37 最悪の足手まとい
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「ああぁぁっ、なんてことだ、なんてことだ、なんてことだ、儂の村が!!」
村長は癇癪を起こしたように鍬を投げ捨て髪を掻きむしりながら、家の裏手の菜園で泥だらけになるのも構わずに転げ回りたい衝動と、目の前の村人達を残らず殴り飛ばしたい衝動を懸命に堪えた。
村の一箇所、つい十日前に破られたばかりの防壁付近から広がった家畜のパニックと村人の悲鳴は、さほど時を置かずして村中へと広がっていた。
「この前来たばかりじゃろう!? なんでまた来るんじゃ!?」
魔物が人の都合で動いてくれるはずもないことは分かっていても、そう叫ばずにはいられなかった。
十日前には何頭もの家畜が食い殺された。
その時は完全に不意を突かれて家畜を逃がす暇がなく、むしろ多くの家畜が犠牲になったおかげで、村人には被害が出なかった。
その幸運を今回も期待するのは都合が良すぎるだろう。
何しろ、村人達は前回を教訓として、すぐさま各々の厩舎へ向かって家畜を逃がし始めたのだから。
目に付く家畜が減った分、雷刀山猫の目が村人に向くのは必然だ。
「あの小娘は疫病神か!?」
日頃偉そうに剣術がどうの村を守るのがどうのと嘯いていた余所者の娘ティオルは、真っ先に村を見捨てて逃げ出した。
腹立たしかったが、逃げた臆病者に構っている暇はなかった。
防壁の修理、家畜の補充の方法、家畜を失った家族の生活の保障、高まる村人の不安や不満、などなど、後処理やら何やら面倒事に苛つかされる毎日だったからだ。
そうして文句ばかり訴えて自分では何もしない村人達に辟易させられていたら、逃げ出したティオルが恥も外聞もなくひょっこり戻ってきた。
しかも、学者を名乗る冴えない男と高慢で無礼な女を連れて。
村長たる自分はこの村で一番偉く尊敬されるべき絶対者であるのに、女は見下し暴言を吐いた上に、なんの権利があろうか、村長を辞めろなどと言い放った。
妙に迫力がある女でなかったら、頭の血管がぶち切れて、その場でぶん殴っていたことだろう。
通りすがりの余所者が村を救うなど傲慢なことを口にしたが、どうせ何も出来ずに村から逃げ出すだろうと放っておいたら、何様のつもりか男の方が偉そうに忠告してきた。
当然、ご高説など腹立たしいだけなので耳を貸さずに無視した。
男はそこそこの、女は上等な服を着ていて金回りが良さそうなのに、新たに冒険者を雇う、領主に嘆願に行くなど、なんの手も打たずにいたからだ。
もし『どうすればいい』などと相談していたら、カモられていただろう。相談料やら必要経費やらで金品を要求されて、詐欺被害に遭っていたに違いない。不安を煽って搾り取るのは詐欺の常套手段だ。
しかし今、ご高説通りにまた襲われている。
こうなると分かっていたのなら、ご高説を垂れる前に手を打っておけと、考えるだけで頭の血管が切れそうになる。
そんな逃避気味の思考を、すがってくる村人達の声が否応なく現実に引き戻した。
「村長どうするんだ!?」「村長助けてくれ、食い殺されちまう!」「防壁の修理はしたんじゃなかったのか村長!?」「どう責任取るつもりだ村長!?」「村長!」「村長!」「村長!」「村長!」「村長!」
『ギャーギャー騒ぐなこの無能ども! 儂が知ったことか! ちったぁ自分達で考えてどうにかせんか!』
そう叫んでぶん殴って、不満しか言わないその口を黙らせたかった。
「どうするも何も戦って勝てる奴がいるのか!?」
怒鳴ると、村人達の騒ぎが尻すぼみになる。
「だったらこんな所で騒いでないで、家に閉じこもればいいじゃろう! 魔物が出て行くまでやり過ごさんか!」
さらにもう一段声を荒げて、村人達を自分達の家に戻るように押しやる。
「ま、待ってくれ村長!」
「今から自分の家に戻れって言うのか!?」
「見つかったら食い殺されちまう!」
村長は、何故村人達が自分の家に閉じこもらず村長の家までやってきたのか、その理由を見抜いていた。
村長の家が一番大きく立派で頑丈で、隠れ潜むなら一番安全な場所だからだ。
だからこそ、追い返すことにした。
その調子で村人が集まってきたら、雷刀山猫に目を付けられ襲われるかも知れない。
そもそも一番大きいと言っても、村人全員を収容できるほどの大きさはない。
村人達の家が一世帯分の大きさなのに比べて、村長の家はせいぜい二世帯分の大きさがあるに過ぎない。
誰を中に入れて誰を閉め出すのか、絶対に揉めて後で恨まれる。
だから、最初から全員追い返すことにした。
途中、何人か雷刀山猫に見つかって餌食になるかも知れないが、その分、自分が安全になるという目論見もあった。
だがその目論見は簡単に崩されてしまう。
「父さん、みんなの言う通り、今から家に帰すなんて危険だ。ここに集まった人達だけでもうちで匿おう」
騒ぎを聞きつけて家から出てきた村長の息子が、言うが早いか集まった村人達を先導して玄関に向かってしまったのだ。
こうなっては、いくら村長でも自分の家に帰れとは言えなかった。
「チッ」
小さく舌打ちして、いざというときはお人好しで考えなしの息子が勝手にやったことだと、村人の追求の矛先を息子へ向けることに決めて、他に集まってくる村人がいないか警戒して周囲を見回す。
「むっ……あれは……」
視界の端に、家の陰から家の陰へと隠れながら走る、ティオルと峰晴とユーリシスを捉えた。
雷刀山猫に見つからないようにコソコソしているところから、すぐに理解した。
「自分達だけ安全な場所に逃げるつもりじゃな!?」
偉そうなことを言ったり忠告したりしておきながら、結局は逃げる腹づもりだった三人に、腸が煮えくりかえる。
そしてどこに向かっているのかも、すぐに見当が付いた。
「なるほど、防壁の破られた穴から村の外に逃げるつもりじゃな」
雷刀山猫の群れは全て村の中で暴れている。
むしろ今は村の外の方が安全だ。森の中にでも隠れて、魔物が腹を満たして村を出て行くのを待って、やり過ごしてしまえばいい。万が一見つかったとしても、腹一杯なら見逃して貰える確率が高いだろう。
「なるほど……小狡いもんじゃな」
迷うことなく村長は走り出した。
物陰を利用して穴へと辿り着き、すぐさまくぐって外へ出る。
「待て! 逃げるなら儂も一緒に――うわああぁぁっ!?」