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その④

もし、なにもない、くだらない今日だったしても。

それでも昨日を引き継いで、明日へと繋ぐ大事な一日には間違いない。だから、なにもないことはない。

そうやって、繋いだ日々がいずれ祝いになるのだから。

だから今日もまた生きていれば、なにかあるのだ。


毎週日曜日に投稿していきます。よろしくお願いします。


おれは家に帰ってきていた。


あの、賑やかなさっきまでとは打って変わって、虚無感を抱えてたまま静寂なカフェでぽつんと一人で過ごしたのち、しばらくして家路についた。

カフェにいる間、頭をぎったのはやはり美菜みなさんのことだった。それ以外ない。

ブラックのコーヒーを一つ注文し、飲み干すまでの時間はそのことで脳内は支配されていた。いや、むしろそっちが整理できるまでコーヒーを飲み干さなかったというほうが正しいかもしれない。まぁどっちでもいいか。

ほんと、どちらにせよだ。美菜みなさんのあの様子は明らかに今までの美菜みなさんとは逸脱しすぎていた。

あんな美菜みなさんは美菜みなさんじゃない……。そう疑って、錯覚してしまうほど、おれの中の美菜みなさん像は穢れがなかった。言うなれば、花のような繊細さも持ち合わせているような。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花……くらい美しいけど向日葵のように明るく元気。

「それがあの変わりようだもんな……」

ーー死ねよクズ。

美菜みなさんは確かにそう口にした。あの小ぶりで艶やかな唇はそう動いていたのだ。そしてあの憎悪を抱いた声色は恐ろしいこの上ない。綺麗な女性であればあるほど毒が強くなることを実感した。あれはもう致死量間違いない。

隣で感じたあの悪寒はたぶん人生で最初で最後かもしれない。というより最後にしてほしい。

まぁ、それくらい美菜みなさんが可愛いということの証明でもある。

……でもそうだな。

確かに。確かにだ。驚きはした。あの天真爛漫で純粋一色に見えた美菜みなさんが殺意もろ出しの鬼の形相だったからな。いや、あの信号無視したおっさんが確実に悪いんだけどな。おれもイラッとしたしな。気持ちは分かる。分かってるつもり。

ただ、あの一瞬だけ身を引いたが、今となってはなんともない。むしろ美菜みなさんが明日から隣にいてくれない方がおかしいと不安に駆られているところだ。

つまりおれが美菜みなさんを嫌いになるはずがない。

でも美菜みなさんはたぶん違うんだろうなぁ……いやもうこれは乙女心とかじゃくて単純にあのあとに目を合わせるのとかハードル高いよなぁ……。

たとえなにがなんでも、だ。人として誤ったことを口にしてしまったことに変わりはない。それは言った本人である美菜みなさんが自覚しているはずだ。だからあの場でおれから遠ざかろうとしたのだから。

だからこそ、なおさらだ。

いやもうほんとどうしようかなぁ……。待つべきかな? 待つべきだよなぁ……。待つしかないよなぁ……。

こればっかりは我慢しかない。おれがああだこうだ言ってもかえって美菜みなさんに気遣われてしまう。そんな愛想笑いなんて嫌だしな。もうそうなったらお互いストレスで肌荒れ祭りになってしまう。それも嫌だなぁ……怖い怖いこの上ない。

「早く美菜みなさんの笑顔が見たいなぁ……」

切実に……あの笑顔を脳裏に思い浮かべる。

そんな願望だけはこぼれ落ちてしまい、しかもそれを拾ってくれる人は、今のおれの目の前にはいなかった。試しにコーヒーにシロップとミルクを注ぎ込み口にしてみたものの、やはりおれには甘過ぎた。

そして冒頭に戻り、おれは家にたどり着くこととなる。


「ただいまー」

家に着くなり、靴を脱ぎリビングへ足を運ぶ。

そこに一人家族を発見しおれはとりあえず帰りの挨拶を済ませる。

「…………」

ただ、返事が返ってくることはない。一瞬だけ目が合ったが、すぐに逸らされた。まるでゴミを見るかのような鋭い目だった。帰ってきて早々心が痛いなぁ……。どれくらい痛いって、もしや美菜みなさんの言っていた「死ねよクズ」の「クズ」がもしかしたらおれ宛の捨て台詞だったんじゃないかと猜疑心が芽生えてきてしまうほどおれはゴミなんじゃないかと思うくらい痛い。もうそれが事実だったら生きるのが辛い。

「いたんだな、小夏こなつ

ついこの間までは、この時間にリビングで遭遇することなんてなかったから急な違和感を覚える。そういや小夏こなつも夏休みが終わって、今下校してきて自室に行くのがめんどくさくて、ここでくつろいでるって感じだな。

「…………なに? 悪い?」

おそらく4人家族全員が座れるスペースがあるソファに、鞄と全身を預けて占領している小夏こなつに微笑みかけてみたものの、依然としてご機嫌は斜めに斜めってむしろ垂直ですらある。

そういやこうしておれを邪険に扱う生意気なこいつはおれの妹だ。同じ苗字の柳沢やなぎさわに名前は小夏こなつ。名前の由来は、夏に生まれた小さな女の子から。あまり公にすることはないが、小夏こなつ低出生体重児ていしゅっせいたいじゅうじだったのだ。未熟児といわれることが多いが、正確には違う。小夏こなつは体重が2000gを満たない小さな赤ちゃんだったが、機能が未成熟というわけでもなかったから。

しかしそれでも、生まれたての姿であのカプセルみたいな容器に一人きりで閉じ込められている様子をガラス一枚隔てた距離で眺めていた光景を、おれは決して忘れることがないだろうと思う。

「なにこっち見てんの? きもいんだけど。うざいし」

今となっては、こうして暴言を吐き散らかすくらい成長しているのは感慨深い。うん、深い。どれくらいかって言われるとおれの心が抉られるくらい深い。頼むからそう言った口調はおれだけにしておくんだぞ? 別におれなら暴言吐いていいってことでもないからな?

「そういやお前今何年生なんだ?」

なんか気付いたら制服が変わっているように見えた。この前までセーラー服だった気がするのに、今はブレザーに包まれている。

「は? なに?」

さっきから、なに? しか聞いてこないんだよなこいつ。その、なに? を今聞いているんですけどなに? え、なに? 使い方間違ってるって? なんで?

「いや、いつの間にか高校生になってると思ってな。どこ通ってんだ?」

「今更なに? あんたに関係ないじゃん。話しかけてこないで」

う〜ん……辛辣ぅ……。

まぁ確かに今更っちゃ今更だけどさ。関係ないけどさ。だって最近この頃はあんまり接してなかったから年の差とかも忘れちゃったりするじゃん? そういうところは簡単にぽかんと忘れちゃうわけなんだよなぁ……。

「まぁ、話は変わるけどさ」

そんなことよりだ。今はちょっと別件で小夏こなつに聞きたいことがある。

「え、なに? まだいたの?」

「うん。そしてまだいるつもりだ。いやそれでさ」

「は? え? なに?」

「いやだから聞けって。人が、しかも実の兄から聞きたいことがあるんだって」

「話しかけてこないでって言ったんだけど?」

「それが嫌だから話しかけてるんだろ?」

「…………うざ」

小夏こなつは呆れたようにそっぽを向いてしまった。さっきまで一応目が合っていたのは少しばかりの奇跡だったのかもしれない。

しかしあれだな……。散々文句言いまくって無視までしようとしているのに、この場を離れようとしないんだな。それが一番手っ取り早いのにな。

「それでさ、ちょっと今悩んでてさ」

とりあえず、なんの期待もしていないが、おれは小夏こなつに相談を持ちかけようとした。

「どういう巡り合わせか、おれ今すっごい美人な先輩と過ごすことが多くなってんだけどさ」

「……」

「その人がまた破天荒なわけ。まぁ別に非常識ってわけでもないんだけどな。ただ随分とエネルギッシュというかパワフルというか思いつきで思いっきりな人なんだよ。まぁそこがまた可愛いところでもあるんだけどな」

「…………」

「なにより顔がほんとに整ってるんだよ。可愛いんだよ。もうほんとおれにはもったいないくらい。でも結構バカやる感じなんだよ。まぁそういうギャップがまた好感度上がるんだけどな」

「………………」

「それでよ。その先輩がよ。笑顔弾けるあの先輩がよ。……死ねって言ったんだよ」

「あんたに? ざまぁ」

「いやおれにじゃねぇよ」

てかそこだけ食いついてくんなよ。

「……じゃあ誰?」

「信号無視したおっさん」

「……………………」

急に黙るのな。確かにそんなに面白くない解答だったけどさ。

「実際おれもそういう気持ちは分からんこともないし内心そう思うこともあるけどよ。やっぱ口にはしないからよ、あのとき先輩が言ったってことは過去になんかあったんじゃねぇかなって……」

「……」

「そこでだ。小夏こなつ的にはこういうとき話を聞いてほしいものなのか、ほっといてほしいものなのか、女の子としてどうか教えてほしい」

ここでもし美菜みなさんの地雷に容易く踏み込んでみろ。おれに幸せはもう二度とやってこないぞ。それくらい今のおれが恵まれていることは分かっているのだ。

だからこそ、慎重に。丁寧に……。

「………………死ね」

「………………はい?」

「だから死ねって言ったの」

「誰が?」

「あんたが」

「え、嫌だけど」

「はぁ〜…………もういい。飽きた」

小夏こなつはえげつない返しだけを残してソファから立ち上がる。いや期待はしてなかったけどさ。なんでそうなったのかさっぱり見当もつかん。

そのままおれの前を通り過ぎてリビングを出て行こうとする。

「あ、小夏こなつ

「…………」

ふと呼びかけるとギロリと睨まれた。

「お前、その制服似合ってるな」

藍色のブレザーに、赤色の蝶ネクタイ。なんだか爽やかで、小夏こなつにぴったりだった。

長くすらりとした真っ直ぐな黒髪も相まって、一段と画になる容姿をしていた。身長も、高いということもないが、美菜みなさんよりは高く大人っぽく見える。

だから、それらを踏まえて、似合ってるを選んだ。

「……は!? ちょ、なに………バカ」

顔こそ見えないが、肩がびくっと揺れて小刻みに震えているのが小夏こなつの背中越しから伝わる。やべ、怒らせたかもしれん……。

「いや、なんか今そう思ってな、悪い」

小夏こなつは扉に手をかけ、そのまま出ていこうとする。

するが、一歩廊下に足を出したところでまた止まった。

「…………そういうとこ」

「は?」

「そうやって考えてるあんたはうざいしきもい」

「…………そうか」

「でも……………………ありがと」

小夏こなつはそれだけ言い残してリビングに戻ってくることはなかった。

これは、小夏こなつなりのアドバイスとして受け取っていいんだろう。なんか最後のうざいとかきもいは自分でも腑に落ちたし。

とにかくあれってことだな。

善は急げど、焦るなってことにしておこう。

おれは空いたソファに一人分のスペースだけに座り、天井を仰いだ。

「急がば回れってことで」

今おれにできることは待つことだけだろうな。


翌日。夜が明けたその朝の空は見事な快晴だった。雲が一つもない。これぞ海本来の神秘を映し出す景色というものだ。

そんな青空の下で気持ちよく目が覚め、清々しい心持ちのおれは、いつもよりも少し早い時間に家を出た。日頃のかったるさや迷いがない分足取りが軽く、結果外に出るタイミングも必然的に早かった。

まぁ、そんなことよりだ。

とにもかくにもおれは最寄駅まで歩いて、その後いつもより一つ早いダイヤの電車に乗り込みラッシュにもみくちゃにされながらも、大学付近でようやく降り、また大学まで歩いた。

今日の一限の教室には定位置がある。誰かがそう決めたわけではないが、おれはここに来ればいつもそこに座っている。

そして今日もまた、そこに座ろうと席に一度目をやる。うむ、空いている。早く来た甲斐があったなとまた心がすっきりとする。

そのままおれは一直線でその席まで一人で進んでいき、一人でそこに腰を下ろす。

「よいしょ……っと」

「…………え?」

「あ、おはようございます。美菜みなさん。やっぱいつも通り早いですね」

「う、うん……おはよう。あおくん…………あおくん?」

「はい。柳沢やなぎさわ碧人あおとですけど、どうかしましたか?」

「え、いや………ううん。な、なんでもない」

なぜおれがいつもここに座るのか。それは至極当然のことで、一目瞭然のことである。

その隣には美菜みなさんがいるから。

それは夏休みが終わり、美菜みなさんと出会った位置だった。そして、お互い約束したわけでもないのに、その日から決まってここにたどり着くようになった。

だからおれは今日もまた、美菜みなさんのいる隣の席を選ぶ。え、待つんじゃなかったのかって? いや、待つよ。待つことに変わりはない。

始めからおれは待つと決めていたのだから。

美菜みなさんの笑顔をまた見る日を。

そのために距離を置くという選択肢はおれにはなかった。そうやって逃げ道をつくって気持ちをないがしろにしたくなかった。

「そういや美菜みなさん」 

「な、なに?」

美菜みなさんは予想外のことだとばかりに驚きを隠せていないが、そんなのおれには関係ない。おれにとっては昨日も今日も変わりゃしない。

本当は美菜みなさんの心から笑ったあの顔を見ていたいけど、そばにいられるならそれでいい。

ああだこうだ考えるくらいなら、こうやって近くに感じられるくらいがいい。

そう、小夏こなつが教えてくれた。気がするから。

美菜みなさんバイト先探してたんでしたよね?」

「う、うん……」

「おれと一緒のバイト先でよければ紹介しますよ?」

「え…………ほんと?」

そして今、一瞬。

美菜みなさんの瞳が輝いて見えた。


一週間ぶりです。雨水です。

いつだったか、些細な興味で人の魂の重さは21gだと知ったときがありました。まぁそれが本当なのかどうなのかまでは知らないんですけど。

でも、人って十人十色というくらいそれぞれに色があるじゃないですか。しかもちゃんとその人には雰囲気や空気感というものも存在しているように思います。

だからもし、本当に心に色があるのだとしたら、色褪せないようにしていきたいなぁ、と思います。まぁそれだけなんですけど。以上、ふと思いついたことでした。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

それではまた来週よければここで!


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