その⑧
人と人が、その手を握り合い、その双眸を交わし、繋がる瞬間。
果たして、どんな結び方なら決して解けやしないのだろうか……。団子結びだろうか。蝶々結びだろうか。
どちらにせよ、お互いの息が合わなければ不細工になってしまうことだろう。
それよりも、その体温で溶けてしまわないような頑丈な糸は、どこで用意しなければいけないのだろうか……。
毎週日曜日に投稿していきます。よろしくお願いします。
『小森さんと仲良くなる日①』
たった一行のその文面を見て、込み上げてきたものは達成感というか欣快というか心がいっぱいに潤う感覚だった。
「でさでさ、わたしは小森さんのことがもっと知りたいわけなわけなんだよ!」
「奇遇ですね。おれもめちゃめちゃ小森について美菜さんに教えたいなと思っていたところです」
今の場面はすでに学校を後にしたところで、依然として芳しくない空色の下、おれたち二人の足音は静かにアスファルトに消えていく。
でも、足跡はしっかりと小森の元へ向かう道筋を辿っていた。
そんな最中が今である。
「美菜さんは、なにか好きなことありますか?」
「え!? す、すすす好きな人!?」
この肩の触れ合いそうなもどかしい距離感でどうしてそう間違えてしまうか……。一応真面目な話をしようとしていたんだけどな。やっぱ乙女は恋バナとか好きなの困っちゃうなぁ。
「いや、好きなことです。趣味とかそういうのあるじゃないですか」
「あ、ふぁ……す、好きなことね。ははは……そうだよね。でも好きなことかぁ……」
手を顎にやり、なにやら考える仕草を見せる美菜さん。口を尖らせて悩む姿が似合うな……。
「最近はミニャとずっといるかなぁ」
「いいですねそれ」
にゃーにゃー言い合いながらじゃれ合うその間におれも混ざってみたいなぁ……。できるなら猫側で。
「ほらわたしって正直なところもう学校あんまり行かなくていいじゃん?」
「そういえば単位取ってましたもんね」
履修科目の単位をばっちりフルで取得した美菜さんは無事に卒業確定。ちなみに卒論もすでに完成しているだとか……すげぇなぁ。もうどこ行っても安泰じゃん最高じゃん……って美菜さんは一体どこに就職するんだろうか? そういや聞いたことないな。
「そう。だから家にいる時間とかも長くなって、ミニャがいーっぱい甘えてくれるんだよねぇ……へへへへ」
にへーっと顔をとろけさせる美菜さんもさながら甘えた上手の猫のようでつい撫で回したく衝動に駆けられる。……撫でたいなぁ。
「じゃあなんで今はわざわざ学校に来てるんですか?」
「そ、そんなのは理由は一つしかないじゃないかいかい……」
そう言いながらおれの横腹を弱々しくつつんくつんする美菜さんはそれだけで理由を物語っていた。
う〜んそれは嬉しいけど、なんでおれなのか皆目見当もつかないところがちょっと怖いんだよなぁ……。ハニートラップとかつい想像しちゃうよねぇ。ありえないだろうけど。
「そうですかいかい」
そんな美菜さんを軽く流しつつ、脱線しそうな話題を元のレールに戻す。
「それで、美菜さん。例えばミニャがもし人にも分かる言葉を喋ってくれたらな……みたいなことは思ったりしますか?」
「え? うん……する! するする! ミニャと話せたらなぁとか毎日思ってるよ」
「まぁ、そうですよね」
その気持ちは猫を飼っていないおれも分かる気がする。
その気持ちを口にして耳にして分かり合えたらどれだけ楽なことかと。でも実際それが実現したらしたで面倒なことも増えそうだよなぁ。
「え、なに? あおくんもしかして猫と喋れる薬とか発明しちゃったの!? え、すっごいじゃん!」
「いやいやなんでそんなに飛躍するんですか……」
「だって、あおくんがいきなりそんなこと言うからじゃん」
「そうですね。じゃあ美菜さんは本当におれがミニャと話せる薬を発明したと思いますか? まぁおれじゃなくてもいいんですけど、猫と話せる現実を信じますか?」
「う〜ん…………信じたい、けど、たぶん無理かなって。そう思っちゃうよね。まだそんな現実は想像できないなぁ……」
意思疎通できるなら願ったり叶ったり。
だがそれを祈っている時点で、それはありえないことだと悟ってしまっている証拠。
仕方ないことだが、それが実態であり現状で違いない。
当然、おれも美菜さん側だ。そう、そっち側だ。
それは一体どっち側? その正体をおれに教えてくれたのが、そうだ。小森だった。
「美菜さん」
「お?」
「小森はそれを迷いなく信じますよ」
「ふぇぇ…………。なんでなの?」
美菜さんの反応は素朴であり、率直な質問だった。
「小森は本が好きなんです」
「うん」
「本ってなんでもありじゃないですか。それこそ猫と話すくらい一瞬で叶えてくれます。本の世界は人の想像を形にしてくれるんですよ」
「うん、確かに。でも本が現実になることはないよね?」
「そうですね。それこそありえないと思います。でも小森はその世界すら信じてますよ。たとえ目の前に現れることはなくても、どこかに猫と話せる人がいるという本の中の世界を在るものとして捉えています」
「…………なんかすごいね。小森さん」
「おれも最初はぶっとんでると思いましたよ。でも小森があるとき言ってたんです」
「ほう?」
「本も人なんだって」
本だって気持ちがある。たくさんの思いが詰まっている。
人生のように物語があって、それこそ本の生き様がそこにある。
おれは、小森のその言葉が、今でも好きだ。
「………………そう言った小森さんに、あおくんはなんて言ったの?」
「素敵だねって言いました」
だって本は自由だから。不自由がない故に、人はそこに夢を求めるんだろう。
本当はやりたかったこと。やってみたかったこと。やらなければいけなかったこと。
それら全部ひっくるめて本はそれを自分の思い描くことができる。頭の中の理想で埋め尽くすことができる。
それは確かに、一つのありえる世界と言えるかもしれない。
だから、おれは小森に対して、その考えは素敵だなと尊敬の意を抱いた。
「はぁ…………わたしはバカだなぁ……」
下を向いてなにを呟いた美菜さんの声は気づけば泡沫のようにぷつんと消え入る。
「そんなこと言われたら懐くに決まってるのに……わたしは一人相撲ばっかり……」
「美菜さん……?」
「小森さん……可愛い子だねって言ったの」
「え、あぁ。そうですね。可愛いですよ、小森は」
「これ以上、辛い思いさせたくないね」
「そうですね」
顔を上げた美菜さんは振り向き、目が合う。
その神妙な表情には、妙な心強さがあった。こういう真剣なときに頼りになるところがやっぱり美菜さんだ。
それからおれは、美菜さんと並び、小森について話を続けた。
なぜそんな小森が不登校になってしまったのか?
それは火を見るより明らかに、誰もその小森の見えている世界の広さを共有できなかったから。その解釈の自由にどこか浮遊感がして落ち着かず、非現実的で非科学的な見解が許せなかったからだ。
それでも小森は否定されるその理由が分からず、ついには自ら作品を手がけるようになった。
ゴールも行く先も見えない何かを始めるにはやはり勇気が必要で、それを好奇心と一緒に乗り越えてしまう小森はさらに嫉妬の対象となってしまう。
どこまでも純粋で素直で、自分色をしっかり彩る小森らどこも間違っちゃいない。そもそも人の生き方やその意味に良いも悪いもない。それこそ自由だ。ましてや小森は誰かを傷つけたり、蹴落としたりしたわけじゃない。地道に自分のペースでそのハードルを飛び越えようとしていただけに過ぎない。
だが、それでも前を歩く小森の背中は、時に無慈悲にも誰かを傷つけてしまう。その愚直さが、自覚なしに誰かの心を挫折へと誘う。
あまりにも理不尽で、不合理なことは明確。でも学校とはつまりそういう小さな世界でしかない。
だから、小森は結局、訳も分からず居場所を失い、学校での足場を無くしてしまったのだ。
そんな一部始終を、おれは時間が許す限り美菜さんに語る。美菜さんも、軽く相槌を打つだけで耳を傾けてくれていた。
「そっか……そっかそっか。ありがとね、あおくん」
「いえ、おれに感謝なんかしないで下さい。おれはただ小森に頼まれただけなんで」
「でも、勇気を出した小森さんの気持ちを、伝えるあおくんも勇気がいるでしょ? だから、ありがとう」
「…………はい、ありがとうございます」
「なんでそこであおくんがお礼を言うのさぁ……もう、つつんくつん」
「やめてください美菜さん。おれ別に脇腹弱くないんでどちらかと言うと脇派なんで」
「んなっ!? な、なんと……あおくん策士だね」
「いやいやそれほどでも」
「じゃあこれからは脇を攻めるよ〜」
「美菜さん、それはセクハラですよ」
「んなっ!?」
そんなこんなで美菜さんの明るさは程よく空間を和ませてくれる。
そして、ちょうど話の区切りがついたところで、小森のいる本屋も目の前に現れる。
「ねぇ、あおくん」
最初のころの緊張した声色ではない、どこかわくわくしたような弾んだ声音を美菜さんが口にする。
「はい?」
「小森さんと、どんな話したらいいかな?」
「ん〜そうですねぇ……」
おれは一度空を仰ぎ、少し雲行きの怪しい青色の見えない灰色を目にして笑う。そういえばそうだったと思い出し。
「美菜さん」
「う?」
「小森は猫が好きですよ」
「…………あおくんよ」
「はい?」
「それは早く言わんかーい!」
たたたっとスキップするように軽々しく美菜さんは駆けていく。
そのまま店の扉に手をかけ、こちらに振り向きざまに口を大きく開ける。
「先に行くからー!」
それを微笑んで返す。
「あとから行きます」
きっと美菜さんには聞こえていないだろうトーンの返事をしながら。
あぁ、いいなぁ……今日はすこぶる天気がいい。
今週もこんにちは雨水雄です。
ふと首をくるりと捻ると春はそこにありました。
撫子色の襲を纏った風物詩は、風樹の嘆の如く人を待たずして記憶の片鱗として住みつくようになりました。
…………いやぁ、もう夏が来る。暑い季節が。
なにしよう、とりあえずはっちゃけよう!
雨水はその海の似合う時間に向けて準備をしたいと思います!!これを読んで下さるみなさんの夏もいい思い出ができますように……。
今週もここまで読んで下さりありがとうございます!
また来週もよければここで。