29 村娘に出来て村長に出来ないこと 1
「ミネハルさん、ユーリシス様、見えてきましたよ」
ティオルが声を弾ませて行く手を指さした。
体力なさすぎる俺が何度も休憩をさせてしまってどうなることかと思ったけど、なんとか日暮れ前に到着できて良かったよ。
「どれどれ……って木の壁? 随分と高いんだな」
『アックスストーム』のメンバー達と分かれて歩くこと半日足らず、林を抜けて丘を越え、やがて行く手を遮った大きな森を抜けたその先に、リセナ村はあった。
森から続く舗装されていない土が剥き出しの道は、かろうじて荷馬車が一台通れるほどの幅しかなくて、あまり立派な造りとは言えない木製の門へと続いている。
そしてその門を含めて、二階建ての家の屋根が十分に隠れるくらいの高さがある木材の防壁が、村全体をぐるりと取り囲んでいた。
ただ、一見すると防備は固いみたいだけど、全体的に古臭く汚れててあまり頑丈そうには見えない。
「あれくらい高くないと、後ろ足で立ち上がった帝王熊に村の中を覗き込まれちゃうんです」
「ああ、なるほど。それは怖いな、あれを見た後だと特に」
まだ小柄だと言われたあの巨体を思い出す。
本当は、怖いなんて一言で済ませられないくらい、命の危険を感じたし。
あんなのに村の中を覗かれて、村人や家畜を餌だと思われて侵入されたら……想像だけで身震いするよ。
「魔物と出くわさずに、お二人を無事に連れて帰ってこられて良かったです」
そう胸を撫で下ろしたティオルの表情が、実際の歳よりも幼く見えるくらい緩んだ。
ここまでずっとホロタブで監視していたけど、特に魔物が近づいてくることも、行く手にいて遭遇することもなく、平穏な道行きだった。
とはいえ、それを把握していたのは俺とユーリシスだけだったから、ティオルはずっと緊張していたんだろう、門へと向かう足取りが軽く、速くなる。
防壁の内側には物見櫓があって、ティオルを先頭に俺達が門へと近づいていくと、見張りの村人が俺達に気付いて下の方と何やら話し始めた。
門の前に到着して、ティオルが『ただいま』と声をかけると、門が開かれ迎え入れられるのかと思いきや……。
「やいティオル、何しに戻って来やがった!」
「え……?」
「村長も村のみんなも言ってるぞ、役立たずのティオルは口ばっかり偉そうなことを言っときながら、真っ先に逃げ出したってな! 村を見捨てて逃げ出した臆病者が、いまさらノコノコ現れてなんのつもりだ!」
「み、見捨ててません! 逃げ出してません!」
あわあわ狼狽えながらティオルは弁明するけど、見張りの男は全く信じてないらしく、門は閉ざされたままだ。
そこから、ティオルと見張りの男とで、埒の明かない水掛け論が続く。
「なんだか思わぬ展開になったな……」
独りごちると、俺の隣で水掛け論を冷めた目で眺めていたユーリシスが小さく溜息を吐いた。
「呆れましたね、お前は自分の村の者から嫌われているのですか」
「ちょ、ユーリシス!?」
「き、嫌われてなんかいません!」
恨みがましそうに反論したティオルは、しかし、目を逸らし顔を伏せ、語気を弱めていく。
「……嫌われて…………ない、はずです…………」
ティオルはティオルで、なんでそんなに自信がなくなる?
よく分からないけど、かなりデリケートな部分に触れてしまったのかも……。
仕方ない。
誤解を解く努力だけはしないと、このままじゃあ門前払いされかねない。
「どうやら何か誤解があるようだけど、ティオルはこの村を救うために、王都へ助けを呼びに行ってたんだ。そこで俺達がティオルの要請に応じてやってきたってわけだ」
と言っても、俺とユーリシスの二人だけ、しかも服装は市で買ったちょっといい服とゴシックドレスで、戦えるような装備は何も持っていない。
あからさまに不審がられるけど、ここは下手な言い訳をするより、堂々とした態度で押し切った方がいい。
「村長とその方策について話し合いをしたいんだけど、このままじゃあ落ち着いて話も出来ないだろう? 一先ず中に入れてくれないか?」
上役である村長の名を出したことで門番の勝手な判断で門前払い出来ないようにしたんだけど、見張りの男は迷っているのかまだ門は開かない。
ここはもう一押し、有無を言わせず押し通した方が効果がありそうだ。
というわけで、ユーリシスへと目を向ける。
最初、全く俺の意図を理解出来ずに訝しげな顔をしていたユーリシスだけど、何度か遠回しに促すと、ようやく理解してくれたようだ。
何故自分が使われないといけないのかと言わんばかりの嫌そうな顔をするけど、いつまでもこのままなのも嫌だったようだ。
貴族の令嬢か、どこかいいところのお嬢様らしく堂々と、上から目線で、きつく言い放つ。
「いつまでこの私をこのまま外に立たせておくつもりですか、早く門を開けなさい」
「ティオル無事だったのね!」
「お母さん! お姉ちゃん!」
村の奥、防壁近くにティオルの家はあった。
小さな家が二軒並んでて、その裏の畑で農作業をしていた母親と姉が、ティオルの姿を認めると慌てて駆けてきて力一杯抱き締める。
「無事に戻って来てくれて本当に良かったわ」
強く抱き締めたままティオルを放そうとしない母親は、すごく若い。見たところ三十代半ばといったところか。
一先ずティオルを解放して二人の隣で涙ぐむ姉は、ティオルより少し年上で、まだ二十歳になったかどうかといったところだろう。
一緒に畑仕事をしていた男は、感動の再会を邪魔しないようにって配慮なのか、ゆっくりとティオルへ近づいてくる。姉と同年代くらいで父親には見えないから兄だろうか。
「ティオルお帰り、無事で良かった」
「お義兄さん、ただいま」
ふむ、兄は兄でもどうやら姉の旦那さんらしい。
「ティオル、それでそちらの方々は?」
ひとしきり抱き締めて満足したらしい母親が、ようやく俺達に気付いたように顔をこちらに向けた。
「ミネハルさんとユーリシス様です。あたしが冒険者ギルドで困ってたところを助けてくれたんです」
「それはそれは、娘を助けて戴きありがとうございました」
母親は丁寧に頭を下げて挨拶してくれる。
ティオルの受け答えが丁寧なのは、この母親の教育の賜物かも知れないな。
何しろ、門をくぐってからこの家に至るまで、俺達を見かけた村人達の態度ときたらもう……。
村社会で閉鎖的とか排他的とか言っても、挨拶したらせめて挨拶くらい返せよと言いたくなるくらい、ひどいものだったからな。
特にティオルには白い目を向けてヒソヒソと……。
気分が悪くなる程度には、失礼な奴らだった。
それに比べて、ティオルの家族は話しててほっとする。
「この村には宿がありませんので、滞在中は是非我が家へお泊まり下さい。何もないところですが、娘がお世話になった分、おもてなしさせて戴きますので。どうぞゆっくりしていって下さい」
「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えさせて戴きます」
見張りの男から出された伝令に呼ばれて、わたわた慌てながら村長がやってきたところで、二軒建っているティオルの家のうち、比較的大きい方の家の中へと場所を移すことになった。
『比較的大きい方の家』って言っても、日本のごく普通の大きさの木造平屋と同じくらいだ。田舎の農村だと土地が余ってて大きな家が建てられる、みたいなイメージがあったけど、どうやらそれには当てはまらないらしい。
門からこの家にやってくるまでに見た他の家も、どれも似たり寄ったりの大きさで、あまり大きくなかったからな。
防壁に囲まれて土地が限られているせいで、物置小屋や厩舎、農地のことを考えると、家屋のためのスペースは狭くなるのかも知れない。
通されたのは、台所兼居間といった感じの部屋だった。
小綺麗にしてはいるものの、物が少なくて、とてもじゃないけど裕福な暮らしをしてるようには見えない。
そんな中、目を引いたのは、暖炉の上に飾ってある古ぼけてくすんでるけど金属製の立派な長剣と盾だ。錆びも埃もなく、どうやら大事にされているらしい。
こうして剣と盾を飾っているのがこの世界の普通なのか、それともこの家だけが特別なのか。
初めて一般家庭にお邪魔したから、比較できる情報がなくて判断が付かないな。
ともあれ、木製の机と椅子が家族の分しかなくて、急遽もう一軒の方から椅子を運んできて話し合いの場がセッティングされる。
俺とユーリシス、ティオルとティオルの母親と姉夫婦、そして村長の七人が小さなテーブルを囲んでいるせいで、あまり広くないその部屋が余計に狭くなって、少々窮屈だ。
木のカップで全員に出されたのはお茶やコーヒーなんかの嗜好品じゃなくて、まだ温かい絞りたての牛乳というのは、多分こういう村の農家だからだと思う。お茶請けに出されたのも、干し芋とドライフルーツだし。
「初めてお目にかかります、この村の村長をしておりますロルトでございます」
チラチラとユーリシスを気にしながら、妙にへつらった態度で挨拶する村長。
年の頃は五十代か六十近くに見える、白髪交じりのドワーフの男で、着ている服は全然垢抜けてないけど、他の村人と比べると一段上等そうだ。
そんな村長の挨拶を切っ掛けに、互いに自己紹介をして話し合いが始まる。
「初めまして、ミネハル・ナオシマと言います。旅の学者をしています。こちらは同僚のユーリシスです」
外注先の担当者と交渉する時のような仕事モードに切り替えて、社会人らしく改まった態度と口調で対応する。
ユーリシスは自己紹介どころか会釈するでもなく、カップに口を付けて、ちょっと感心したように牛乳を覗き込むと、味わうようにもう一度口を付けた。
と、怪訝そうな顔をした村長が、そんなユーリシスへまたもチラチラと目を向ける。
「失礼ですが、お貴族様では?」
確かに、服装と見た目と態度だけは貴族の令嬢みたいだからな、ユーリシスは。
そして貴族の自己紹介なら、多分爵位とか色々言って、平民とは違う、頭が高い、なんて態度を取るのかも知れない。それがなかったから、不思議に思ったんだろう。
「いえ、違います。俺もユーリシスも平民ですよ」
「なんじゃ、そうじゃったんか」
俺が訂正した途端、村長の口調が横柄なものに豹変する。『この余所者どもが、勘違いさせやがって紛らわしい』と言わんばかりだ。
もしかしたら貴族が何か難癖を付けに来たとでも誤解していたのかも知れないな。
まあ、その勘違いを利用して門を開けさせたんだけど。
「それで、この村にどのようなご用件ですかな」
村長は続けて、縮こまっていたのが嘘みたいに横着な態度で椅子に座り直した。
俺達の正体が貴族じゃないと判明しただけで、まだこの村にどんな関わり方をするか明らかになってないのに、その言動は早計に過ぎると思うけど。
あまりにも露骨すぎて逆に突っ込みづらいんで、一旦そこはスルーして、取りあえず丁寧な仕事モードのまま対応する。
「ティオルさんからこちらの村が大変な状況にあると聞きまして、何かお力になれればと思い、立ち寄らせて戴きました」
「そうでしたかティオルが。それはとんだご迷惑をおかけしまして」
そこで何故か村長が、露骨に疎ましそうな視線をティオルへと向けた。
ティオルは、こちらも何故かばつが悪そうに俯いてしまう。
何も悪いことをしてないのに小さくなるティオルもだけど、その村長の態度は見ていてあまり気持ちのいいもんじゃない。
「迷惑なんてとんでもない。王都のギルドで冒険者達を相手に必死に説得している姿は、この村を救いたいって気持ちに溢れていて、是非彼女の力になってあげたいと、私の方から申し出たんです」
ちなみに、外向けの仕事モードだから、一人称は俺じゃなく私にしておく。
「まず確認しておきたいんですが、この村は雷刀山猫の群れの脅威にされされているので間違いないんですね?」
「その通りですじゃ」
「領主や国へ討伐の兵を出して貰えるように嘆願は?」
「とうに嘆願はしておりますじゃ」
「それで返事は?」
「領主様の門番は『分かった』とだけで、後はなしのつぶてですじゃ。所詮、貴族様は儂ら下々の者がどうなろうと知ったこっちゃないんじゃよ。期待するだけ無駄ですじゃ」
根掘り葉掘り聞かれるのが迷惑そうな、段々と態度と口調が横柄を通り越してぞんざいになっていく。
内心はともかく、村長という立場にあろう者が、仮にも助けに来た俺達に見せていい態度じゃないと思うんだけど。
「それなら冒険者を雇うしかないと思うんですが、その資金――」
「そんなもん、ありゃしませんのじゃ」
遂には俺の言葉を遮って、もっと有意義な話を聞けるかと思ったのにまるで期待外れだと言わんばかりに、背もたれに身体を預けてどっかりと座り直す。
「王都にほど近いと言っても、ご覧の通り畑と家畜しかない小さな貧しい村ですじゃ。村人達から金を掻き集めようにも、どの家もそんな余裕はありゃしませんで」
見て分からないのか、この村を救うつもりで来たんなら、もっと違う具体的で役立つ手立てを持ってこい。
顔にも態度にもそう書いてあって、なんかこう……イラッとするな。
そんな村長の態度に、ティオルとティオルの家族達の方が恐縮してしまって、逆に申し訳ない気分になってくるよ。
「それでは、他に何か講じている対策はありますか?」
「そんなもんあれば、とっくにやっとりますじゃ」
あからさまな失望と、厄介者を見る目を俺達へ向ける村長は、『もういいよお前ら帰って』って考えているのが丸分かりだ。
ティオルが危険を承知で単身王都へ向かった気持ちが分かるな。
しかも、だ。
「今言った通り、金がありませんのでな、この村から支払えるもんなど何もありゃしませんので。ティオルが呼んで来たわけじゃから、請求はこの家にして貰えますかな」
村としては依頼しないし金も出さない。それでもこの村を救いたければそっちが勝手にやってくれ。それでも金が欲しいなら、この家から取り立てて持って行ってくれ。というあまりにもぞんざいな態度での、丸投げ発言だった。
「えっ!?」
「そんな……!?」
最初に驚きの声を上げたのは、母親の方だった。
丸投げされるとは思わなかったし、そんな金もない、無理を言わないでくれ。
そんな顔と声で、俺とユーリシスに対してばつが悪かったんだろう、恥じ入るように俯いてしまう。その姿はティオルそっくりだった。
対してティオルは、自分が連れて来た俺達に対して、何も対価を支払わずに追い返そうとしていることに、驚きと抗議の声を上げて身を乗り出していた。
「なんじゃ、お前が勝手に連れて来たんじゃろう」
「で、でも、せっかくあたし達を助けるために、遠くからわざわざ――」
「だったらその責任を自分で取るのは当然じゃろうが。それともお前がしでかしたことで儂らに金を出せと? 出来もせんことを勝手にしておいて無責任にも程があるじゃろう。これじゃからまったく」
責め蔑む物言いと視線に、ティオルは勢いを失って乗り出した身を引くと、責任を感じてうっすら涙ぐみながら、俺とユーリシスに対して申し訳なさそうに俯いてしまう。
……これはさすがに、苛つくどころか向かっ腹が立つ。
角が立つから言いたくはなかったけど、一言言ってやらないと気が済まない。
そう俺が口を開きかけたとき、コンと、テーブルの上に木のカップが置かれた音がやけに大きく響いて、一瞬その場が静まり返った。