26 雷刀山猫 2
一応の安全圏に待避して、ようやくわずかばかりの余裕が生まれて全体を見回す。
グラハムさんは雌二匹を相手に、両手斧を振り回してなんとか牽制するのが精一杯の状況だった。だけど、倒せずとも『アンプレゼント』を使って、自分に二匹ともしっかり引き付けている。
そして、左腕を怪我したドワーフの男が、地面に仰向けに倒れていた。
偶然、こちらを向いていた瞳がわずかに揺れて、涎を垂れ流す開きっぱなしの口が小さく震えて、言葉にならない助けを求めてくる。
そんなドワーフの男を守るように、別のドワーフの男二人と人間の男が三匹の雌を相手に警戒と牽制をしていた。
さらにエルフの男が、飛びかかってきた雌を相手に両手斧の取り回しが間に合わなかったのか、大きな牙を突き立てようと開かれた口の中へ、横一文字に構えた柄を突っ込んで受け止める。
勢いと重量に負けてそのまま後ろ向きに倒れてしまったところを、横から別の雌が飛びかかって、斧を握り締める右腕に大きな牙を突き立てた。
「ぐあっ!?」
途端に、エルフの男が不自然なくらいビクンと身体を震わせて、そのまま両手斧を取り落とし、地面に大の字に転がった。
そのエルフの男も、左腕を怪我したドワーフの男と同じように、倒れたまま指一本動かさない……いや、動かせない?
「この野郎!」
さあ次の獲物はどこだとばかりにエルフの男を無視する雌のうち一匹に、犬型獣人が両手斧を叩き付けて深手を負わせる。
だけど、その一撃で倒しきるところまではいかない。
そのままエルフの男を庇いながら、二匹の雌を牽制していた。
「やばい……やばすぎる!」
辛うじて均衡を保っている状況。
しかも、少し離れた場所で地面に寝そべった雄が、その雌達の狩りの様子を余裕綽々で眺めていた。
もしこの雄がグラハムさんか犬型獣人のどちらかに向かって三対一の状況を作り出したら、即座に均衡が崩れてグラハムさん達は一気に押し切られてしまいかねない。
「くっ、いったいどうすれば……!?」
「落ち着きなさい、狼狽えて見苦しいですよ」
こんな状況だっていうのに、淡々とした物言いは変わらないユーリシスを振り返る。
「こんな大ピンチに落ち着いてなんていられないだろう!?」
「お前にはなんの力もないのです。お前が騒いだところで、何も状況を利することはありません」
「ぐっ、確かにそうだけど!」
「無駄に騒ぐくらいなら、いま自分に出来ることを探しなさい」
それは正論だけど、チートっぽい能力すらない俺に、いったい何が出来る!?
「や、やっぱりあたしが助けに」
「それは駄目だ!」
ベテラン揃いの『アックスストーム』の面々でこの状況なんだ。
まだ半人前にもならないレベルのティオルがここで加わったら、戦況を有利に転がすどころか、かえって混乱させて総崩れになりかねない。
「しっかり掴まってくれ、出すぞ!」
馬達が嘶いて、ガタガタと荷馬車が動き出す。
と、雄が顔を上げてこちらに向けた。
見逃すか追うか、考えているのかも知れない。
もし俺が今の雄の立場なら、荷馬車の俺達を警戒して動かず、俺達が参戦したら自分も参戦するだろう。俺達が逃げてしまえば、警戒する相手がいなくなるんだから無理には追わず、そこから参戦すればいい。
俺達が逃げるだけでも均衡を崩すことになりかねないことに、いま思い至る。
荷馬車を止めるように言うか一瞬迷うけど、杖の男は全力で逃げ出そうとしているんだろう、手綱を捌いて馬達をどんどん加速させていく。
もう迷ってる暇はない。
「ティオル、弓は使えるか!?」
「ゆ、弓ですか? ちょっと練習したことがあるくらいです」
詰め寄る俺に気圧されたように、後ずさりながら答えるティオル。
「俺は全然使ったことがないんだ、補助してくれ!」
言いながら荷台の脇に置いてあった弓を掴んで、何か言いたそうなティオルを視線で制する。
そして、弓を持つ手や番える矢の位置や向きなんかを補助して貰いながら、弓道アニメや漫画、ゲームのイベントCGで見た、キャラが弓を引くシーンを思い描きながら、見様見真似にもならない猿真似で弓を引く。
「このっ、喰らえっ!」
べいん、と情けない音が鳴って、放たれた矢がほんの数メートル、おかしな飛び方をして地面にぽてんと落ちた。
ガタガタと揺れる荷馬車の上で初めて弓を引いたんだ、ほんの数メートル飛んだだけでも、ビギナーズラックがあったって言える。
でも、第一段階は成功だ。
自分の方へと向かって飛んできた矢に警戒レベルを上げたんだろう、雄がこっちへ顔を向けたまま身を起こす。
だから、俺はもう一度矢を番えて、今度は矢を放ったりせずに真っ直ぐ雄へと狙いを付けて、次こそ射殺すぞって本気の意志を込めた。
もちろん、ガタガタ揺れて狙いが定まるわけがない。
でも、このポーズと殺意が重要なんだ。
雄が、唸り声を上げて、こちらに向かって猛然と駆け出す。
よし、第二段階成功だ。
「雄が来た! 急いで逃げてくれ!」
御者台の杖の男に叫んで急かす。
杖の男は半ば悲鳴を上げるように答えて、馬に鞭を入れて走らせる。
一気に加速した荷馬車に、でもそれ以上の速度で猛然と迫ってくる雄。
「ミネハルさん!? なんでこんな無茶を!?」
「そんなに死にたいのであれば、一人で飛び降りれば良かったでしょう」
狼狽えるティオルには悪いと謝り、呆れるユーリシスには軽く睨んで抗議しておく。
「これは作戦なんだ、考えなしにやったことじゃない」
簡単に屠れるチートっぽい能力がないなら、頭を使って工夫するしかない。
そしてそのためには情報が必要だ。
矢を構えて狙いを付けたまま、思考だけでホロタブを立ち上げて、追ってくる雄、そしてグラハムさん達全員を映し出す。
追ってくる雄のレベルは二十二。残りの雌達は二十~二十一。
グラハムさん達のレベルが二十四~三十ってことを考えると、正面切ってやり合っても勝てる相手のはずだ。
なのにグラハムさん達は苦戦している。
何より、倒れたまま起き上がってこない二人。
その二人のステータスを見ると、『強麻痺』の状態異常が表示された。
雄をタップして雷刀山猫のステータスやスキルを表示させる。
魔法による聴覚強化が可能。
そして、牙からは強い麻痺状態を引き起こす唾液が分泌されていて、掠り傷からでも侵入し、一瞬で麻痺状態になって動けなくなる。効果時間はおよそ一時間。
「この麻痺のせいか……冒険者達が雷刀山猫を狩るのを避けるのは」
一撃がどれだけ大きくても、重量のある両手斧じゃあ取り回しが遅くなって、素早く動く猛獣、しかも群れで狩りをしてくる相手には、圧倒的に不利だ。
矢の先を避けるように雄がジグザグに走るせいで、辛うじて追い付かれずに済んでいるけど、揺れる荷台の上で踏ん張って弓を引き絞ったままのせいで、運動不足の筋肉があっという間に悲鳴を上げる。
「うわっ!?」
石にでも乗り上げたのか、ガタンといきなり大きく揺れて、思わずひっくり返ってしまう。
「ミネハルさん大丈夫ですか!?」
俺と、俺を抱き起こそうとするティオルじゃなく、追ってくる雄へ目を向けたままユーリシスが淡々と告げた。
「来ますよ」
「ガオオオゥッ!!」
揺れるせいで素早く身を起こせなくて、ようやく上半身だけ身体を起こしたところで、咆哮が上がって雄が飛びかかってきた。
雄は荷台に乗るところまではいかず、荷台の縁にしがみつくようにして、後ろ足で地面を蹴って飛び乗ろうと苦心する。
「こ、こ……来ないで!」
悲鳴を上げながらティオルが剣を抜くと、縁にしがみつく雄へ駆け寄りその顔に向かって振り下ろす。
雄が剣を避けようと縁を放した直後、ティオルの切っ先がわずかに届いて、雄の顔を浅く切り裂いた。
「ギャオウゥッ!?」
悲鳴を上げて、地面を転がる雄。
さすが魔物や野生動物と言うべきか、すぐさま起き上がってこちらを憎々しげに睨んでくる。
その左目は切り裂かれ血を流していて、一度大きく吼えると、諦めたのかもう追ってくることはなかった。