2 神と世界とゲームプランナー
初回なので一時間ごとに三話連続投稿します。
第二話。
「っ……!?」
悪夢を見てベッドから飛び起きた時みたいに、不意に覚醒する意識。
と、目の前に一人の老人が立っていた。
年の頃は八十を超えていそうな深い皺、白い髭、ハゲ、白装束。長い木の杖を持っていれば仙人って呼べそうな出で立ちだ。
しかもここはいったいどこなのか、視界を遮る物なく地平の彼方まで続く広大な黒紫色した足場と、夜明け前の東の空のような薄明るい紺色の空に分けられた世界だ。
「ようこそ神界へ。自覚を持てなかったせいで、少しばかり混乱しとるようじゃのぉ。儂を覚えとるかのぉ?」
「……あれ? おじいさんどっかで……あっ、曲がり角でぶつかったおじいさん!?」
「正解じゃ」
我が意を得たりとばかりに、うむ、と鷹揚に頷くおじいさん。
「あの後のことは覚えておるかのぉ?」
「え? そりゃあ覚えてますよ。アパートに帰って、風呂に入って寝ましたけど」
「その後は?」
「『その後は』って、当然朝起きて……」
……起きた記憶がない?
「実はなおぬし、そのまま目を覚まさなんだ。過労からくる重度のストレスと慢性的な運動不足が原因の、心臓麻痺が死因じゃな」
「はぁ!? 心臓麻痺!? えっ、じゃあ俺って死んじゃったんですか!?」
「うむ、自覚がないのも無理ない話じゃ。寝ている間のことじゃったからのぉ」
夢……なのか?
でも夢にしてはあまりにも意識がクリアで、感覚がハッキリしすぎている。
それを意識しても明晰夢に変わる感覚もない。
「これが現実なら、ここは死後の世界でおじいさんは神様ってオチですか……?」
ここでお互い、どっと笑えれば良かったんだけど、おじいさんは大真面目に頷いて微笑んだ。
「うむ、察しが早くて助かるのぉ。さすがゲームプランナーじゃ」
「……いやまあ、趣味と実益を兼ねて、その手の作品は山のように見てますから」
答えて初めて気付く。
おじいさん――神様から神々しい力が溢れ出していた。
それを意識した途端、ストンと腑に落ちる。
もう、理屈とか理性とかすっ飛ばして、魂で理解してしまった。
夢でも冗談でもなく、俺は本当に死んでしまったんだって。
「細かいことじゃが一応訂正しておくと、正しくはここは死後の世界ではない。輪廻の輪からおぬしの魂だけを儂の元、つまりこの神界へと呼び寄せたんじゃ」
「そっか『また』ってそういう……ん? ちょっと待って下さいよ、おじいさんが神様なら、まさか俺の心臓麻痺って神様が仕組んだんじゃ……!?」
「いやいや、それは誤解じゃ。儂、ちょくちょく人間に身をやつしては文化の発展を楽しんどるんじゃが、おぬしと行き会ったのはコンビニへ課金用のプリペ――ゴホン!」
ん、今なんて言いかけた?
「本当の本当に偶然じゃ。たまたま寿命が尽きかけておるのが見えたんでの、丁度いいから神界へ魂を呼び寄せただけじゃ。これぞまさに世界の選択、世界の意志じゃな」
……嘘を吐いてるようには見えない、か。
「分かりました、信じます」
ということは……。
「そっか、俺はもう二度とゲームを作れないのか……」
思わずポロリと零れた言葉に、身体中から一気に力が抜け落ちてしまって、なんだか自分の中にぽっかり穴が空いてしまったみたいだ。
「プロジェクトの立て直しはまだまだこれからだったのに、それをこんな形で放り出すことになるなんて……みんなになんて謝れば…………」
こんなことなら藤堂さんに言われるまま帰るんじゃなかった。
明日の朝、俺が出社しなかったら大騒ぎになるだろうな……。
「せめて修正指示書を書き上げて、鹿島に引き継ぎして、変更部分のデータのサンプルを作っておければ……ああ、あとシナリオの変更部分のプロットくらいは準備して、それから……」
「……過労で死んだというのにまだ仕事の話か。おぬし、大概じゃのぉ」
なんか呆れられてるけど、一つ誤解があるので訂正しておかないと。
「俺が好きなのはゲームを作ることであって、仕事をすることじゃないですから。しかも俺が自分で選んだ男子一生の仕事ですよ? それを途中で投げ出すことになってプライドが許さないだけです」
分かった分かったとばかりに何度も頷く神様だけど、本当に分かってくれたのか?
「ならば益々丁度いい。過労で死んでもまだゲームを作りたいという、ゲームプランナーのおぬしにぴったりの仕事があってな、それを頼みたいんじゃよ」
「ゲームプランナーとしての仕事……ですか?」
知らず背筋が伸びて、聞く態勢に入ってしまう。
そういえば、さっきも丁度いいとか言ってたな。
「詳しい話をする前にまず知っておいて欲しいんじゃが」
と、神様が足下の黒紫色した足場を指さした。
「これはおぬしが生前暮らしていた世界じゃ。宇宙と呼んでも構わんよ。ちなみにここは世界の外側じゃ」
「この足下のが宇宙!?」
ほれ丁度いいから見てみいとばかりに、今度は真上を指さす。
振り仰いでよく目を凝らせば周り中、近くに遠くに、同じ黒紫色の巨大な球体が数え切れないほど浮いていた。
しかも、その表面にはそれより小さい黒紫色の球体が、さらにその黒紫色の球体にもそれより小さい黒紫色の球体がくっついていて、木の枝のように連なっている。
その連なりも、もっと大きな木の枝のような連なりの一部で、それもまたさらに大きな木の枝のような連なりの一部でしかなくて、それが無限に続いていた。
「まるでフラクタル……多元宇宙論の世界みたいだ……」
「ふむ、さすがゲームプランナー、よく知っとるのぉ」
そして、神様が指さした連なりの先端に位置する宇宙の表面に、突然小さな黒紫色の点が生まれたと思ったら、風船のように一気にぶわっと膨らんだ。
「あれってまさか、新しい宇宙誕生の瞬間ですか!?」
あの中で今まさにビッグバンが起きていて、インフレーション理論が実証されてる最中ということに!?
「俺いま、とんでもなくすごい光景を目の当たりにしてるんじゃ……」
「ほれほれよく見てみい、新しい神も生まれたぞ」
その光景に圧倒されている俺に、どこか楽しげなドヤ顔で神様が続きを見るように促す。
よく目を凝らせば、生まれたばかりの宇宙の周囲に光り輝く粒子が舞い踊り、やがて一つに収束すると人型をかたどって、ふっとその姿を消した。
「新しい世界が生まれると、同時にその世界を創造する創造神も生まれるんじゃよ。謂わば、神とはその世界の意志であり在り方。生まれいずるは一つの世界に一柱の神。しかして八百万の神々が存在する、といったところじゃな」
「なんだか物理も宗教も哲学も一緒くたって感じですね」
いや、そういえば以前何かで読んだけど、元を辿ればそれらは一緒くただったような。
「さて、諸々理解して貰ったところで、ここからが本題じゃ」
神様がついと何もない宙を見上げるんで、俺も釣られて視線を上げる。
「ほれ、そなたの出番じゃ。疾くこれへ」
「はい、我が師」
神様の呼びかけに、凛とした女性の声が聞こえて、宙にさっき見たのと同じような、でももっと強い光の粒子が舞い踊り、すぐさま一つに収束した。
「……おおっ!?」
そこには美女が立っていた。
美しく艶やかな黒髪が長く真っ直ぐ腰に届いて、色白で整った容貌と、ちょっときつめの切れ長の瞳が知的で印象深く、朱色の紅を差した唇が艶やかだ。
純白の千早と鮮やかな緋袴という巫女さんっぽい出で立ちで、背筋を真っ直ぐに伸ばした凛とした佇まいが神々しさを感じさせる。
年の頃は二十歳くらいに見えるけど、相手は神様だから本当のところは分からない。
正直、生まれて初めて女性の美貌に目を奪われてしまった。
ちなみに、巫女服のせいでハッキリとは分からないけど、控え目に言っても胸元は曲線を描かずストンと断崖絶壁だ。
「その者が例の……?」
その美女、女神様は、俺じゃなく神様に目を向けて尋ねる。
神様が頷くと、女神様は俺に初めて視線を向けて…………なんだろう、睨まれた?
いや、吊り目気味だし、目つきが悪いだけか。
それもまた王道だな。目つきが悪くて怖いとか不良とか勘違いされるけど、実は心優しいヒロインって。
頼みたい仕事はこの女神様が関係してそうだし、ちょっと役得かも知れない。
「それでの、こやつが創造神をしとる世界なんじゃが――」
神様に真後ろを指さされて振り返ると、俺が立っているこの宇宙に接している黒紫色の巨大な球体が視界のほとんどを塞いだ。
もしかしてこれは……お約束の異世界転生って奴じゃないか!?
それで、そこはすごくゲームっぽい世界で、魔王を倒せとか、世界を救えとか、そういう王道展開に――!?
「――実は、人は一人残らず滅んで、世界は滅亡しておってな」
「はぁ!? 滅んじゃってるんですか!?」
はっと気付いて慌てて口を塞ぐけどもう遅い。
片頬を引きつらせた女神様に、今度は間違いようもなくジロリと睨まれてしまった。
「そうじゃ、じゃから滅亡してしまった世界を救って欲しいんじゃよ」
「あの……意味が分からないんですけど。もう滅んじゃってるんですよね? しかもゲームプランナーとしての仕事と、なんの関係が?」
「儂ら神に時間や空間による束縛は存在せんのじゃが、世界にとってはそうもいかなくてな、たとえ創造神であろうとも、一度確定した事象を改変することは出来ん。つまり何が言いたいかと言うとじゃな、実は儂もこやつもこの世界の人が滅亡した事象を観測したことで、その時点に至るまでの過去の事象を全て確定させてしまっておってな、たとえ過去へ戻ろうともすでに定まった世界の滅亡は覆せんのじゃよ」
ふむ、たとえ神であろうとも、過去に戻ってやり直しは出来ない、と。
「しかし、未だこの世界を観測したことがない神であれば、初めて観測した時点がその神にとっての現在じゃ。儂らの観測した時点とは無関係にな。つまり、滅亡の回避が可能な時点を観測すれば、その神にとって世界の滅亡は未来の話で未だ定まらぬ確率の状態。世界へ介入も事象の改変も可能というわけじゃ」
「なるほど、それで俺に介入と改変をする神様の役をさせたいってわけですか」
「うむ、さすがじゃな。ゲームという世界を幾つも創造しとるだけあって、こんな突飛な話なのに理解が早くて助かるのぉ」
いやもう、本当に突飛すぎる話だ。
「ちなみに、どんな世界で、なんで人が滅んで世界が滅亡したんですか? 救うって言われても、どうやって?」
「こやつの世界はな、おぬしが好きそうな、魔物が跋扈し魔法が飛び交うファンタジーな世界じゃ」
「おおっ!?」
「滅んだ理由など詳しい話は後でこやつに聞くといい」
チラッと女神様の様子を窺う。
女神様は俯いてしまっていて、表情がよく見えない。
緋袴をギュッと両手で握り締めて、滅んでしまった人達のことを憂い、自責の念に駆られているのかも知れないな。
「して、世界を救う方法じゃが、おぬしの好きにして構わんよ。神が天地を、生命を創造したように、ゲームプランナーとしての辣腕を振るい、おぬし好みの楽しい世界へと造り替えてもな。結果、人が滅亡せず、世界が救われればそれで良い」
「えっ!? 本当に俺の好きに世界を造り替えていいんですか!?」
「うむ」
太鼓判を押すように、神様が好々爺然とした笑顔で大きく頷く。
「現実のゲーム作成は何かと制約が多くて、本当におぬしが望む通りに作品を作れたことはなかったのじゃろう?」
そう、そうなんだ。
いくらクライアントと社長に、『君の好きに作っていいよ』って言われても、ここぞとばかりに長年温めていた自分が作りたかった作品を好き勝手に作っていいかって言うと、実はそうじゃない。
スタッフの能力と人数、開発費、他社の人気作との兼ね合いで決められる発売日と開発期間、企業の方針、ブランドイメージ、下請けの場合はクライアントの意向。
俺はそれらをレギュレーションだって考えているけど、つまりはそのレギュレーションを守って、求められているものを満たし、決められた枠の中でなら、『好きに作っていいよ』ってことなんだ。
そして、その枠を飛び出す尖った作品を作るのなら、相手を納得させるだけの面白さと必然性と販売本数という説得力が必要で、それはそう簡単なことじゃない。
そんな様々な要因のせいで、自分がどれほど面白いと思っていても、こんなゲームが作りたいんだと熱意があったとしても、現実には作りたい仕様やアイデアが十パーセントも組み込めれば御の字だ。
結局、それこそ妥協に次ぐ妥協を強いられる。
「この仕事であれば、そんなしがらみは一切ない。世界まるごと一つを舞台に、おぬし好みのゲームを再現しても構わんよ」
「そ、そんな美味しいことをしてもいいんですか!?」
つまり、異世界をVRMMORPG化して、クリエイター兼プレイヤーとして、世界を救うために世界中を冒険することも。
内政、外交、軍事バリバリの、硬派な建国シミュレーションやタワーディフェンス化して、文化や文明を発展させながら魔物と戦うのも。
いっそ魔物とは無関係に、牧歌的なスローライフを満喫出来る、のんびりほのぼの開発と運営をする村ゲーにすることも。
全てが俺の思うがままってことに!
ああっ、引き出しの中にストックしておいた、日の目を見なかったアイデアが次々に溢れ出してくる!
「是非、俺にやらせて下さい!」
「うむ、おぬしならそう言ってくれると思っておった」
俺と神様は、満面の笑みを浮かべてガシッと力強く握手する。
「あ、でもただの人間の俺にそんな真似が出来るんですか?」
「うむ、それなら問題ない。この件の間に限り、おぬしを最下級の位階ではあるが神と認め、創造神としての権限と権能を一部与えよう」
神様が指先で俺の額をつんとつつく。
「……えっと?」
「これでおぬしは今から儂らと同じ神じゃ」
「ちょっ、そんな簡単に!?」
つつかれた額を触っても手の平をマジマジと見ても、神々しさが出たわけでも力が湧いてくるわけでもない。
神様になったとか権能とか、さっぱり違いが分からないんだけど……。
いや、それよりどんなゲームにしてやろうか、ああ夢が膨らむよ!
神様はそんな俺に満足そうに頷くと、女神様へと目を向けた。
すると女神様が恭しく首を垂れる。
神様は鷹揚に頷いて、俺にしたように女神様の額をつんとつついた。
「世界を滅ぼした咎により、この件の間に限り、そなたの神としての位階を剥奪し、創造神としての権限と権能を一部封じる」
……え!?
「これよりそなたが滅ぼした世界を、最下級神直嶋峰晴が救うてくれる。神としての位階を失ったそなたは、自らこれによく仕え、世界と被造物たる人の救済ため、その限られた創造の御業を、最下級神直嶋峰晴の求めに従い、正しく振るうがよい」
「はっ、我が師よ……」
ええっ!?
「ちょ、ちょっと待って下さい! いいんですかそんなことして!?」
慌てて女神様を見るけど、女神様は恭しく首を垂れたままで、表情がまったく見えない。
神様が言ったように、世界を滅ぼした罰として受け入れているんだろうか?
「そのようなわけでじゃ、これからおぬしにはこやつの世界に人間として転生して貰う手はずじゃ。こやつも付いて行くから、部下としてこき使ってよいぞ。位階を与えた以上、おぬしの方が神格は上じゃからのぉ」
てっきり、俺一人でやるものだとばかり思っていたのに、いいのか、女神様を部下にしてこき使うなんて真似をして。
「実は儂、おぬしのゲームのファンなんじゃよ。果たして救われた世界はどんな世界になるのか、今から楽しみじゃのぉ、フォッフォッフォ♪」
くっ、そんな期待された目で見られたら、しかも俺のゲームのファンとか言われたら、こう、心の奥底のあれやこれやがくすぐられて、断れないじゃないか!
「あの……女神様は、本当にそれでいいんですか?」
「……」
しおらしく首を垂れたまま、緋袴を握る手が一層強く握り締められる。
そうだよな、被造物たる人と言えば神にとって子供みたいなもののはず。
なのに、自分が創造した世界が滅亡し、自分にはもう救う手立てがないんだ。
だったら、なんとしても救ってやりたいと思って当然だ。
「分かりました、俺に任せて下さい。必ず世界を救ってみせますから」
このしおらしく心優しい女神様が自責の念に潰されないよう、俺が力になってあげないと。
「さて、話がまとまったところで、仕事の成功報酬についてなんじゃが、世界の理に反しない限り、なんでもおぬしの願いを一つ叶えてやろう」
「えっ、いいんですか!? そんな大盤振る舞いな成功報酬を貰っちゃって」
「うむ。儂らの事情で仕事を依頼しとるんじゃ。タダ働きさせるわけにもいくまいて」
なんでもって……神様が言うんだ、掛け値なしになんでも叶いそうなんだけど!?
「そのまま神となって新たな世界の創造神になるもよし。こやつの世界で金でも美女でも望みの物を手に入れて面白可笑しく暮らすもよし。改めてこやつの世界に転生し直して、イケメン王子や姫など勝ち組に生まれ変わるもよし。なんなら、全く別の世界に転生するでも元の世界に転生し直すでも構わんぞ」
そういう『なんでも』もありなのか……。
「なら元の世界で生き返って、プロジェクトを完遂させるっていうのもありですか?」
「……過労死しておきながら、おぬしはそうまでして…………まあ、おぬしがどうしてもと言うのであれば構わんが」
なんというか、かなり呆れられた感じだけど、俺にとってはかなり重要な問題だ。
「いずれにせよ成功したらの話じゃ。それまでに何か他に望みが出てくるかも知れん。改めてその時に聞くとしようかのぉ」
「分かりました。じゃあ、そういうことでよろしくお願いします」
話がまとまったところで、神様が女神様に目配せする。
「それでは私の世界へと転生させます、準備はいいですか?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、女神様と俺の身体――魂が光に包まれた。
こうして俺は異世界転生を果たすことになったのだった。