41 ティオルが抱くユーリシスへの疑惑
◆◆◆
リセナ村を出立した峰晴、ユーリシス、ティオルの三人が王都へと向かう道すがら。
日が暮れてきたところでキャンプを設営し、大きな石を拾い集めてカマドを作り、夕食の支度をする。
食事当番は、必然的にティオルの役目になった。
理由は至極単純。ユーリシスが自ら進んで料理するはずがなく、峰晴は屋外での料理に不慣れであり、何よりティオルが峰晴の世話を積極的に焼きたかったからだ。
干し肉を入れて柔らかく戻した具材少なめの野菜スープと、少し硬めのパンというシンプルかつオーソドックスな野外料理だったが、調理するティオルはご機嫌だった。
「はい、ミネハルさんどうぞ」
「ありがとうティオル……うん、美味い」
手料理を口にした峰晴の微笑みに、ティオルは頬が熱くなるのを覚えながら、照れ臭そうに微笑む。
そして自分も食べながら、峰晴が木のスプーンで口に運ぶ様子を、横目でじっくりと観察してみた。
峰晴はどんな味付けが好みなのか、好き嫌いはないか、それを把握するためだ。
日持ちするように固めに焼いたパンを口にしたときはちょっと眉をひそめたものの、それ以外には特に好き嫌いはないようで、ティオルとしてはほっとしたような、好みを十分に把握出来ずにもどかしいような、少し複雑な気分になったが、この先いくらでも時間はあるからと思い直す。
意外だったのは、ユーリシスが安っぽい野外料理に文句の一つも言わず、むしろ食事を楽しんでいる様子だったことだ。
おかげで、夕食は和やかな雰囲気のまま無事に終わった。
しかし、問題はその後だった。
「じゃあ、交代で見張りをしながら寝ようか」
王都へ向かう街道沿いとはいえ、魔物が出る危険はあるし盗賊が出る危険もあった。
だから誰かが起きて見張りをしなくてはならない。
なのにユーリシスが見張りに立つことを拒否したのだ。
「なぜ私が貴重な睡眠時間を削り見張りなどしなくてはならないのですか。お前や小娘がすればいいでしょう」
「睡眠時間が貴重なのは俺もティオルも同じだからな? 公平にするのは当然だろう。なんで自分一人だけ見張りしないで済むと思ってるんだよ」
ユーリシスが怖いのでティオルは二人のやり取りに口を挟まなかったが、文句を付けて見張りをするよう説得する峰晴の後ろで、うんうんと頷く。
問題はこの直後に起きた。
「はぁ……本当に、いざとなったらちゃんと起きろよ?」
「念を押されずとも分かっています」
ユーリシスが右手を軽く横に振ったと思ったら、会話が繋がっていないにも拘わらず、峰晴が何かを納得したようにすぐに説得を止めてしまったのだ。
それはつまり、何かしらのアイコンタクトが交わされ、ティオルには理解出来ない何かが二人の間で通じ合った、ということだ。
「ティオル悪い、見張りは二人で交代になりそうだ。いざとなったら事が起きる前にユーリシスがすぐ起きてくるはずだから、一人ずつでも大丈夫だと思う、多分。それと、どうせユーリシスは二度寝してすぐに起きないだろうし、出発は遅らせて少し長く眠れるようにしよう。見張りの順番は先がいい? それとも後がいいかな?」
戸惑うティオルに、峰晴は申し訳なさそうに尋ねてきた。
そんなティオルの視界の端で、二つ立てられたテントのうちの一つにユーリシスが入っていき、占拠してしまう。
つまり、残りの一つを峰晴とティオルで交代して使うことになる。
なんでそうなったか分からないから、ふつふつと湧き上がってくる不満。
ユーリシスと二人きりで長時間見張りをする気まずさを感じずに済むが、峰晴と二人きりで焚き火を見ながらゆっくり語り合うことも出来なくなってしまった。
ユーリシスが寝てしまえば、それ以上の行為の可能性……期待もあったが、その希望も潰えてしまった。
明らかにティオルよりもユーリシスに気を遣っている態度だ。
「えっと……ティオル?」
答えないティオルに、峰晴が戸惑う。
峰晴とユーリシスの関係は、とてもちぐはぐに見えた。
ちゃんと言葉にしないと伝わらず、知り合って間もないようにも見えれば、言葉にせずとも理解し合う、何か深いところで通じ合っているようにも見える。
それが、ティオルの不安を掻き立てる。
その不安を解消して欲しいのに、峰晴は鈍いのか、そんな心情を察してくれないのももどかしい。
とはいえ、それを真正面からぶつけるにはまだ気後れするくらい、ティオルは峰晴と深い信頼関係を築いていないことを自覚していた。
だから、頷く。
「大丈夫です、ちょっと考えたいことがあるから、あたしが先に見張りに立ちますね」
「分かった。時間が来たら遠慮なく起こしてくれ」
安心したように、峰晴はもう一つのテントに入っていった。
もうちょっと何かしら声をかけてくれてもいいだろうという不満を飲み込む。
それを見送って一人になった後、焚き火に薪をくべる。
揺れる炎を見つめながら、様々な事を考えて、やがて一つの結論を下した。
道中は諦めよう、と。
そして王都に着いてから期待しよう、と。
◆◆◆
「ユーリシス様はミネハルさんと、どういう関係なんですか?」
王都に到着した日の夜、ユーリシスに宛てがわれた宿の一室にて。
ティオルの意を決した問いの、あまりにも想定外な内容に、ユーリシスは一瞬フリーズしてしまう。
いつも自信がなさそうに俯き気味で、距離感を掴みかねているように、あまり積極的にユーリシスへ関わってこないティオル。そのティオルが、今夜はわざわざユーリシスの部屋を訪ね、二人きりになってまで発した問いだった。
わずかに目を見開き動きが止まったユーリシスに、ティオルが抱いていた疑惑を確信に変えたのが見て取れた。
「ただの同僚ではないんですね?」
「馬鹿馬鹿しい、私があの男となんだと言うのです」
一拍遅れて再起動を果たし、いつもと変わらない上から目線で、切って捨てるように言い放つユーリシス。
しかし内心の動揺のせいで、視線と舌鋒の鋭さと尊大さにわずかばかり勢いがない。
誤魔化しに徹しようとするユーリシスの機微を見逃さないように観察するティオルの瞳に、確信に変わったばかりの疑惑が深まるのが見て取れて、さらに内心の動揺が大きくなる。
ユーリシスの動揺も無理からぬことだった。
これまで誰も、ユーリシスが何者なのか、峰晴とどのような関係なのか、それに興味を抱いて問いかけてくる者はいなかった。
魔物討伐の見学のため現地まで同行した『アックスストーム』のメンバーも、ユーリシスの容姿に下心を覗かせはしても、口説いたり積極的に話しかけたりしてこなかった。
彼らとほぼ同時に知り合ったティオルも、その後十日近くを一緒に過ごし、共に命を賭けて戦っておきながら、ユーリシスへ積極的な興味を抱く様子はなかった。
それは、彼らやティオルがユーリシスと親交を深める気がない薄情者だった、などという話では決してない。
なぜなら、ユーリシスが神の御業により自分へ積極的な興味を抱かないよう、認識阻害を行っていたからである。
ユーリシスも峰晴も、その正体と目的を知られてはならない。
その関係性についても同様である。
峰晴の『同僚』発言はユーリシスにとってあまり好ましくはなかったが、周囲の関心に対する一定の答えとなり、それ以上深く踏み込ませないことに一役買っていた。
そのおかげもあり、ユーリシスと峰晴の関係への認識阻害は、なんら違和感を抱かせることなく効果を発揮していたのである。
それが、ここに来てこの質問だ。
峰晴との間で行われた際どい会話も認識阻害の対象となっていたのだから、関心を持たれること自体が異常事態と言える。
「…………」
「…………」
ベッドに腰掛けるユーリシスの正面で、椅子に座るティオル。
若さ故の熱意と生来の素直な性格からか、本心を見逃すまいと真っ直ぐにユーリシスの瞳を覗き込んでくる。
「……」
その圧に押されたように、ユーリシスはわずかに視線を泳がせてしまった。
「やっぱりただの同僚じゃないんですね。お二人は特別な関係なんですね」
「な、何を根拠にそのようなことを」
「動揺してるじゃないですか、それが動かぬ証拠です」
ユーリシスは態度に出してしまった失態に、内心で舌打ちをする。
疑似神界で初めて峰晴を滅ぼした際に、峰晴の記憶や人格の一部を弄ったり、不要な記憶を消したりした。
ティオルにもそれをするかと考えるが、どの時点のどのような内容で疑惑を持たれたのかが分からないので、軽々に記憶の改竄をするわけにはいかなかった。
そのわずかな思考の間に座っている椅子ごと膝を詰めてきたティオルに、ユーリシスはわずかに仰け反る。
「お二人は、実は恋人同士じゃないんですか?」
「………………は?」
さらに語気強く予想だにしなかった追及を受けて、間の抜けた声を上げてしまう。
「もしくは親同士が決めた許嫁とか、とにかく特別な関係ですよね?」
「……………………馬鹿馬鹿しい」
心の底から脱力して、ユーリシスは盛大な溜息を漏らしていた。
ティオルが馬鹿げた勘違いをしているだけと分かり、完全にペースを取り戻す。
「私があの男となんだと言うのです。この私を愚弄するつもりですか。滅ぼしますよ」
「ひっ……!?」
普段の威圧感を取り戻した鋭く冷たい眼光に、ビクリと身を強ばらせて簡単に脅えるティオル。
こうなるともはや、ユーリシスの敵ではない。
しかし今夜のティオルは怯えながらも食い下がった。
「じゃ、じゃあ、どういった関係なんですか……?」
「あの男が言っていたでしょう。ただの同僚です」
「……それを信じろって言うんですか?」
「それ以外にどう説明しろと言うのです」
ユーリシスとしては自分が部下で峰晴が上司という関係が甚だ不愉快ではあるが、峰晴が今回の件を神から依頼された仕事だと考えている以上、同僚であるという説明に嘘はない。
「…………」
十分に納得したわけではない、まだ疑念と不満を抱いている顔をしているが、それを嘘だと断じて追求するほどの材料を見出せないのか、ティオルは乗り出していた身を引いて、椅子の背もたれに身体を預ける。
その様子に、ユーリシスは小さく疲れた溜息を漏らした。
話の本質的な部分で決着は付いたので、後はいかにあしらい話を終わらせるかでしかない。
「……じゃあユーリシス様は、ミネハルさんのことをどう思ってるんですか? 例えばその……好き、とか……恋人になりたい、とか……」
「冗談ではありません。なぜ私があの男ごときにそのような感情を抱かなくてはならないのですか、不愉快です」
「もしかして、ユーリシス様って、ミネハルさんのことが嫌い……なんですか?」
「好きか嫌いかで言えば、嫌いです」
「き……嫌い……なんですか」
即座の断言に面食らうティオルへ、ただ頷いてみせた。
自らが発する言葉は神の言葉である。
人間ごときに曲解されたり勘ぐられたりするのは不愉快だが、神の言葉を正しく理解するよう努めるのは、被造物たる人間の責務であり、それで正しく理解出来ないのであればその人間はその程度の存在で、神たる自分が分かりやすく何度も説明してやる労力を払う価値などない。
そう考えている。
だからこそ、堂々と言い放つその言葉に説得力があった。
故にティオルも思い出し納得する。
ユーリシスはいついかなる場合でも、たとえ相手が誰でも、一貫して迂遠な言い回しやオブラートに包む真似はせず、思うところを言葉にしてなんら恥じることなく堂々としていたことを。
「じゃあ、その……ユーリシス様は、あたしがミネハルさんと恋人同士……になったり、け、け、けっ……結婚しても、なんとも思わない……ってことでいいんですか?」
「ああ、なるほど、そういうことでしたか」
遅ればせながら、ユーリシスはようやく今回の話の趣旨がなんであるかを理解する。
ただ、峰晴に対してそのような感情を抱いているティオルの心情までは理解出来なかったが。
「お前があの男に対して懸想しようが、劣情を抱こうが、情欲のままにまぐわおうが、私の知ったことではありません」
「れっ!? じょっ!? だ、駄目ですユーリシス様! 女の子がそんな言い方したら! はしたない女の子だって思われちゃいますよ!?」
慌てるティオルに、ユーリシスは怪訝な顔を返す。
「だったら、なんと言えばお前は納得するのです」
「それは……例えば『想いを寄せる』とか、『もっと近づきたい、知りたい、触れたいって思う』とか、『目と目を交わし、想いを交わし、愛し合って結ばれる』とか……」
「……? 分かりませんね。どう言葉を飾ろうが、本質は何も変わっていないでしょう。子孫を残すために番いになり生殖行為をしたい――」
「わーーー! わーーー! わーーー! 変わるんです! 主にロマンチックなあれこれとか! 周りの目とか!」
乙女心の機微を解さないユーリシスが信じられず、頭痛を覚えるティオル。
育ちが違うとこうも考え方に隔たりがあるのか、と困惑するしかない。
言葉を遮られ、しかもそんな態度を取られたことに、ユーリシスは馬鹿にされているようで不快感を覚える。
「と、とにかく、いいんですよね?」
そんなユーリシスの面倒な気配に、早々に話を切り上げて退散することにして、ティオルが上目遣いで再度確認する。
その態度に不満はあるが、言っていることにはなんら不満はなかったので、ユーリシスは事も無げに頷いてみせた。
「好きにすればいいでしょう」
「はい、そうします。夜分遅くにお邪魔しました」
盛大に安堵したように胸を撫で下ろし足取り軽く出ていくティオルを見送って、ドアが閉まったところで、ユーリシスも内心で小さく胸を撫で下ろしていた。
「予想外のことで驚きましたが、認識阻害は問題なく効果を発揮しているようですね」
ティオルはユーリシスが最初に見せた動揺に関し、恋愛以外の特別な関係が存在していることをすっかり意識の外に置いてしまい、見逃してしまっていた。
◆◆◆
ユーリシスの部屋から戻ったティオルは、一番綺麗な下着とパジャマに着替えて、魔法道具のランタンのスイッチを切り明かりを消すと、そのままベッドに潜り込んだ。
「……」
寝たふりをしながら、ドキドキとその時を待つ。
「…………」
三十分……一時間……と、時が過ぎるのをひどく遅く感じながら、物音に耳をそばだてて、ドアの向こうを意識する。
「……………………」
煩いくらいの自分の心音を聞きながら、今夜自分の全てが変わる出来事が起きるかも知れないと思うと、期待と不安でどうにかなりそうだった。
はっと目を覚まし、自分がドキドキしすぎて消耗し、待ち疲れていつしか寝てしまっていたことに気付く。
窓から差し込む日差しと小鳥のさえずり。
視線を上げると窓の向こうに白む東の空と朝日が見える。
いつもの起床時間だった。
慌てて掛け布団をめくって確認するが、パジャマにも下着にも、一切の乱れがない。
「えっと……」
落胆と、ほんのわずかな安堵と、それ以上に峰晴に対して湧き上がるモヤモヤとした恨めしさと、様々な感情が胸中をグルグルと回る。
その後の朝食でむくれたティオルが、いつもようにサラダを取り分けたり、スプーンやフォークを手渡したりなど、甲斐甲斐しく世話を焼いたりせず、峰晴に対して少し冷たい態度を取ってしまっても、それは致し方がないことだろう。
なぜなら、野宿じゃない、ユーリシスの目もない、リセナ村を出て以来初めて二人きりになれる夜だったのだから。