39 見えない未来へと続く道
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ティオルが雷刀山猫を撃退したことで一時の平和を取り戻したリセナ村は、すぐに平穏な日常へ戻る……というわけにはいかなかった。
雷刀山猫に壊された防壁や牧草地の柵などの修理、多数出た怪我人の手当と世話、一時的に減った労働力のフォロー、怪我をした家畜の世話、などなど、無事な村人達はみんな事後処理に追われまくったからだ。
そんな中、肝心の村人達のティオルに対する態度は……ほとんど変化がなかった。
「私達を守るのがティオルの仕事でしょ? 自分の仕事をしたまでじゃない、そこまで騒ぐことかしら?」
「なんの役にも立たない剣術が、やっと役に立って良かったじゃねぇか」
と、感謝どころか傲慢な台詞や嫌味を言う始末だ。
これまで馬鹿にしてきたティオルが、有言実行で成果を出したことが面白くないのがありありと見て取れた。
特にティオルと同年代くらいの少年少女と、一部の年寄りに。
俺としては、村を救った勇気ある少女、英雄となったティオルを称えて、盛大なお祭りの一つくらい開催して欲しかったところだけど。
少なくとも、襲われて怪我した人達は食い殺されずに済んだんだから、ティオルに感謝すべきだろう。
あの村長にしてこの村人達ありだとつくづく思う。
それとも閉鎖的な小さな村っていうのは、こういうものなんだろうか?
そんな中、ティオルの一家と仲がいい移住組は、すごくティオルに感謝してくれたし褒め称えてくれた。
ティオル自身は、自分が褒められたことよりも、父親とその剣術が褒められた方が嬉しそうだったのが微笑ましい。
ただ、俺もティオルもユーリシスも、ティオルの母親と姉に泣きながら無茶を責められ叱られた。
これは心の底から申し訳なかったと思う。
ユーリシスは非常に不満そうだったけど。
そういった慌ただしい日々に拍車をかけたのが、村長の失脚だった。
麻痺して動けない怪我人を手当てするのに、防壁の外まで村長を連れ戻しに行かないといけなくて、それを不審に思った村人の疑問が発端だった。
最初、村長は俺達に協力して魔物を倒すため、俺達に協力を求められた、などと言い訳をしていた。
最悪のタイミングで最悪の実害を受けたわけだけど、最終的に雄を倒して全員生き残れたんだから、俺としてはわざわざ村人達の目の前で嘘を暴いて糾弾したり追い詰めたりしようとまでは思わなかった。
だけど、ユーリシスの容赦ない叱責によって、その嘘は暴かれた。
文字通り神の勘気に触れたわけだ。
村人達に取り囲まれた糾弾の場で、村長は見苦しく言い訳をして、むしろ俺達を悪者に仕立てようとすらしたけど、ユーリシスの一喝で黙らせられた。そしてユーリシスお得意の暴論とも言える正論で、完膚なきまでに叩きのめされた。
どうやら直前の、助けを求めに来た村人達に対する態度も悪かったらしくて、一気に支持を失ったのは自業自得以外に言い様がない。
こうして村長は失脚し、村長の息子に代替わりが決まったのだった。
村長……元村長は、一気に十数年老け込んで、半ば自室に引きこもっているらしい。
そして今は新しい村長の下、慣れない新体制が余計な仕事を増やしながら、村人達は誰も彼もが忙しく動き回っているというわけだ。
そんな村の空気を余所に、俺とユーリシスは荷物をまとめる。
元から大した量はないから、荷造りはすぐに終わった。
「ティオル、長々と部屋を借りちゃって悪かったな。ありがとう、助かったよ」
「そんなの全然気にしないでください」
戸口に立っていたティオルは、自分の部屋だっていうのにどこか遠慮がちに部屋に入ってきた。
「行っちゃうんですね……」
「俺のすべきことは終わったからな」
しょげるティオルに、まとめた荷物を脇に置いて向き直る。
ティオルは一度俺を見上げると、すぐに目を伏せてしまった。
「ここがもっと住み心地のいい村だったら、このままここで暮らしませんかって言えるのに……」
思わず苦笑してしまって、ちょっとデリケートな話題だからノーコメントにしておく。
「あたし、もっといっぱい色んなことをミネハルさんに教えて欲しかったです。そうしたらきっともっと強くなれて、ちゃんとみんなを守れるようになれたと思うのに……」
ティオルは悔しそうに、オーバーオールのズボンをギュッと握り締める。
その手は、かなり強く握り締められていた。
それほどまでに思ってくれて、すごく嬉しい言葉だ。
「それで、その……せめて、も、もう一晩…………そ、それで、さっ、さいっ、最後の、おっ、おっ、思い出に…………」
本当は、ティオルの家族も含めて、全員が揃ってから切り出そうと思っていたんだけど、今、言うべきだろう。
何故か耳まで真っ赤になって俯いて、ボソボソと聞こえづらい上に、どもって要領の得ない何かを言っているティオルに、背筋を伸ばして真剣に、仕事モードに切り替えて話を切り出す。
「ティオルに聞いて欲しい大事な話があるんだ」
「ひゃ、ひゃい!?」
どういうわけか裏返った声を上げて、弾かれたように顔を上げるティオル。
そんなティオルの目を、本当の気持ちを見逃さないように真っ直ぐに見つめる。
「今回のことでティオルも実感したと思う、魔物の脅威って奴を」
ティオルの身体が小さくピクリと震えて、泳いでいた目が真っ直ぐに俺を捉えた。
「ティオルの家族も移住組だって話だったし想像しやすいはずだ。このままじゃ遠くない未来、人は魔物に追い立てられて住む場所を失い、一人残らず滅んでしまう」
俺の有無を言わさぬ断言に、真っ赤な顔で挙動不審だったのが嘘のように青ざめた顔で俺を見つめ返してきた。
否定したいのか反論したいのか、何か言おうと小さな唇が開くけど、うまく言葉に出来ないみたいで、息が上がったような呼吸音しか出てこない。
「信じたくない気持ちは分かるけど、少しは俺の言ってることに現実味があるって思ってくれたみたいで、話を続けやすいよ」
一度そこで言葉を切って、ティオルの両肩に手を置く。
「今のやり方のまま手をこまねいていたら、必ずそうなる。だからそうなる前に、俺はなんとかしたいんだ」
「そ、その……だから、ミネハルさんは博物誌を書こうとしてるんですか?」
「ああ、それもある」
ただの勘違いを利用した、ただの方便だったけど、今は本気で博物誌の編纂をしてみようと思っている。
ホロタブのおかげとはいえ、にわか知識を仕入れただけの俺でさえ、魔物を撃退する作戦を立てられたんだ。
この知識をもっと有効活用できる人達が、世の中には大勢いるに違いない。
「それもあるけど、博物誌を書くことが目的なんじゃない、それは手段の一つでしかないんだ」
「えっ、博物誌を書くだけでもすごいのに、それが手段って……もしかして、もっとすごいことするんですか!?」
目を見開いて身を乗り出してくるティオルの、予想以上の食いつきぶりに、内心つい苦笑が漏れてしまう。
青ざめてたのが打って変わって、無邪気な子供みたいに目をキラキラさせるから。
「俺が何をしたいのか……知りたい?」
「はい、知りたいです!」
「笑わないでくれよ?」
「絶対に笑いません」
神妙な顔で頷いて背筋を伸ばしたティオルに、俺は至って真面目に答えた。
「俺の目的は、この世界を救うことなんだ」
「…………」
ティオルが固まった。
神妙な顔のまま、俺の言葉の意味を頑張って理解しようとしているのか、突拍子もなさ過ぎて理解出来なくてリアクションに困っているのか、どっちか分からないけど、ティオルは固まったまま動かない。
だとしても、恥ずべき物は何もないんだから、もう一度、噛み砕いて伝えるように繰り返す。
「俺はね、魔物に人々が淘汰されないよう、この世界を救うために旅をしてるんだよ」
「…………」
と、突然腰が砕けたように、ティオルがへにゃへにゃと床にへたり込んでしまった。
まるで茹で蛸のように顔が真っ赤だ。
「ちょ、ティオル大丈夫か?」
目の前にしゃがんで手を差し伸べると、真っ赤な顔のまま、眩しそうに目を細めて顔を逸らし、目の前に手の平をかざした。
「あれ、もしかして日差しが眩しい? 窓を閉めようか?」
初夏で日は高く、それも昼近いから部屋の戸口近くまで日は差し込んでいないけど。
「いえ、その、そうじゃなくて」
立ち上がろうとした俺の袖をティオルが掴む。
「ミネハルさんは、その、どうしてそんな……」
「えっと……俺、何かしたかな?」
「その、すごくすごくて、それで、その……すごいすごくて……もう、すごくすごくすごいから……」
ティオルの口から『すごい』しか出てこなくて、何を言ってるのやらもう……。
「よく分からないけど、笑わないでくれてありがとう」
「笑いません……他の人が言ってたら、もしかしたら笑っちゃったかも知れないけど……これまでのミネハルさんを見て、今の話を聞いたら、本気でやろうとしてるって分かるから、絶対に笑ったりしません」
そうか、俺の本気はちゃんと伝わってくれたんだな。
「俺の本気が伝わったところで、ティオルにお願いがあるんだ」
「あ、あたしにお願い……ですか?」
茹で蛸のまま何故か視線を泳がせまくるティオルの目を、覗き込むようにして腹に力を込める。
「ティオル、俺と一緒に来て欲しい」
「……っ!?」
ビクンと身体を硬直させるティオル。
「ティオルはさっき、もっと強くなってみんなを守りたいって言ってくれただろう? すごく嬉しかったよ。そんなティオルだからこそ一緒に来てくれたら、俺は必ず世界を救うことが出来る、そう確信してるんだ」
茹で蛸の顔を思い切り逸らせるだけ逸らして、喘ぐように確認してきた。
「あ、あたしも一緒にって……それって、その…………そういう意味……ですか?」
「ああ」
俺の袖を掴む手に手を重ねて、力強く頷く。
と、いきなりティオルの上体がクラッと傾いて、そのまま後ろに倒れそうになる。
「ティオル!? 大丈夫か!?」
「は、はい……いえ、その……」
慌てて抱き留めると、ただでさえ茹で蛸みたいになっているのに、そこからさらに真っ赤になるのかってビックリするくらい、顔が真っ赤になっていた。
溺れて喘ぐみたいに息が荒くて、なんでこんなに……これ、大丈夫なんだろうか?
ああ……そうか、いきなり人が魔物に滅ぼされるとか、だから世界を救うとか、そんな話を大真面目にされても困るよな。
それはつまり、これからも命を賭けて魔物と戦い続けるって意味だ。
あんな命懸けの戦いを経験したばかりのティオルにこんな話を持ちかけるのは、荷が重すぎて酷だったかも知れない。
「悪い、性急過ぎたみたいだ。急に色々と重たいことを言って悪かった。今すぐ答えは出さなくていいから、少し考えてみてくれないか? 俺達が出発するまでだから、あまり時間がなくて申し訳ないけど――」
肩に置いていた手を引っ込めて立ち上がろうとしたら、ティオルが俺の手を引き留めるように強く掴む。
そして、頭から湯気が上がってるんじゃないかってくらい茹で蛸の顔を真剣に引き締めて、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「行きます! あたしも一緒に連れて行ってください!」
三日後。
俺とユーリシス、そしてティオルは旅支度を調えて、村の門の前に立っていた。
俺達を見送るのは、ティオルの家族と、移住組の数家族のみ。
あれから出発まで三日も掛かってしまったのは、ティオルの家族の説得に時間が掛かってしまったからだ。
有り体に言えばかなり揉めた。
当然だろう。まだ年若い大事な娘を、村へは立ち寄っただけのどこの馬の骨とも知れない男に、どうぞどうぞと任せる親はいない。
しかもその男は、大事な娘を魔物との戦いの場へ引っ張り出そうとしているんだから。
それでも、礼を尽くし言葉を尽くして、なんとか納得して貰えたと思う。
「娘をどうかよろしくお願いします」
深々と頭を下げるティオルの母親と、それに倣うお姉さんとその旦那さん。
「お嬢さんは俺達が責任を持ってお預かりします」
安心してくれとは言えない。
普通に考えれば、村で大人しく農作業をしていた方が、よっぽど安全で平穏な生活を送れるだろう。
でも俺は、それじゃあティオルが生き残れる未来はないと思った。
だから、一歩間違えれば若い村娘を拐かしたと言われかねなくても、ティオルを連れ出したかった。
「ティオル、しっかりね。頑張るのよ!」
「うん、お姉ちゃん、頑張る!」
やけに力の入った激励に、ティオルも力強く頷く。
この村や家族に未練もあるだろうし、後ろ髪も引かれると思う。
だけど、それを振り切るように、ティオルの声には力と張りがあった。
別れを惜しみ激励してくれる移住組の村人達に、ティオルも時に笑い、時に涙ぐみながら、別れの言葉を交わす。
そんなティオル達の様子を眺めながら、ユーリシスが俺にしか聞こえない小さな声でチクリと刺してきた。
「私に相談もなく決めるとは、どういうつもりです」
「新スキルを創造してティオルに実験に付き合って貰う、そう決めたときにこの結果はもう見えてたと思うけど?」
「……だとしてもです」
「その場の勢いで先走ったのは謝るよ。だけど、俺達にはティオルの力が絶対に必要なんだ。それだけは理解してくれ」
十分にとはいかなかったかも知れないけど、ティオルは別れを惜しみつつ、俺達の側へと戻って来た。
「もういいのか?」
「はい、これ以上は泣いちゃいそうだから」
「そうか。じゃあ行こうか」
「はい!」
門が開かれ、青い空と白い雲が視界に広がった。
整備されていない小さな道が森の奥へと続いて、まるで俺達の未来を暗示するかのように、行く先が見えなくなっている。
だけど、それは歓迎すべき道行きだ。
すでに確定した未来とは違う、先の見通せない未来へと続く道なんだから。
「みんな元気でね、行って来ます!」
ティオルは大きく手を振ると、勇気を奮い立たせるように門の外へと踏み出した。
手を振り見送るティオルの家族と村人達に軽く会釈をして、俺とユーリシスもティオルに続いて村を出る。
「お前はあの小娘を、この先いったいどうするつもりです」
一歩先に出た俺の背に、ユーリシスが問いを投げかけてきた。
だから俺は、足取り軽く先を歩くティオルの背を見ながら、迷いなく答える。
「ティオルには、表舞台に立てない俺とユーリシスの代わりに、世界を救う英雄になって貰う」
今回(39話)で第一章の本編は終了です。
次回(40話)は第一章の本編を補完する閑話を投稿し、第一章終了です。
次々回(41話)からは、第二章の本編を投稿していきます。
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