13 初めての……
◆
疑似神界が解除されて、現実世界へと戻ってくる。
「具体的な改変の内容はおいおい考えるとして、やっぱり魔物対策がキモになりそう……ん?」
「ふぅ……」
疲れた溜息を漏らして、ユーリシスが椅子に座る。
疑似神界では凛としていたのに、また疲れて億劫そうな顔で、ぐったりと椅子の背もたれに身体を預けた。
「ユーリシス、具合でも悪いのか?」
「神が具合が悪くなるなど、あるわけないでしょう。お前はそんなことも分からないのですか」
減らず口だけは健在みたいだな。
「ただ、どうにも思考能力が鈍り、判断力も低下しているようです。身体に力が入らず、動きたくありません」
「いや、それは十分具合が悪いと思うんだけど?」
不意にギンと鋭く警戒を最大にした瞳が俺を睨み付けてきた。
「……まさか、これはお前の仕業ですか?」
「は? 俺は何もしてないけど?」
「口では調子のいいことを言いながら、私を亡き者にして、この世界を好き勝手に蹂躙しようと考えているのでしょう」
「それは冤罪だ。そんなこと考えてないからな」
「ですが残念でしたね。この身体はお前の身体同様、この世界の物質で創造し一個の生命としたに過ぎません。神は謂わば精神生命体とでも言うべき存在。この身体が滅びようとも、私が滅びることはありません。再び身体を創造すれば済む話です」
「いやだから、俺は何も――」
グウウウウゥゥゥゥ~~~~~……。
俺の言葉を遮って、盛大な音がユーリシスから……ユーリシスのお腹から鳴り響く。
「――もしかしてユーリシス、お腹空いてるんじゃないか?」
「……?」
あ、これ、本気で自分の状況が分かってないな。
「今、その身体は俺の身体と同じように創造したって言ったよな? 飲まず食わずじゃ生き物は生きていけないぞ?」
「――!」
帝王熊の串焼きを小さく一口噛み切った途端、ユーリシスが目を見開いて、片手でその口元を隠す。
夜も遅く宿の夕食はもう終わってる時間だったんで、繁華街の屋台までひとっ走りして買ってきた物だ。
「もぐ、もぐ……ごくん……はぁ…………これが食事という行為ですか」
「もしかして、食事するの初めてか?」
「神に食事など不要です。神殿や教会で捧げられる供物も、信仰の証として確認するだけで、実際に食すわけではありませんから」
言って、もう一口、今度はしっかりとかぶりついた。
溢れ出る肉汁が唇を艶やかに濡らして、小さく赤い舌がそれをペロリと舐め取る。
なんというか……ちょっと艶めかしい。
「ほぅ……これが『肉の喜び』というものですか」
うっとりと串焼きを見つめるユーリシスだけど……。
「ちょ、言い方。言いたいことは分かるけど、それ、全然意味が違うからな?」
「……? よく分かりませんが、我が師が、たびたび人に身をやつして、創造された世界の文化を楽しんでおられたようですが、その理由の一端が理解出来た気がします」
元の世界の熊肉は、癖が強いらしい。時期や、その熊が何を食べていたかによって、味が大きく変わるそうだ。
実際に食べたことがないんで比較は出来ないけど、この帝王熊という熊の肉も、確かに牛や豚なんかに比べて、ちょっと癖が強かった。屋台ごとに味が違うと感じたけど、それも仕入れた熊が違えば当然かも知れない。
でも、いずれも赤身の肉は同じサイズの牛肉のブロックに比べてもずっしりと重たく、甘みも強くて、かなり食べ応えがある。
木を削った串に小振りなブロック肉が五つ突き刺されて、軽く塩胡椒で味付けして炭火で焼いた非常にシンプルな料理だけど、たった一本で腹に溜まって満足度は高かった。
俺が屋台の前でかぶりついていると親子連れがやってきて、母親がちょっと悩んだ後に、『晩ご飯は串焼きにしましょうか』と言うと、子供が『わーい、今日は御馳走だー!』なんて大はしゃぎしながら飛び跳ねていたのも納得だった。
「ふぅ……」
そんな光景を思い出している間に一本丸々食べ終わったらしく、満足げな吐息を漏らして椅子の背もたれに身体を預けるユーリシス。
「これが空腹と満腹という感覚ですか」
どうやら、初めての食事はお気に召したらしい。
この調子だと知識では知ってそうだけど、実感がなさそうだから、一応注意しておくか。
「今夜はベッドに入ってちゃんと寝るように。睡眠は食事と同様に大切だからな」
「ふむ……本来であれば神に睡眠など不要ですが、そういうものですか」
なんでそんな真似をする必要があるのかと、やっぱりよく分かってない顔でベッドを見る。
遥か高見から見下ろしていた神に、人間の生理現象を実感として理解して貰うには、実際に体験して貰うしかないだろうな。
と、ユーリシスが椅子に座りながら、妙にソワソワしてるような……。
嫌な予感がする。
「一応確認するけど、ユーリシス、どうかしたか?」
「しばらく前から下腹部に奇妙な圧迫感があって、それが徐々に強くなってきているのです。これはいったい……」
「今すぐトイレに行って来てくれ!」
◆
翌朝。
日が高く昇ってもユーリシスが起き出してこないから、部屋に行ってノックするも返事がないんで、部屋へと入ってみる。
それで目を覚ましたのか、ベッドの中で布団に丸まったユーリシスが、もぞもぞと動いて、眠たげな目だけが俺に向けられた。
「なんだ、まだ寝てたのか。もう朝にしては遅い時間だぞ?」
「…………寝る……という行為も…………なかなかに……気持ちいいものなのですね……この……起きているのか……寝ているのか……分からない感覚がまた…………」
なんだかまだ半分夢の中って感じで、呂律が回ってない。
「じゃあ初めて睡眠の良さに気付いた女神様に、人類の英知を授けてやろう。目が覚めてもすぐに起きず、そのまままた寝る……『二度寝』は最高に気持ちいい」
「『二度寝』……ですか…………? そこまで言うのなら…………試して…………すぅ~…………」
おおっ、本当に寝た。
ふと、脳内でメッセージウィンドウが開いて、システムメッセージが表示された気がした。
『女神ユーリシスは「二度寝」を覚えた』
『女神ユーリシスは「堕落」した』
なんてな。