110 魔法学の権威の考察と苦悩
レイテシアさんと共同で新しい魔法システムについての研究を始めてから、あっという間に一週間が経った。
「ミネハル君のその言い分だと、呪文の語句の解釈に個人差が出てしまって、とても系統立てられるものではないわ」
大きく手を振って俺の理論を否定するレイテシアさん。
「その系統立てるって前提がまず、魔狂星の影響の前ならともかく、魔狂星の影響を受けた後では成り立たないんじゃないですか」
だから俺も、大きく手を振って、レイテシアさんの理論を否定する。
侃侃諤諤、一週間も議論を続けていれば、もはやお互いに相手に対する遠慮はない。
しかも、ほとんど俺が答えを言ってしまってるようなものだけど、それも仕方ないというかなんというか。
先人達が何百年、何千年と行ってきた研究成果の常識から、レイテシアさんはどうしても脱却できないらしい。頑なに、その間違った常識を持ち出して、それに準拠した理論しか立てられないもんだから、議論が何日も平行線を辿ってしまっている。
「『アイシクルランス』でも、新しく使えるようになった『アイシクルアロー』でも、どの学派の呪文においても、『氷河』の語句は呪文として成立していないわ。これは魔狂星が落ちてきた前でも後でも同じなのよ」
というわけで、本日の議題は、これまで使えなかった語句はやっぱり使えないままなのかどうか、だ。
「それはレイテシアさんが使えないと思い込んでいるから、その思い込みがイメージの形成の邪魔をして、自分で魔法の発動に制限をかけているんじゃないですか」
「ミネハル君は呪文の語句なんてなんでもいいと思っているから、使える語句に制限がないと思い込んでいるだけに過ぎないわ。そんな暴論を振りかざしていたら、魔法学会から追放されるわよ」
「そういう決めつけが、今の学者達の視野を狭めて、特定の語句しか呪文として使ったら駄目だって余計な制限を付けて、魔法学の発展にブレーキをかけているようにしか思えないですけどね」
「ミネハル君こそ、暴論を斬新な解釈と履き違えていないかしら。他人と違ったことを言えばいいというわけではないのよ」
まるで角突き合わせるように、視線で火花を散らし、お互い一歩も引かない。
こうまで手こずるとは思わなかった。
俺と議論を戦わせているレイテシアさんですらこうなんだから、きっと他の魔法学の学者達は、もっと間違った常識に固執して脱却できないに違いない。
もう少しスマートに事を運びたかったけど、ここは多少強引でも正しい知識に誘導しないと不味いな。
「レイテシアさんこそ、新しい理論を否定して時代遅れの理論にしがみついてると、その若さで老害扱いされますよ」
「そう、そこまで言うのなら、ミネハル君が『氷河』の語句を使って魔法を発動させてみなさい」
「分かりました。じゃあ俺が『氷河』の語句を入れて魔法を使えたら、魔狂星の影響を受ける前の理屈はもはや通用しないって認めてくれますね」
「いいわ、出来るものならやってみなさい。いくら非常識のミネハル君でも不可能よ」
最初は、着眼点や発想が違う、斬新な理論、天才、なんて言ってくれていたけど、もはや非常識扱いされてしまっている。
まあ、それだけお互いに遠慮がなくなった証拠なんだろうけど。
おかげで、ほとんど売り言葉に買い言葉だったな。
場所は冒険者ギルドの裏の広場。
すぐに実演出来るように、朝の稽古をする防壁の外か、冒険者ギルドのテーブルか、この冒険者ギルドの裏の広場が、主に議論を戦わせる場所になっていた。
その方が、『ゲイルノート』を含めた他の冒険者達を議論に巻き込みやすいし、実演を目撃させやすいからだ。
実は今も、ユーリシスとローレッドを巻き込んでの議論なんだけど、基本的に正解を口にするのを避けるためにユーリシスは自分から発言しないし、ローレッドは魔法学の理論は勉強不足であまり口を挟んでこないんだけど。
そんなわけで、レイテシアさん、ユーリシス、ローレッド、それと遠巻きに俺達の議論を聞いていた魔術師の冒険者達の注目を集める中、練習用の丸太へ向き直って、右手を突き上げる。
一度深呼吸してイメージを膨らませて、それから、それっぽい語句で呪文を唱えた。
「『氷河より来たりて、一つの槍となれ、アイシクルランス』」
広大で雄大な氷河をイメージしたせいか、普段より二回りほど大きな氷塊のような氷の槍が右手の上に現れた。
どよめきを背中に聞きながら、右手を振り下ろして氷の槍を飛ばす。
氷の槍は、ズドンと大きく重たい音を立てて、見事に丸太に突き刺さった。
「そんな……まさか……」
レイテシアさんが頬を引きつらせて、わずかによろめく。
「どうですか? ちゃんと使えたでしょう?」
キッと俺を睨むと、レイテシアさんが俺を押し退けて、丸太に向かって立つ。
「確かこう唱えていたわね……『氷河より来たりて、一つの槍となれ、アイシクルランス』!」
突き上げたレイテシアさんの右手の平に魔力が集まって、槍のような形になろうとするけど、氷の槍にならずに、もやもや揺れ動いた後、霧散してしまった。
「くっ……やっぱり使えないわ……なのにどうしてミネハル君だけが使えるのよ」
その場にへたりこんで、乱暴に地面を叩くレイテシアさん。
普段の言動はドレスに見合った淑女っぽいのに、魔法が絡むと途端に熱く淑女らしからぬ言動が増えるんだよな。
それだけ、魔法学の研究に情熱を捧げているってことなんだろうけど。
「これで分かって貰えましたか? 呪文の語句なんてなんでもいいんですよ」
「本当になんでもいいのなら、何故貴方だけが使えて、わたしが使えないのかしら。その説明が付かないでしょう」
「レイテシアさんも、それからこの付近の魔術師達も、誰も本物の氷河を見たことがないんじゃないですか? それで氷河を正しくイメージが出来ないせいで、魔法が発動出来ないんだと思いますよ」
「つまり、ミネハル君は本物の氷河を見たことがあるから、正しくイメージ出来て、『氷河』の語句でも魔法が使えたということなのかしら?」
「多分、そういうことだと思いますよ」
かく言う俺も、実は生で実物の氷河は見たことがない。
テレビや写真や動画でなら、いくらでも見たことがあるけど。
それでもというか、おかげでというか、少なくとも全く見たことがない人よりちゃんとイメージ出来るわけだ。
「だから、氷河を見られる地方に住んでる魔術師なら、『氷河』の語句を入れても魔法を使えるはずですよ。その地方の人に、その発想があったかは知らないですけど」
「なるほど……呪文の語句にも地域性……つまり、個人のイメージを左右する要素が深く関係していると……さっきからミネハル君が言っていたのはこのことだったのね。その発想はなかったわ」
悔しそうだったのが一転、目を爛々と輝かせて立ち上がるレイテシアさん。
「この一例だけではまだ呪文の語句がなんでもいいとは断言出来ないから、それについても研究を進める必要がありそうね、面白いわ」
立ち直ってくれて何よりだけど、その熱量がちょっと怖い。
具体的に、魔法システムをどう改変したのか。
要素としては大雑把に三つに分かれる。
一つ目は、呪文という勘違いを逆手に取り、魔法を構成要素ごとに分解して変数とし、そこに任意の数値を代入できるようにしたことだ。
例えば、『ファイアアロー』なら、属性は火、形状は矢、任意の本数、真っ直ぐに飛ばす、対象を燃やす、ダメージを与える、などがパラメーターになるわけだ。
そもそも、改変前のシステムでも、本数は任意に変更できていた。
逆を言えば、本数は任意に変更できたのに、それ以外を変更できなかった。
これではシステムに統一感がない。
だから、属性に氷を代入すれば『アイシクルアロー』になるし、形状に槍を代入すれば『ファイアランス』になる。もっと言えば、同じ槍でも、スピア、ジャベリン、パイク、などなど、それぞれ自由に形状を変えていい。
名前だって『アイススピア』とか『アイシクルジャベリン』とか、ご自由にどうぞってところだ。
ユーリシスが準備してくれた魔法のリストには、基本形として既存の『アイシクルランス』が残っていて、ツリー構造で派生型として『アイススピア』とか『アイシクルジャベリン』とかが包括されるようになっている。
対して、『ファイアランス』は新規の魔法として、『アイシクルランス』と同形状の魔法として登録されて、同様にツリー構造で派生型として『フレイムスピア』とか『ファイアジャベリン』とかが包括されるようになっている。
さらに追加でサイズとか、効果時間とか、飛距離とか、そういう部分まで変数として代入できるようにして、かなりイメージに自由度を持たせてみた。
だから、飛ばす方法も、従来の真っ直ぐに飛ばす方法以外にも、固定、任意の時間停滞してから飛ばす、任意の軌道で誘導する、などなど、発想次第でいくらでもアレンジ出来るようになっている。
これは、柔軟な発想を持って気付いた者勝ちって感じの、隠しパラメータみたいな扱いで、俺が積極的に公表するつもりはない。
魔術師や学者が『こんなすごい隠し要素を見付けたんだぜ』って自慢すれば、我も我もとこぞって研究してくれると思う。ありもしない呪文の語句の発見とか分類とかに研究時間を費やして無駄にするより、よほど建設的で楽しく、意欲的に取り組めるはずだ。
この要素により、事実上、魔法はそのイメージ次第で無限大の可能性を得た。
魔物に対抗する手札としては、かなりバリエーションが増えるはずだ。
当然だけど、神を殺せるレーザーとか神界への転移とか過去に戻って事象を変えるとか、その手の危険なイメージはさすがに対象外にして使えないようにしてある。
二つ目は、これを受けて、魔力回路の仮説を逆輸入し、それぞれのパラメーターに個別の経験値の蓄積とレベルアップ、そして補正値を導入した。
例えば、火を使うか、氷を使うか、何を元に魔法を使うかで、それぞれ火に経験値が幾つ、氷に経験値が幾つと入る。
もちろん形状で、矢、槍、礫などでも、それぞれに経験値が入る。
攻撃魔法なら、一本か、三本か、などの本数でもそれぞれに経験値が入るし、刺突、斬撃、打撃、燃焼、爆発などの攻撃方法でもそれぞれ経験値が入る。
新しい変数の、真っ直ぐに飛ばす、任意の軌道で誘導する、などでも、それぞれ経験値が入る。
こんな風に、一つ一つのパラメーターごとに細かく分けて、それぞれ経験値を蓄積させレベルアップさせることで、そのパラメーターを代入して魔法を使う場合、魔素の制御、運用効率、魔法の威力、飛距離、速度、効果時間、効果範囲などなどに補正値が入って、より効率的に魔法を使えるようになる、というわけだ。
さらに、いつも『ファイアアロー』を三本撃つ、などのよく使うセットでも個別の経験値を蓄積して補正値が入るようにしたから、得意なセットを生かした戦術というのも生まれてくるだろう。
こんな細かな経験値やレベル、補正値の管理なんて、テーブルトークRPGだと紙のキャラクターシートに記入するスペースなんてないし、組み合わせを考えてプレイする手間を考えたら現実的じゃない。
同様に、コンピュータRPGでも膨大なパラメーターが並ぶステータス画面や、マクロで膨大な数のセットを組んで一括管理するとか、ユーザーに優しくないし、開発側にとっても優しくない。
でも術者の脳内でイメージに紐付けてそれらを管理させるなら、非常にお手軽だ。
そもそも、創造神側が神の御業を使えば、全人類のそれらのデータの管理なんて容易いわけだし。
三つ目は、至極単純にMP消費や稼ぐヘイトなんかの、そういったパラメーターを調整して、コスパを良くした。
これは単純でありながら、かなり使用感が変わるから、これから冒険者達はその感覚を掴むまで、慣れずに苦労したり危険があるかも知れない。
けど、最終的には扱いやすくなったはずだ。
さすがにこれらの内容を、レイテシアさんに直接説明するわけにはいかない。
だから、時間をかけて使って、検証して、感覚的に掴んで貰って、それを広く周知して貰う必要がある。
そのためにも、特定の語句で最初から最後まで間違えずに唱えないと魔法が使えない、っていう間違った認識のせいで高くなっているハードルを、なんとか下げて魔術師の人数それ自体を増えるように仕向けないと駄目なわけだ。
人類側の戦力の増加や実力の底上げはもちろん、検証する人数は多ければ多いほどいいんだから。
「地域性で言えば、『氷河』がいけるのなら『砂漠』とか『大海』とかはどうかしら? この付近には砂漠はないし、内陸だから海もないわ。ねえどうかしらミネハル君、貴方なら使えるかしら? それともさすがの貴方も使えないかしら?」
瞳を輝かせて、グイグイとくるレイテシアさん。
「分かった、分かりました。リクエストのある語句があれば、全部使いますから、そんなに迫ってこないで下さい」
レイテシアさんの好奇心というか、学術的探究心というか、本当にすごい熱量だよ。
これは当分、魔法の実演に付き合わされそうだ。