23 帝王熊 2
「ゴガアアアアアアァァァァァァッ!!」
帝王熊が怒りの雄叫びを上げた瞬間、帝王熊から魔力が噴き上がって全身を包み込み、ホロタブ内の帝王熊のパラメータが劇的に変化していた。
帝王熊の丸太のような腕がその太さを増し、攻撃力と防御力が格段に跳ね上がる。まるで帝王熊の身体が一回り膨れ上がったみたいだ。
身体強化系なのは明らかだ。
「『帝王の咆哮』が来たぞ! てめぇらこっからが本番だ、気合い入れてけよ!」
「「「おう!」」」
全員の空気が変わって、言葉通りここからが本番らしい。
ここに至って初めて気付いたけど、八人で取り囲んでいるって言っても、接近して攻撃に参加しているのはグラハムさんを含めて五人だけだった。
杖の男は距離を置いて構えたまま、まだ何もしていない。
同じく、二人が距離を取ったまま、攻撃に参加していなかったんだけど、グラハムさんの合図で、これまで殴っていた二人と交代して攻撃に参加し始める。
下がった二人は肩で息をしながら、どうやらインターバルを取ってスタミナを回復するようだ。
「あの『帝王の咆哮』って言うのが、帝王熊の魔法だかスキルだかなんだな?」
「そうです。あれが普通の動物とは違い、魔物と呼ばれる所以です。ただでさえ人より優れた身体能力を持つ野生動物が魔法まで使ってくるのですから、人にとってはかなりの脅威たり得ます」
「なるほど、それで人はどんどん生存領域を魔物に奪われていって、近い将来滅びてしまうってわけか」
ユーリシスの解説を聞きながら、ホロタブで見た人口と魔物の推移と、国境線の変化を思い出す。
と、『帝王の咆哮』で強化された筋力と敏捷度で繰り出された腕の一撃で、地面が爆発したように土砂を撒き散らした。
「うわ……あんなの喰らったら即死する、絶対……」
こんな恐ろしい魔物相手に戦うのに、素肌を晒している面積の方が多い蛮族みたいな革鎧のせいで、飛んできた土砂で全身のあちこちに擦傷を作るメンバー達。仮にちゃんと服を着ていたとしても、これじゃあ服がボロボロになるだけで、守りは大差なさそうだ。
もし重たい金属鎧なんか着ていたら、とてもじゃないけど避けられないだろうし、喰らったら鎧ごと簡単にへしゃげて、良くて粉砕骨折の重傷ってところか。
この蛮族スタイルも、意外と理に適っているのかも知れないな。
「ぐあっ!?」
俺がそんなことを考えてしまったせいか、振り下ろされた腕を避け損なったドワーフの男の悲鳴が上がる。
見れば、左腕の籠手が千切れ飛んで、左腕の前腕から真っ赤な血を垂れ流していた。
もう一瞬後ろに飛び退くのが遅かったら、左腕ごと千切れ飛んでいたに違いない。
「下がって止血しとけ!」
「すまねぇリーダー!」
だけど元気にやり取りしてるし、左腕に別状はなさそうだ。
怪我をしたドワーフの男が後退してくる。
と、荷台が一際大きく揺れた。
「あたし、お手伝いします」
ドワーフの男が杖の男に怪我を消毒されたり包帯を巻かれたりするのを、荷台から飛び降りて駆け付けたティオルが手伝う。
「すまねぇな、お嬢ちゃん」
「いえ、このくらいしかできませんから」
いい子だな。
それに比べて、大の大人の俺が出遅れて情けない。
「ちっと早いが、こっちがスタミナ切れする前に追い込んでいくぞ!」
「「「おう!」」」
グラハムさんの号令で、全員の顔つきが変わる。
みんな汗だくで荒い息を吐いてるのに、帝王熊に疲れた様子はない。
散々両手斧を叩き込まれて深手を負っておきながら、動きに全く翳りが見られないなんて、帝王熊のスタミナは無尽蔵か?
帝王熊も含めて全員のHPゲージの下に、新たにスタミナゲージを表示させる。
全員、そろそろ半分近く削れそうってところまで下がっているのに、帝王熊のスタミナはまだ一割も減っていなかった。
ただ、スリップダメージが入ってるわけでもないのに、帝王熊のスタミナゲージがジワジワと微妙に削れていく。
これは、ここまで散々殴られて出血しているせいか?
とはいえ、開始からここまで優勢にペースを作っているのに、このままじゃあグラハムさん達はスタミナ的にジリ貧だ。
「グラハムさん!」
「よし、やれ!」
手当を終えた杖の男が声をかけると、即座にグラハムさんが応じた。
初めて杖を構えて、その先端を帝王熊に向ける。
そして懐から羊皮紙の紙片を取り出すと、それを見ながら大きく口を開いた。
「『怒れる炎よ、我が元に集え――』」
その言葉を紡ぎ出した途端、杖の男の身体から魔力が湧き上がる。
「もしかして呪文!? これが魔法か!?」
「本当に子供ですね」
背後から、心底呆れた声が聞こえてきたけど、今は無視する。
だって、そんな状況じゃないって分かっていても、ワクワクと興奮が抑えきれない!
「『揺れ、荒れ狂う形なきその身を、力ある言葉と共に集約せよ――』」
杖の男の視線が、忙しなく帝王熊と手にした羊皮紙の紙片を往復する。
カンペ見ながらの呪文詠唱っていうのがちょっと締まらないけど、杖の先端に仕込まれた赤い宝石のような物の周囲に杖の男の魔力が集まって、ボッと赤い火が灯った。
「『その身を一つの矢となして、敵を貫き討ち滅ぼす力となれ――』」
灯った赤い火が、一本の矢の形になって、帝王熊に狙いを定める。
「『貫き、突き刺さり、その炎で敵を焼き――』」
というか……。
「『その命を奪い尽くすまで燃え上がり――』」
長い……。
「『我に仇成す意志を挫かせ――』」
呪文、長すぎる……!
この呪文詠唱の間にも、グラハムさん達は『アンプレゼント』でタゲ回しをして、一人が集中攻撃されないよう戦況をコントロールし、『ヘビークラッシュ』、『ギロチンアックス』を次々に叩き込んでは削っていく。
さらに帝王熊は苛立たしそうに咆哮を上げながら、丸太のような腕を振り下ろし、外れた攻撃で地面を叩いては土砂を飛び散らす。
飛び散った土砂と空いた穴のせいで、足場が悪くなって立ち回りが難しくなると、グラハムさん達は『アンプレゼント』を利用して帝王熊を誘い出し、足場のいい位置へと戦場を移動する。
その間に、距離が空いたら帝王熊が四つん這いになって突進をかけようとして、別の人が『アンプレゼント』で注意を引いて、突進を中断させては自分に向かってこさせる。
などと、戦況は刻一刻と変化していた。
そのたびに、杖の男は杖の先端、つまりは炎の矢の狙いを定め直して、忙しなくカンペと交互に見ながら呪文の詠唱を続けている。
「ちょ……こんなんじゃ戦況に即座に対応なんて無理だろう!?」
しかも……。
「『――飛べ、ファイアアロー!』」
ようやく完成した呪文。
弓道やアーチェリーで見た矢より遥かに速く飛ぶ一本の『ファイアアロー』。
それが帝王熊の横っ面に深々と突き刺さり、強く燃え上がる。
それはすごいんだけど……。
帝王熊は顔を焼かれて怯え怒りの咆哮を上げて、その大きな手の平で燃え上がる火の矢を叩いて消火する。
そして、あっさりと鎮火。
削れたHPゲージは微量。
杖の男に対し、グンと跳ね上がるヘイト。
「チッ、もう消されたか」
杖の男は舌打ちして、額に浮いた汗を手の甲で拭うと大きく息を吐き出した。
今の一発でかなり疲労したのか、スタミナがグッと減っている。
なんてこった……コスパ悪過ぎだ!
両手斧で殴った方が圧倒的にダメージを与えて、ヘイトの上がりも少なくて済むし!
「『怒れる炎よ、我が元に集え――』」
そして、カンペを見ながらあの長い呪文をまた最初から……。
「やばい……この世界の魔法やばすぎる……使えなさすぎだろう……!?」