22 帝王熊 1
翌日の昼過ぎ、街道を外れて道なき道を進み、木々がまばらに生える林の中に入ったところで、まだ新しい大きな足跡を見つけた。
それを追跡していき……俺達は目的のそれに遭遇した。
「ガアアアアアアァァァァァァッ!!」
牙を剥き出しにして威嚇の雄叫びを上げ、後ろ足で立ち上がる巨大な熊。
しかも、体長は恐らく四メートル以上。
立ち上がった姿は五メートルを越えて、ほとんど平屋の屋根の上から見下ろされているに等しい、俺の知る熊の倍近いサイズだった。
その全身は紫黒い体毛に覆われていて、頭頂付近だけ白い毛が輪っかになっている。
紫は染料の希少性から王家の色と呼ばれるらしいし、月輪ならぬ王冠にでも例えられているんだろうか。帝王熊と呼ばれるのに納得の威容だ。
ただその個体は、全身のあちこちの体毛が乱れていて、怪我しているのか赤黒く固まった血が見えた。
つまり、危険な手負いの獣ということだ。
「冗談……こんなのと戦ったら一発で殺されるって……!」
いやもう、本気で命が幾つあっても足りないと思う。
だけど、グラハムさん達はそうじゃないらしい。
「へへっ、まだ成体になりたての奴だな。小型の上に怪我までしてくれてて倒しやすそうじゃねぇか」
と、文字通り獲物を見る目で舌なめずりすると武器を構えて、素早く八人がかりで包囲し戦闘態勢を整える。
「これで小型って……っていうか、手負いで気が立ってるみたいですよ!? こんなの相手に本当に大丈夫なんですか!?」
「ああ、手負いだろうがなんてことはねぇ。だけどオマエらは荷馬車から降りんなよ。ご希望通り、魔物と戦うところを見せてやるから、ビビッて目ぇ瞑ってんじゃねぇぞ」
端から降りる気も動く気もなく泰然と腰を下ろしたままのユーリシスと、荷台の縁を掴んで隠れるように身構える俺、そして明らかにビビって顔を強ばらせながら盾に身を隠し腰の剣に手をかけて身構えているティオル。
そんな俺達に、グラハムさんは軽口の中にかなりの緊張感を漂わせて釘を刺してきた。もちろん、喋ってる間も、視線は帝王熊から外さず隙なく構えたままだ。
「ガアアアアアアァァァァァァッ!!」
再び帝王熊が咆哮する。
それが戦闘開始の合図のように、全員が動いた。
まず、グラハムさんが真正面から吼える。
「ガアアァァッ! 『アンプレゼント』!」
何かの技名みたいなのを叫んだ瞬間、グラハムさんの身体から何か力のようなものが湧き上がって、その力が固まりのような感じで帝王熊に向かって飛び、叩き付けられた。
ダメージを与えた様子はないけど、帝王熊は明らかにグラハムさんを睨み付けて戦闘態勢を取った。
「今のは!?」
まるで他人事のように観戦しているユーリシスを振り返る。
「あれは両手斧のスキルです。魔力をまとめ、ああして対象に叩き付けることで、対象の注意を引き付けているのです」
淡々とした口調の中にも、どこか俺に自慢するような響きを含めた解説だ。
ということは、あの湧き上がって飛んでいった力のようなものが魔力なのか。
「そのスキルの名前や効果なんかをホロタブに表示出来るか?」
「ええ、簡単ですよ」
自慢げな響きを変えずに、ユーリシスが素直に応じて軽く指先を振る。
「ありがとう助かる、これなら解説付きでじっくり観察させて貰えそうだ」
ホロタブを対峙するグラハムさんと帝王熊へ向けて映し出し、両方をタップする。
両手斧スキル『アンプレゼント』。
使用可能なのはレベル十五から。
この使用可能レベルは俺の後付け設定だから、実際には、鍛えた能力とか、個人の適正とか、さらには経験とか、それらを鑑みて総合的にそのくらいの実力があれば使いこなせるだろう、っていう指針だ。
ゲームによくある『経験値を稼いでレベルが上がったから解放されて使用可能になったスキル』とか『生また時に神様から与えられたスキル』とかとはニュアンスが違う、鍛錬で身に着けた『スキル』みたいだから、混同しなようにしないといけないな。
「内容はっと……『術者が対象への悪意を持っていると錯覚させて不快感を与え、ヘイトを高めて、術者を優先的な攻撃対象にさせる』……なるほど挑発系のスキルか」
この表示された説明文も、俺のゲーム知識に照らし合わせて用語を当てはめた後付け解釈なんだけど、多分実際の効果とほぼ同じはずだ。
「つまり、グラハムさんが盾役ってわけか」
納得と同時に、不安が募ってくる。
「普通盾役って言ったら、文字通り盾を持って守りを固めてから敵を引き付けるもんだろう? 両手斧って言えば普通はDDなのに、盾役なんて本当に出来るのか?」
そんな俺の不安を助長させるように、帝王熊が牙を剥き出しにして、丸太のような腕を振り上げると凶悪な勢いを付けて振り下ろす。
直後、ズシンと揺れが伝わってきて、周囲の地面がへこんだ。
だけどグラハムさんは危なげなくバックステップでそれをかわすと、すぐさま態勢を整えて振り下ろされた腕に両手斧を叩き付ける。
「ガガアアアアァッ!!」
痛みと怒りに咆哮する帝王熊へ、真後ろから、そして両脇から、次々に他のメンバーが襲いかかって両手斧を叩き付け、ヒットアンドアウェイで距離を取った。
両手斧が叩き付けられたところは、浅手だけど毛皮が切り裂かれ、真っ赤な血が溢れ出す。
痛みと怒りにまた帝王熊が咆哮して、憎々しげに真後ろを振り返ってタゲを変更すると、見越していたように再びグラハムさんが叫んだ。
「ガアアァァッ! 『アンプレゼント』!」
途端に、思い切り不愉快そうに顔を歪めて、帝王熊がグラハムさんを振り返った。
「そうか、ゲームじゃないんだから、クールタイムなんてシステムはなくて当然か」
一度スキルを使用したら、同じスキルを再び使用できるようになるまでのインターバルを表すクールタイム。
戦闘バランスを取るため、またクラスごとジョブごとに強さのバランスを取って、極端な格差を生み出さないために導入されるシステムだけど、現実では気力や体力、そして恐らくは魔力が続く限り、連発可能に違いない。
「逆を言えば、敵も連発してくるわけだから、普通はゲームバランスを崩壊させかねないけど……結論を出すのはまだ早いな、情報が足りてない」
独りごちて、ふと気付く。自分の立場に。
「俺はゲームプランナーで、この状況は謂わばテストプレイやデバッグみたいなもんなんだよな。ユーザー視点で情報を制限される必要はないはずだ」
つまり、デバッグモードとして、見たい情報は何を見たって問題なしだ。
ユーリシスに頼んで、パラメータ表示に新機能を追加して貰う。
「ヘイト表示完了っと。これで、戦闘の動きがもっと分かりやすくなった」
新たに表示された、帝王熊のヘイトリストのトップは『アンプレゼント』を使ったグラハムさんだ。
次いで、背後から攻撃したドワーフの男。両脇から攻撃した他のメンバーより一段高い数値のヘイトを稼いでいるところから判断すると、目の前の帝王熊は、正面切って戦うのはいいけど、背後から不意打ちされるのは極端に腹を立てる性格なのかも知れない。
それがこの帝王熊って種族の気性なのか、この個体の性格なのかは、もっとサンプルを集めないと結論は出せないけど。
「フッ……目を輝かせて、まるでお気に入りのオモチャを手に入れた子供ですね」
「うっ……そういう性分なんだよ、ゲームプランナーだからな」
ちょっと顔が熱くなるのを自覚しつつ、揶揄するユーリシスは振り返らず、ホロタブ越しの戦闘を注視する。
「おう、オマエら!」
「「「おう!」」」
グラハムさんのたったそれだけの合図で全員意図を察したようで、殴ったメンバーも、殴ろうと近づきかけたメンバーも、一旦距離を取ってフォーメーションを整え直す。
そして、ヘイトが溜まりすぎたメンバーのせいで、『アンプレゼント』でグラハムさんがタゲを奪えなくなったら、ヘイトが高いメンバーとグラハムさんは攻撃の手を休めて、両脇から攻める別のメンバーが『アンプレゼント』と攻撃を連発してタゲを奪う、という盾役を三人で持ち回りに戦術変更していた。
「こういう戦い方は、MMORPGの役割分担に似てて分かりやすいな。一発でも食らったらお陀仏になりそうな攻撃なのに、緊張はしててもまだ余裕がある感じだし……これがベテラン冒険者と魔物との戦いなのか」
そして、それを何度も繰り返して、少しずつ、だけと確実にダメージを与えていく。
『アックスストーム』のメンバー達は全員、未だ無傷だ。
ほうっと溜息が漏れて、肩から力が抜ける。
どうやら、相当に緊張して身体が強ばっていたらしい。戦闘開始からさほど時間が経ってないのに全身ガチガチで、これじゃ見てるだけで筋肉痛になってしまいそうだ。
ふと、荷台がギシギシと揺れているのに気付く。
理由を探して首を回らせれば、原因はティオルだった。
どうやらティオルも余裕が出てきたらしい。
荷台の広いスペースで、剣を抜いて盾を構えて、帝王熊の攻撃に合わせてステップを踏み、剣や盾を振るって自分ならどう戦うかイメージ戦闘をしているようだ。
ユーリシスがすごく迷惑そうな顔でティオルを睨むも、『止めろ』とも『降りてやれ』とも言わなかった。
その目がすごく真剣で、自分ならどう戦うか本気で研究しているのが分かったからだろうな、きっと。
むしろ馬達の方が迷惑顔でブルブル言ってるし。
ホロタブには帝王熊との戦いを映し出したまま、画面の隅でワイプのように、ティオルのその姿を表示してステータスを参照してみる。
すると、経験値のゲージが、一ドットずつジリジリと増加していた。
ゲームだと直接戦って倒さないと経験値は入らないけど、現実だとこういう見て研究するっていう経験もまた、レベルアップに繋がるいい証左ってところか。
少しは冷静に戦いを眺められるだけの余裕が出てきたところで、さらに色々とパラメータを調べてみる。
「帝王熊のレベルは……三十八か、高いな。小型っていう話だし、大型なのはもっとレベルが高いってことか。でも、『狩り』のパターンとしては、レベル差と人数は丁度いいのかも知れないな」
「ゲームを基準に考えた戦況分析に頼っていては、いつか足を掬われますよ」
「そう嫌そうに言わないでくれよ、まだ判断基準が足りてないって話はしただろう」
ホロタブ越しに戦いから目を逸らさず、戦闘の様子を観察、分析する。
「おらぁ喰らえや『ヘビークラッシュ』!」
「ふむ、レベル五の両手斧スキルで、『武器の重量を増して、重量による破壊力を増す』か、ダメージアップのスキルなんだな」
「おらおらこっちだ、どこ見てやがる『ギロチンアックス』!」
「ふむ、レベル十の両手斧スキルで、『刃の切れ味を増して、鋭く切り裂く』か、これもダメージアップのスキルなんだな」
盾役が挑発系の『アンプレゼント』を使う以外、他のメンバーはダメージアップスキルしか使わない。
道中聞いた話、帝王熊は何度も狩ってるって話だったし、攻略パターンが確立してて、削りが作業化してる感じだ。
そういえば『当たらなければ、どうということはない』って有名な台詞もあったな。
振り下ろされる腕は文字通り一撃必殺で、まともに食らえば命はないのかも知れないけど、そんな不安を感じさせない戦闘の運びで、これがベテラン冒険者の貫禄って奴なのかも知れない。
「これは勝負あったかな」
帝王熊のHPゲージはまだ半分以上残っているけど、この調子で削っていくならこれ以上の有益な情報は得られなさそうだ。
「というか……この戦い方、ちょっと脳筋っぽいなぁ」
気の抜けた溜息を漏らした瞬間、それが早計だったと悟る。