、大規模な襲撃は残り一回あるかどうかだとカナリア達は判断していた。
それまでの時間を穏便に過ごす為に、この一手を以て、自らの弱体化を喧伝しようとしたのだった。
それはキーロプにさえ同じである。味方から信じて貰わない事には現実味が出ないからだ。
【完全に防がないと、こちらが負けるのでしょう? それならば、やるしかない】
キーロプの視線が石板とカナリアの顔を行き来する。
すぐにでも動かないといけないこの状況下では、一瞬の時でさえも貴重であった。
目を閉じて深く深呼吸をしたキーロプは、意を決しカナリアに話しかけた。
「では、それでお願いします。やるならば、完璧を期してください。
それと、手杖に関しては後で私の方から可能な限り補償致します」
【わかった。でも、別にこれの事は気にしないで】
話が纏まった時点で、カナリアはすぐに館の外に飛び出していった。
敵の魔法陣のある方角は既に掴めている。だが、その位置とキーロプの館を繋ぐ直線上には、他にも複数の民家が存在していた。
敵の大火球は、そんな障害物などお構いなしに飛んで来るだろう。
けれども、こちらの方は同じ事は出来ない。
故に対応は曲射しかない。
手杖を曲射で打ち込んで、火球と接触する寸前で氷塊を作り相殺する。
打ち込みと相殺のタイミング、力加減、それらを行いながら、念のために周囲の警戒もする必要がある。
『久々に仕事らしい仕事だな。雑魚ばかりで鈍った体にはちょうどいいぐらいだろう?』
【そうね】
普通の人間が一人で出来るような事では無いそれを、シャハボとカナリアは軽い口調で流していた。
『周囲の警戒は俺が持つ。そのかわり、 《赤灼豪炎球・極大化》は完璧に抑えてみせろ』
【わかった】
シャハボがカナリアの肩から飛び立った後で、カナリアか手杖を握りしめる。
【今までありがとう】
その杖は、特に優れた物では無い。けれど、何時の頃に持ったか忘れるぐらいには長く使っていた。
愛着が無かったと言えば嘘になるだろう。とは言え、シャハボの為ならば仕方ない。
だから一言だけ、感謝を告げる。
その後で、シャハボの声に合わせて、カナリアはそれを全力で打ち上げた。
『《風射出》』
魔法で射出された手杖は、火球の方角へと飛翔する。
遠方では、既に《赤灼豪炎球・極大化》が放たれた後であった。
カナリアは、《魔力感知》を使って火球の位置を正確に捉えていく。
夜だというのに、前方には燃える様な赤赤とした光が見えていた。
距離があるせいで、この近くの住民は異変に気付いていない。
けれども、郊外にある民家の住民達からは、高速で飛来する灼熱の火球の姿は見えている事だろう。
逃げ惑う姿は想像に難くない。本来ならば、城塞都市の石造りの城壁を貫いて、中で炸裂させるような魔法なのだ。そんなものがハッキリと目に見える速度で近づいてくるのであれば、進路にあると気付いた住民は相当に恐れるだろう。
直接には見えなくとも、カナリアは《魔力感知》の情報から魔力量や威力を判断し、相殺に必要なこちらの魔法の強さを決める。
『思ったよりも威力が高いな。何人かの魔法使いは使い潰されてるんじゃないか?』
カナリアはシャハボのそれに同意する。
外法だが、魔法陣を使う際に稀にある事である。魔力だけではなく、魔法使いのその命そのものを使って魔法の威力の向上に充てるのだ。
【それだけ評価されているって事だよね】
『ああ、リアを正しく評価していると言うべきだろうがな』
嬉しくもない高評価に納得したカナリアは、魔法で手杖の進路を調節して衝突の機会を見計らう。
『《灯り》』
再度のシャハボの言葉に従って、飛翔する手杖に煌々とした明かりを灯す。
カナリアにとっては調整の一環に過ぎない行動ではあるが、これによって、射線上にいる幾人かの住民たちはその杖を認識するはずだ。
【こちらの位置は追えている。あとは、当てるだけ】
『ああ、じゃあ、とっととやってしまうか』
カナリア達からは直接火球を見る事は出来ない。
《魔力感知》の反応と、夜闇に一層明るく輝く光だけが、それの存在を明らかにしていた。
猶予は無い。けれども、焦る必要も、カナリアには無い。
赫赫と燃え盛る灼熱の火球を前にしては、煌々と照らした手杖とて微光にしか過ぎないだろう。
しかしそれは、赤い災厄を迎え撃つ、光明の一筋に他ならない。
其々が接近して直撃の進路に乗った時に、シャハボは声高に魔法の名を叫ぶ。
『《大氷塊》』
杖を中心にカナリアが氷塊を作り上げ、
『《崩壊》』
杖を爆砕し、
『《大氷塊・極大化》』
《赤灼豪炎球・極大化》に匹敵するだけの巨大な氷塊を作り上げた。
氷塊が火球に近づくにつれ、炎に照らされた氷塊の中を赤い光が通り抜け、その背後にあるタキーノ市を煌々と照らし上げる。
角ばった巨大な氷塊と、同じく巨大な真円の火球は、互いに同じ速度で触れ合った。
そのままの速度で、お互いは熱と魔力をぶつけ合い、相殺し合い、その存在を闇の中へとかき消していったのだった。
二つの巨大魔法がぶつかり合った場所は、タキーノ市の郊外からはまだ多少の距離がある位置である。
だから、そこに人は居ない。しかし、何が起こったかを遠目に見た者は少なくは無かった。
そこには、タキーノに襲い掛かるはずだった火球の姿は既に無い。
あるのは居るだけで火傷しそうなぐらいの熱気と、もうもうと立ち込める熱い蒸気だけであった。