38 新しいスキルの力
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「待て! 逃げるなら儂も一緒に――うわああぁぁっ!?」
突如響き渡った驚愕の叫び。
俺も、ユーリシスも、ティオルも、つい咄嗟に振り返ってしまった。
「村長!? なぜここに!?」
雄を見て、腰を抜かしてへたり込む村長。
どれだけ間抜けなんだ俺は、完全に油断してた!
狙い通り一対一になれたからってもう勝ったつもりになって、ホロタブから目を離して状況の監視を忘れるなんて!
「ガアアアァァァッ!!」
雄の咆哮に、はっと我に返って雄へと視線を戻す。
最悪だ、俺達は一番やってはならない瞬間に、一番やってはならないミスをしてしまった!
対峙した瞬間から戦いは始まっていたのに、敵から目を離すなんて!
「……っ!?」
驚愕と恐怖に表情も身体も凍り付くティオル。
視線を戻した俺達が見たのは、まさにティオルに飛びかかる直前の雄の姿だった。
ティオルが食い殺されてしまう未来が見えた気がして、一気に血の気が引く。
「ティオルっ!!」
あまりのことに身体が動かず、叫ぶことしか出来なかった。
雷刀山猫が牙を突き立てんとしたその瞬間、ティオルが弾かれたように動いて叫ぶ。
「『シールドガード』!」
ティオルの全身から魔力が立ち上り、盾を覆い尽くす。
まさに間一髪。
突き立てられた牙を受け止めた盾がガリガリと削られ、勢いを受け止めきれずにティオルが弾き飛ばされ仰向けに倒れる。
「きゃあっ!!」
雄がさらに追撃で駆け寄りティオルの腹を踏みつけると、再び牙を突き立てようと大口を開いて襲いかかった。
「ティオル危ない!!」
「くっ……!!」
咄嗟に横一文字に構えた剣で牙を受け止め、間一髪、先端が肌に食い込むのを防ぐ。
だけど、ここまでだ。
唸りながら牙を押し込もうとする雄に、ティオルが苦しげに顔を歪める。
その頬に、服の上に、強い麻痺毒を含む唾液が牙を伝い滴り落ちた。
このままじゃ押し切られて全てが終わってしまう……!
「あの男は最悪です、今すぐ滅ぼしてしまいましょうか」
憎々しげなユーリシスも俺と同じことを考えたようだけど、今はあの最悪の村長に構ってる暇はない。
雄に向かって駆け出し、腰の剣を――稽古で使っていた木剣を抜いて振りかざす。
しまったと思ったときにはもう遅かった。
もう目の前に雄が迫っていて、今更ユーリシスに声をかけて許可を取って、鉄製の剣を創造する猶予なんてない。
「ああクソっ! こんなんでもないよりマシだろう!?」
力任せに、そう、元々剣術なんて知らないし、咄嗟のことでこれまでホロタブの映像で見て真似した型なんてすっ飛んでいて、とにかくただ力任せに木剣を叩き付ける。
「ガアアァァォゥッ!」
ティオルを踏みつけていた前足の肩付近にヒットして、木剣はあっさり折れ飛んだ。
だけどその甲斐あって、雄は痛みに腹を立てたたように吼えて、後方へ飛び退って距離を取る。
「大丈夫かティオル!?」
「……は、はい!」
ティオルの声は震えてて、身を起こしはしたもののすぐには立ち上がれないでいた。
本来なら労って肩を貸して抱き起こしてやるべきなんだろうけど、そんなことをしている余裕はない。
今度こそ、雄から目を逸らさずに、折れた木剣を正眼に構えて牽制する。
折れた木剣を構える隙だらけのド素人な俺と、震えて力が入らないのか起き上がるのにもたつくティオル。
なのに雄は距離を取ったまま、すぐには飛びかかってこなかった。
雄の耳がピクピクと動く。
「……っ!?」
不意に嫌な予感が走って、ホロタブを確認する。
五匹の雌がすごい速度でこちらへ向かってきていた。
というか、もう数秒もあれば穴から外へ飛び出してきてしまう。
「雌を呼ばれた、最初吼えたのはそれだったんだ!」
「っ!?」
「ティオル立て、早く!」
「は、はい!」
慌てふためきなんとか立ち上がったティオル。
俺に並んで雄に向かって構えるのと同時に、一匹目の雌が穴を通って出てきてしまった。
村長が言葉になってない意味不明な悲鳴を上げるけど、もう完全に無視する。
そして次々に穴から出てくる雌達。
半包囲を敷こうと、雌が俺達の左右に分かれていく。
「絶体絶命、だな……」
この包囲網が完成したとき、俺達の命運は尽きる。
雌のうちの一匹が後ずさる村長に目を付けて、飛びかかり牙を突き立てた。
みっともなく泣き叫ぶ悲鳴が上がるけど、自業自得だと笑う余裕もない。
このままじゃ、すぐに俺達もそうなってしまう。
「ここからどうするつもりなのです?」
いつの間にかユーリシスが側まで来て、雌の方を警戒していた。
ティオルも構えた剣と盾を持つ手を震えさせながらも、もう絶対に目を逸らさないとばかりに気合いの入った目で雄を睨みながら、俺の指示を待っている気配がする。
ティオルの目の前で、俺達の秘密に触れずに、雷刀山猫を全滅させるようにユーリシスを説得するのは多分不可能だ。
くっ……どうすればいいんだ!?
アドレナリンが分泌しすぎているのか、頭がクラクラして目の前の光景に現実感がなくなっていく!
もう包囲網完成まで猶予が――
「――っ!?」
不意に天啓のように、趣味と実益を兼ねて見た古いアニメの名言が脳裏に閃く。
『我々は圧倒的に優位な立場にある。まだ包囲は完成していない。むしろ各個撃破のチャンスだ』
「ユーリシス!」
「分かりません、ちゃんと指示をしなさい」
くっ、なんて締まらないんだ!
確かに俺達は全員、この戦いが正真正銘の初陣で、阿吽の呼吸どころか、連携すら確立されてないのが実情だけど。
「雌を牽制して、包囲を完成させないよう掻き回してくれ!」
「いいでしょう」
ユーリシスが即座に妥協できるラインで指示を飛ばし、ティオルの背中を強く押す。
「ティオル、背中は俺達が守る! 雄を倒すことだけを考えて突撃だ!」
「はい!」
その瞬間ティオルの震えが止まり、弾かれたように雄に向かって駆け出した。
それに追走して、俺も突撃する。
未完成の包囲網を崩し、雄に近い位置にいた雌の二匹が左右からティオルへ向かって駆け出した。
「『怒れる炎よ、我が元に集え――』」
それに先んじてユーリシスの詠唱が始まる。
その魔法は長すぎて使えないだろう!?
そう悲鳴を上げかけたけど、それは俺の早とちりだった。
「『五つの矢となり、敵を貫き討ち滅ぼせ!』」
ユーリシスが高々と突き上げた右手の手の平の上に魔力が集まり、すぐさま詠唱が終了して五本の炎の矢が雷刀山猫の足下へと高速で飛ぶ。
足下で弾けた炎に、雌達は怯んで飛び退った。
ティオルの側から追い払われた上に、包囲網が大きく崩れる。
それでもうまく避けて再度ティオルに飛びかかろうとする雌に向かって、追撃の牽制で折れた根元だけの木剣を投げつけてやる。
その雌がさらに飛び退り、完全に一対一の状況が生まれた。
「ティオル、今だ!」
「はい!」
「ガアアアァァァッ!!」
自分が直接戦うしかなくなった状況を悟ったのか、雄が獰猛な咆哮を上げてティオルに突進してくる。
「やれる! あんなにミネハルさんと練習したんだから、絶対にやれる!」
迎え撃つように盾を前面に構えて、剣は腰だめに構える。
雄が牙を剥いて飛びかかってきた瞬間、ティオルが大きく踏み込んだ。
「ミネハルさんが教えてくれたスキルがあるから絶対に負けないんだから! 『リフレクトアームズ』!」
深く踏み込んだ勢いと、一旦身体を沈めてから伸び上がる勢いを乗せて、構えた盾で雷刀山猫の牙をかち上げる。
その瞬間、ティオルの魔力が盾を覆い尽くし、盾の表面に生み出される強い反発力。
ティオルの乗った体重と勢い以上に強い反発力が雄の牙を跳ね上げて、その身体を仰け反らせぐらつかせた。
それは、ほんの一瞬の判断が生死を分かつ戦闘において、大きすぎる隙になる。
雄の勢いを受け止め弾き返した衝撃に身体が大きくぐらつくも、ティオルは踏ん張り無理矢理前に踏み出して、腰だめにした剣を真っ直ぐに突き出した。
「はああぁぁっ! 『ハードスラスト』!」
そして放たれる既存の片手剣スキル『ハードスラスト』。
魔力を纏わせた片手剣の切っ先を硬化させ、ダメージを増加させる刺突技だ。
ただし、そのダメージ効率は両手斧スキルと比べて圧倒的に劣る。
だけど今この瞬間なら、片手剣の新スキルまで作ってコンボさせなくても、両手斧スキルよりも圧倒的な結果をもたらしてくれる。
ティオルの放った突きは、のけぞり、牙への衝撃に驚き吼えた雷刀山猫の、無防備に開かれた口の中へと一直線に吸い込まれ、その切っ先は喉から後頭部へと外皮よりも圧倒的に弱い口内を貫き通した。
「ギャアアアァァァオオオオォォォォッ!!!」
「きゃあぁっ!?」
咄嗟に引き抜けなかったティオルが剣を手放して、振り回された前足から逃れて飛び退り、そのまま足をもつれさせて尻餅を付く。
「ギャアアアオオオオォォォォォォォォッ!!!」
雄が悲鳴を上げるように吼え、地面に転がりのたうち回る。
切っ先が後頭部へと突き抜けたその傷が致命傷なのは明らかだった。
暴れるたびに大量の血が噴き出し、自身と地面と下草を真っ赤に染め上げながら、痛みにのたうち、前足で必死に剣を抜こうとする。
だけど獣の前足じゃ剣を掴むことは出来ない。
むしろ傷口を広げて、その激痛と出血に余計に暴れのたうち回る羽目になる。
そして、咆哮は見る間に弱々しくなっていき、血の海の真ん中でしばらく痙攣を繰り返すと、程なくピクリとも動かなくなった。
ユーリシスが雌達を威圧するようにぐるりと見回し、見せつけるように再び右手を突き上げ魔力を集める。
雌達はジリジリと後ずさり、弱々しく吼えると、一匹残らず踵を返して走り出す。
やがて、雌達の姿は木立と茂みの向こうへと見えなくなっていった。
……風が強く吹いて、下草や木立の葉擦れの音がやけに大きく聞こえた。
むせるような血の臭いが、風が吹き抜けたその間だけ和らぐ。
そして風がやんだとき、辺りは静まり返っていた。
「…………あたし達……勝ったんですか?」
どこか茫然とした顔で呟いて、ティオルが俺を仰いだ。
「はは……」
思わず、笑いがこみ上げてきた。
少しは慣れたと思っていたけど、やっぱり本番は練習とは全然違った。
俺もよっぽど緊張していたんだろうな、肩から力が抜け落ちて、全身に疲労感がどっと押し寄せてくる。
息も上がっていた。
大きく肩で息をして呼吸を整えると、尻餅を付いてへたり込んだままのティオルの肩を少し強く叩いた。
「…………ああ、ティオルが勝ったんだ……大金星だ」
一瞬、呆けた後、ティオルの瞳から、ポロッと大粒の涙がこぼれ落ちた。
と思ったら、ボロボロと涙をこぼし始める。
「ご、ごめん、痛かったか? ちょっと強く叩き過ぎちゃったかな?」
「ち、違うんです……っ……本当に勝ったって……刺し違えずに済んだんだって思ったら…………ぐすっ……涙が止まらなくて……!」
きっと緊張は俺の比じゃなくて、そして本当はすごく怖かったんだろうな。
それで緊張の糸が切れちゃったんだろう。
全然涙が止まらず、力が入らずに震える手で俺に縋り付いてきたティオルは、いつしか声を上げて大泣きしていた。
だから労うように、大殊勲を立てたその細く小さな身体を抱き締めて、落ち着くまで何度も何度も頭を撫でてやった。
「あの……泣いちゃってごめんなさい…………それと、おんぶまで……」
しばらく泣き続け、ようやく泣き止み縋り付いた手を放せるくらいまで落ち着いたところで、ティオルを背負って村へと戻る。
「俺の方こそごめん。女の子にあんな怖い思いを強制しちゃって」
結局一人じゃ立てないくらい、力が抜けてしまったティオル。
それだけ緊張と恐怖がすごかったって証拠だ。
「大の男が不甲斐ないな……」
「そんなこと全然ないです、ミネハルさんはすごく勇気があって、一緒に戦ってくれて心強かったです」
「戦ったなんて言うほど、俺は何もしてないよ」
「そんなことないです。最初にあたしが大失敗して、組み伏せられて、もう駄目、勝てない、殺される……って諦めそうになったとき、助けてくれたのはミネハルさんじゃないですか。ミネハルさんは命の恩人です」
「いやまあ、あれは咄嗟に身体が動いちゃっただけで」
「やっぱりすごいです。普通、咄嗟でも動けないと思います。それも、ちゃんとした武器を持ってるならともかく木剣ですよ? 魔物に木剣で殴りかかったなんて、きっとミネハルさんくらいです」
「あはは……あれはなんというか」
勇気なんていいもんじゃなくて、考えなしだっただけだな。
疑似神界でユーリシスに頼んだ本題その四。
それは、疑似神界内で複製した俺に意識を移した俺と複製した雷刀山猫が戦って、試作スキルの性能を確かめ、調整して仕上げるって作業をすることだった。
最初の方はスキルを発動するどころか、何も出来ないまま食い殺されて、仕上げるまでに果たして何度リトライしたことか。
そこでまあ、なんというか殺され慣れちゃったというか、それで恐怖心が麻痺して立ち向かえたに過ぎない。
そんな感じでとても褒められた話じゃないから、キラキラと輝く瞳で心から尊敬してますって顔で見られると、恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。
だから、それを誤魔化すように声を張り上げた。
「おーい、みんなもう大丈夫だ! 雷刀山猫はやっつけたぞ!」
程なく、あちこちの家や納屋、物陰から、恐る恐るといった感じで村人達が顔を覗かせた。
そんな村人達に、これでもかと勝ち誇った顔を作って、負ぶっていたティオルを下ろすと、その身体を支えながら、みんなによく見えるように前面に押し出す。
返り血と土埃に汚れたティオルの姿に、みんな戸惑っているようだから、さらに言葉を重ねる。
「みんな聞いてくれ! 群れのボスはティオルが退治した! それを見て残りの雌達はみんな逃げていったから、もう安心だ! 防壁の穴の外にティオルが仕留めた雄の死体が転がってるから、誰か確かめてきてくれ!」
周りに雷刀山猫の姿はないし、家畜たちのパニックも収まっていることから、半信半疑といった感じだけど隠れていた場所から村人達が三々五々出てきた。
そして、防壁の外に確かめに行った村人が、大慌てで戻ってくる。
「本当だ! 魔物の死体が転がってた! 口の中を剣で一刺しだ!」
途端に村人達にどよめきが走る。
剣と盾なんてと馬鹿にし続けてきた村人達にとって、にわかには信じられないでいるんだろう。
「どうだ、ティオルは約束を守ったぞ、その剣術でこの村を守ったんだ!」
再び、さっきより大きなどよめきが走る。
村人達の視線を一身に受けて、ティオルが居心地悪そうに身じろぎした。
「ここで村を救った英雄を称えて熱狂的な『ティオル』コールがあってもいいと思うんだけどな」
「え、英雄だなんてそんな……恥ずかしいです……」
「いいや、俺は立派に英雄だと思うよ」
集まってきた村人達の間から、ティオルの母親と姉とその旦那さんが出てきて、ティオルに駆け寄ってくる。
ティオル達は抱き合い、無事を喜び合い、無茶をしたことを叱り、心配かけたことを謝り、緊張の糸が切れたんだろう、抱き合ったまま泣き出す。
そんな親子の姿を見て、村人達も徐々に実感していったみたいだ。
「私達助かったの……?」
「ああ……助かったんだ俺達……!」
その声は次第に大きくなっていって、やがて大歓声に変わっていった。