81 閑話 爽やかな朝にララルマが想うこと
◆◆
「クソっ! ララルマから離れろ!」
雷刀山猫が唾液をダラダラと滴らせる太い牙を、今にもアタシの肩に突き立てんとしたとき、ミネハルさんが渾身のタックルで助けに来てくれる。
雷刀山猫が空まで吹き飛ばされて、ミネハルさんはアタシの側に跪くと、手を取って抱き起こしてくれた。
「ララルマが無事で良かった……もしララルマに何かあったら俺は生きていけないよ」
優しく辛そうな言葉と共に、強く強く抱き締めてくれる。
「ミネハルさん~、そんなにもアタシのことをぉ……?」
「ああ、もちろんだ。愛してるよララルマ」
そして、ミネハルさんの顔がゆっくりと近づいてきて、アタシの唇に唇を――
「――んひぃ!?」
宿の天井が見えた。
心臓がバックンバックン言ってる。
ベッドの枕元の窓からは、白々と朝の日差しが差し込んで来ていて……。
「あああぁぁぁ~~~~~…………アタシってばぁ、またあんな夢をぉ……!」
顔が熱くなって、恥ずかしくて、両手で顔を覆い隠す。
そのままブリッジしたり、足をバタバタしたり、ベッドの上を転がったり。
あの日から、毎晩こんな夢ばっかり見てる。
本当にあったこと、なかったこと、どれも途中からは都合のいい展開で。
しかも、ミネハルさんは五割増しで美化されて。
「もういい年なのにぃ、思春期の女の子みたいにぃ」
でも、そう思いつつ、無理もないから仕方ないって自分に言い訳する。
だって、こんな気持ちになるの、生まれて初めてのことだから。
顔を洗って着替えて、身だしなみを整える時に、特に耳と尻尾は念入りにブラッシングする。
何がツボなのか分からないけど、ミネハルさんが時々チラ見してくるから、毛並みは艶々にしておきたい。
それから、新品の眼鏡をかける。
雷刀山猫と戦った最後の衝突で、かなり派手に吹き飛んで地面を転がったらしくて、前の眼鏡は壊れちゃったから。
ミネハルさん好みのフレームを一緒に買いに行こうって思っていたら、前とほとんど全く同じデザインのフレームをミネハルさんが見つけてきて、プレゼントしてくれた。
黒縁のこのフレームが、アタシにはすごくいいって。
またちょっと顔が熱くなるのを感じながら、チラリと部屋の隅においた荷物を見る。
壊れた前の眼鏡は、布にくるんで大事に荷物に仕舞っている。
アタシにとっての転機になった戦い。
戒めと、その時の気持ちを忘れないようにって、お守りみたいな物だ。
「さあぁ、今日も頑張ろぉ、色々とぉ!」
開店休業中だから、いつもよりうんと遅い朝食の時間に合わせて部屋を出て、一階の食堂へ降りる。
「おはようございますぅ」
「おはようございますララルマさん」
「おはようございます、遅いですよ」
この宿にお世話になって数週間、最近すっかりアタシ達の定位置になりつつあるテーブルには、もうユーリシス様が綺麗な姿勢で座っていて、その隣に座っていたティオルちゃんがアタシに気付いて、ちょっとほっとした顔を見せる。
うんうん、ユーリシス様と二人きりだと、何を話していいか分からないし、ちょっと怖いし、間が持たないもんね。
それにしても、ユーリシス様ってさすがお嬢様だけあって、早かったり遅かったりマイペースに行動するけど、食事の時間だけは誰よりも先に席に着いて待ってるよね。
どんな食事も美味しそうに、楽しそうに、綺麗に食べるし。
ユーリシス様の隣、ティオルちゃんの正面に座ると、丁度ミネハルさんも食堂に降りてきた。
「みんなおはよう」
「お、おはようございますぅ」
「おはようございますミネハルさん」
「おはようございます、私をいつまで待たせるつもりですか、早く席に着きなさい」
ミネハルさんの顔を見た瞬間、夢を思い出してしまって、顔が熱くなってしまう。
でも、他の誰にも気付かれない。
だって、ティオルちゃんは今朝一番のいい笑顔を見せてミネハルさんしか見てないし、ユーリシス様は不愉快そうに厳しい顔をミネハルさんに向けてるから。
「ユーリシスは食事の時間については特にうるさいよな」
苦笑しながら、ミネハルさんがユーリシス様の正面、つまり、アタシとティオルちゃんの隣に座る。
全員が揃ったところでそれぞれ注文して、料理が運ばれてくるのを他愛ないお喋りをしながら待つ。
料理はそれぞれ食べたい物と、みんなで分け合う大盛りサラダだ。
料理が運ばれてきたら、アタシとティオルちゃんで競って受け取ってみんなに配る。
スプーンやフォークも配るのもそうだし、サラダを取り分けるのも二人でだ。
ユーリシス様は、こういうときは何もしないで、じっとお行儀良く待ってる。
さすがお嬢様、配膳は下々の者の役目って感じなんだろうな。
逆にミネハルさんには手を出させない。
アタシもティオルちゃんも、ミネハルさんの世話を焼きたいから。
準備が整ったところで、みんなでいただきますをする。
そして、ここからが本番だ。
フォークを手に取って、すぐさま料理に手を伸ばす。
アタシのじゃない、ミネハルさんが注文した料理だ。
アタシがハムを、ティオルちゃんがサラダをフォークに刺す。
「はいぃ、ミネハルさん~、あ~ん~」
「はいミネハルさん、あーん」
二人で、ミネハルさんの口元に運ぶ。
「いや、だから二人とも、毎度毎度言ってるけど、自分で食べられるから」
「駄目ですよぉ、ミネハルさんは利き腕を怪我してるんですよぉ」
「そうです、絶対安静です。だから、お世話はあたしに任せてください」
もう毎食の定番になったやり取りで、ミネハルさん的には恥ずかしいから言い訳をしたいだけ。
アタシもティオルちゃんも引かないから、結局いつもアタシ達に『あ~ん』されて食べてるんだから、いい加減観念して素直になればいいのに。
「……あ、あーん……もぐもぐ、ごくん……あーん……もぐもぐ、ごくん」
「うふふっ♪」
「えへへ♪」
なんだかんだで、真っ赤になって食べてくれるミネハルさんって、可愛い。
アタシとティオルちゃんはミネハルさんを間に挟んだライバルだけど、ミネハルさんに迷惑をかけるような競い合いはしない協定を結んでる。
だから、『あ~ん』して食べさせてあげるのも順番で。
そうして片方が食べさせてあげている間に、自分の分を食べるようにしてる。
でないと、自分達の分をちゃんと食べろって、ミネハルさんに言われちゃうから。
つまり、ミネハルさんに逃げる言い訳をさせないためのコンビネーションだ。
「はいぃ、あ~ん~」
「あーん」
「うふふっ♪」
好きな人に食べさせてあげるのって、ちょっぴり照れ臭くて、でも胸が温かくなって、とっても楽しい。
今度はティオルちゃんに食べさせられているミネハルさんの横顔を眺める。
ハッキリ言って、ミネハルさんってイケメンでもなんでもない。
アタシより弱いし、身体の鍛え方も全然足りてない。
世間一般で言う理想の男性のタイプとは、かなり違ってる。
でも、そんなことはどうでもいいことだって、最近特に思うようになった。
駄肉ブスって蔑まれて、役立たずのゴミ扱いされて、部族の仲間どころか家族の中にも居場所がなくて、部族を追い出されたアタシ。
なんとか生きる糧を得ようと冒険者になってはみたものの、夢も希望もない、明日をも知れない毎日だった。
そんなアタシを女として見てくれて、居場所くれたミネハルさん。
戦う術を与えてくれて、生き残る術を教えてくれた。
アタシを心から仲間だと認めてくれた。
人として、冒険者として、本気で取り組むべき目標も見つけさせてくれた。
感謝、恩人、そんな言葉じゃ言い尽くせない。
これで惚れるな、なんて無理な話よね?
「はいぃ、あ~ん~」
「あーん」
「うふふっ♪」
ただ……唯一の不満は、奥手でヘタレなところ。
これだけアタシとティオルちゃんが迫ってるのに、全然手を出してくれない。
毒鉄砲蜥蜴の毒液を流した後に、薬を塗る振りをしてちょっとくらい際どいところにオイタをしても、見逃してあげるのに。
むしろそのくらい興味を持って触れてくれた方が嬉しいんだけどな。
でも、世界を救う目標があって、それに邁進していて、色恋沙汰をしてる暇がないって言って、なかなかその気になってくれない。
それがまた口先だけじゃないから、素敵な反面、ちょっと手強くて大変だ。
それに多分、それだけが理由じゃない気がする。
ユーリシス様との関係は……恋愛感情はなさそうだけど、ちょっと特別感があって微妙な感じ。
でもそこの兼ね合いもありそうな感じで、何か一線を越えないようにしてるって感じがする。
それが何かは聞いてみたけど教えてくれなかった。
誰しも、誰にも言えないことはあるから仕方ないけど、大事なことなんだから教えて欲しいって思うのは我が侭かな?
何かとチラチラとアタシの駄肉……ううん、巨乳を盗み見てたり、腕を取って押しつけると真っ赤になって狼狽えたりするくせに。
意識してくれてるんなら、もっとその気になって欲しい。
うーん……つまりそれって、これからももっともっと揺らしたり押しつけたり、積極的に攻めていけば、いつか理性が決壊してくれるってことかな?
『いつもいつも、その柔らかくて気持ちいい巨乳を押しつけて誘惑してきたララルマが悪いんだ!』
って、そんな風に襲ってくれたら……うん、大歓迎♪
なんなら縛って押さえ付けて、強引に、欲望のままに、気が済むまで、滅茶苦茶にして弄んでくれてもいい。
ううん、そういう展開を、むしろ希望♪
もう一生、身も心もミネハルさんから離れられなくして欲しい♪
それでいつか――
「――ミネハルさんの赤ちゃん産みたいなぁ」
「ゴフッ!? ゴホッ、ゴホッ……ララル……ゴホッ、ゴホッ、いきなり何を!?」
「……お前は朝から一体何を言っているのです」
盛大に噴き出してむせるミネハルさん。
蔑むように冷ややかな目を向けてくるユーリシス様。
ワナワナと震えながら、目を見開いてアタシを見るティオルちゃん。
「……えぇ? あらぁ? アタシぃ、声に出しちゃってましたかぁ?」
うわぁ……恥ずかしい!
「……しちゃったんですか? ミネハルさん! あたしとじゃなく、ララルマさんと赤ちゃんができるようなことしちゃったんですか!?」
「ちょ、ティオル!? してない、してないからな!?」
慌てふためいて言い訳して、ミネハルさんが困ったような咎めるような目を向けてきた。
「ララルマがいきなり変なこと言うから、妙な誤解が広がったらどうするんだ!?」
「いきなりでもぉ、変なことでもぉ、ないですよぉ」
そう、ちっとも変なことじゃない。
「心もぉ、身体もぉ、すでに準備万端ですからぁ、アタシはいつでもいいですよぉ?」
「なっ!? ララルマ!?」
「あ、あたしっ! あたしもいつでもいいです! あたしもミネハルさんの赤ちゃん産みたいです!」
「ティオルまで!? ちょっと二人とも落ち着いてくれ!」
真っ赤になって狼狽えるミネハルさん、可愛い。
狼狽えても、困っても、全然嫌そうに見えないから、期待しちゃうんですよ?
「お前達、朝からいい加減にしなさい。他の客の前ですよ。そういう話は部屋に戻って、お前達だけでしなさい」
ユーリシス様の、どこまでも我関せずで冷ややかな視線と声に、ようやく周囲の痛い視線に気付く。
「済みません、お騒がせしちゃって」
恥ずかしそうにペコペコ周りに謝るミネハルさん。
アタシもティオルちゃんも、真っ赤になりながら、一緒になってペコペコ謝る。
でも……。
「うふふっ♪」
「笑い事じゃないんだぞララルマ……」
温かな居場所。
一緒になって笑い合える、頼れる仲間。
やり甲斐のある目標。
本気で堕としたい人。
そして、恋のライバル。
毎日がとっても楽しい♪
今回で第二章は終了です。
次回から第三章の本編を投稿していきます。