84 傷跡と後悔と責任と
それから十日が過ぎ。
「はっ、やっ、ていっ!」
冒険者ギルドの裏手にある練習用の広場で、ティオルが全力で剣を振る。
「ふぅ……動きに違和感も痛みもないですし、もう大丈夫です」
「よかった、これでティオルは完治だな」
「はい」
額の汗を手の甲で拭うと、嬉しそうに頷いて俺の方へとたたっと駆け寄ってくる。
後遺症もなく、包帯も全部取れて、それはとてもいいことなんだけど……。
包帯の下から現れたその手足に、うっすらと傷跡が残ってしまっていた。
特に酷く爪で引き裂かれた箇所だけで、全ての傷跡がってわけじゃない。
全身あちこち傷だらけになっておきながら、むしろほとんど綺麗さっぱり消えて残っていないくらいだ。
村のすぐ側での戦闘だったから、素早く適切に手当出来たのが幸いしたんだろう。
おかげで残った傷跡もよく見ないと分からないし、目立たないと言えば目立たない。
だけど、離れているならまだしも、目の前に立たれるとそのかすかな傷跡が目に付いてしまう。
「ミネハルさん?」
「ああ、いや」
「また考えてるんですか、傷跡のこと」
「……バレバレだったか?」
「バレバレです」
わずかな呆れと苦笑を浮かべて、ティオルは自分の手足に残ったうっすらとした爪跡を見下ろす。
分かっていたはずなのに、俺は直視していなかった。
魔物と戦うってことは、命を危険に晒しながら傷を負い、傷跡を残してしまう行為だってことを。
これまで擦り傷程度で済んでいたのは、奇跡的なことだったに違いない。
それで深く考えもせず、頭の中で分かったつもりになっていたんだ。
そんな浅はかな俺のせいで、まさに思春期真っ盛りの女の子の身体に醜い傷跡を残すことになってしまったんだから、責任を感じないわけがない。
「前にも言いましたけど、男の人も女の人も関係なく、冒険者ならこのくらいの傷跡、みんな普通に残ってますよ。気にするような人は、そもそも冒険者になって魔物と戦ったりしないです。むしろ、すごく強い魔物と戦って勝った時の傷跡は、自慢してるくらいです」
「ああ、そうみたいだな」
俺はともかく、ティオルやララルマが大怪我したから、初めて本気でそこを意識するようになったと言うべきか。
冒険者ギルドで魔法書を読んでいるとき、時々視界の端に映る冒険者の肌に残った傷跡を観察してみた。
『見ろよこの爪跡、帝王熊にやられた傷跡なんだぜ』
『帝王熊!? マジか!? よく腕ごと持ってかれなかったな、すげぇ!』
『へへっ、だろ?』
王都方向から隊商の護衛でやってきたって言う女性冒険者が、知り合いらしいドルタードを拠点にしてる女性冒険者に、そう自慢げに語っていた。
ドヤ顔で語っている様子を見るに、ほとんど勲章と言うべきか。
ティオルの言う通り、男性冒険者はもちろん女性冒険者も、特に傷跡を隠したりせず、恥ずかしいなんて欠片も思っていないようだった。
それは冒険者に限らず、露店の女の子も、食堂の看板娘も変わらなかった。
さすがに、傷が深すぎて上手く動かせなくなるのは気にするらしいけど、そうでなかったら、肌が綺麗なままとか傷跡があるとか、全く気にならないらしい。
きっと魔物と命懸けで戦うのが日常の世界だから、その程度いちいち気にしていられないってことなんだろう。
「ミネハルさんの生まれ故郷だと、『女の子の肌に傷が残るのは歓迎されないこと』なんですよね。ミネハルさん優しいから、それで気にしてくれてるんですよね」
「まあ……そうだな。俺が引っ張り出した戦いだから」
いつの間にか俯いてしまっていたのか、ティオルが俺の頬を両手で挟むと、無理矢理顔を上げさせた。
「あたしのこの傷跡は、自慢できないような、恥ずかしい戦いをした結果付いちゃったものだって、ミネハルさんは思いますか?」
自分は決してそう思っていないって、むしろ自慢していいくらいだって、ティオルの表情は語っている。
「いいや、あれだけの戦いをして、勝って生き残ったんだ。自慢できないわけがない」
「ですよね」
傷跡が残ったっていうのに全く気にもしないで、本当に嬉しそうに笑うんだな。
「好きな人が目指してるすっごくすごく大変で大きな目標をお手伝いして付いた傷跡なんだから、これはあたしの勲章です」
「……そうだな、悪かった。もう気にしないようにする」
でないと、俺がティオルの勲章に泥を塗ってしまう。
「はい、そうしてください」
その屈託のない笑顔に救われるよ。
「ちなみに、わざと弱くて安全に倒せる魔物ばっかり選んで戦うのはなしですからね。ちゃんとミネハルさんの目標に合った魔物を選んで戦わないと駄目ですよ」
怖い顔で睨まれてしまった。
どうやらそれも、バレバレだったらしい。
だから、内心で白旗を揚げる。
「分かった。約束する。厳しくても、戦うべき魔物をちゃんと選んで戦うよ」
「はい、約束ですよ」
それと、と一転して頬を染めて微笑む。
「高いお薬の方が治りが早くて傷跡が残りにくいって聞いて、あたしとララルマさんのために、すっごく高いお薬をわざわざお医者さんに頼んでくれたんですよね」
「知ってたのか?」
「はい。ユーリシス様に聞きました。すっごくよく効くお薬だったから、ビックリして聞いてみたんです」
しまったな、ユーリシスに相談した後、口止めしてなかった。
「いっぱい心配してくれてありがとうございます、ミネハルさん♪」
あまりにも眩しい笑顔と感謝の言葉に、ちょっと顔が熱くなるのを覚えたというか、直視していられなくて、わずかに視線を逸らす。
「どうしたしましてだ」
「はい♪」
なんというか、適わないなぁ。
でも、そうだな、俺のすべきことは気にして後悔することじゃなく、この先ティオルやララルマが大怪我しないで済むように、入念に作戦を立てて守ってやることだ。
それでも取り返しの付かないような大怪我を負ったり、あまりにも酷い傷跡が残るようなことになったら、その時は責任を…………。
…………責任の取り方は、その時になって改めて考えるとして、俺が責任を負うって覚悟だけは決めておこう。
それはそれとしてというか、だからこそというか。
こういうことがあると、やっぱり回復魔法や魔法薬、欲しいな。
「アタシもぉ、完全復活ですぅ!」
それからさらに十日が過ぎて、遂にララルマも完治する。
「腕の痛みはもうないんだな? 違和感とかもないな?」
「はいぃ、ティオルちゃんの全力の打ち込みを受け止めてもぉ、もう痛みは全然ないですよぉ」
お腹の打撲の跡も残っていないし、後は擦り傷程度だったから、そっちも綺麗さっぱり残っていない。
「これもぉ、すごく高い薬を出して貰えるようにぃ、ミネハルさんがお医者さんに頼んくれたおかげですねぇ」
「ララルマも知ってたのか」
「もちろんですよぉ。ありがとうございますぅ、ミネハルさん~♪」
やっぱり気のせいじゃなく、ララルマの雰囲気が以前と少し違う。
おかげで、そんなうっとりした眼差しと柔らかな微笑みで見つめられたら、ちょっと顔が熱くなってしまうというか、つい視線を逸らしつつ咳払いする。
「ともあれ、予定より数日も早く完治したのはいいことだ。これで仕事は受けられそうだな」
俺の傷も、大分穴は塞がってきて、もう三角巾で吊す必要はない。
日常生活程度なら、ほとんど痛みを感じずに過ごせている。
さすがに剣を振ると痛みを感じるし、打ち込みなんかはまだ出来ないけど。
盾を構えて防御に徹するだけなら、角穴兎も相手に出来そうだし、毒鉄砲蜥蜴なら衛生兵で問題なく立ち回れそうだ。
「そういうことならぁ、お仕事再開しますかぁ?」
「角穴兎なら、あたしとララルマさんだけでもやれます」
「一ヶ月とはいえブランクありますしぃ、肩慣らしにぃ、角穴兎いきますかぁ」
「あたしもそれがいいと思います」
「そうか、なら久しぶりに角穴兎を狩りに行くか」