61 角穴兎 1
「兎の魔物がいるなんてぇ、聞いてませんよぉ!?」
「ミ、ミネハルさん!」
予期しなかった魔物との遭遇、しかも、冒険者ギルドの受付のお姉さんに聞いても討伐依頼の名前を見ても、一切の情報がなかった魔物との偶発的な遭遇戦に突入だ。
ララルマが狼狽え戸惑い、ティオルも混乱したように俺を振り返って指示を仰ぐ。
「俺も初めて見る魔物だ! とにかくやるしかない!」
「はい!」
「は、はいぃ!」
こういう時、ティオルの切り替えは早い。
俺すら初めて見るって言った魔物、角穴兎を相手に、すぐさま剣と盾を構えて戦闘態勢を取る。
ティオルにとって、魔物を倒してみんなを守る、それは己のすべき最優先事項であり、その覚悟を決めているから迷いがないんだろう。
その姿に、一瞬、麗しの女騎士を幻視してしまった。
そんなティオルに釣られるように、ララルマも慌てて戦闘態勢を取る。
角穴兎は『キィィィッ!』と、およそ兎らしからぬ高い声で威嚇してきて、その前足に比べて大きな後ろ足で地面を蹴ると、跳んでララルマに頭から突っ込んだ。
「ひゃあぁっ!?」
驚き慌てたララルマが咄嗟に盾を構えると、ゴンと鈍い衝撃音を立てて真正面から盾にぶつかり、ララルマは後ろによろけ、角穴兎も跳ね返って宙返りすると綺麗に地面に着地する。
「び、びっくりしたぁ……でもぉ、思ったほどじゃないかもぉ?」
「ララルマさん、盾、へこんでます!」
ティオルの指摘にララルマが自分の盾を確認して目を見開く。
角穴兎の角が当たった部分が、深くへこんでしまっていた。
「あの角ぉ、当たったら大怪我するかもぉ……!」
角穴兎は、その名前の通り、頭に角を持つ兎だ。
陽の当たり具合によっては金色っぽく見える薄茶色の体毛で全身を覆われ、足の裏も体毛に覆われていて肉球はない。
額の中央には、薄くグレーがかった白いらせん状にねじれた一本の角を持っていて、その長さは3~5センチほどで短いけど、木製の盾なら簡単にへこませられるだけの硬さを持っている。
体長は五十センチ程あるので、それが角を前方に突き出して砲弾のように跳んでくるわけだから、当たればそれなりの怪我を覚悟しないと駄目だろう。
「このっ!」
ティオルが横合いから切り掛かり、角穴兎はダッシュでその場を離れると、茂みの中に飛び込んだ。
「え……逃げた……?」
茫然と、茂みに消えた角穴兎を見つめるティオル。
次の瞬間、茂みが大きく揺れて、角穴兎が一直線に跳んできた。
「きゃっ!?」
盾を翳して思わず仰け反り尻餅を付いたティオルの、その盾を踏み台にして、角穴兎は反対側へと跳躍して地面に着地する。
「なんとなくぅ、馬鹿にされてる気がしますぅ!」
角穴兎はそんな性格に設定してないし、そんなことはないと思うけど、確かに二人とも翻弄されているって感じだな。
「えいっ!」
「このぉ、待てぇ!」
「やっ! はっ!」
「ええぇぃ!」
角穴兎のベースは、討伐依頼も出ていて肉を肉屋に卸す兎、元の世界で言うところのアナウサギだ。
なので、走る速度はノウサギほどは速くない。
とはいえ、全力の大人でギリギリ追いつけるかどうかの速度で跳躍するように走るから、純粋な追いかけっこになったら装備を抱えている冒険者が追い付くのは難しい。
ただし、性格は獰猛にして縄張り意識が強い設定にしているから、自分達を一蹴する捕食者に襲われない限りは、縄張りから敵を追い出すまでヒットアンドアウェイで繰り返し攻撃してくる。
なので、ティオルもララルマも、なかなか角穴兎を捉えられず、攻撃が空を切ってばかりだった。
「はぁ……はぁ……注意して盾を使えば、攻撃は受けないですけど」
「はぁ……ふぅ……すばしっこくてぇ、こっちの攻撃も当たらないですよぉ……」
そんな二人を、ユーリシスは不甲斐ないって顔で呆れたように見ているけど、余計な口を挟んだりせず、二人と角穴兎の戦いの様子を観察している。
俺の今回の実験が、果たしてどのような結果をもたらすのか、それを注視しているみたいだ。
「ティオル、ララルマ、跳んでくる角……んんっ、その魔物を、跳んでくる時に捉えるのは難しそうだ、走り回って追いかけるのも現実的じゃない」
危ない危ない、初めて見た魔物のはずなのに、つい角穴兎ってそのまま呼んでしまうところだった。
「じゃあぁ、どうすればいいんですかぁ!?」
ララルマのメイスが、また空振りして地面を叩く。
不意にティオルの動きが止まって、角穴兎を真剣に見つめて、何事かを考える。
「そうだ、思い付きました!」
「なになにぃ、何をですかぁ?」
「次、あたしに向かって跳んできたら、ララルマさんの方に落とします。ララルマさんは着地する瞬間を狙って叩いてください」
「ああぁ……なるほどぉ!」
どうやら、作戦は決まったらしい。
ティオルが角穴兎の正面に立って、ララルマがティオルの左側、つまりは盾を構えている側に移動する。
ティオルはそのまま無理に追いかけ回さずに、常に角穴兎を真正面に捉えるように動いて、ララルマもまた、ティオルの左側になるように動き回る。
そして、再び角穴兎が跳んで、ティオルへと突っ込んでいった。
「来ました! 『シールドガード』!」
インパクトの瞬間、盾の防御力と耐久力を上げて、盾が角でへこんで衝撃が逃げないようにしながら、攻撃を弾くように盾を斜め下に振り下ろして、角穴兎を弾き返す。
角穴兎は体当たりの勢いをほとんどそのまま弾き返され、着地の体勢を取る間もなく地面に叩き付けられた。
「今ですぅ!」
そこを狙って、ララルマがメイスを叩き付ける。
「ギュイィィィッ!!」
大きく悲鳴を上げると、角穴兎は頭を半分叩き潰されて、そのまま地面に転がりピクリとも動かなくなった。
「へ? もうおしまいですぅ?」
「……当てたのって、今の一撃だけですよね? 最後は、あっけなかったですね?」
翻弄されて空振りばかりだったのが、たったの一撃で幕引きになって、ティオルもララルマも呆けたように、地面に転がっている角穴兎を眺める。
ララルマなど、本当にもう動かないのかと、メイスの先端でつついたりひっくり返したりしているくらいだ。
まあ、この結果は、さもありなん、ってところだな。
だって、所詮はアナウサギを魔物に仕立てただけなんだ。そのレベルも三~五と、非常に初心者向けになっている。
そんな二人からわずかに距離を取って、ユーリシスを振り返る。
「どうだ?」
「そう、ですね……確かにこの程度であれば、当面、さほどの脅威にはなりそうにありません」
「じゃあ、いいってことだな?」
「……いいでしょう」
多少歯切れが悪いけど、創造神の許可は出たってことで。
「じゃあ、続けて頼む」
「……分かりました」
ユーリシスは再び両手に神々しい力を集めると、それを解き放った。
その力が波動となって、もう一度世界中へと広がっていく。
これで、世界中に生息するただの兎の半数が、角穴兎へと進化したわけだ。
兎は性欲が強いって言われている動物だ。
理由は、発情期がないため、年中繁殖可能だかららしい。
当然、角穴兎も発情期がなくて年中繁殖可能。
それも、一度に生む子供の数は、普通の兎より少し多めに設定してある。
これまで兎が肉や毛皮を目的に狩られても絶滅していないように、角穴兎もそう簡単に絶滅しないだろう。
「これで、初心者救済のチュートリアルバトルのコンテンツが追加されたってわけだ。後は当面、初心者の動向を様子見だな」
「正直、本当にこのような真似をして良かったのか疑問です。世界への影響は、新スキルを追加するどころではありません」
「新スキルはまだ一つしか導入していないからな。これからどんどん増やしていくから、その影響はどんどん大きく広がっていくぞ」
「……」
ユーリシスがなんとも言えない顔で、大きく溜息を吐いた。
ユーリシスと話していると、ティオルが未だ戸惑い顔で近づいてくる。
「ミネハルさん、こんな魔物がいるって知ってました?」
「いや、聞いたことないし、知らなかったよ」
一応、ギリギリ嘘じゃないってことで。
「ミネハルさんでも知らない魔物っているんですか?」
最近、なんでもかんでもホロタブで検索して調べているからな……ティオルの中で、俺が知らないことなんて何もないくらいに勘違いされてそうだ。
「もしかしたら、新種の魔物かも知れないな。一本角の兎、名付けるなら角穴兎ってところか」
さりげなく、俺の決めた名前を宣伝しておく。
「新種の魔物ですか!?」
「あっ、聞いたことありますぅ。何十年かに一度ぉ、新種の魔物が発見されることがあるってぇ」
へえ、そうなのか?
ユーリシスも同じことをしていたのかと、視線だけで尋ねると、ユーリシスは小さく首を横に振った。
じゃあ、本当に新種の魔物が何十年かに一度、新たに発生するのか進化するのかして、発見されているのか。
それもなんだかすごい話だな。
「だったら、とんでもない大発見です! 急いで冒険者ギルドに報告しないと!」
「そうだな、このことは冒険者ギルドに報告して判断を仰ごう」
いくら『自己責任でお願いします』の我関せずだったとしても、さすがに国に報告するなり、近隣の村に警告を出すなり、なんらかの対応はしてくれるだろう。
是非ともそうやって、角穴兎のことを周知して貰いたいもんだ。
「よし、そうと決まれば、日が暮れる前に急いで帰ろう」