95 ユーリシスの魔法講座
レイテシアさんと夕食を一緒に食べて宿屋に戻った後、早速ユーリシスの部屋で疑似神界を展開して貰う。
「魔法書を読破したし、ユーリシス以外の魔術師から話も聞いた。条件は全てクリアしたんだ、そろそろユーリシスの魔法講座を開いて貰おうか」
これまで頑なにユーリシスは俺に魔法システムの情報を開示しなかった。
それでも、幾つもの問題点、改善したい点が見えている。
その最たる問題点が、回復魔法が存在しないことだ。
魔法システムの改変は、この回復魔法を創ることが主目的と言ってもいい。
他にも、圧倒的に長すぎる呪文のせいで即応性に欠けること、消費MPと効果とヘイト量が通常の武器戦闘やスキルの使用と比較してコスパが悪いこと、それと呪文の語句によるバリエーションの派生にも何かしら問題が潜んでいそうだ。
その改変が大がかりなものになるのか、小手先で済むのか、システムが不明なままだとその見通しも立たないし、ユーリシスとの話し合いすらままならないからな。
だから、これ以上の時間稼ぎに付き合う気はないって意思表示に、即仕事モードだ。
「……仕方ありません。それで、何から聞きたいのです」
往生際悪くまだごねるかと思いきや、小さく溜息を漏らし、すぐに凛と背筋を伸ばして表情を改めるユーリシス。
どうやら遂に観念したようだ。
「まずは根本的なところから、魔法ってのはなんなのか、辺りから頼もうか」
俺が読んだ魔法書には、『魔法とは、人や動植物、水や大気や大地、そして様々な物品に宿っている魔力を、呪文を用いて人知の及ばぬ力に変換し行使することで、超常的な現象を引き起こす術である』とあった。
それで魔法のなんたるかは説明されていると思うけど、ユーリシスがわざわざ読ませたくらいだ、見解や解釈が異なる魔法の深奥とでも言うべきシステムが隠されているんだろう。
「では誤解を避けるため、最初にあの自称魔法学の権威が言っていた魔法学の知識や魔法書の理論において、私の創造した魔法システムと異なる箇所を指摘しておきます」
「ああ、頼む」
そのために時間をかけて魔法書を五冊も読んだんだからな。
「まず呪文ですが、必要ありません。私はそのようなシステムを作っていません」
「はぁ!? 呪文が必要ない!?」
「何を驚いているのです。無詠唱で魔法が使える者が居る事実を鑑みれば、驚くような話ではないでしょう」
「いやいや、驚くだろう!?」
魔法の常識がひっくり返る程の衝撃的な事実だぞ?
ユーリシス自身は創造神だから不要だとしても、ユーリシスだって周りに合わせて魔法を使うときに呪文を唱えてみせていたし、普通に呪文が魔法の発動条件になっていると思うだろう。
「それじゃあ、いま魔術師達が苦労して暗記してるやたら長い呪文とか、レイテシアさん達魔法学の学者や学生が解釈の相違から複数の学派に別れてまでやってる研究とか、なんのためにやってるんだって話になるじゃないか」
「見当違いの方向を向いて、的外れな言葉遊びをしているに過ぎません」
おいおい……見当違いの的外れな言葉遊びって……。
「お前があの自称魔法学の権威に同情しようと構いませんが、どう言葉を飾ろうと、それが事実です。存在しないシステムについてどれほど研究し議論を重ねたところで、全て徒労に過ぎません。なんの成果が見込めると言うのです」
「いや、そうだろうけど……」
これは、のっけからとんでもない爆弾が飛び出してきたな。
まだ十分に飲み込めていない俺にお構いなしで、ユーリシスは淡々と説明を続ける。
「次に魔力回路ですが、そのような物も形成されません」
「それは……うん、仕方ないな」
レイテシアさんも仮説だって言っていたし。
「じゃあ、魔法陣については?」
「それは存在します。ですから、魔法陣と、魔法陣に使われる図形と文字……つまり、文字のように見える図形ですが、それらの研究には意味はありますし、成果や発展が期待出来ます。また、新しい呪文、つまり未発見の魔法のことですが、これを探求することにも意味はあります。しかし、呪文を前提とした議論と研究は全てが無駄です」
無駄と言い切っちゃったか……。
しかも文字は文字に見えるだけの図形らしいし。
そりゃあ呪文が存在しないんだから、どの言語で唱えようと魔法は発動するし、魔法陣に使われる文字に見える図形と既存の言語の間に親和性があるわけがない。
つまり、魔法システムの改変で、仮に魔法の種類や魔法を扱う技術をどれだけブレイクスルーしたとしても、その辺りの認識を新たにしないと魔法陣や新しい魔法の研究は遅々として進まないわけか。
これは、同時に正しい認識を広める方法も考える必要がありそうだ。
「じゃあ、そもそも呪文ってシステムがあるって勘違いは、どこから生まれたんだ?」
「ただの伝言ゲームや言葉遊びです」
「ただの伝言ゲームや言葉遊び? どういう意味だ?」
「ではその疑問を踏まえた上で、魔法システムについての詳細を説明します」
ここからが本当の魔法システムについての話か。
背筋を伸ばして気を取り直してから、ユーリシスの説明に耳を傾ける。
「大前提として、魔法はただの物理現象です。事象を改変したり物理法則をねじ曲げたりして、人知の及ばぬ超常現象を引き起こしているわけではありません」
「魔法がただの物理現象? 『事象を改変したり物理法則をねじ曲げたりして、人知の及ばぬ超常現象を引き起こしている』のが魔法なんじゃないのか?」
俺のその疑問を当然予想していたとばかりに、ユーリシスが用意していた口ぶりで答えを聞かせてくれる。
「我が師が創造した世界、つまりはお前の元の世界ですが、基本相互作用というものが設定されています」
「ああ、強い力、弱い力、電磁気力、重力の四つだな。他にも色々と相互作用はあるみたいだけど、基本相互作用と言えばこの四つだ」
俺が答えるのに合わせてユーリシスが軽く人差し指を振り、宙に四つの基本相互作用を表すモデルの立体映像を順に浮かび上がらせた。
「私が創造したあの世界では、その四つの基本相互作用にもう一つ、魔力を加えた五つが基本相互作用となります」
ユーリシスが解説に合わせて、五つ目のモデルを浮かび上がらせる。
「だから魔法が物理現象だと?」
「その通りです」
魔法システムの説明が、まるで物理学の講義みたいになってきたな。
「例えば重力であれば、重力を媒介する素粒子である重力子を物質間で交換することで、重力が働きます。同様に、魔力を媒介する素粒子である魔素を物質間で交換することで、魔力が働きます。そしてこの魔力は、魔素自身を含めた凡ゆる素粒子に干渉し、その振る舞い、つまり物質間で作用するエネルギーの大きさや力の向きを変えます。このように魔力で振る舞いを変えられた物理現象を魔法と呼ぶのです」
少なくとも俺が生きていた頃の元の世界では、重力子はまだ未発見で仮想上の素粒子だけど、あの世界ではちゃんと存在するのか。
しかも元の世界には存在しない、魔素って素粒子、ね。
でも確かに、こう説明されると、魔法は説明が付かない不可思議な現象を引き起こす超常的な力じゃなくて、ただの物理現象に聞こえるな。
それで多分、神様が俺に貸してくれた神の権能ともまた力の質が違うんだろう。
「さらに詳しく解説するのであれば、素粒子の中には質量を持たない物や、大きさが存在しない物などありますが、その運動する領域を大きさと呼称するならば、魔素は質量を持たず、その大きさすら変化する性質を持つのですが、その大きさにより電荷が変化し、魔力の質とも呼べる性質が変化します。強い力を媒介する素粒子であるグルーオンがカラーチャージと呼ばれる八種類に分類されるように、魔素も謂わば地水火風などの元素と呼ばれる性質に対応するのに適した種類に分類され――」
うん、完全に素粒子物理学の講義だ、これ。
ユーリシスの説明はどんどん進んでいくけど、素粒子物理学を多少なりとも学んでいないと、もはや完全に理解不能な領域にまで踏み込んでいく。
「ユーリシス、ストップ。そこまで詳細に説明されても俺の頭じゃ理解出来ない。ともかく、一見すると『事象を改変したり物理法則をねじ曲げたりして、人知の及ばぬ超常現象を引き起こしている』ように見えるだけで、ちゃんと物理法則に従ってるってことだけは分かった」
「ここまで詳細に説明させておきながら、その程度の理解しか及ばないとは、本気で魔法システムを改変する気があるのですか?」
そう不服そうにされても、理解出来ないものは理解出来ない。
俺の学者って肩書きは、アンダーカバーのなんちゃって学者でしかないんだから。
「ともかく、物理学が進歩し魔法で引き起こされた現象を詳細に観測すれば、いずれ私が設定した方程式を導き出すことが出来るでしょう。お前も一から学び直し、そこまでの理解に努めるべきです。この疑似神界であれば、学ぶ時間は無限にあります」
「無茶を言わないでくれ」
かの天才アインシュタインですら、統一理論の方程式に到達出来なかったんだから。
それを越えようなんて、おこがましいにも程がある。
ともあれ、スキル同様、細かいところはユーリシスに頼むしかない。
「申し訳ないけど、俺の頭で理解出来るレベルで説明してくれると助かる」
「……仕方がありません。では次に、いかに魔力を他の素粒子に干渉させるかですが、魔力を媒介する魔素は、電磁気力によって振る舞いを誘導することが出来るように設定してあります」
「それって、機械的に電流を流すことで、意図的に特定の魔法を再現できる、と?」
「お前の言うそれは魔法陣のシステムです。魔法陣に魔力を込めることで、魔法陣を描いた物質の持つ電荷を利用し、魔法陣を回路として魔素を誘導し特定の振る舞いをさせることで、魔法を機械的に発現させます」
なるほど、描かれた図形が回路になって魔素の振る舞いを決めるのか。
「では人や魔物が、その意図的に振る舞いを誘導する電磁気力をどこから持ってくるのかですが」
「それは読めた。脳波だな?」
「その通りです。脳の神経細胞が活動し電位が変化することが思考であり、それにより脳波と呼ばれる電磁気力が発生します。つまり、魔素は思考とイメージでその振る舞いを意図的に操作することが出来るということです」
「つまり魔法を使うためには、どんな魔法をどう使うかの思考とイメージが発動条件になるから、呪文は不要で無詠唱って呼ばれる手法で魔法の使用が可能なわけか」
「その通りです」
なるほど、これがユーリシスの創ったあの世界の魔法システムか。
脳波と思考とイメージと、魔素の振る舞いの関係についても詳細に説明したそうな雰囲気があったけど、そこは却下させて貰う。次は脳科学や生理学なんかの学術的な知識が必要そうだし。
もっとふわっとした概要で十分だ。
「だったら、どこから呪文って概念が生まれたんだ?」
魔法書には、初めて魔法を生み出した最初の魔術師が呪文を生み出し人々に広めた、ってなっていたけど。
「人が初めて魔法を使うようになったばかりの、まだ先史文明の時代、どのようにすれば魔法が使えるのか、それを伝える手段はイメージを口頭で伝えるしかありませんでした。そのように人伝にイメージが共有されていく過程で、イメージを伝えやすい、またイメージを補完しやすい語句の使用頻度が高くなるのは必然です。それらの語句を口に出してイメージを補完および確認しながら魔法を使ったことが、呪文の始まりです」
「なるほど……だからただの伝言ゲームや言葉遊び、ね」
言われてみれば、確かにそうなりそうだ。
魔法書に書いてあった説は、当たらずとも遠からずって感じだけど、決定的な間違いを広めてしまったんだな。
「さらに付け加えれば、繰り返し魔法を使っていれば、よりイメージが強固になります。イメージを補完しやすい呪文を唱えて確認しなくとも魔法が使えるようになっていくのですから、いずれ無詠唱に到達して当然です」
だから魔力回路なんて物もなくてもいい、と。
脳内に刻まれた強固なイメージがまんまそれに当たるから、これもまた当たらずとも遠からずの仮説だったな。
「一応確認だけど、呪文の誤解を除けば、現状、魔法はユーリシスの意図するシステムから逸脱せずに使われているのか?」
「ええ、問題ありません。私が創造し振る舞いを定めた通りに運用されています」
「じゃあ、レイテシアさんの言っていたこれまでに開発されてきたっていう魔法も、そのシステムから逸脱していないわけだ」
「……」
ここで、ユーリシスの目がわずかに逸らされた。
「おいユーリシス、どうしてそこで目を逸らす」
説明しろとばかりに声のトーンを落とすと、観念したように溜息を吐く。
「新たに開発された魔法は存在しません」
「どういうことだ? レイテシアさんの口ぶりからすると、これまでにも新しい魔法が開発されてきたことがある感じだったけど」
でなければ、レイテシアさんが新しい魔法を開発するための研究を、あれだけ前向きに熱を入れてやっているわけがない。
「どのような魔法が存在するかは、全て私が設定しています。新たに開発された魔法というのは、設定済みで未発見の魔法を発見したに過ぎません」
設定済みの魔法か……。
ふと、嫌な予感が湧き上がる。
その予感に従ってホロタブを起動し、スキルのリストと同様に、魔法のリストを表示してみた。
だけどエラー音が鳴って、魔法のリストはロックされたまま表示出来ない。
「このロック、もう外してくれてもいいんじゃないか? ユーリシスの出した条件はクリアしたんだから、十分に実績解除に値するだろう?」
そう、これまで魔法のリストはロックされて確認出来なかった。
世界を救うための方向性を検討するため、リストの参照を頼んだ時に、ユーリシスが言ったのが、次のような内容だ。
『魔法システムの説明が終わるまで、確認する必要も意味もないでしょう。すでにスキルの改変に着手しているのです。あれもこれとも手を出さずに、まずはスキルに集中しなさい。私が魔法システムの改変を認めるまで、魔法のリストは参照出来ないようにロックしておきます』
今にして思えば、もっともらしい理屈を並べた時間稼ぎでしかないな。
「……」
これまで観念して素直に聞かせてくれていたのに、一転して往生際が悪く、嫌々、すごく嫌々って顔で、何度も躊躇い、俺が無言で促すことでようやく観念したようにホロタブの画面を指さした。
その瞬間、ロックが解除されて、魔法のリストが表示される。
リストをスクロールさせて目を通し……。
「って、なんだよこれ!?」
きつく睨むように見ると、ユーリシスがあからさまに顔を逸らした。