夜襲 【6/6】
離れたところでカナリアの様子を見守るキーロプの目に見えるのは、闇夜の中に時折煌めくガンブーシュの剣の光のみであった。
後は剣を振るう音がブオンブオンとその場に響くのみ。
「カナリアさん……大丈夫でしょうか」
案じる言葉を聞いているのは、カナリアの石板の上でキーロプを守っているシャハボだけ。
『見極めも済んだろうし、すぐに終わるだろうさ』
シャハボの呟きは誰にも聞かれずに闇に消えていく。
二度目の剣戟を避けながら、カナリアは既に別の事を考えていた。
この男に情報を与えた男は何者なのだろうか?
それを問いたかったが、生憎と石板は無い。それに、《決闘》のせいで、確かにナイフに備わっている魔道具の機能は使えないでいた。
そろそろ落ち着いてお話がしたいな。そんなことをカナリアは思う。
それは、一方的な剣戟に終わりの時が近い事を指していた。
一方で、ガンブーシュの方にも雑念が生まれ始めていた。
ある時点から、カナリアの動きが雑になったと感じたからだ。それまでの緊張感のある避け方ではない、ごく小さくだが、避ける距離がまばらで無駄が感じられる動きをしているように彼は感じる。
違和感は即座に、彼の中で危険への刺激に変化する。
だが、それも一瞬だけ。頭で考えた事は、こんな小娘に何が出来る? であった。
危険の予感よりは、ガンブーシュはそれをカナリアの疲れによる行動の変化だと判断した。
そして彼は、剣戟の速度をゆっくりと緩めていく。カナリアの隙を誘うように、そして、ここぞというタイミングで力一杯振り抜くために。
お互いの思惑は、それぞれが違う方向を向きながら絡んでいき、ある瞬間に終息した。
ガンブーシュの振り下ろしを、後ろではなくカナリアが横に避ける。
そこは、ガンブーシュの切り払いの間合いの中であった。大剣を切り返した後、全力を以ってカナリアを追うように横の一撃を振り抜く。
この速度ならば、避けられまい!
そんな気迫の籠った彼の一撃は、空を切った。
ガンブーシュの視界、剣の先にはカナリアの姿は居ない。
即座に彼は下に目を向ける。
あの一撃を躱せるとは思っていなかったが、躱すのならば屈むしかないとわかっていたからだ。
案の定、カナリアは身を屈めて必殺の一撃を避け、あまつさえ、その小ぶりなナイフでガンブーシュに切りつけようとしている所であった。
剣では防御が間に合わない。
ガンブーシュはとっさに腕を引き、小手の位置をカナリアのナイフに合わせようとする。
頑丈な小手だ。細腕と小ぶりの刃物ならば、傷さえつかないだろう。
この一撃を受けてから、そのまま真下に居る子ネズミに剣の柄尻を振り落としてやる。
それは、全勝不敗の彼が採りうる最良の手であった。
カナリアのナイフが小手に当たり、そのまま弾かれる。直後、無謀な体勢から、破れかぶれで攻撃をしたカナリアの脳天が、振り下ろされた大剣の柄尻によってかち割られた。
そんなガンブーシュの想像は、ついぞ訪れなかった。
起きた事は全くの真逆。
《鋭刃化》で刃を研ぎ、《空刃・纏》で魔法の刃を纏わせて疑似的に刀身を延長させたナイフで、カナリアはガンブーシュの両腕を小手ごと切り落としていた。
そもそも、この戦いは、始まる前からカナリアにとって勝利が決まっているようなものであった。
魔法使いを魔道具使いだと勘違いしてくれたのは、僥倖以外の何物でもない。ガンブーシュとの手合わせに時間を掛けたのは、単に罠の有無を警戒した迄の事。
後はゆっくりと情報の出所を聞き出せば……、いや、それを考えるのは早い。
腕を落しただけで、決闘はまだ完全に終わっていないと感じたカナリアは、その思考を戦いに戻す。
切り抜けるままに、カナリアはガンブーシュから距離を離していた。
振り返ると同時に響いた、ゴドドンと言う両腕と大剣が落ちる音。
続けて響くガンブーシュの大音量の叫び声は、決闘の結果を明らかにしていた。
「うぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
小手が壊れた事で《決闘》が霧消し、ナイフの魔道具が発動可能になる。それを確かめた後で、カナリアは叫び続けるガンブーシュに背を向けてキーロプの元に向かった。
ガンブーシュは地面に転がる己の両腕を見て、血涙を流しながら叫び、何度もそれを拾いあげようとしていた。
拾い上げる為の手が無くなっている事に彼が気付くまでは、もう少し時間が必要だった。
闇夜のお陰で、ガンブーシュの惨状ははっきり見えなかったのだろう。カナリアが見たキーロプの表情は変わらずに、にっこりとした笑みがそこにあった。
「終わりましたか?」
頷いてから、カナリアは石板と装具を拾い上げる。
肩の定位置に舞い戻ったシャハボを撫でる事はもちろん忘れない。
【両腕を切り落とした。まだ生きているから、手当すれば助かると思う】
キーロプは《灯り》に照らされた石板を読んだ後、しっかりと頷いた。
「ご苦労様でした。それでは、決闘のしきたりに則って、しっかりと彼に休息を与えて下さいませ」
笑みを崩さないキーロプの言動に、カナリアは少しだけ訝しむ。
【もったいない。ここで殺すより、生かして情報を聞き出した方がいいんじゃない?】
ガンブーシュは本人が言い切った通り、腕が良い程度の剣士だった。両腕を切り落とした以上、無力化しているはずだ。
生かしておいて、この男を焚きつけた相手の情報等を引き出せば、後の役に立つだろう。
そう思うカナリアであったが、キーロプの考えはまた違う方向にあった。
「ああ、ええ。
それはそうなのですが……ちょっとした理由があるのです。
いえ、今回の件はちょっとした、ではありませんね」
そこまで言った後、キーロプの表情は真顔に変わる。
「彼は深夜に押し掛けて、私達の睡眠を妨害いたしました。
それだけではありません。私の客人であるカナリアさんを危険な目に合わせています。
さらに彼は、私の家名をないがしろにするだけならまだしも、ちんちくりんだの小娘だの罵詈雑言も言い放っています。
そんな礼儀知らずな相手に掛ける慈悲など、私は持ち合わせていないのです」
半分以上の理由がカナリアの方だったが、その指摘をする間もなくキーロプは全てを言い切った。
「ご心配されている情報の事に関しては大丈夫ですので、一息にやって頂けますか?
出来れば私のいるこの場で、すぐにでも」
キーロプの真剣な顔を見て、カナリアは少しだけ考える。
既に敵に成り得なくなった相手の命を取るのは、ちょっとだけためらいがあった。
それが任務なら仕方ないかとすぐに切り替える事は出来たのだが、同じくしてカナリアは裏にあるキーロプの意図に気付く。
【死ぬところ、見たいの?】
キーロプはカナリアの言葉に頷いた。
「おかしいと思うでしょう? 理由は後でお話しますわ。今は一刻も早くそれを静かにさせて下さいませ」
キーロプが視線を向けるその先で、ガンブーシュは叫び続ける。
最初の怒鳴り声とは全く比較にならない声量を保ったまま。
このままだと、死ぬ前に間違いなく喉は枯れるだろう。
けれども、心を決めたカナリアは、それを待つことはしなかった。
【大丈夫だと思うけれど、私の後ろについて来て】
こくりと頷いたキーロプは、カナリアの後ろについて二人はガンブーシュに近づく。
「俺の腕がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ようやく無い腕では拾えない事に気付いたのか、血だまりの中でガンブーシュは、今度は自分の胴を叩いていた。
気が狂ったわけでは無い。傷薬か魔道具等を身に着けていた場合に、それを手で取ろうとした際の反応だとカナリアは気付いている。
ガンブーシュの叫び声は、近づいたカナリアを見た瞬間にさらに大きくなった。
「ガナ゛リ゛ア゛!!!!!」
口角に泡が出来ている。酷い形相を取った彼の怒声は、彼がキーロプを見た瞬間に静かになっていった。
キーロプは血塗れのガンブーシュをにこやかな表情で見つめる。
場違いな表情を崩さないまま。彼女は一言はっきりとこう言った。
「お願いできますか? カナリアさん」
何を、どうするつもりなのだ? この程度の事を考える事は今のガンブーシュにも出来た。
ただ、今まで自分が負けて死ぬことを考えた事が無かった彼には、次の事の予想がつかない。そして、自分が感じている寒気についても。
カナリアがその左手をガンブーシュの方に向ける。
トットッと、シャハボがその手の先に移動していく。
そんな姿を見ても、ガンブーシュは静かに固まっていた。腕から相当量の血が噴き出しているせいで、頭からも血の気は引いている。その事が、逆に彼の思考をはっきりとさせたのかもしれない。
少なくとも、ガンブーシュは次の言葉を聞く用意は出来ていた。
『キーロプがお前に死ねとさ。
カナリアは命だけは助けたいと思っていたんだけれどな。
可哀そうだから、死ぬ前に一つ教えてやるよ』
喋る小鳥の金属ゴーレム。その言葉に彼は耳を集中する。
『カナリアは《空刃》って魔法を良く使うんだ。
どうしてかって、一番それが痛みを感じさせないで殺せる魔法だからなんだとさ。
俺はどうでもいい事だとは思うんだがな。殺す相手に対して慈悲なんてさ』
それは、方法すら決められた自分への死の宣告であるとガンブーシュが理解できたのは、シャハボが全てを言い切って、一呼吸だけしてからだった。
理解した瞬間、すぐにこの場から逃げようとするが体は動かない。
何をした! 俺を殺すのか!
口をパクパクと動かしたが、今度は声が出なかった。
くそ、それだけではない。視界がおかしい。
カナリアが上に行く、地面が近づいてくるぞ!
次に、ガンブーシュはドサッという音を聞いた。
何故か地面が視界の右半分を占めるのだけを理解した後、自らに何が起きたのかわからぬままに、大口叩きのガンブーシュは思考を止めた。
カナリアとキーロプはその最後を見届ける。
シャハボの《空刃》と言った瞬間に合わせて、カナリアはその魔法でガンブーシュの首を切り落としていたのだった。
【カナリアからの小さなお願い】
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