20 ティオル・アランマル
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ティオルが暮らすリセナ村は、王都から南へ延びる南の街道を徒歩で三日ほど進み、街道から外れて森を抜けた先に位置する農村である。
穀物と野菜の栽培、酪農が行われ、特に目立った特産品もなく、街道を旅する旅人が稀に宿を求めて訪れる以外は、農作物などを買付けに来る行商人くらいしか立ち寄ることのない小さな村だった。
それでも村人達が日々食べていくのに十分な量の収穫を得られており、穏やかで牧歌的な生活が送られていた。
しかし南の街道で魔物の出現頻度が高まるにつれ、街道は目に見えて往来が減って廃れていき、リセナ村を含む街道沿いの町や村は次第に寂れていった。
そして二十年ほど前、遂に行商人の往来が困難になるに至り、国は南の街道一帯を治めていたいくつかの領地の放棄を決定する。
それから数年をかけて、領民達は住み慣れた町や村を捨てて避難民となり、親戚縁者を頼るか、また頼れる者がいない者達は、王国内の各領地で避難民を受け入れ可能な町や村へと散っていった。
幸いなことに、リセナ村のある領地は王都にほど近い位置にあり村の放棄は免れたが、その代わり、領主の命により避難民を数家族受け入れなければならなくなった。
それはリセナ村にとって大きな負担だった。
町も村もその規模に関係なく、魔物対策として石材や木材で築かれた防壁により家も農地も全てが取り囲まれており、おいそれと家屋や農地を広げて村を大きくすることが出来ないのだ。
もし新たな防壁を築いて町や村を拡張するのであれば、それは一大事業となる。
何より、南の街道は領地外れの町より先が通行止めとなり、旅人はおろか行商人の往来すら激減したため、村の財政はかなり厳しく自力での拡大は不可能だった。
しかし、それはリセナ村に限った話ではない。
領地の放棄は過去に幾度も行われており、そのような使い古された言い訳が通用するはずもなかった。
そもそもが領主の命に逆らえるはずもなく、村は避難民を受け入れるしか選択肢がないのである。
ティオルの家族は、そうしてリセナ村へとやってきた避難民であった。
リセナ村へ移住した当時、ティオルの家族は両親と姉の三人だけで、ティオルは移住後にリセナ村で生まれた娘だった。
ティオルにとって、両親と姉が知る以前暮らしていた領地や村のことは、馴染みのない余所の土地の話でしかなく、リセナ村こそが生まれ故郷である。
だが、村人達のティオルへの態度は、余所者の娘に対するものだった。
避難民を受け入れた村は、否応なく避難民へ限りある土地を貸し与えなくてはならない。
空き地や空家があればいいが、そうでなければ、いずれかの村人の土地を貸し与える必要があり、その村人の収入が減ってしまうのである。
そのため、避難民はどの村でも余所者扱いで煙たがられるのが常だった。
姉のように、せめて物心が付いた後に移住していればまだ心の整理が付いたかも知れない。
しかし、生まれ育ったコミュニティにおいて、生まれながらに余所者扱いされることが定められていたことは、幼いティオルにとって理解出来ない理不尽でしかなかった。
そのためコミュニティへの隔意を覚え、同年代の子供達とも打ち解けられない幼少期を過ごすこととなったのである。
アランマル一家は借り受けた土地で小さな畑を作り、野菜と、数頭の牛と数羽の鶏を育てており、ティオルも幼い頃から積極的にその手伝いをしていた。
幼心に、コミュニティに受け入れられるためには、いい子で働き者であることが必要であると感じていたからである。
しかしそれと同時に、ただのいい子で働き者というだけでは、それがいつになるか分からない不安も感じていた。
そこで性根が腐ったり村人を恨んだりしなかったのは、仲が良く慕っていた姉に恋人が出来たことが大きかったと言える。
姉の恋人の少年は元からリセナ村に住んでいた農家の次男で、家は長男が継ぐからと、アランマル家へ婿養子に入る約束もしていた。
結婚し子供を産めば、姉は一歩先んじてリセナ村へ受け入れられる貢献をしたこととなり、村人達の態度もいずれ軟化していくのは間違いない。
幼いティオルには結婚はおろか恋もまだ早く、姉と同じ方法でとは考えなかったが、自分にも何かしら一つ、リセナ村へ貢献する要素が必要であると考えた。
そこで選んだのが――
「パパ、あたしに剣をおしえて」
――父の剣術を身に着けることであった。
ティオルの父は農作業の合間に、先祖代々受け継いできた剣術を鍛錬していた。
「この剣術は、ご先祖様達が、魔物から人々を守るために鍛えて受け継いできた、とても大切なものなんだよ」
ティオルの父は居間の暖炉の上に飾っている剣と盾を見ながら、姉と幼いティオルに、誇らしそうにそう語って聞かせてくれていた。
「だからパパはいざというときに、パパのパパから教えて貰ったこの剣術で村の人達を守るために、毎日剣の腕を鍛えているんだ」
そんな父を、ティオルは尊敬し誇らしく思っていた。
だから自分も、と思ったのだ。
しかし周囲からは、両手斧ならまだしも、剣と盾なんかなんの役にも立たないと馬鹿にされていた。
本当に役に立って守れるのなら村を捨てて逃げ出していない、などの陰口は日常茶飯事だった。
それでもティオルの父は鍛錬を続けた。
そんな父の背中を見て育ったティオルは、父が受け継いで鍛えてきた剣術は役に立つんだと証明したくて、何より大好きな父親を村人達に認めて欲しくて、一緒に戦えるようにと稽古に励むようになった。
しかしそれは、役に立たない剣術に夢中になる変わり者の娘という新たなレッテルを貼られることとなり、より孤立していく要因にしかならなかったのである。
そうして数年が経ち、十二歳になって成人した姉は、恋人の少年と結婚した。
それからさらに数年が経ち、ティオルも十二歳になって成人したが、結婚はおろか恋人の一人もおらず、ティオルに想いを寄せ言い寄る少年は村にただの一人もいなかった。
成人して年頃になった村の少年少女達が結婚し、あぶれた者達も余所の村から嫁を貰ったり、余所の村へ嫁いでいったりした。
それでもティオルは一人、父親と共に農作業と剣術の稽古に精を出していた。
それからさらに月日が流れ、ティオルが十四歳の時、予期せぬ忌わしい事件が起きてしまったのである。
その年、結婚した次男以下の子供達が独立した家と農地を持つために、そして再び領主から命じられ新たな避難民を受け入れるために、遂に村の拡張工事が行われることとなった。
村が広くなればいずれ確執も解消し、もう肩身の狭い思いをしないで済む。
アランマル家を始めとした避難民達は、そう大いに期待し、積極的に拡張工事への参加を決めていた。
二度目の避難民受け入れのため領主の計らいで税金が投入され、領主の私兵が派遣されて周辺を警備し、また冒険者や職にあぶれた者達や農閑期で手の空いていた近隣の村人達が数十人程人足として雇われ、村はにわかに活気づいた。
森が拓かれ整地され、新しい防壁がそれを取り囲むように建設されていく。
それは誰にとっても未来への希望の象徴のようなものだった。
しかしその希望は打ち砕かれてしまう。
そのかつてない活気に興味を惹かれたのか、それとも村へと運び込まれる新たな家畜に目を付けたのか、雷刀山猫の群れが、村の外で新たな外壁の建設作業をしていた者達に襲いかかったのである。
数匹程度の群れであれば、結果は違ったかも知れない。
しかし運悪く、十数匹という最大規模の群れだった。
しかも最悪なことに、その数の脅威に怯え、村人達を守るために派遣されていた十数人の私兵達が、あろうことか我先にと村の門へ向かって逃げ出してしまったのである。
現場は、あっという間にパニックへと陥った。
不意を突かれた冒険者達は、運んでいた資材や工具を捨てて両手斧へ持ち替える前に数人が犠牲となり、残りの半数が逃げ出した私兵に続き戦闘放棄して逃げ出し、残りの半数が辛うじて工具を構えたり両手斧に持ち替えたりして立ち向かった。
しかしただの人足や村人達は、どうしていいのか分からず狼狽え動けなかったり、門とは反対方向へ逃げ出したりと、パニックを拡大してしまう。
そんな中、ティオルの父は剣と盾を構えて冒険者達と力を合わせ、村へ逃げるようにと散り散りになる村人達を掴まえ避難誘導を行っていた。
ティオルもパニックになっており、辛うじて剣と盾を手に取るが、震える手に力が入らず取り落としては拾い、また取り落とすということを何度も繰り返してしまう。
ティオルにとって幸運だったのは、側に居た村人の一人が、そんなティオルの腕を掴んで、門へ向かって走ってくれたことだろう。
もし放置されていたり、『こんな時のための剣術だろう!?』と雷刀山猫の方へ突き飛ばされ囮にでもされていたら、ティオルは今、生きていなかったはずだ。
「パパ!」
腕を引っ張られながら父親を振り返り叫ぶティオルに、ティオルの父は安心したように笑った。
「パパなら大丈夫だ、ティオルは早く逃げるんだ」
穏やかで力強い声、そして戦う意志を漲らせ、雷刀山猫へと立ち向かう背中。
それがティオルが見た父親の最後の姿だった。
閉じられた門の中で糾弾された私兵達は『貴重な戦力である自分達が死ねば、この領地を誰が守るのか!』と、言い訳にもならない言い訳をして顰蹙を買うだけで、魔物対策に動こうとしなかった。
同じく村の中へと逃げ込んだ冒険者達は、村人達の冷たい視線と罵声に我に返り、遅ればせながら装備を整え始める。
だが、冒険者達が装備を整え門の前に集まったときには、すでに外での戦いの音は止んでいた。
そうして待つこと数時間、外に残った者は誰一人として帰ることはなかった。
その後、冒険者達が村の外へ出て安全を確認したが、どれだけ頼んでもティオルは外へ出して貰えなかった。
なので、父親がどうなったのかは知らない。
母親を含めて、家族は誰も父親の遺体を見せて貰えなかった。
見せるべきじゃないと、冒険者が止めたからだと母親に聞かされた。
犠牲になった冒険者も、人足も、村人も、そしてティオルの父も、遺体はまとめて村の片隅にある墓地へと埋葬された。
父親の墓前で、ティオルは世界中でこれほど不幸な目に遭った娘は他にはいないと泣きじゃくったが、後日、こんな事は世界中で毎日のように起きている当たり前の不幸の一つでしかないことを知る。
結局村の拡張事業は頓挫し、新たな避難民の受け入れは中止され、失意と悲しみの中、村は日常へと戻っていった。
残された家族のために泣き暮らすことも許されない母親の姿に、ティオルはより剣術の稽古に励むようになる。
同時に、やっぱり剣と盾は役に立たないと、ティオルの父は無駄死にだったと、口さがないことを言う者達も増えた。
だがティオルは信じている。
ティオルの父が残って戦ったおかげで自分が助かったんだと。
他の村人達の中にも助かった人達がいるんだと。
ティオルの父とその剣術は、確かに人を救ったんだと。
それを証明するために、ティオルは剣と盾を決して捨てないと誓ったのである。
そうして父親の教えを思い出しながら、一人で鍛え続けて二年。
遂に防壁の一部が破られて、村の中へ雷刀山猫の侵入を許してしまう。
幸いなことに被害は家畜ばかりで村人に犠牲者は出なかったが、味を占めた雷刀山猫が村を餌場にして再び侵入してくるのは火を見るより明らかだった。
そして、いずれ村人に犠牲者が出てしまうことも。
己を鍛え続けてきたティオルは雷刀山猫に立ち向かった。
いや、立ち向かおうとした。
しかし足が竦んで動けなかった。
雷刀山猫の群れを前に、たった一人で小娘が立ちはだかったところで何も出来ないと、この二年間鍛え続けてきた剣術は未だ無力であると、遠目に雷刀山猫の姿を見て理解してしまった。
それが、一週間ほど前の話である。
ティオルは自らの無力さに打ちのめされ、そして考えた。
どうすればこの村を救うことが出来るのかを。
こうして意を決し、ティオルは王都へと向かったのである。