4 異世界初心者に優しくない仕様
「よし。それじゃあ早速お仕事開始といきましょうか」
当面の方針を決めて、世界を救うための一歩を踏み出すために気合いを入れて女神様を振り返る。
ん……?
いま女神様の目つきが鋭くなって、少し睨まれたような……?
いや、きっと目つきが悪いせいだろう。
「まずは先入観なしにこの世界のことをきちんと知りたいんで、情報収集がてら少し見て回りましょうか」
女神様を促して大通りを歩き出す。
いきなり王城の前に行って不審者扱いされて捕まりでもしたら面倒だし、向かうのは王城とは反対方向だ。
ところが、なぜか俺より二歩ほど遅れて、後ろから付いてくるように歩く女神様。
追い付いてくる様子もないし、顔も見えないんじゃ話も出来ないんで、ペースを落として隣に並ぶ。
「そうだ、ちゃんと自己紹介してませんでしたね。すでに俺の名前はご存じみたいですが改めて、直嶋峰晴です、よろしくお願いします」
名刺……は持ってないか、この格好だし。
よくよく考えてみれば、開発室にずっと詰めてて外部の人とは滅多に会わないから、名刺、会社の机の引き出しに入れっぱなしだった。
ない物は仕方ないんで、社会人らしく改まって背筋を伸ばして、軽くお辞儀をする。
「それで、女神様のお名前をお伺いしても?」
「被造物たる人間ごときに、神が真名を名乗るわけがないでしょう」
「は?」
えーっと『人間ごとき』って……いや、確かに神だから、人間相手には上から目線になるのも仕方ないのかも知れない。
ただ、神界で見たしおらしい態度とは真逆というか、なんというかこう……。
いやいや、ここは俺が大人の対応で。
「じゃあなんて呼びましょうか? このまま女神様って呼ぶわけにもいかないでしょう。この世界の人にバレたら色々と不味いでしょうし。あ、逆に創造神の女神様が世界を救済に来たって大々的に吹聴して回った方が都合がいいですか?」
そのまま女神様でいいとでも言おうとしていたのか、女神様は開きかけた口を一旦閉じた。
そして、わずかに黙考。
「……分かりました、私のことは、ユーリシス様と呼びなさい」
「分かりました、正体は隠していく方向で、ユーリシスさんと呼べばいいんですね」
「ユーリシス『様』です」
「ユーリシスって神としての真名じゃないんですよね?」
「そうです、お前がバレたら色々と不味いと言うから今決めて便宜上名乗った名です。それと、正しくユーリシス『様』と呼びなさい」
「……はい、ユーリシス様」
なんだこの面倒臭……いや、相手は神だ、人間に敬意を払わせるのは仕方ない。
「ところでユーリシス様、さっきまでの巫女服じゃないんですね? ゴシックドレスって言うんですか? それもとてもよく似合ってますけど、なぜ服を変えたんです?」
ただの話題作りというか、素朴な疑問を投げかけてみただけなんだけど……なんでいちいちそんなくだらないことを説明しないといけないんだって、ぐっと温度が下がった冷たい視線が返ってきた。
「本当はこのような服が私の趣味に合うのです」
あ、でもちゃんと答えてはくれるのか。
「あの巫女服は我が師の趣味で、我が師に呼ばれたときしか着ていません」
「ほほう、あの神様の」
それはそれは、機会があれば一度じっくりと語り合ってみたいな。
「しかも、ここで巫女服では目立つでしょう」
「なるほど、それは確かに」
あの巫女服、艶やかな黒髪が映えて、神秘的ですごく似合っていたのに、もう見られないと思うとちょっと……いやかなり残念だ。
頼んだら、俺の前だけでも着替えて見せてくれないだろうか?
もっとも、黒を基調とした今のゴシックドレスと、顔を隠し気味に差している色々と飾り立てられた日傘も、これはこれですごく似合っている。
神々しさが溢れているっていうか、知らない人が見れば気品溢れる高貴なお嬢様って思うかも知れない。
顔の作りが繊細で美しいとなんでも似合うって、いい見本みたいだ。
対して俺は、安物の、擦り切れたりヨレたりしてるスウェットという……。
ベッドに潜り込んだ時の部屋着兼寝間着のまま、高貴なお嬢様然とした美人の女神様と並んで王都の大通りを歩くのは、普段から着る物に無頓着だった俺でも、さすがにちょっと……。
後で、こっちの世界の服をなんとか調達しないと。
っていうか、ちゃっかり自分だけ着替えてるって、どうよ?
しかも、俺の勘違いじゃなければ、なんだか塩対応されてるような……。
神界で見たイメージと微妙に一致しない態度に、どう話しかけたらいいのやらで、それ以降は黙々と歩くことになってしまう。
そうして歩くことしばし、通りの先に市が立つ賑やかな区画が見えてきた。
これは、情報収集には打って付けの場所だ。
「ところでですね、ユーリシス様」
「まだ何かあるのですか」
あからさまに刺々しい表情と言葉で、煩わしそうに俺を振り返る。
多少の理不尽さを感じつつも、それは一旦置いておいて。
「これが一番重要なことなんですけど……俺、この世界の言葉も文字も分からないんで、なんとかなりませんか?」
客引きする露天商、値切り交渉している客、何やら話し合う道行く人々。
多分そんなことを言ってるんだろうって推察するだけで、本当のところは何を言ってるのかさっぱり分からない。
もちろん、商品名や値札の文字もさっぱり読めない。
これじゃあ情報収集はおろか、まともにコミュニケーションすら取れないわけで。
「ならば学びなさい」
「は?」
「何を聞き返しているのです。ここはお前が暮らしていた日本ではありません。言語、文化、風習、常識、凡ゆるものが異なる国、異なる世界です。ならば一から学ぶ必要があるのは当然でしょう。この世界では生まれたての赤子ですらそうしているのです。赤子に出来て、いい年をしたお前が出来ないとは言わせませんよ」
「いやいや、そうかも知れないけど、ちょっと待って下さいよ!」
正論に聞こえるけど、そこまでいくともはや暴論だろう!?
だったら最初から赤ん坊に転生させておけよって話だ。
「最初のコミュニケーションを取るまでに、何ヶ月? 何年? かけるつもりです!? こういう時は神の力で、言葉も文字も理解出来るような魔法とか奇跡とか、そういった何かしらのサポートがあって然るべきじゃないですか!?」
「神の権能をなんだと心得ているのです。翻訳アプリを入れたスマホのような、便利な道具とでも勘違いしているのではないでしょうね」
舌打ちしそうな顔できつく睨んでくるけど、俺の要求は至極真っ当、百歩譲っても過大な要求じゃないはずだ。
というかスマホって、異世界の創造神なのに結構詳しいな。
「そんな勘違いなんてしてませんよ。これは開発側からクライアント側へ、仕様作成に関して絶対に必要な資料を求めているのと同じです。第一、考えてみて下さい、悠長にしてたら世界がまた滅びますよ?」
「…………まったく、手間の掛かる」
世界がまた滅ぶっていうのはさすがに効いたらしい。
苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、神様がそうしたように、指先で軽く俺の額をつついた。
「っ!?」
その瞬間、一陣の風が頭の中を吹き抜けたような気がした。
「最近は西の市も値上がりしてきたわね。東の市ほどじゃないからまだ助かるけれど」
「おいおい高ぇよ。二個で六リグラでどうだ?」
「今朝方届いたばかりの帝王熊の串焼きだよ、あんちゃん買ってかねぇか」
その直後、周囲から聞こえてた意味の分からない言葉が、意味を持って俺の耳に届き始めた。同時に、店先の商品名や値札もちゃんと読めて理解出来る。
「うわっ、すごい、これが神の奇跡!?」
「当然です、この世界の言語情報をお前の言語野に書き込んだのですから。これで理解出来ないのであれば、その脳は欠陥品としか言えません」
俺もそういうタイプだって自覚はあるけど、なんか一言多いな、この女神様は。
「ありがとうございます、助かりました。でも、こんなことが出来るのなら、最初からしてくれてもいいのに」
「お前が求めなかったからです」
「は?」
「我が師の言葉です。『直嶋峰晴の求めに従い、正しく振るうがよい』と。お前が求めなかったのでしなかったまでです」
当然とばかりの澄まし顔。
だけど、ほんのわずかに、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべてて……。
これは、さすがにこう……イラッと!
分かった、神だから高みから見下ろしているってだけじゃない。
俺の何が気に食わないのか、あからさまな嫌がらせだ。
この女、性格悪いぞ、それもちょっと陰険な方に。
「自分の頭で考えず、言われたことしかやらない、出来ない奴は、無能ですよ。もしかして今、自分で無能の証を立てましたか?」
「なっ……人間ごときが、神たるこの私を愚弄する気ですか!?」
くわっと目を見開いて、まるで射殺さんばかりに睨み付けてきた。
それも、初めて俺と正面切って目を合わせて。
澄まし顔をあっという間に崩したところから察するに、案外煽り耐性ないのかも知れない。
だから、俺も真っ向からその視線を受け止めて、主張すべきは主張させて貰う。
「今、人間とか神とか関係ないでしょう。そもそも神様はこうも言ってましたよね『自らこれによく仕え』って。自分で考えて適切に俺をフォローすべきじゃないですか?」
「っ……」
「それから『世界と被造物たる人の救済ため』とも。ユーリシス様が創った世界と人々を救うためにやってることなんですよ? それなのに当の本人がそんな非協力的な態度を取るって、どうなんですか?」
「……」
押し黙って、唇を噛みながら視線を逸らしてしまう女神様。
うん、俺の言ってることは間違ってなかったはずだ。
「……」
何をどう葛藤し何を思ったのかは知らないけど、再びきつい視線で睨まれる。でも、反論は来ない。
よし、勝ったな。
…………はっ!?
しまった、またやっちゃったか……。
ほんの今し方、自覚があるって思ったばかりなのに。
ムカッとくると、ついついオブラートに包まず言い返しちゃうんだよなぁ……それで何度上司や部下と揉めたことか。
喧嘩したいわけじゃないし、俺から謝った方がいいかな?
「…………いいでしょう、少し態度を改めましょう」
お、もしかして、分かってくれた?
「お前のその服もこの世界では目立ちます、着替えなさい」
このタイミングでそれを言い出すってことは、やっぱり分かってて自分だけ着替えてたんだな?
……まあいい、これ以上揉めたくないし、そこは突っ込まないでおこう。
実は、市まで歩いてくる間、通り過ぎる人達から物珍しそうにジロジロ見られて、本当に恥ずかしくて早くどうにかしたかったんだよ。
女神様は、ついと俺に指先を向ける。
次の瞬間、肌に風を感じた。
正確には、スウェットに隠れていた腕や太股、胸や腹や背中に開放感が。
「なんだこれ!?」
申し訳程度の腰布を巻いて、金属の鋲を打ち込んだ革のベルトを肩や胸に巻き付けた、まるで蛮族か山賊みたいな格好だ。
「ちょっと、いくらなんでもこれはないでしょう!?」
「何を言っているのです、冒険者らしい、この世界に馴染む服装ですよ」
そうか、この世界にはちゃんと冒険者って呼ばれてる連中がいるのか。
いや、そんなことより。
「これは冒険者っていうより、いいとこ山賊――」
さらに抗議しようとした俺の台詞を遮るように、女神様がついと顎をしゃくる。
女神様の視線に促されて、通りの先に目を向けると……。
居た、確かに居た。
今の俺と似たり寄ったりの、どこかの世紀末で『ヒャッハー!』とか言うのが似合ってそうな、そんな六人組の男達が。
その六人組は、全員がごつくて大きな両手斧を背中に担いで、のしのしと通りを歩いている。他に身に着けているのは、革製の肩当てやブーツ、グローブくらいだ。それでもまだ肌の露出面積の方が大きい。
しかも道行く人達は、そいつらとすれ違う時には自分から端によって道を空けて、期待と羨望の眼差しを向けていた。
露店の店主達も、安くするから寄ってかないか、なんて声をかけてるし。
「……本気でそんな反応なんだ?」
確かに、ならず者や、嫌われ者ってわけじゃないみたいだけど……。
というか、この手の格好は、そいつらみたいに筋骨隆々だったり、よく焼けた肌だったり、厳つい強面だったりと、野性味溢れるビジュアルだからこそ似合うわけで。
日がな一日PCの前に座ってるデスクワーク舐めんなってくらい、不健康に白い肌、筋肉とは無縁のなまっちろい手足、そして最近気になり始めたお腹回り。
そんな俺にワイルドな蛮族ルックが似合うわけがない。
「ふふっ、よく似合っていますよ。これでどこからどう見てもこの世界の人間ですね」
そんなこと欠片も思ってない蔑む瞳。口元に浮かぶのは嘲笑。
もしかして意趣返しのつもりか!?
この女、本気で性格悪いな!?