91 魔法学の権威レイテシア 1
「ティオル師匠、こんにちは。みなさんも」
新人達の指導から数日、レジーが手足に包帯を巻いた姿で、明るく挨拶してくる。
「レジーさん、こんにちは。日に日に怪我が増えてますね?」
ティオルは自分より年上の女の子に師匠呼ばわりされて、ちょっとくすぐったそうに微笑んだ。
「毎日頑張って角穴兎を狩ってますから。パーティーの連携も取れるようになってきて、効率アップしてきたんですよ。おかげで、美味しい物も我慢せずいっぱい食べられるようになって、毎日が楽しいです」
どうやら、いい感じに稼げているようだ。
レジーは実地訓練で一緒になった両手斧や魔術師の新人達と新たにパーティーを組んで、本腰を入れて冒険者活動を始めていた。
それはレジーばっかりじゃなく、他の新人達も、その多くが気の合う新人同士でパーティーを組んで活動しているらしい。
中には、指導役の冒険者にスカウトされて、その人の所属するパーティーに入ったってケースもあって、なかなかいい感じに新人達は稼げているようだ。
もちろん、儲けを独り占め出来るからってソロで頑張ってる奴らもいる。
例のおっさんもその一人だ。
最終日、ユーリシス目当てに俺達のパーティーに入りたがったおっさんだけど、角穴兎よりも雷刀山猫を始めとした強い魔物とばかり戦う予定にしている俺達の話を聞いて、すごすごと引き下がっていった、という。
それはさておき、諦めて故郷へ帰る新人は減ったようで、冒険者ギルドの盛況は今も続いている。
「レジー達は、角穴兎より強い魔物とは戦わないのか?」
「う~ん……今のところ、その予定はないですね。わたしを始め、角穴兎で儲けたくて冒険者になった人達ばかりですから。でももしもっと強くなって、強い魔物と戦いたくなったらその時は相談に乗って下さいね、ミネハルさん」
「ああ、その時は遠慮なく声をかけてくれ」
笑顔で手を振り、レジーは仲間達の元へと戻って行く。
「なんだかすごくすごく嬉しいです。あたしが教えた人が、ああして魔物と戦って頑張ってくれてるの」
「そうだな。また同じように指導の指名依頼が来たら受けるか?」
「はい、もちろんです!」
身を乗り出しての即答か、さすがティオルだ。
「でもぉ、うちのパーティーに入りたいって人がぁ、一人もいなかったのは残念ですねぇ。せっかく後輩が出来るかもってぇ、期待してたのにぃ」
「ああ、まったくだ。一人くらいいるだろうって、そう思ってたんだけど」
結局希望してくれたのは、例のおっさんだけだったという……。
実に悲しい結果だった。
というわけで、おっさんの動機が動機だけに、俺達の中ではノーカンになっている。
「それもこれも、ユーリシスの怖い噂が広まったせいかもな?」
「誰が怖いと言うのです。そもそも、ふざけた了見の者達が悪いのでしょう」
茶化したら、本気で受け止められて睨まれた。
こういう冗談は、相変わらず通じないな。
「そこの駄肉猫も何を納得顔しているのです。声をかけた新人達に、必要以上に魔物との戦いの恐怖を煽っていたのはお前でしょう。私よりお前のせいなのではないですか」
「あははぁ。だってぇ、本気の覚悟がないとぉ、いざって時にぃ、本気で後悔しちゃいますからぁ」
誤魔化すように照れ笑いするララルマだけど、妙に実感が籠もった言葉だな。
「でも誰か入らないと、これ以上強い魔物と戦うのは難しいんですよね?」
「まあ、そうだな。でも、クルファにも頼んでるし、新人や今回知り合った冒険者達も俺達が新しいメンバーを募集してることは知ってるし、もし有望そうな人がいたら紹介して貰える手はずになってるから、積極的に探すにしても気長に待つしかないかな」
「じゃあしばらくは、また角穴兎を狩って特訓しますか?」
「ああ、それなんだけど、角穴兎は当分の間、やめておかないか?」
「新人達にぃ、譲ってあげるんですねぇ?」
「そういうことだ。昨日も荷馬車を借りたからって四十匹近く狩って来ただろう? 俺達が付近の角穴兎を狩り尽くしたら、新人達に指導した意味がなくなるからな」
「それもそうですね」
「だからしばらくは、毒鉄砲蜥蜴を中心で行こう。そうすれば、あの付近の森も新人達が角穴兎を狩りやすくなって、村人達も森に入りやすくなるはずだ」
それにまたどこかと合同で依頼を受けて、名前を売っていくのでもいいしな。
雷刀山猫の討伐依頼ならティオルが喜んで受けるだろう。
そういう方面でもサポートとして参加しますって話はクルファに通してあるし、それも何かあればクルファから声をかけてくるはずだ。
「それはそれとして、だ」
手元の魔法書をパタンと閉じる。
「予定より大分遅れたけど、ようやく読み終わったぞユーリシス。これで条件はクリアだな?」
ララルマの怪我の治りが予想より早かったのと、新人達を指導する依頼のせいでずれ込んでしまったけど、やっと魔法書を読み終わった。
その数、五冊。長かった……。
「それじゃあ魔法についての講義をお願いしようか」
「……」
わざとらしく身を乗り出すと、ついと視線を逸らすユーリシス。
「私が教えるのもいいですが、お前はまだ魔法書を読んだだけで、理論を頭に入れたに過ぎません。私の話を聞く前に、私以外の上級魔術師に話を聞いて、実地で使用されている魔法についての講釈を聞くべきでしょう。そうして理論と経験の話を両方頭に入れておく必要があります」
「……そこまでの必要はないだろう? まさか、時間稼ぎじゃないだろうな? なあユーリシス、今の言葉、もう一度、ちゃんと俺の目を見ながら言ってくれるか?」
ユーリシスが渋々と俺に視線を向けると、尊大に胸を張る。
「お前が理屈だけで分かった気にならないようにと言っているのです」
「他の上級魔術師から話を聞くのは、ユーリシスから話を聞いた後でも十分だろう?」
「……」
目を逸らしたな!?
やっぱり俺に魔法システムを触らせたくないから、時間稼ぎしてるんだな!?
薄々そうじゃないかと魔法書を読みながらも思っていたけど、俺が魔法システムの深淵を不用意に漏らしてしまわないかっていう理屈や懸念が分かるから、大人しく読み続けたんだ。
でもこれ以上の時間稼ぎに付き合う気はないからな。
さあ、これ以上の言い逃れは――
「あ、いたいた。ミネハル君、ミネハル君でしょう? お久しぶりね、元気にしていたかしら」
――させないと、意気込んでさらに身を乗り出そうとした矢先、不意に明るい声が割り込んでくる。
あからさまにほっとした顔のユーリシスが腹立たしいけど、追求は後でも出来るし、なんなら疑似神界を展開させて、こんこんと問い詰めてもいいからな。
それで、『久しぶり』って言葉に思い当たる節がなくて、声がした方を振り返る。
そこには、ユーリシスでもないのに冒険者ギルドには場違いなドレスを着ている女性が一人、冒険者達の好奇な視線を物ともせず堂々と立っていた。
「ほら、やっぱりミネハル君だったわ」
また大きな声で俺を呼ぶと、ブンブン元気よく手を振って、俺との直線上にいる冒険者達に、そこを退いて道を空けろとばかりに、当たり前の顔で一直線に向かってくる。
おかげで進路上の冒険者達は、まるで見えない壁に押し退けられるようにして道を空けさせられていた。
なんというか、その女性はそのくらいの圧というか、存在感を放っていた。
そこでようやく、それが誰なのかを思い出す。
「ミネハルさん……あの人、誰ですか?」
ティオルが、物問いたげに、俺の服の裾を掴む。
「ものすごい美人さんですねぇ」
ララルマは、なんとなく気圧されたように俺の陰に隠れる。
「お前の、隠していた新しい女ですか?」
「「……っ!?」」
「ちょ、ユーリシス!? 違うからな!」
ユーリシスが余計な事を言うから、ティオルとララルマの視線が痛いくらい突き刺さってくる。
「ティオルもララルマも誤解だ、そんな目で見るなって」
その女性はにこやかな笑顔で、俺の前までやってきた。
「お久しぶりねミネハル君。冒険者をやってるとは聞いていたけど、本当に冒険者をしていたのね。あら、怪我をしているのね、大丈夫? そちらの周りの女性達は、お仲間かしら? 女性ばかり三人? ミネハル君も隅に置けないわね」
俺が再開の挨拶どころか口を挟む間もなく、矢継ぎ早に言いたいことを喋り続ける。
なんとなくその圧に気圧されて、元々引っ込み思案なところのあったティオルは押し黙ってしまって、ララルマもこういうタイプの女性は苦手なのか、猫耳と猫尻尾に元気がなくなって俺の陰から出てこない。
ユーリシスだけが、いつもと変わらず堂々と座っている。
というか、自分への追求が逸らせたから、歓迎ムードですらあるのが腹立たしい。
「ストップ、レイテシアさん。せめて俺にも再会の挨拶をさせて下さいよ」
「あら、ごめんなさい。懐かしい顔に出会えたものだから、つい」
適当なところで遮ると、ようやくレイテシアさんはお喋りを中断してくれた。
喋りたいことを口を挟む間もなく喋る人だけど、こちらが何か言えば、ちゃんと耳を貸してくれるから助かるよ。
レイテシアさんは、俺より二つ年上で二十九歳。
落ち着いた色合とデザインのワインレッドのドレスに、いかにも魔法使いっぽい黒いローブを羽織っている。
赤い石が飾られた細工の細かい高価そうなヘアピンと、同様のデザインの高価そうなバレッタで、栗色のセミロングの髪をアップにまとめていた。
ユーリシス程ではないけど気が強そうな吊り目をしていて、すらりと背も高く、胸はティオルよりちょっと大きいかどうかって程度の小ささだ。
さらにドレスとローブで隠されていて目立たないけど、そこそこ鍛えてもいるらしく、この世界の美女の要件を十分に満たしている。
おかげで、そういう意味でも冒険者達の視線を集めていた。
この世界の美女の要件に関係なく、俺の目から見てもかなりの美人だと思う。
くいっと裾が引っ張られて、『誰なんですか?』って、ティオルが再度俺に目で訴えかけてきた。
その視線にレイテシアさんも気付いたんだろう。
俺が紹介する前に、自分から高々と名乗りを上げた。
「わたしはレイテシア・オランド。ご覧の通り上級魔術師で魔法学の権威よ」