113 レイテシアお嬢
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ミネハル君との論文執筆も佳境に入ってきて、今日も遅くまで作業をしてみんなで夕食を食べた後、いつも通り一人、宿へと戻ってくる。
魔石と魔法陣が組み込まれた魔法道具のランプのスイッチを……ふと一瞬だけ指が躊躇ってしまってから、入れた。
高級宿だけあって、ランプは普通の物よりやや大きめで明るい。
ミネハル君命名の魔狂星が落ちてきたときには、このランプも、そして町の大通りに並ぶ街灯も、魔石が突然勝手に発光して、最初は本当にこの世の終わりかと取り乱してしまったのは、いま思い出しても恥ずかしいわね。
もっとも、わたし以上に周囲の取り乱し方や混乱が酷かったから、誰もわたしを笑えないだろうけれど。
あんな混乱の中、妙に落ち着いていたミネハル君とユーリシスちゃん以外は。
それはさておき。
ちょっとお値段は高いけど、宿の主人に頼んで宿備え付けのお風呂を湧かして貰って、連日の論文執筆で凝った肩をほぐして疲れを落として、今夜はもう寝てしまおうかしら。
そう思ったら……。
「夜分に済みません。面会したいというお客様がお見えです」
と、宿の下働きの者がドアをノックしてきた。
相手の名前を聞いて、お風呂は取りやめて、すぐに部屋に通して貰う。
「お久しぶりです、レイテシアお嬢」
「お元気でしたかお嬢様」
案内されて部屋に入って来たのは、二人の冒険者。
かつては我が家の使用人で、屋敷の警備を担当していた者達だ。
「アラード、カリア、二人とも久しぶりね。貴方達も元気そうで安心したわ」
アラードはもう四十を過ぎたおじさんだけど、中年太りもせずに未だに引き締まった筋肉も逞しい、犬型獣人の両手斧使い。
カリアは三十代後半に差し掛かっておばさんとも言える年齢なのに、未だ肌がピチピチでまだまだ衰えを見せない、ドワーフの両手斧使い。
まだわたしが小さかった頃から可愛がってくれた、信頼の置ける家人だ。
「夜分遅くに済みませんねお嬢。ドルタードに着いたのが遅かったもんで」
「アラードには明日にしようと言ったんですけどね。早いほうがいいって急かされてしまって」
「貴方達なら夜中でも気にしないわよ。それで、早くって何かあったのかしら?」
「ええ実は、こういうもんを預かってきまして。お嬢には少しでも早く渡した方がいいかと思いましてね」
アラードに差し出されたのは一枚の封書だった。
封がしてある蜜蝋に押された印は、魔法学会のもの。
封を切って入っていた手紙を読むと……。
「臨時学会の開催? この前終わらせたばかりなのに?」
おおよそ年に一度、王都で学会が開催されている。
まだ半年も経たないのにまた開催しようなんて、随分と異例なことだ。
開催の理由は、どうしてもすぐに発表したい発見をまとめた論文を提出されたから、とあった。
それだけで予想は付く。
多分、魔法が狂ったことでこれまで使えなかった語句を用いた新しい魔法が使えるようになったから、それを逸早く発表して自分の手柄にしたい者がいるのだろう。
そんなことをしそうな心当たりの顔が、幾つか浮かぶ。
「開催日時は……一ヶ月後なのね。随分と急ね、支度も考えるとギリギリかしら」
「本当はもっと早くお嬢に届けられるはずだったんですがね」
「最初はホドルト伯爵の城下町の方へお届けに行ったのですが、研究室にお戻りになられていなかったようですので、まさかと思い、こちらへ来たというわけです」
「そうだったの。ご免なさいね、余計な手間を取らせてしまって」
言われてみれば、もう随分と研究室へ戻っていないわね。
学会以外でこんなに長く研究室を空けたのは初めてだわ。
「いやあ、まさかお嬢がまだドルタードにいたとは予想外でしたよ」
「中の街道経由での魔石の入荷が遅れるとお伝えしたせいで、もしかしてずっとドルタードでお待ちになっていたんですか?」
「ええ、それもないわけではなかったのだけれど。でもこれは丁度良かったわ」
手紙を封書に戻して、丁寧に荷物に仕舞う。
「丁度良かったとおっしゃいますと?」
「二人が教えてくれた例の彼、ミネハル君と共同執筆で論文をしたためていたところだったのよ」
「お嬢が共同執筆ですかい!?」
「自分お一人で研究成果を上げることに固執していらしたお嬢様が、他の方と……それも男性と一緒にだなんて!」
目を剥いて失礼な驚き方をするアラードと、目を輝かせて何か無用な誤解をしていそうなカリアに、それぞれ釘を刺しておく。
「わたしだって、相手の知識や研究内容に敬意を払えれば、共同研究でも執筆でもするだけの器量はあります。それと、相手はただの学者仲間で、それ以上でもそれ以下でもないわ」
二人とも、別々の意味でわたしの言葉を信じていないようで、ちょっと面白くないわね。
それはさておき。
「要件は、手紙の配達だけではないのでしょう?」
話を変えると、二人とも表情を改めた。
「あっしらが王都方面へ依頼で出向いたのはお嬢もご存じだとは思いますが、そのついでにお嬢が懇意にされてるミネハル・ナオシマについて調べてみたんですがね」
アラードがそこで一旦言葉を切る。
わたしが、ミネハル君についての情報を聞く気があるのかないのか、その判断をするためでしょうね。
ついでと言いながら、ミネハル君が何者かを調べるために、王都方面へ行く隊商の護衛依頼を受けたのは分かっている。
二人がわたしのためにそこまでしてくれたのはありがたいのだけれど……正直、彼が何者だろうと、どうでもいい。
彼の魔法に対する自由な発想、着眼点、打ち立てる理論、そこに興味はあるけれど、その過去にはさして興味はない。
彼には信念ともいえる目標があり、そこにブレることのない芯があり、ちょっとお人好しでいい人、それさえ分かっていれば十分だ。
でも、聞きたくないわけではないので、聞くだけ聞いてみるのもいいでしょうね。
彼の自由な発想と着眼点を形成した、何かヒントがあるかも知れないもの。
わたしが止めなかったことで、アラードが報告を続けた。
「まず、ミネハル・ナオシマのパーティーメンバーであるララルマ・ケクドですがね、お嬢が王都で知り合う前後で知り合って仲間に入れたようで、それ以前はここドルタードやあちこちを転々と移動してたようです。ケクドの名の通り、西の遊牧民のケクド部族の出身のようで、まあ、その見た目から一族の恥だと部族を追い出されたようですな。ミネハル・ナオシマとは偶然知り合っただけのようで、特にどうってことはありません」
ララルマちゃんについては、特筆する新情報はないらしい。
わたしも詳しく教えて貰ったわけではないけれど、ミネハル君とララルマちゃんの会話の端々から、おおよそ予想できたことばかりだ。
「次に、ティオル・アランマルですがね、リセナ村出身のただの農家の村娘ですが、ミネハル・ナオシマ、ユーリシスを含めたたった三人で、リセナ村を襲った雷刀山猫の群れを撃退したのは事実のようです」
ミネハル君やティオルちゃんから話は聞いていたし、信じてはいたけれど、こうして信頼できるアラードから話を聞くと、やっぱり驚いてしまう。
「剣と盾なんてゴミ装備で、とんでもない真似したもんですよ。その策ってのが随分と大胆でして」
ミネハル君が立てた策略というそれを、やっぱりミネハル君とティオルちゃんが言っていた通りの内容で語って聞かせてくれて、嘘も誇張もなかったことに、本当に大胆なことを考えたものだと思う。
つまり、ドルタードへ来てからの、『グローリーブレイブ』と『ゲイルノート』との共同作戦で雷刀山猫の群れと戦って、あの『グローリーブレイブ』と互角以上の戦果を上げたというのも、事実だったというわけだ。
確かに、執筆の合間にちょくちょく一緒に毒鉄砲蜥蜴を狩りに出て戦っている姿を見ていると、すんなりと納得出来てしまう。
ミネハル君の頭の中は一体どうなっているのか、俄然興味が湧いてくるわ。
「それで、ユーリシスと肝心のミネハル・ナオシマなんですがね……」
珍しくアラードが口ごもる。
「その足跡を追えたのが、王都の冒険者ギルドに冒険者として登録した前日、王都の宿に泊まったところまでなんです。それ以前についてはさっぱりでして」
「……それはどういうことなのかしら?」
アラードとカリア、そしてその配下の諜報部の者達でも追えないなんて。
ただの調査不足なのか、それともミネハル君達が足跡を消したのか、だとしたら、どうして、どうやって?
「ミネハル・ナオシマおよびユーリシスと個人的に親しく接触したのが、王都でも有名な冒険者パーティー『アックスストーム』なんですがね、彼らも詳細は知らないようで、二人が学者だろう、程度の情報しか持っていませんでした」
そんなアラードの戸惑うような言葉の後を、カリアが補足する。
「お嬢様もお気づきかと思いますが、ユーリシスなる者はその衣装はもちろん立ち居振る舞いからも相応の家柄の出身と思われます。ですが、王家はもちろん、どの貴族家にも、そして庶子にも、該当する者がいません。それは力のある豪商でも同様です。さらに詳しく調べるには、調査の範囲を諸外国へ広げる必要がありますが、他国の訛りもありませんから、空振りに終わるか、よほどやんごとないお方でかなり高度な教育を受けられたか……深入りすると藪蛇になる可能性があります」
「そうですか」
それは、ある意味で予想通りの見解だ。
ただ、あのお人好しのミネハル君の連れである以上、良からぬ企みで動いているとは到底思えない。
仲がいいのか悪いのか、時々よく分からなくなる時があるけれど、それでも二人の間には余人の入れないある種の絆や信頼があるようで、そこに秘密はあるようだけれど、後ろ暗さを感じたことはない。
ユーリシスちゃんのどこか超然とした佇まいからすると、もしかしたら、魔物に滅ぼされた亡国の王族の末裔で、密かに我が国に亡命していた……などという荒唐無稽な妄想が、案外と正解かも知れない。
「ミネハル・ナオシマも、学者という話ですがね、学位もなく、果たしてどこの学院で学んだのやら。当然ながらナオシマ家なる貴族も豪商も、小売商すらありません。両名とも偽名の可能性がありますが、それならそれで、その痕跡なり尻尾なり見えそうなもんですが、ある日突然王都に降って湧いたとしか思えませんでね。本腰入れて調べるなら、さすがに旦那様のお耳に入れてお力をお借りしないと駄目でしょうな」
「いえ、いいわ。お父様には、過保護もほどほどにと伝えておいて」
わたしの返事を聞いて、二人ともやっぱりバレたかと言いたげな顔をする。
短期間でここまで調べ上げたのなら、それはお父様の手の者を借りないと、さすがに不可能だろうから。
わたしに近づく正体不明の男。
そう心配しているのでしょうけれど、残念ながら、ミネハル君はわたしに女性としての興味は持っていない。
すでに二十九にもなった嫁き遅れより、まだしも年下の慕ってくれる二人の女の子の方がいいでしょうしね。
とはいえ、全く興味を持たれないのも、それはそれで女としてあまり面白い話でないのは確かだけれど。
「総合的に判断して、よく分からないけれどシロでいい、ということね」
わたしの結論に、二人とも頷く。
もしわたしに下心や害意があるのなら、もうとっくに行動しているはずだから。
そして、それはこの国に対してもそのはず。
ミネハル君の目的は、本気で、人類が魔物に滅ぼされないよう、人類を救うことなんでしょうね。
デート……らしきものをしたときに、カフェで彼が話していたことを思い出すと、とても腹芸など出来そうもなかったから。
「……カリア、その目は何かしら?」
「いいえ、なんでもありませんお嬢様」
その生温かく見守るような目、絶対に何か勘違いしているわね。
「それでお嬢、出発はいつにしますか? 今は依頼を入れてないんで、いつでも護衛に付けますぜ」
「いえ、今回はいいわ。ミネハル君達に頼むから」
「あら、そうなのですか?」
だからカリア、その妙ににまにまとした笑いはなんなのかしらね。
「あと一ヶ月しかないとなると、王都へ移動しながら論文を仕上げないと間に合わないのよ。だからミネハル君には、道中で護衛を兼ねて執筆を手伝って貰うわ」
「分かりました。ではそのように」
どうやら話は以上のようだから、今夜はここまで……と思って、ふと思い出す。
「そういえば、魔狂星……虹色に輝く星の欠片が降ってきたことだけれど、王都方面へ落ちた欠片で、どこか被害が出ていないかしら? 例えばリセナ村とか」
「いえ、王都方面ではなんら被害はありませんでした。人里離れた山中や、魔物の領域ばかりに落ちたようでして」
「そう、それなら良かったわ」
明日、ミネハル君に護衛依頼をするときに、ティオルちゃんに教えて安心させてあげましょう。




