60 邪神の所業
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「そうですか、お前は邪神となって世界を滅ぼす選択をしたというわけですね……!」
ユーリシスから怒りのオーラが立ち上り、その力を受けて疑似神界が鳴動する。
「待った! 右手を挙げるな力を溜めるな! 話は最後まで聞いてくれ!」
「最後まで聞く必要などないでしょう! 自然に進化したわけでもない、新たな魔物を人為的に生み出し世界中に放とうなどと、まさに魔王か邪神の所業と呼ばずしてなんだと言うのです! 人類を、私の世界を滅ぼすつもりでなければ、その邪神のごとき発想が出てくるはずがないでしょう!」
冒険者ギルドで思い付いたアイデアを切り出した途端、人類の敵、いや神の敵とばかりに鋭い視線で俺を射貫いてきたユーリシス。
これじゃあ、説得どころか話し合いすらままならない。
背筋を伸ばし表情と声音を改め、仕事モードになってから、上司らしく部下にまずは話を聞けと訴える。
「要は脅威度の問題、つまり人類を滅ぼす程の危険な魔物にしなければ済む話だ。だから邪神の所業じゃなく、文字通り神が与える新たな試練と恩寵と呼んで欲しいな」
「神が与える新たな試練と恩寵、ですか……?」
今まさに振り下ろさんとしていたユーリシスの右手が止まる。
「ああ、その通りだ」
かなり胡散臭そうにしているけど、少しは聞く気になってくれたみたいだな。
「ホロタブで改めて世界中の魔物を検索した結果、少なくとも現在の人類の生存領域とそれに接する魔物の生存領域において、レベル九以下の魔物は確認出来なかった。つまり、その手の弱い魔物はとっくの昔に討伐されて絶滅してしまったわけだ」
レベル十とか十一とか、その手の現時点で最弱の魔物ですらここ数十年で総数は減ってきているし、その中でも単独行動している魔物はさらに少なく、ほとんどが群れているせいで、とてもじゃないけど初心者の手には負えない。
冒険者の後進が非常に育ちにくい状況に陥っているわけだ。
このままじゃ冒険者の数は先細りで、人類側の戦力は減る一方……つまり人類の滅亡が加速する一方ということだ。
なので、不遇武器の布教と新スキルの創造とは別のアプローチで、人類側の戦力が増える方策を実行しないといけない。
「……だから、弱い魔物を創造しようというわけですか?」
「ああ。初心者でも、もっと言うのなら、ただの村人達でも数人集まれば討伐出来る程度の弱い、だけど放置も出来ない、チュートリアル戦闘向けの脅威度の低い魔物に設定する。これで実戦形式で戦闘訓練を行えるし、魔物と戦う心構えや度胸なんかも付けられる。不遇武器の布教と合わせれば、人類側の戦力の増加は加速するはずだ」
「しかし、脅威度が低い魔物はすぐに絶滅させられるでしょう。一時的な対処療法では意味がありません」
「そこもちゃんと考えてある。要は、その魔物の繁殖力が強ければいいんだ。簡単に狩れる、だけど増え続ける。だから絶滅するまで数を減らせない。そして、増えすぎたところで、人類を滅ぼす程の脅威にはなり得ない。おまけにレベルの高い強い魔物の餌にもなるとなれば、食物連鎖に組み込めて調整出来るし、人や村が襲われるリスクも減る」
「随分といいことずくめに聞こえますが、神ならぬ人間ごときの分際で、本当にそのような魔物を創造出来るつもりですか?」
「ああ、もちろん。と言ってもゼロから創造するわけじゃない。すでにいる動物の一部を魔物化させるんだ」
「動物を魔物化ですか……」
ユーリシスが考え始める。
よし、検討してくれているな。
「魔物は魔法を使える動植物でしかないんだろう? なら、動物が進化して新たに魔物のカテゴリーに分類されるような力を得た、って考えれば、そう不自然じゃないはずだ。生態を大きく変えさえしなければ、現状の生態系に与える影響は極僅かで済む」
「…………」
かなり複雑そうな、渋い顔を見せるユーリシス。
だけど、即座に反対とは言わない。
「確かに、魔物を新たに生み出す、それも自然に進化したわけじゃなく、人為的にってところで引っかかるのかも知れないけど、行うのが神であれば、それは神の御業として許容範囲じゃないか?」
「……お前の言う範囲で収まるのならいいのですが…………」
なんだ? 強く懸念するような何かがあるのか?
「気になることがあるなら遠慮なく言ってくれ」
所詮は人間が考えた理屈だ。
自然界の法則すら作り出した創造神にとって、不自然極まりないだろうからな。
「……いえ、これは試すいい機会かも知れません」
「試す? 何を? 俺を?」
ユーリシスはそれには答えず、確認してきた。
「その魔物化する動物とはなんです」
「ああ、兎だ」
◆
「ここが通り道になってるんでぇ、ここに仕掛けるのがいいんですよぉ」
森の中、ララルマがおっとり口調とは裏腹に、テキパキと罠を仕掛けていく。
「ララルマにそんな特技があったとは知らなかったよ」
「部族にいた頃はぁ、直接魔物と戦ったり狩りをしたりは苦手だったからぁ、他に何かできることはないかと思ってぇ、覚えたんですぅ。荷物持ちばっかりじゃぁ、肩身が狭かったんでぇ」
「なるほど。そういえば、ドルタードに来る時も荷馬車で御者をしてくれたし、裁縫も出来るって話だし、ララルマって多才なんだな」
「うふっ、惚れちゃいましたかぁ?」
巨乳を揺らして科を作るのは勘弁して欲しい。
「うふっ、男の人に赤くなってもらえるなんてぇ、夢みたいですよぉ」
「くっ……勘弁してくれ」
そんなうっとり夢見る顔で照れられたら、ドキドキと鼓動が早くなって、どんな顔をしていいのやら。
「あ、あたしだって、今日は弓を使って仕留めてみせます。剣術だけじゃないです」
対抗して、今回のために新しく買った弓を構えるティオル。
そうアピールされると、ちょっと照れる。
「その男の何がいいのか知りませんが、浮かれて気を抜いていると、思わぬ痛い目に遭いますよ。色ぼけして怪我をしたなど、笑い話にもなりません」
数歩離れたところで作業を見ていたユーリシスが、呆れて理解出来ないって顔で、苦言を呈してくる。
「い、色ぼけなんてしてません」
「ちょっとくらいいいじゃないですかぁ。兎相手に大した危険なんてないですよぉ。ユーリシス様ってぇ、厳しいですねぇ」
ティオルが恥ずかしげに慌てて否定して、ララルマは照れたように苦笑する。
相変わらず前後に余計な一言が付いているけど、今日ばかりはユーリシスが注意するのも仕方ない。
今日は冒険者ギルドで予定通り『兎狩り』の依頼を受けてきた。
ララルマがもっとメイスと盾の扱いに慣れるために、『兎狩り』で実戦形式の訓練をしよう、最初にそう提案したとおりに。
ただし、それは単なる言い訳、本来の意図を隠すための仕込みだ。
昨日の夜、ユーリシスを説得して新たに創造した魔物を、今日このとき解き放ち、偶発を装った初の遭遇戦をしようという目論見だ。
「この辺りに罠を仕掛けるのはこのくらいにしてぇ、場所を移動して兎を狩りましょうかぁ」
「ああ、そうしよう」
ララルマはメイスと盾を構えて、先頭を歩きながら兎の痕跡を探す。
俺もホロタブを開いて、兎の痕跡を検索しながら、その後ろをついて行く。
ティオルは今回、盾は左手にくくりつけて腰に片手剣を佩いているけど、弓を手にしていた。
俺が一直線に兎を目指して移動するのも不自然だから、飽くまで助言で誘導しつつ、ララルマに兎の所まで案内して貰う。
「あっ、いましたよぉ」
声を潜めて、ララルマが指差した先に、一羽の兎を発見する。
「距離があるな。ティオル、頼む」
「はい」
ティオルが弓を構えて、慎重に狙いを付けて、そして矢を放つ。
「あっ……!」
残念ながら、矢は的を外し、兎の頭上を越えて木の幹に突き刺さった。
脱兎のごとくという言葉通り、ものすごい勢いで兎が逃げていく。
「世話の焼ける」
ユーリシスがぼやくと、魔法で石礫を飛ばし、兎が逃げる方向を誘導して、ララルマに向かって走らせた。
「ララルマ、出番だ」
「はいぃ、頑張りますぅ」
メイスと盾を構えて兎を迎え撃つ。
結果は……なんだかんだで取り逃がしてしまった。
「うぅ……情けないですぅ、兎一匹倒せないなんてぇ」
「まあまあ、気を落とさないで次行こう」
「お前は甘過ぎです。この私が手を貸したのですよ、小娘も、駄肉猫も、次は必ず仕留めなさい」
「は、はい!」
「はいぃ! ってぇ、駄肉猫って呼び方ぁ、どうにかなりませんかぁ?」
とまあそんな調子で、ティオルが弓で仕留めたり外したり、ララルマも叩きのめしたり逃がしたり、大した緊張感もなく一喜一憂しながら、三羽程を仕留めた。
その後、罠を回って確かめてみて、一羽だけ掛かっていたから、それを仕留めて他の罠も全部回収する。
「兎四匹ぃ、まずまずですねぇ」
「そろそろいい時間ですね。暗くなる前に帰りますか?」
「ああ、そうだな」
頷いて、ユーリシスに目線を送る。
それが合図だ。
ユーリシスは頷くと、両手に神々しい力を集め、それを解き放った。
それは波動となって、世界中へと広がっていく。
すると、ガサリと近くの茂みが揺れた。
「そこにもう一羽潜んでいそうだな。それを最後にしようか」
「はい」
「最後にもう一匹仕留めてぇ、気持ちよく帰りたいですねぇ」
緊張感の欠片もなくララルマがメイスと盾を構えて、距離が近いからか、ティオルも弓を捨てて片手剣を抜いた。
そして茂みから飛び出してくるそれ。
「な、なんですかこれ!?」
「兎じゃないぃ!? もしかして魔物ぉ!?」
それが、新たに創造された魔物、角穴兎のお披露目の瞬間だった。